感染症
  感染症(Infectious Diseases
 病原体を有する微生物や小動物が人体または動物の体内に侵入して細胞・組織・臓器内で増殖することを感染(infection)といい、その結果起こる疾患(や病気)のこと。
感染症名  説明
KHVD(コイヘルペスウィルス感染症) マゴイおよびニシキゴイで起こるウィルス性感染症
口蹄疫 偶蹄類(牛・水牛・羊・ヤギ・豚など)で起こる急性のウィルス性感染症
日本住血吸虫病 オンコメラニアを中間宿主としヒト・牛に経皮感染する寄生虫病
ビルハルツ住血吸虫症 中近東・アフリカに分布し、巻貝(Bulinus 属)を中間宿主とする
マンソン住血吸虫症 アフリカ・南アメリカ・カリブ海地域に分布し
巻貝(Biomphalaria 属)を中間宿主とする
レジオネラ感染症 エアロゾルを 発生させる人工環境における感染が近年増加しつつある、
レジオネラ・ニューモフィラを代表とする細菌感染症
メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)感染症 ヒトや動物の皮膚、消化管内などの体表面に常在するグラム陽性球菌で
通常は無害だが、化膿症・膿痂疹・皮膚軟部組織感染症など、
さまざまな重症感染症の原因となる
ノロウィルス感染症 経口感染が主で非細菌性急性胃腸炎を引きおこす
非結核性マイコバクテリア感染症 結核菌以外の培養可能な抗酸菌の総称であり、大部分は肺の慢性感染症だが、
リンパ節炎・皮膚感染症、細胞性免疫が高度に低下した状態では
全身播種型の重篤な病態をしめす場合もある


  新興/再興感染症(Emerging/Re-emerging Infectious Diseases
 WHOによる新興感染症の定義は「かつては知られていなかった、この20年間に新しく認識された感染症で、局地的に、あるいは国際的に公衆衛生上の問題となる感染症」である。
感染症名  説明
SARS(重症急性呼吸器症候群) ウィルス血症をおこす全身感染症
高病原性鳥インフルエンザ 鳥類間で糞便や経口・経鼻感染により伝播する致死性の高いウィルス性感染症
ウエストナイル熱 鳥と蚊のあいだで感染環が維持され、主に蚊を介して人間に感染し、
発熱・脳炎をひきおこす
エボラ出血熱 血液や体液の接触により人間間で拡大するウィルス性出血熱
クリプトスポリジウム症 寄生虫病で、下痢をひきおこし、水や食品を介した集団発生が問題となっている
クリミア・コンゴ出血熱 アフリカ大陸から東欧・中近東・中央アジア・中国西部にかけて広く分布する
ウィルス性出血熱
後天性免疫不全症候群(AIDS) 持続感染ウィルスによる免疫不全状態
ニパウイルス感染症 豚を感染源とし、人間に急性脳炎をひきおこす
日本紅斑熱 紅斑熱リケッチアの一種(Rickettsia japonica)がマダニを介して人間に感染し、
頭痛や発熱をひきおこす
バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌(VRSA)感染症 メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による感染症の治療にもちいる抗生物質
(バンコマイシン)にたいする耐性を獲得した黄色ブドウ球菌で、
MRSA感染症の治療を困難にする
マールブルグ病 ウィルス性出血熱のひとつでミドリザル出血熱とも呼ばれる
ラッサ熱 西アフリカ一帯にみられ、マストミス(野ネズミの一種)
を自然宿主とするウィルス性出血熱

  感染症の歴史と人間の対応History of infection, and correspondence of human
◆先史(狩猟採集)社会

・約1000万年前、アフリカ大陸を南北に縦走する大地溝帯の活動が活発化し、周囲に隆起帯が形成されたことにより大西洋から湿潤な空気をはこんでいた赤道西風が遮られ、大地溝帯の東側は乾燥した草原(サバンナ)となった。それまで森で暮らしていた初期人類はサバンナに進出し、野生動物(とくに大型野生動物)との接触機会は一気に増大した。なかでも動物の糞便とそれに汚染された水への暴露が、野生動物由来の寄生虫への感染機会を増大させた。当時の初期人類は小規模の人口集団で狩猟採集生活をおくっており、そうした小規模集団ではふつう急性感染症は流行を維持できないが、そうした環境にあっても病原体が宿主内で長期生存できるハンセン病や、ヒト以外に宿主をもつマラリアや住血吸虫病といった感染症は流行を維持しえた。これらの感染症を初期人類も保有していたと考えられる。また、人獣共通感染症であるアフリカ・トリパノソーナ症も流行していたと思われる。(山本 2010:
19-22)

