縄田IS相談会 要旨
2022年6月30日(木)10時〜12時
形態:オンライン
相談テーマ「資源人類学とマルチスピーシズ研究から 何を学び取り、どう超えていこうとしているのか」
出席者:縄田浩志(秋田大学教授)
コメンテーター:内堀 基光 放送大学・一橋大学名誉教授(人類学・民俗学)奥野克巳(立教大学教授)松田素二(地球研・特任教授)
まず今相談会の意味と期待される役割についてプログラムディレクターから説明があった後、研究代表の縄田さんから、今回特にコメンテーターから助言を受けたい点について、あらかじめ提出されたディスカッションペーパーにそって報告があった。また同時に研究の全体像と概要についてはパワーポイント資料を用いて説明がされた。
縄田ISのアイディアの根幹にある概念ツールとしての「資源」と「マルチスピーシズ」の視点について、まず内堀さんから「資源」に関するコメントがあった。資源を考える際、常に持続可能性を好ましいものとして議論を出発させることを一旦やめて、資源に伴う「配分」の問題や、それが終焉する状況、あるいは人間という存在が希望ではなく、終焉する事態を念頭に入れてこそ、資源とマルチスピーシズ研究を架橋する意義がある。
マルチスピーシズというとき、単に家畜、動物、植物だけでなく非生物を含む全環境を対象にする必要がある。その際、それぞれの存在ごとに、それにとっての資源や環境が作り出されており、それらが相互に絡み合うことによって世界が成立するという見方が、マルチスピーシズと資源を両方同時に射程に入れる条件である。
続いて奥野さんからは、まず現代マルチスピーシズ研究の最前線においては、三つの方向性が分岐しており(1民族誌・人類学的視点、2パフォーマンス、アートと共創する視点、3社会実装に傾斜する視点)、地球研のプロジェクトとしては、1よりも3の先行研究から多く学ぶことができるという助言があり、具体的にはアナ・チンたちが試みているFeral Atlasプロジェクトが参考になるという指摘があった。またそこにおけるマルチスピーシズ視点は、単に人間以外の種を視野に入れるという生態学では当たり前のアイディアとは異なり、人間が数百年以上かけて作り上げた infrastructureを活用して人間以外の種(動物、微生物、植物、菌など)が自分たちの世界を拡張したり変容させたりする複雑な作用を通して世界と歴史を組み直す点に最大の意味があることが強調された。また内堀さんが提起した、非生物をマルチスピーシズ視点に取り込む方法として、奥野さん自身はアニミズムを対象とした研究を行っており、非生物の取り込みはこれからの可能性の一つとして検討できるという指摘があった。
縄田ISの最大の、そして新しい挑戦は、これまで工学系自然科学系に偏重していた資源を、単に文化資源、象徴資源に拡張するだけでなく、これまでの資源論者と同じ対象を異なる視点でアプローチする点にあり、そのための方法としてマルチスピーシズ視点に注目している。その繋がりと展望が、これまでやや不明確であったものが、今回の相談会を通じて、そのつながりが明確になり、今後の研究の進展に大いに役に立つものとなった。
山田IS相談会 要旨
2022年7月13日(木)13時〜15時
形態:オンライン
出席者:山田肖子(名古屋大学国際協力研究科教授)
コメンテーター:春日直樹(一橋大学名誉教授)出口康夫 (京都大学文学研究科教授)松田素二(地球研・特任教授)
プロジェクト代表の山田さんから資料に基づいて30分、研究の概要についてプレゼンテーションがあり、その後、コメンテーターから質問とコメントがなされた。
山田さんからは、この研究は「sustainability」を取り上げて検討するが、それはたんなる言葉の概念整理ではなく、言説を研究することが社会の基底に埋め込まれた価値観にアプローチする深さと広がりをもったものであることが強調された。
