気候史プロジェクト-高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの策探 プロジェクトリーダー 中塚武

総合地球環境学研究所
 

気候適応史プロジェクトについて

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気候適応史プロジェクト

気候適応史プロジェクト

急激な気候や環境の変化に直面したとき、私たちはどのように対応すればよいのでしょうか。地球環境問題を解決するために最も重要な課題とは、そうした変化を緩和できる技術や制度を作ることと共に、変化に適応できる社会のあり方を考えることです。本プロジェクトでは、日本の長い歴史の中に数多く見られる急激な気候の変化と、その結果として起きた人間社会のさまざまな応答の事例を、古気候学及び歴史学・考古学的に精密に復元することで、社会が変化に適応するための方法を探します。また、歴史におけるさまざまな気候と社会の関係を分類し、数多くの事例研究の知見を統合することで、急激な気候・環境の変化に対する社会の耐久性や脆弱性を規定する要因は何なのか、その一般的な様相を描き出すことを目的としています。

近世の夏季気温と日本の全国及び地域毎の人口の変化

図1
近世の夏季気温 (赤: Cook et al, 2013; 青: Maejima and Tagami, 1986) (a) と日本の全国及び地域毎の人口の変化 (関山, 1958; 鬼頭, 2000) (b)

中世における夏季気温の変動と年毎の飢饉の報告件数

図2
中世における夏季気温の変動 (赤: Cook et al, 2013) と年毎の飢饉の報告件数 (青: 藤木, 2007)

       

これまでにも多くの古気候学者や歴史学者が、気候変動と社会変化の間の見かけの同時性を根拠にして、過去の社会や文明の変化が、気候変動によって引き起こされた可能性を議論してきました。特に、樹木年輪や鍾乳石の記録を用いた最近の古気候学の研究によって、数十年周期の気候変動と地域社会の崩壊の間に強い関係性があることが、日本を含む世界中で明らかとなってきました(図1, 図2)。

何故、人間社会は数10年周期の気候変動に、敏感なのか?

図3
何故、人間社会は数10年周期の気候変動に、敏感なのか?

        

「過去に起きた気候変動」は、明らかに、「人間が引き起こした環境問題」ではありません。しかし私たちは、気候変化に対する社会の応答、特に数十年周期の気候変動への人々の応答は、地球環境問題と同じ性質を持っていると考えています(図3)。

      

人間社会は、しばしば特定の資源や技術(例えば石油や核エネルギー)に過剰に依存してしまいます(過適応)。そのため、そうした資源や技術が使えなくなったときに、人々はしばしば、大きな困難に直面します。同じことは、十年以上に亘って豊富な農業生産をもたらす良い気候に恵まれてきた人間社会が、突然の気候の悪化に直面した時にも生じます。豊かな生活を支えてくれる基盤が突然劣化し始めたときに、社会がそれに適応していくのは並大抵のことではないのです。「過適応」と「引き続く適応の失敗」からなる共通の構造が、地球環境問題と気候と社会の歴史的関係の間には存在していると考えられるのです。

グループ図

グループ図

        

このプロジェクトでは、古気候の正確な復元と理解を進めるための「古気候学グループ」・「気候学グル―プ」、気候変動と人間社会の関係を解析するための「先史・古代史グループ」・「中世史グループ」・「近世史グループ」、それから、全体を取りまとめるための「分類・統合グループ」の計6つの研究グループに分かれて、互いに協力しながら、研究を進めています。

古気候学グループ

古気候学グループ

古気候学グループでは、樹木やサンゴの年輪、古日記、海底堆積物といった代替データを使って、日本各地の気候を過去数千年間にわたって復元しています。特に樹木は、国土面積の70%近くが森林に覆われていることもあり、現生木はもとより多数の考古材からもサンプルを収集できるので、プロジェクトの主たる古気候データとして樹木年輪を使用しています。年輪の酸素同位体比を測定することで、樹木が成長している夏季の降水量が1年単位の分解能で復元できるほか、北日本や高山の寒冷地に限定されますが、年輪内の最大容積密度を測定することで夏の気温も復元できます。