・他方、当時の寄生虫感染症以外の人獣共通感染症としては、炭素症とボツリヌス症があげられる。どちらの感染症も獣肉食と深い関係をもつ。(山本 2010: 26-27)

・この時代(狩猟採集社会)の特徴としては、人口が小規模であったことのほかに、移動がある。移動社会は定住社会よりも、糞便などからの再感染がすくない(むしろ定住によって、みずからの糞便への接触機会が増大したともいえる)。糞便との接触は、消化器系の感染症や寄生虫感染を増大させ、一般論として定住社会は移動社会より感染症を流行させる土壌となりやすい。(山本 2010: 23-24)

・以上の感染症をのぞけば、初期人類は化学物質への暴露や運動不足による生活習慣病はすくなく、比較的良好で健康な生活を営んでいたと考えられる。(山本 2010: 27-28)

・まとめ:初期人類は森からサバンナに移動することで、野生動物(とくに大型野生動物)との接触機会が一気に増大した。そこでの主な感染経路は、動物の糞便と糞便に汚染された水への暴露であり、それにより野生動物由来の寄生虫感染症(ハンセン病、マラリア、住血吸虫病、アフリカ・トリパノソーナ症)が流行をみた。他方、寄生虫感染症以外の人獣共通感染症としては、炭素症とボツリヌス症があげられ、その感染経路としては獣肉食が考えられる。以上の感染症をのぞけば、初期人類は化学物質への暴露や運動不足による生活習慣病はすくなく、比較的良好で健康な生活を営んでいたと考えられる。(山本 2010: 19-28)

◆定住農耕社会

・人類が農耕を開始したのは1万1000年前あたりである。農耕の開始は社会のありかたに劇的な変化をもたらした。農耕は、単位面積あたりの収穫量の増大を実現することで、土地の人口支持力を増大させた。また定住というあらたな生活様式を生みだし、出産間隔を短縮させることでさらなる人口増加に寄与した。(山本 2010: 28-30)

・他方、農耕・定住の確立とほぼ同時期にメソポタミア地方(現在のイラク付近)で生じたのは、野生動物の家畜化である。家畜はいくつかの点で社会のありようを変えた。第一に、家畜の糞は質のよい肥料となった。第二に、耕作可能領域を拡大させた。第三に、余剰食料として機能した。(山本 2010: 30)

・農耕や野生動物の家畜化がはじまった理由としては、乱獲が自然資源を減少させ狩猟採集生活が困難になったという説や、地球気温の上昇により農耕に適した土地と野生動物の生息域が角拡大したという説がある。(山本 2010: 32-34)

・定住は糞便を経由して鉤虫症や回虫症といった寄生虫病を増加させた。また貯蔵食物はネズミなどの格好のエサとなり、ネズミに付着したノミやダニを経由して、ライム病・野兎病・コクシエラ症(Q熱)・ツツガムシ病・ペストなどが発生した。(山本 2010: 34)

・野生動物の家畜化は他方で、ウィルス性の感染症を発生させた。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌ起源である。逆にヒトから家畜に感染した病原体としては、ウシ型結核菌がある。(山本 2010:
35)

・健康と病気は、ヒトの生物学的・社会文化的環境への適応の尺度とみなしうる。この考えにもとづけば、病気とはヒトが周囲の環境に適応できていない状態をさす。環境が変化すれば一時的な不適応が生じ、変化が大きければ、変化の速度が速ければそのぶん不適応の幅も大きくなる。その意味では、長期にわたり比較的良好な健康状態を維持していた先史人類は農耕・定住を開始した結果、大きな変化への適応に苦慮することになり、その格闘は現在もつづいているという見方もできるかもしれない。(山本 2010: 37-38)

・まとめ:人類が農耕を開始したのは1万1000年前頃で、農耕は単位面積あたりの収穫量の増大を実現させることで、土地の人口支持力を増大させた。また定住というあらたな生活様式を生みだし、出産間隔を短縮させることでさらなる人口増加に寄与した。他方、農耕・定住の確立とほぼ同時期にメソポタミア地方(現在のイラク付近)で生じたのは、野生動物の家畜化である。家畜は、第一にその糞が質のよい肥料となることによって、第二に耕作可能領域を拡大させることによって、第三に、余剰食料として機能することで、人間社会に大きな変化をもたらした。農耕や野生動物の家畜化がはじまった理由としては、乱獲が自然資源を減少させ狩猟採集生活が困難になったという説や、地球気温の上昇により農耕に適した土地と野生動物の生息域が拡大したという説がある。定住により、糞便を経由して鉤虫症や回虫症といった寄生虫病が増加するとともに、貯蔵食物をエサとするネズミに付着したノミやダニを経由して、ライム病・野兎病・コクシエラ症(Q熱)・ツツガムシ病・ペストなどが発生した(山本 2010: 34)。他方で、野生動物の家畜
化は、天然痘、麻疹、インフルエンザ、百日咳などのウィルス性の感染症を発生させた。