出口さんからは、そもそも言説とは何かということ、また言説分析を通して何をうみだそうとしているのかという問いがなされた。言説という思考をするさい、対象の真偽性は問われず、相互の競合を通して支配的な言説(勝ち組)と抑圧される言説(負け組)に区分され、勝ち組の言説を操り独占する一部の言説エリートが出現することになる。言説ゲームにおいては、誰のため、誰に対して、誰を否定するために、ということが常に問われなければならない。こうした権力作用としての語用という観点ではない、言説に対する対応は、もう一つの言説ゲームを構想するか、ゲームから降りるかしかない。山田研究は、もう一つの言説ゲーム志向であることを明確にすべきではという助言があった。
これに対して山田さんからは、これまでのアクター・主体の属性と密接に結びついた言説像ではなく、それから切り離された言説、論理そのものが、人々にどのように使われ新たな意味を作り出し新たな状況を構築しているのかという視点が、もう一つの言説ゲーム観であるとの説明があった。
今後については、以上のような斬新で野心的な研究の枠組を踏まえて、より具体的な調査方法、データ収集方法を明らかにすることで、本研究の魅力と説得力が増大することが確認された。
斎藤FS相談会 要旨
2022年7月19日(木)10時〜12時
形態:オンライン
参加者:大村敬一・放送大学教授(文化人類学)
藤原辰史・京都大学人文科学研究所(農業史・環境史)
斉藤和之・プロジェクトリーダー
立澤史郎・プロジェクトメンバー
平澤悠・プロジェクトメンバー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトの目的や位置付けなどの概括的説明があり、その後、大村さんからまず極北人類学、特にカナダ北極海中央部における30年の調査研究の経験をもとに以下の4点のコメントがあった。
1)カナダ北極海中央部のイヌイット社会では、ice cellerのような冷凍保存文化はない。より短期的に、狩猟採集したものを消費するか、干したり発酵させたりすることはあっても、氷土を利用した冷凍保存は見られない。保存、貯蔵を極北食文化における前提にはできない。保存、貯蔵を求める条件を明らかにし、それにかなった社会における食文化の要素という位置付けが必要ではないか。
2)アラスカ地域とシベリア地域では、地域の住人の歴史的背景が異なる。数百年単位でその地に定着している人々と、国家による強制移住政策を背景に住人となった人々を含む社会は、意識、技術、国家との距離などが異なるので比較する際には十分な検討が必要ではないか。
3)伝統的生態学的知識(TEK)と科学的生態学的知識(SEK)の関係は、対話と協働ということが目指されるが、1990年台の知識人類学的研究では、それらの協働ではなく、両者の政治的闘争であるという認識が出現している。この立場に立つと、折衷は先住民社会にとっては望ましい選択ではなく、政治的立場の曖昧化となる。したがって、両者の対話ではなく、この政治性に十分配慮した両者の関係性、とりわけ、先住民社会のビジョンに学ぶべきではないか。
4)先住民社会の選択は既に示されているのではないか?産業か生業か、電化か伝統か、という葛藤ではなく、複数の生きるためのモードを包含している、モノモードではなくマルチモードな対処法こそが、アイスセラー問題の核心ではないだろうか。
続いて、農と食について幅広く深い洞察を発信している藤原さんからも、以下の4点のコメントがなされた。
1)フードライフヒストリーという概念・視点は大変重要だが、近年多くの研究が蓄積されているフードヒストリー研究の方法とどこが違い、どのように有効なのかという説明が必要だろう。一つの可能性として、フードはこれまで「人間の食するもの」、ライフは「当然人間の生活・生命」、ヒストリーは「人間の歴史」という前提で、フードヒストリアンは研究してきたが、そうではなく、地球生態系の視点で、微生物も含む多様な生物が関与し、その視点から見たフードであり、ライフであり、ヒストリーであることを強調することで、十分な差異化ができるのではないか。