本プロジェクトでは、既に過去4300年前まで遡る年輪の酸素同位体比のデータセットを構築できていますが、データの空間分布をより精緻化させる努力を続けています。そうすることで、地域別の気候変動の復元だけではなく、各地の古気候データを関連づけて解析することで、梅雨前線やヤマセといった農業生産にも密接に関わる大気循環場を正確に復元していく予定です。また、色々な地域で収集した年輪サンプルの酸素同位体比データを追加していくことで、考古材の年代決定の精度向上にも繋がると期待しています。

成長錘を用いた年輪採取

成長錘を用いた年輪採取

        

樹木については、1つの年輪を細かく分割することで降水量の季節変動を復元することも可能です。しかし、日単位の復元は不可能なので、近世史グループとも協同して、日本全国に残存している古日記を利用して近世の日々の天候を復元する研究も進めています。さらに、日単位の天候データをシミュレーションモデルに組み込んで、当時の大気循環を詳細に復元する先駆的な研究が気候学グループで進められています。

その他、水温や塩分といった海洋環境を復元するためにサンゴ年輪の測定も継続して進めています。また。樹木年輪では、長周期(数百年スケール)の気候変動を復元することが難しいので、それを補うために海底堆積物に含まれるバイオマーカーを測定して、長い時間スケールでの気温の変動も復元しています。このように、個々のプロキシの潜在力を最大限に活用して、なるべく正確かつ多様な気候情報を考古・歴史メンバーに提供することがこのグループの役割です。

気候学グループ

気候学グループ

「重い水」からわかる昔の気候

皆さんは、水には重い水や軽い水があることを知っていますか?水素原子・酸素原子の重い安定同位体である2H(Dと書いてデューテリウムと呼びます)と18Oが多く含まれている水を「重い」、逆にあまり含まれていない水を「軽い」と表現します。このような「重い水」は、水の一部が相変化する際に普通の「軽い水」と少し異なった挙動をとるため、地球上の水にどれくらい「重い水」が含まれているかを調べることで、さまざまな時空間スケールでの地球水循環の詳細や当時の気候状態などを解明することが可能であるとされ、古くは1950年代から盛んに測られてきました。

ただし、とある場所と、とある時間において採取した水に、重い水が具体的に何を意味しているかについては、相変化を伴う地球上の水循環過程の全てがその原因になりえるので、そう簡単にはいくわけではありません。したがって水同位体情報から何かを調べようというときには、その原因をできる限り簡素化した経験的な手法を使うのが定石でした。ですが気候学グループではまるっきり発想を変えて、結果(ここでは水同位体情報)がある値になるためには、原因(ここでは水循環過程)がどうあるべきかということを、時空間的・物理的に整合するように求めようとしています。そのために最近考えられたのが、オフラインデータ同化という手法です。オフラインデータ同化では、一度計算した後の結果を修正するのにデータ同化手法を用いるため計算コストが低く抑えられる上に、1年単位などの平均期間の長い観測データも同化でき、今回の私たちのプロジェクトの目的に大変適しています。

まずは観測データに富む20世紀の年ごとの全球気温分布・降水分布について、水同位体データのみからオフラインデータ同化を用いて復元し、検証を行なってみました。そうすると、特にエルニーニョ南方振動(ENSO)を精度よく復元でき、19世紀以前にも十分適用可能であることを示すことができました。さらに今後、他のグループの貢献などで観測プロキシ情報が拡充されていくことにより、過去の気候をより精度よく復元することが可能であることも確認できました。このように、最先端の気候モデル・データ同化技術を用いることで、「重い水」が再度脚光を浴びようとしています。どうぞその復活劇をお楽しみください。

先史・古代史グループ

先史・古代史グループ

先史・古代史グループでは、文字の記録がほとんど残存していない時代を対象としているので、遺跡の発掘調査から得られている既存の知見を最大限に利用して、プロジェクトの目的に沿った形式でデータセットを再構築しています。具体的には、古気候学グループが生産している過去の気候変動データと直接対比できるように、既存の論文や報告書をレビューして、弥生〜古墳時代における遺跡数や、住居址数、墓址数、古墳数の時間・空間変化をできる限り正確に復元していきます。そうすることで、例えば、洪水が頻発する時期に居住地が高地に移動するといったように、集落の動態を気候変動と関連づけて解析することが可能となります。