◆古代文明時代

・まとめ:メソポタミア文明・中国文明・インダス文明と感染症の関係に目を向けると、以下のような基本構造が指摘できる。第一に、文明は人口増加をつうじて麻疹・天然痘・百日咳に流行の土壌を提供し、これらの感染症はヒト社会に定着をみた。第二に、メソポタミア文明に典型的だが、文明のなかで育まれた感染症は文明を保護する機能を担った。急性感染症にたいする免疫をもたない文明の周辺社会は感染症と接触することで大規模な被害をうけた。第三に、中国文明・インダス文明に典型的だが、文明はその拡大をつうじて周辺の感染症をとりこみ、疾病のレパートリーを増大させた。文明がとりこんだ感染症はその後、文明を周辺社会から保護する生物学的障壁となるとともに文明拡張の強力な道具となった。第四に、疾病の存在は社会形成に影響をあたえた。多様な感染症の存在を考慮せずに、インドの社会や宗教(カースト制度など)を理解することはできないとする研究者は多い。(山本 2010:
53-54)

◆文明史からみたペスト

・まとめ:人類史において長期にわたり甚大な影響をおよぼした感染症のひとつにペストがある。ペストは、遺伝子配列を調査した論文(2010年)により中国に起源をもつ可能性が高いことが明らかにされ、シルクロードや大航海をつうじてユーラシア大陸をはじめとする諸地域に拡大したとみられている。ペストは542年から750年にかけて東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を繰りかえし襲うことで、また随では7世紀の大流行をつうじて、それら帝国の衰退に手を貸したと考えられる。ところがペストは750年前後から11世紀にふたたびヨーロッパを襲うまで、すくなくとも地中海地域からその姿を消した。同時期が温暖期に重なっていることから、その理由として気候変動をあげる研究者もいるが、異論も多い。11世紀から14世紀にかけてペストがふたたび猛威をふるった要因としては、中国とヨーロッパで人口が急増したこと、交通網の大規模発達がみられたことがあげられる。ペストはその後も西ヨーロッパを繰りかえし襲ったが、1920年から22年にかけてのマルセイユでの流行を最後に、当地での爆発的な流行は終息した。その理由として、都市環境の整備・宿主の抵抗力の獲得・気候変動・検疫などがあげられているが、真の原因はいまだ謎である。また東ヨーロッパやアジア、アフリカではその後も流行はつづいた。(山本 2010:55-75)


◆近代世界システムと感染症

・まとめ:15世紀末から16世紀にかけて成立したとされる国際分業体制(I・ウォーラステインのいう「近代世界システム」)は、ヨーロッパとアメリカ大陸との接触機会を増大させるとともに感染症のグローバルな拡大を推進した。ヨーロッパからアメリカ大陸に奴隷貿易とともにもちこまれた主な感染症には、マラリアや黄熱がある。他方で、同時期にヨーロッパのアフリカ大陸への進出が進行したが、その妨げになったのはマラリアやアフリカ・トリパノソーナ症であった。こうしてアフリカやアジアに進出したヨーロッパ人にとって、熱帯地域における自国民の健康の維持が主要な課題となり、そうして誕生したのが帝国医療(植民地に派遣した自国民と現地住民の健康向上を目的とする医療・衛生事業)と植民地医学(西洋近代医学が植民地体制のなかで蓄積確立した医学体系)である。帝国医療は植民地政策の正当化につかわれ、植民地医学は近代医学の発展に大きく貢献した。(山本 2010: 80-112)

◆国際防疫体制の確立と根絶作戦

・香港でのペスト流行と国際防疫体制の確立:1894年、香港でペストの流行が起きた。1855年に雲南省で起こった軍の反乱鎮圧に派遣された政府軍が当地でペストに感染し、帰還とともに中国全土にひろがったことが発端とみられている。国際港湾都市でもある香港での大流行は欧米社会に衝撃をもたらし、国際防疫体制が組織化された。目的は、香港在住ヨーロッパ人の保護および欧米へのペスト侵入の阻止である。国際防疫対策は功を奏し、隔離検疫が有効に機能した結果、欧米へのペスト侵入は阻止された。ただし香港では、その後30年にわたってペスト流行は社会問題でありつづけた。

・スペイン風邪(新型インフルエンザ)の大規模流行:1918-19年にかけて流行したスペイン風邪は、世界全土で5000万人とも1億人ともいわれる被害をもたらした。もっとも甚大な被害をうけたのはアフリカやインドである。流行をもたらした要因としては、植民地時代におけるアフリカ大陸への交通システムの導入、第一次世界大戦にともなう軍隊と労働者の移動があった。他方、インドでは2000万人もの死者が出た。それに追い撃ちをかけたのは飢饉による栄養失調であった。