2)20世紀の冷蔵文化とこのプロジェクトが対象とする冷蔵文化の異質性についても目配りが必要ではないか。20世紀の冷蔵文化は、人々の食を冷蔵しようとする意識や欲望を市場化し物質化することで実現した、極めて現代的(市場的)現象だが、それとは必ずしも一致しないチャンネルでこの地域の冷凍保存の思想と技術があるのではないか?またその過程で、誰が冷凍を必要とし誰がそのために労働するのか、という食と冷蔵に関わるジェンダーの問題への目配りも必要に思われる。
3)日本における冷蔵文化(例えば冷蔵庫があるのに川の水で冷やしたり井戸の水で冷やしたりする)のは、単に電気冷蔵文化に収斂しない自律的な冷蔵文化の存在を実感させているのではないか、その点で極北の社会とつながる可能性もある。
4)食の貯蔵文化についても、20世紀のそれと極北社会のそれを同列で論じることができるかどうかの検討が必要ではないか。貯蔵は何かに備えることであり、それは災害であったり、時には戦争であったりする。それはより大きな政治権力とも密接に関係して出てくる。人々が自発的に万一の扶助に備えて蓄えようとする動きを、20世紀の国家(典型的にはナチス国家)が最も簡単にそれを流用することがある。従って、蓄えるということの持っている社会的政治的意味についても、十分な目配りが必要となるように思われる。
横山IS相談会報告
2022年7月20日(水)10時〜12時
形態:オンライン
参加者:大村敬一・放送大学教授(文化人類学)
鬼頭秀一・東京大学名誉教授(環境倫理学)
帯谷博明・甲南大学(環境社会学)
横山勝英・プロジェクトリーダー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトの目的や位置付けなどの概括的説明があった。三陸地域における二つの事例、有明地域における二つの事例を通して、森—川ー海の連関の視点から、現代社会がそれを切断したうえに社会や人々の分断をもたらしている現状に対して、それをつなぎ合わせることで地域社会の再生と環境の保全を図ることを目指すプロジェクトの方向と方法について報告があった。鍵となる視点として、「意図的な無関心層」に向き合うこと、正義や理念の対立を回避しながら共有できるシンボルやアイコンを設定しながら状況を変化させていく視点があげられた。これに対して、鬼頭さんから有明海沿岸調査の経験などに基づいて、以下4点の注文がなされた。
1)地域の人々の多様で錯綜した思いや意識を汲み取らないと、平板な対立図式にからみとられる。それを避けるためには、自然科学・工学的視点に加えて、地域に密着して半ばレジレント型の調査を行なっている曖昧で不定形な(綺麗に理論化されない)視点が必要で、そうした視点を持つ研究者を加える必要があるのではないか。
2)地域の現状を厚みを持って理解するためには、歴史軸、とりわけ明治以降の近代史の中で、地域、環境、生業がどのような変容をたどって今日の状況に至ったかという視点が必要なのではないか。
3)正義や理念の空中戦を回避してアクセスや記憶を共有できるアイコン(例えば干潟の生き物やうなぎ)を手がかりに、人々の意識を喚起していく際、現実の今日の生態系の中で、それが外部からの強力な(科学的・政治経済的)介入なしに実現できるかどうかの検討が十分ではなかったように思われる。
4)正義や理念を回避することは、ある面で、不毛な対立を固定化させ分断を深化させることを予防する効果はあるが、反面、これから先の地域のあるべき姿についての議論自体を封殺してしまうとしたら、ビジョンを持った未来を描けなくなるので、その辺りのバランスをどうとるのかについては仕掛けが必要ではないか。
つづいて、東北の調査経験をもとに帯谷さんから以下4点のコメントがなされました。
1)研究者が、例えば干潟の再生あるいは非大型構造物的自然統御など地元の生活環境、生態環境と密接に関わる事案に、提案や知識の提示あるいは対話などのアクションを通して関与するタイプの調査は、近年では超学際、社会実装として認知され、社会調査の領域でもアクションorientedリサーチ、介入型研究として位置付けられている。こうしたタイプの調査手法をどのように認識するかについては、誰のために行っているのか、どのような価値規範に基づいて行っているのか、対立する多様なステークホルダーとどのような関係を結ぶのか、など基本的に検討しておくべき課題があるので、それについての検討を行っておいたほうが良い(正解はない)。