また、遺跡の発掘で収集された膨大なデータを丹念に集成することに加え、年輪セルロースの酸素同位体比分析法を考古材に適用することで、土器を基準として構築された遺跡の暦年代をより精緻化させることが可能となります。既に、全国各地の埋蔵文化財センターから提供された出土材の年輪酸素同位体比を測定し、既存の標準年輪年代曲線と比較することにより、高い精度で暦年代を決定することに成功しています。

これまでは、考古材の劣化が分析を進める上での大きな障壁となっていましたが、試行錯誤しながらセルロースの抽出方法を改善することができたので、今後は大量にデータを生産していく予定です。例えば、水田遺構で名高い大阪の池島・福万寺遺跡では大量の杭材が出土しており、発掘調査で層序も丁寧に記録されていることから、杭材の年代が正確に決まれば、弥生時代の水田や水利用の変遷を詳細に復元することができます。井堰や流路といった灌漑様式の変化に、年輪に基づく年代軸を与えることにより、文字の存在しない時代において気候変動に対して当時の人々がどのように立ち向かったのかを詳細に調べていきます。

中世史グループ

中世史グループ

中世史グループでは、気温や降水量の変動などの古気候データと、文献史料からわかる社会の変化を比較して、日本の中世社会がどのように気候変動に適応していたのか、ということを探求しています。特定の時期を選び、その時期の日本列島全体を対象として社会の適応を明らかにする研究と、逆に特定の地域を選んで、通時代的な気候変動への対応を解明する研究の二本立てで、進めています。

前者については、全国の自治体史や、藤木久志『日本中世気象災害史年表稿』(岩田書院、2007)に収録されている気象災害史料などのデータを古気候復元データと比較して、気候変動と社会の関係を解明しようとしています。たとえば大飢饉を引き起こした気候変動の様子を調べ、同様の変動が起きているにもかかわらず史料上では飢饉の報告がない時期と比較し、なにが飢饉の有無につながったのか、といった検討をしています。

後者の研究では京都西郊の桂川地域が対象です。かつて同地域には東寺領上・下久世荘が存在し、荘園領主と現地、双方の事情がわかる希有な地域です。室町時代の京都西郊の地域社会が、繰り返しおこる水・干害にどのように対処していったのか、支配側・被支配側の双方の立場から明らかにすることが期待されています。

中世史グループでは文献史料の分析にあたり、積極的に数量的な解析のアプローチをとっているのが特徴です。主に既存の中世史料のデータベースを利用し、気象災害を示す史料の件数の一年毎の推移と、気温や酸素同位体比の変化をグラフ化して比較するという手法です。史料の残存状況は偶然に左右されるため、従来の文献史料の分析においては、史料件数の推移が何かをあらわすとは考えられておらず、数量的解析はあまり行なわれてきませんでした。ですが古気候データが一年単位という高解像度で判明するようになり、過去の気温や降水量の推移と、一年毎の災害史料件数の推移を比較することが可能となりました。その結果、両者の変動がかなり高い一致を示しており、史料件数の数量的な解析に意味があることがわかってきたのです。このように、今後も史料と古気候データを文理融合的に分析する研究を進めることで、気候への適応という面から、日本の中世の時代的特質を明らかにしてゆきます。

近世史グループ

近世史グループ

日本近世は、様々な立場の人が文字を読んだり書いたり、学ぶ機会を持つことができる時代でした。そのため、近世には非常に多くの文書や記録、絵図、日記が記されました。近世史グループでは、過去に作成された膨大な古文書・記録等を手がかりに、日本近世における気候変動と社会の関係について解明します。

これまで歴史学とりわけ日本近世史の分野では、政治史・経済史・村落史・都市史など、近世社会の構造を大きく把握するための研究が多く進められてきました。しかし一方で、自然災害や飢饉、開発と復興、農業や様々な生業、信仰など、自然と人とが結びつくことによって生まれる問題についても分析が行なわれてきました。近年それは、災害史や環境史という分野として拡がりを見せています。このように、近世史研究では多彩な研究がはぐくまれ、近世における自然と人との関わりが明らかにされつつあります。しかし、それは専門分野の研究手法である文献史料をもちいた分析でした。本プロジェクトでは、そうしたこれまでの研究蓄積をさらに発展させる形で、古気候学による最新の成果を取り入れるという新しい分析視角による研究を展開しています。

