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近年の黄河の急激な水循環変化とその意味するもの

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プロジェクトリーダー

福嶌義宏 鳥取環境大学(総合地球環境学研究所 2008年3月迄)

研究プロジェクトについて

黄河の河川水が何故1990年代に下流に達しなくなったのか、そしてその事態は環境へどのような影響をもたらしたのか1980年代からも渤海への河川流量が低下した黄河を対象として、その原因と環境への影響を調査、解析したプロジェクトです。乾燥地灌漑による多量の河川水導入は特に黄河だけではなく、半乾燥地に集中して発生している問題ですが、こと黄河に関しては、黄土高原に発する土砂の河床堆積による洪水氾濫の危険性、渤海環境への影響などが焦点となります。古来、中国の黄河治水思想の変遷をたどりながら、現在の黄河問題を探ってきました。

 

研究目的

日本のおよそ2倍の流域面積を有する中国の黄河で、その河川水が1年間の内226日間も渤海に達しないという現象が1997年に発生しました。原因が単に、取水量の増加と降水量の減少に因るものかどうかを調べることが、本プロジェクトの第一の目的で、ついで、その結果が渤海にどのような影響を及ぼしたかを調べました。

 

得られた成果

1997年だけでなく1990年代に急激に黄河流量が低下した原因には、まず黄河の中・下流域の年降水量の減少が影響しています。全般には灌漑取水量が70~80%と言われていたので、上流域にある広大な灌漑地による河川水使用量の解析を行いましたが、両灌漑地やその周辺域で取水され、そのまま農地から大気に戻る量は1960年から2000年まで毎年100億トン程度で、ほとんど一定であることが、新規に作成した土地利用図と改良した水文モデルの算定でわかりました。しかし、黄河中流域の蒸発量が、最近では妥当な推測値を与えますが、40年前の1960年代では、観測流量の多い ことが図の赤枠で囲った結果に示されています。左上図は源流域の結果ですが、草地ではこのような不一致は起こっていませんので、モデルの問題ではありません。黄土高原は1960年から1970年当時、はげ山に近い荒廃した状態だったようです。1950年代から、黄土高原域には「水土保持」と呼ばれる山腹植栽など土壌保全策が為されてきました。その効果があらわれてきて蒸発量が増え、逆に流出量が減少したものと推測されます。水髙に換算すれば、わずか年間40mm程度の増加ですが、中流部の流域面積は黄河流域の40%もあるので、流量減少としては年150億トンと多いの です。

さらに、花園口から下流では黄河の流水を取り入れた灌漑農地と都市域への送水で毎年130億トンを取水していますので、計380億トンの取水が為されています。中流部での流量減少が当初計画の想定外であったため、省ごとに割り当てられた取水可能量は上限を超えました。そのために、1970年代から徐々に「黄河断流」が増えてきたと考えられます

黄河が流入する渤海では、図の右下のように流量減少によって、黄海との海水の交換量が減少し、基礎生物生産の制限条件が窒素からリンに変化してきました。また、植物プランクトンの指標であるクロロフィルaは黄河からの流入量減とともに低下傾向にあります。

 

図 モデルによる黄河流量の再現結果