2)プロジェクトのタイトルが「海と森のつなぎ直し」となっているが、東北の事例はその通りだが、有明海の事例では森の姿が前面に登場しないので、何らかの説明が必要ではないか。
3)東北の二つの現場、有明の二つの現場をつないで、プロジェクト全体の統一した流れを作るためには、各事例をつなぐ論理があったほうがわかりやすいが、その点が十分主張されていない気がした。
4)鬼頭さんが指摘したように、各事例のコミュニティに入り込んでフィールド調査をしている社会学、民俗学、地理学、人類学などの研究者をチームに参加させることで、より視野の厚みが出るのではないか。
以上のコメントや注文に対して、横山さんからも補足的説明があり、率直な意見交換がつづいた。
渡邊FS相談会報告
2022年7月25日(月)13時〜15時10分
形態:オンライン
参加者:大澤真幸・社会学者・思想家
吉見俊哉・東京大学(カルチュラルスタディーズ)
渡邊剛・プロジェクトリーダー
山崎敦子・サブリーダー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトリーダーからプロジェクトの目的や位置付け、それに目下の懸案事項などについて概括的説明があった。まずサンゴという存在が、生き物であると同時に、動物であると同時に、植物を取り込み、時代の経過とともに礁となるが、その全経過が人間の生活と密接に関連している特徴がある。その古サンゴの精密な年代測定によって、自然環境の変化や社会環境の変遷を辿ることもできる。このサンゴの特性をもとに、人間社会の変化と意識の変容を辿る方法として演劇的手法を活用して過去の再現と、研究者と住民の対等で双方向的なコミュニケーションを確立する。そのためにプロジェクトがこれまで展開してきた数多くの実績について報告がなされた。
これに対して、大澤さんの方からまず下記のコメントがあった。
古サンゴの精密な年代測定による過去の再現の素晴らしさは理解できたが、それをより明快で多くの人々が関心・興味を持つような大きな枠組みの中に位置づける作業が十分とは言えない。例えば、地球環境問題は、未来を想定するために決定的に重要であること、SDGsなどの重要性も高まっていることは、メディアなどによって流通し人々に意識化されている。現代の問題を探り未来へのビジョンを持つには、過去をどのように認識し向き合うかという問題と分かち難く結びついている。さらにその過去への認識を、単なる知識や情報のレベルではなく、肌感覚を持って「自分ごと」とする思考が日本社会には欠けてきた。このプロジェクトは、未来を志向するために、過去を「肌感覚」を持って「自分ごと」として捉えるためのものである、というような。過去を今の自分の存在と結びつけ、それを未来へとつなげるための方法として演劇を採用するという位置付けも必要ではないか。
続いて吉見さんからは、まず2点の質問とコメントがなされた。
1)時間の記録装置、タイムマシーンとしてのサンゴという着眼点の素晴らしさが十分生かされていない。自分のような人文・社会系の研究者にとってはものすごく大きなインパクトがあるのはサンゴの持つこの特性である。従って数万年前から100年以内に及ぶ精密時間測定の機能があることをアピールするためには、100年以内の人々の記憶とすり合わせるだけではあまりにももったいないことで、人智の及ばない数万年前、あるいは縄文時代の数千年前の過去の環境変化や日常の精密な再現こそ必要ではないか。
2)人が経験するイベントの確率(津波や大雨、気候変化など)に従って想定されるイベントをタイムスケールの上に設定した際、その場面の内部に一瞬のうちに入り込むスキルが演劇であり、その演劇を介してその場面を再構成することができる。こうした演劇という方法がこのプロジェクトにおいて果たす役割を明示的に説明する必要がある。なぜ演劇か、という方法論の理論的提示が十分とは言えないのではないか?