近世史グループでは、近世社会が気候変動に対してどのように対応していたのかを、二つのステージで研究しています。一つは、日本列島全体という大きな視点、そしてもう一つは各地域の事例研究です。全体的な動向と、個別事例を用いた具体的な分析をあわせることで、より普遍的な知見を導き出すことができるでしょう。さらに一層、詳細かつ大きな視点で近世社会と気候変動との関係を読み解くことにより、新しい日本近世史像を提示するのみならず、歴史から得られる知見が、現代社会における自然と人との関わりを考えるためのヒントにつながるような研究を進めることを目指しています。

近世史グループメンバーの調査地

近世史グループメンバーの調査地
(近世の気候変動に対する社会の動きについてさまざまな視点・地域・時期から分析)

近世史グループメンバーの具体的な分析地域と内容は以上のとおりです。

分類・統合グループ

分類・統合グループ

3つの段階からなるプロジェクトの研究戦略

図1
3つの段階からなるプロジェクトの研究戦略

気候適応史プロジェクトは、3つの研究の段階からなります(図1)。(1) 過去数千年間の日本全国における高時空間分解能での気候変動の復元と理解、(2) 気候変動と社会応答の間の詳細な比較による時代・地域毎の気候と社会の関係性の分類、(3) 気候変動に対する人間社会の耐久性と脆弱性をきめる時代と地域を越えた共通の要因を同定するための多数の歴史事例の統合、です。高分解能古気候データと日本にある膨大な数の文献史料や考古資料を対比することによって、気候が社会に明らかな影響を与えたときの因果関係の理解が可能になるだけでなく、気候変動が社会に有意な影響を及ぼさなかった事例についても、発見できるようになることを目指しています。

 
気候変動から社会応答にいたる因果関係の概念モデルとその関係の大小に影響する可能性のある要素群

図2
気候変動から社会応答にいたる因果関係の概念モデルとその関係の大小に影響する可能性のある要素群

樹木年輪、古文書、堆積物、サンゴ年輪、鍾乳石などにもとづく高分解能古気候データは、日本およびその周辺での気候復元の精度を保証するために、相互の検証が行なわれ、復元された古気候データは、更に、気候データの解析や気候のモデリングの専門家によって、過去の気候変動のメカニズムを理解するために解析されます(それが1の課題です)。次に、日本の歴史における気候と社会の関係の無数の事例を、分類して統合するために、私たちは、物語的及び統計的なアプローチの両方の手法を用います(それが、2と3の内容です)。このプロジェクトに所属している歴史学者・考古学者の多くは、先史・古代史、中世史、近世史の各グループにおいて、伝統的なナラティブ(物語)の手法を用いて、気候変動に対する社会の応答について、個別事例を研究しています。一方で、全ての個別事例は、「原因」としての気候変動と「結果」としての社会応答の間の「定量的な関係性」にもとづいて、統計的に分類されます(図2)。

日本の歴史的な気候変動の事例群における気候の社会への影響の大きさを「分類」するための方法

図3
日本の歴史的な気候変動の事例群における気候の社会への影響の大きさを「分類」(図1の②)するための方法.気候変動と社会変化の直接比較 (a) 及び 農業生産量の変化と社会変化の比較 (b)

日本の歴史的な気候変動の事例群を「統合」して、気候の社会への影響の大きさ(気候変動に対する社会の耐久性と脆弱性)を決める、共通の要因を探るための方法

図4
日本の歴史的な気候変動の事例群を「統合」(図1の③)して、気候の社会への影響の大きさ(気候変動に対する社会の耐久性と脆弱性)を決める、共通の要因を探るための方法

       

「原因」に対する「結果」の比率という形で示される、事例ごとの「気候が社会に与えたインパクトの大きさ」は、更に、気候の社会へのインパクトを増幅もしくは縮小する可能性のある、さまざまな社会的・経済的・文化的なパラメーターと比較されて、気候変化に対する社会の耐久性・脆弱性を決める共通の「要素」が探索されます(図3, 4)。分類・統合班の役割は、他の全てのグループと協力しながら、この統計的なアプローチの実践を担うことです。

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