・まとめ:1894年に香港で起きたペストの大流行は欧米社会に衝撃をもたらし、国際防疫体制が組織化された。その目的は、香港在住ヨーロッパ人の保護および欧米へのペスト侵入の阻止である。国際防疫対策(隔離検疫)は功を奏し、欧米へのペスト侵入は阻止されたが、香港ではその後30年にわたってペスト流行は社会問題でありつづけた。また1918-19年にかけて流行したスペイン風邪(新型インフルエンザ)は、世界全土で5000万人とも1億人ともいわれる被害をもたらした。もっとも甚大な被害をうけたのはアフリカやインドで、その要因としては、植民地時代におけるアフリカ大陸への交通システムの導入、第一次世界大戦にともなう軍隊と労働者の移動があった。他方、インドでは2000万人もの死者が出たが、それに追い撃ちをかけたのは飢饉による栄養失調であった。このように大きな悲劇を経験したにもかかわらず、20世紀半ばから後半にかけて、人間は感染症にたいし大きな幻想をいだくにいたった。その背景には、20世紀前半に開発されたペニシリンやポリオワクチンの効果がある。こうした流れのもとで1958年には、天然痘の根絶計画がWHO主導のもと開始された。計画を可能とした技術的な裏づけとして、二又注射針と凍結乾燥ワクチンの開発があった。1979年、最後の天然痘患者の発病から2年の監視期間をへて、WHOは地上から天然痘が根絶したと宣言した。

  連環の事例(Example of linkage
◆開発原病

・アスワン・ハイ・ダムの建設(エジプト)と住血吸虫症の拡大:ナイル川下流域では古代よりビルハルツ住血吸虫症が流行していたが、アスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人口湖(ナセル湖)をつうじてナイル川上流域にまで拡大した。ダム完成以前は5%から20%であった流域住民の感染率は、ダム完成後三年後には55%から85%に上昇した。同様のケースとして、ボルタ・ダム建設(ガーナ)と三峡ダム(中国)の開発と住血吸虫症の拡大が指摘されている。(山本 2010: 146-147)

・西アフリカでは、ブユに媒介されるオンコセルカ症がダム建設によって流行したとする指摘がある。(山本 2010: 148-149)

・その他:カリブ海沿岸における米作(灌漑開発)とマラリアの流行、マレー半島におけるゴム農園開発とマラリアの流行が指摘されている。ただし、これらの事例においては地域がことなれば結果が変化する可能性がある。灌漑開発やゴム農園開発は、日向を好む蚊の多い地域ではマラリア流行の誘因となるが、日陰を好む蚊の多い地域では流行が生じるとはかぎらない。もちろんこの場合もほかの健康被害が生じる可能性はあるが、開発による森林伐採と健康被害の長期的な影響関係についてはまだわかっていない。(山本 2010: 151)

・たとえばマラリアは、ヒトが森林を開発したり、農業をつうじて自然環境に働きかけるなかで発生したとする指摘(飯島 2009: 146)、日本住血吸虫病の流行は、稲作のための土地利用のありかた(人為による環境変化)と深い関係があった――水田開発によって日本住血吸虫病の流行がひろがった――とする指摘(飯島 2009: 169)など。

・まとめ:疾病対策はながらく開発にともなう対価と考えられてきたが、開発原病のケースが明らかにしたことは、疾病対策じたいが費用対効果の高い開発計画であるということである。たとえば、「健康への投資」を主題にかかげた世界銀行の1993年版『世界開発報告』は、そうした視点の転換をうながしたものとみなしうる。また、開発が環境改変をともなうかぎり疫学的均衡のある種の撹乱は不可避であり、その結果、社会の疾病構造はよくもわるくも変化する。このことは疾病対策や感染症対策という名の開発にもあてはまる。たとえば、殺虫剤の屋内残留噴霧が森林型マラリアの流行をもたらした例もある。さらには、長期にわたって進行する健康損失は問題が顕在化するまでわからないこともすくなくない。たとえば天然痘根絶計画についても、その成功が病原生物と宿主をふくむ生態系および長期的に人類の健康にもたらす影響は、現時点では誰にもわからない。(山本 2010: 152-153)


 <関連文献>

   KHV関連

  ストレス関連

  環境思想・環境哲学/環境倫理(学)

   生物多様性関連

  感染症関連

   生命・医療倫理/生命論

  動物倫理



©2006-2012

Effects of Environmental Change on Interactions
between Pathogens and Humans.
All rights reserved.