以上のコメントへのリプライを踏まえて、第二ラウンドでは、大澤さんから、演劇の位置付けとして、歴史における「枢軸(ヤスパース)」を例に引きながら、自然災害から米軍統治の経験までの広範な歴史の画期の内部に入り組むことで、肌感覚としての過去を再構成することツールとしての意義を明確にした方が良いこと、また演劇のシーン(プレイ)は、あまりたくさん設定せずに二つのことなった時空の場面が良いのではという提案があった。吉見さんからは、サンゴの持つ圧倒的な意味を正面から主張し、演劇だけでなくアートを対象化して、しかもその圧倒的な意味とマッチするような質のものを選び出す作業が必要ではないかというコメントがなされた。
大手IS相談会報告
2022年7月25日(木)15時〜17時
形態:オンライン
参加者:市川光雄・京都大学名誉教授(生態人類学)
井上真・早稲田大学(森林政策学・環境社会学)
大手信人・プロジェクトリーダー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトの目的や位置付けなどの概括的説明があった。森林と人と社会の「隔たり」が顕著になっている現代社会において、「隔たり」を縮め、人々が森林の価値と繋がっていくために、その相互作用環を構築し直すことを目指す。具体的には、生態系サービスの中でも文化的サービスに焦点をあてて森林の価値を現場から捉え直していく重要性が指摘された。これに対して、市川さんからまずプロジェクトの性格と目指す方向について、以下4点の注文がなされた。
その前に、全体として何をどのように明らかにしていくのかという具体的でわかりやすい提示があったほうが良いのではという印象を述べた。
1)対象となる森林について説明があったほうが良い。森林といっても、原生林から復興造成林、里山の共有森林や鎮守の森など多種多様な森が存在している。このプロジェクトで対象とする森林の範域は何だろうか、そしてそれはどうしてなのかがわかるようにしてほしい。
2)森林と人、社会との関係というとき、その人、社会とはどのようなレベルで想定されているのかの説明が必要。森林域に居住する人々、森林を管理する企業や組合、地方自治体、国あるいは地球市民まで幾重にも設定できる、人と社会のどれを対象とするのだろうか。
以上のコメントへのリプライを踏まえて、第二ラウンドでは、大澤さんから、演劇の位置付けとして、歴史における「枢軸(ヤスパース)」を例に引きながら、自然災害から米軍統治の経験までの広範な歴史の画期の内部に入り組むことで、肌感覚としての過去を再構成することツールとしての意義を明確にした方が良いこと、また演劇のシーン(プレイ)は、あまりたくさん設定せずに二つのことなった時空の場面が良いのではという提案があった。吉見さんからは、サンゴの持つ圧倒的な意味を正面から主張し、演劇だけでなくアートを対象化して、しかもその圧倒的な意味とマッチするような質のものを選び出す作業が必要ではないかというコメントがなされた。
三陸地域における二つの事例、有明地域における二つの事例を通して、森—川ー海の連関の視点から、現代社会がそれを切断したうえに社会や人々の分断をもたらしている現状に対して、それをつなぎ合わせることで地域社会の再生と環境の保全を図ることを目指すプロジェクトの方向と方法について報告があった。鍵となる視点として、「意図的な無関心層」に向き合うこと、正義や理念の対立を回避しながら共有できるシンボルやアイコンを設定しながら状況を変化させていく視点があげられた。これに対して、鬼頭さんから有明海沿岸調査の経験などに基づいて、以下3点の注文がなされた。
1)地域の人々の多様で錯綜した思いや意識を汲み取らないと、平板な対立図式にからみとられる。それを避けるためには、自然科学・工学的視点に加えて、地域に密着して半ばレジレント型の調査を行なっている曖昧で不定形な(綺麗に理論化されない)視点が必要で、そうした視点を持つ研究者を加える必要があるのではないか。
2)地域の現状を厚みを持って理解するためには、歴史軸、とりわけ明治以降の近代史の中で、地域、環境、生業がどのような変容をたどって今日の状況に至ったかという視点が必要なのではないか。
3)調査対象サイトの選定の必然性、とりわけ、日本、フィンランド、インドネシアのような生態系や気候、歴史が異なる地域を比較する意図と意味についての説明は必要だろう。
4)森林の文化的サービスを対象とする際、歴史学、哲学・思想、美学、宗教学、精神文化などを対象とするチームをどのように組織するのだろうか。
つづいて、東南アジアの森林調査経験をもとに井上さんから下記4点のコメントがなされました。
1)ここでいう「隔たり」は環境社会学で嘉田由紀子さんが提示した「近さ・遠さ」の概念に近似している。彼女は人と水の距離を対象にしてこの議論を行なったが、この「隔たり(あるいは遠近感覚)」をもとに、どのような議論を展開するのか、したいのかを明示する必要がある。
2)フューチャーデザインの手法を用いることの妥当性や具体的方法について検討する必要がある。
3)森林との隔たりについて、都市住民と山村住民を二項対立的に想定する必然性はないかもしれない。それについての検討が必要。
4)日本、インドネシア、フィンランドの調査サイトの選定と位置付けをわかりやすく提示する必要がある。
以上のコメントや注文に対して、横山さんからも補足的説明があり、率直な意見交換がつづいた。さらに、第二ラウンドとして、何が今このプロジェクトに求められているかについて、市川さんから、隔たりを実証するための具体的で微細な仕掛け(方法)をミクロな現場からどう積み重ねていくのかというベクトルと、森林喪失が地球規模で環境問題として喫緊の課題となっており、その原因の一つとしてある「隔たり」を探究するグローバルでマクロなベクトルをどのように接合するのか、という点により注力してほしいというコメントがあった。井上さんからは、森林の生態系サービスを測定評価する生態学グループと、その文化的サービスを解明する哲学、思想、宗教学、人類学のグループの中間に、森林の経済的価値の変容や国土開発における森林の位置付けを対象とする政策科学、そこに暮らす人々の意識変容と日本社会の構造変化を重ねて考察する社会学者などの社会科学グループを置く必要があること、また「隔たり」をかつてのように「回復」するという伝統復古主義ではなく、これからの新しいライフススタイル、生活思想として捉え直す作業の重要性について指摘があった。
大山FS相談会報告
2022年8月3日(水)13時15分〜15時15分
形態:オンライン
参加者:嘉田由紀子・前滋賀県知事、参議院議員
古川彰・関西学院大学名誉教授(環境社会学)
大山修一・プロジェクトリーダー
土屋雄一郎・プロジェクトメンバー
国枝美佳・プロジェクトメンバー
原将也・プロジェクトメンバー
中尾世治・プロジェクトメンバー
鈴木香奈子・プロジェクトメンバー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトリーダーからプロジェクトの目的や位置付け、それに目下の懸案事項などについて概括的説明があった。
都市の有機ゴミをこれまでの「燃焼処理」型から「循環型」に転換させることによって、社会や個人の存在基盤の不安定化を改善する可能性を探るというプロジェクトの目的を明らかにし、そのために、飢餓とテロ(紛争)によって不安定化が進行するニジェールにおける、都市住民と農民、牧畜民の相互関係の再構築経験を説明した。都市民が出した有機ゴミを乾燥地帯に移送し埋め込むことを継続する中で、都市のゴミ問題、農民と牧畜民の対立の回避から共生関係の確立、砂漠の緑化に至るまで様々な効果を生み出していった経験を軸に、物質循環に価値を置く社会と文化の再創造の意義を明らかにした。
これに対して、嘉田さんの方からまず下記のコメントがあった。
1)日本では都市のし尿を農村に回して肥料にする形で循環を図る文化が各地で江戸期には成立していた。こうした循環型の文化を日本社会が歴史的に築いてきたことを下敷きに、この現代における都市—農村物質循環システムの構築を位置付ける必要があること。
2)例えばし尿を肥料にするというようなことは、マラウィ湖畔の社会では到底受け入れがたい文化的異物であった。つまり物質循環には常に文化からの抵抗、文化との対話が必要になる。この点への着目と考察が十分ではないのではないか。例えばし尿についても、日常生活からそれを忌避する文化と、親和的な文化は明確に区別される。その中で忌避文化の中に、し尿循環を持ち込むためには、単に正しい科学的知識の啓発や、上からの強制では機能しない。そこに新しい価値観の創造が必要なのである。
さらに、日本における循環型を進めている自治体については、かつて実施していたところも、合併などで広域行政となると、燃焼型処理に移行してしまう傾向が強いこと、都市部における循環型の再生は環境問題の核心だが、現実の政治の中では、それが票に結びつかない場合もあり、政治の決断ができないこともあるという指摘があった。
調査サイトの選定については、メガシティは最終目標に残しておいて、当面は、リモート地域と都市の中間にある地域社会における物質循環型の試みや意義に焦点をあてたほうが実際的ではないかという助言もあった。
続いて古川さんからは、まず2点の質問とコメントがなされた。
1)循環型システムは、かつて日本の江戸期だけではなく、世界各地で社会に埋め込まれていた。例えばネパールのカトマンズに伝統的に存在した各住居前のゴミ捨て穴(ガ)も、衛生上の問題や、交通上の問題などで、国連や援助団体からの助言を受けて消失して行った。それまではそこで捨てられたゴミは特定のカーストの人によって集められ、循環していたが、それが切断されたのである。それが現在、環境フレンドリーな生活が賞揚され再生・復活しつつある。つまり、もともと共同体に埋め込まれていた循環システムが、近代化のなかで切断され、今日、再生されつつあるのだが、問題は、再生するための思想や価値観(科学的正しさ、グローバルな正しさなどの)を問う必要があり、それは必ずしも単一ではない。生ゴミ再生のためにネパールでもどこでもコンポストを配布することが広く行われているが、その地域で暮らす人々の文化(価値観)から乖離して機能していないことが多い。従って、循環、切断、再生のメカニズムの多様性と歴史性、文化性を捉える必要がある。
2)都市農村物質循環システムは、単一のシステムではなく、ミクローメゾーマクロなレベルまで多様で相互に入れ子上になった複雑な体系を構成している。従って、単純に、切断から再生へと平板に語ることはできないのではないか。
久保田IS相談会報告
2022年8月4日(木)10時〜12時
形態:オンライン
佐藤浩司・国立民族学博物館名誉教授(建築人類学)
中野康人・関西学院大学(計量社会学)
藤枝絢子・京都精華大学(伝統建築・環境・防災)
久保田徹・プロジェクトリーダー
松田素二・プログラムディレクター
冒頭に資料に基づいて30分程度、プロジェクトの目的や位置付けなどの概括的説明があった。今後の世界において最も人口が集中する熱帯アジアで肥大化する中産階層に着目し、彼らの行動変容、意識・価値観が地球環境に配慮したものに変容することが、地球環境問題にとっての核心的課題となっており、その解決のための具体的方策として、省エネ低炭素のパッシブ住宅を都市社会で受容し展開していくプロジェクトの目標が述べられた。とりわけインドのデリーにおける中産階層のパッシブ建築との関係に焦点を当てて、「熱的快適性・健康」―「省エネ・脱炭素」―「幸福度・生活の質」を地域の文脈のうえでバランスよく同時に満たすための方法を考察し,これらの総体を建築文化として提示したいという究極のゴールも示された。これに対して、まず佐藤さんから基本的姿勢について、以下のようなコメントがなされた。
1)アジアの発展途上社会が発展する過程でその担い手である中産階層のライフスタイルを「環境フレンドリー」に変容させていく必要があるという言説自体が持つ問題点についてである。かつて近代化の過程で大量消費、地球環境破壊に責任を持つべき先進国が、その反省から、発展途上国の近代化の欲望を非難したり制限したりする際は、単に環境的正しさだけではなく、近代史における支配被支配視点など、「上からの啓発」とならないための歯止めが必要ではないか。
2)その点を解決するためには、この研究が単に熱帯アジアの中産階層の住宅文化の変化を求めるだけではなく、それを通して自分たち自身の住宅文化やライフスタイルの変容を生み出すための手がかりを得る、というような視点も必要ではないか。
続いて藤枝さんからは、以下の3点について質問・コメントがなされた。
1)農村部における木造の開放系住宅についてはイメージできるのだが、ここでいう都市部における開放系住宅は具体的にはどのような建築を指すのだろうか。
2)これまで調査研究あるいは実装の経験のあるインドネシア(東南アジア島嶼部)からインドのデリーという生態的気候的にも、社会的多様性の点からも大きく異なるサイトに移した目論見は何だろうか。
3)このプロジェクトの究極のゴールのイメージが明快に伝わらない。熱帯アジアに中産階層用のパッシブ建築を普及させることなのだろうか、その過程にある意識や価値観の変容を明らかにすることなのだろうか、それともそれらが含意する現代世界への変革メッセージなのだろう。
最後に中野さんからは、以下の3点について質問があった。
1)生活の質や幸福度を測る量的調査分析と、パッシブ建築の受容、それに向けた意識・価値の変容という領域がどのように繋がるのか不明確ではないか。パッシブ建築に居住する人が幸福度が高いのか、コミュニティの密な人間関係を構築している社会が幸福度が高いのか、調査からだけでは判別できない。またパッシブ住居に居住していない人の分析がないので、生活の質・幸福度とパッシブ住宅が結びつかない。調査に際する層化抽出サンプリング法について再度検討して、異質で多様な要素の間で、どの要因が有意味なのかを検討する必要があるのではないか。
2)標本の抽出方法については、何をどのように明らかにするのかという調査の方向性・目的から必要で最適なものを選択する必要があるが、その点の検討がわかりにくい。
3)アンケート調査の対象を、個人にするのか、世帯にするのか、その際、ジェンダーやカースト、出身地、民族的出自、階層・職業、学歴をどのように設定して層化するのかについても検討が必要ではないか。
三陸地域における二つの事例、有明地域における二つの事例を通して、森—川ー海の連関の視点から、現代社会がそれを切断したうえに社会や人々の分断をもたらしている現状に対して、それをつなぎ合わせることで地域社会の再生と環境の保全を図ることを目指すプロジェクトの方向と方法について報告があった。鍵となる視点として、「意図的な無関心層」に向き合うこと、正義や理念の対立を回避しながら共有できるシンボルやアイコンを設定しながら状況を変化させていく視点があげられた。これに対して、鬼頭さんから有明海沿岸調査の経験などに基づいて、以下4点の注文がなされた。
1)地域の人々の多様で錯綜した思いや意識を汲み取らないと、平板な対立図式にからみとられる。それを避けるためには、自然科学・工学的視点に加えて、地域に密着して半ばレジレント型の調査を行なっている曖昧で不定形な(綺麗に理論化されない)視点が必要で、そうした視点を持つ研究者を加える必要があるのではないか。
2)地域の現状を厚みを持って理解するためには、歴史軸、とりわけ明治以降の近代史の中で、地域、環境、生業がどのような変容をたどって今日の状況に至ったかという視点が必要なのではないか。
3)正義や理念の空中戦を回避してアクセスや記憶を共有できるアイコン(例えば干潟の生き物やうなぎ)を手がかりに、人々の意識を喚起していく際、現実の今日の生態系の中で、それが外部からの強力な(科学的・政治経済的)介入なしに実現できるかどうかの検討が十分ではなかったように思われる。
4)正義や理念を回避することは、ある面で、不毛な対立を固定化させ分断を深化させることを予防する効果はあるが、反面、これから先の地域のあるべき姿についての議論自体を封殺してしまうとしたら、ビジョンを持った未来を描けなくなるので、その辺りのバランスをどうとるのかについては仕掛けが必要ではないか。
続いて東北の調査経験をもとに帯谷さんから下記4点のコメントがなされました。
1)研究者が、例えば干潟の再生あるいは非大型構造物的自然統御など地元の生活環境、生態環境と密接に関わる事案に、提案や知識の提示あるいは対話などのアクションを通して関与するタイプの調査は、近年では超学際、社会実装として認知され、社会調査の領域でもアクションorientedリサーチ、介入型研究として位置付けられている。こうしたタイプの調査手法をどのように認識するかについては、誰のために行っているのか、どのような価値規範に基づいて行っているのか、対立する多様なステークホルダーとどのような関係を結ぶのか、など基本的に検討しておくべき課題があるので、それについての検討を行っておいたほうが良い(正解花井)。
2)プロジェクトのタイトルが「海と森のつなぎ直し」となっているが、東北の事例はその通りだが、有明海の事例では森の姿が前面に登場しないので、何らかの説明が必要ではないか。
3)東北の二つの現場、有明の二つの現場をつないで、プロジェクト全体の統一した流れを作るためには、各事例をつなぐ論理があったほうがわかりやすいが、その点が十分主張されていない気がした。
4)鬼頭さんが指摘したように、各事例のコミュニティに入り込んでフィールド調査をしている社会学、民俗学、地理学、人類学などの研究者をチームに参加させることで、より視野の厚みが出るのではないか。
以上のコメントや注文に対して、横山さんからも補足的説明があり、率直な意見交換がつづいた。