感染拡大がやまないコロナ禍の中、それでも科学的根拠のある対策が講じられて効果が期待され、一方で気候変動の予測の精度もあがっています。しかしはかり知れない未来への私たちの不安は払しょくされることがありません。人類が「未来を考える」ということは、地球の、そして宇宙の「はかりしれなさ」に対する畏敬の感情をもちつつ、「はかる」行為を続け、あらたな可能性を考えていくことではないでしょうか。
はかり知れない「未来」への不安とともに生きる私たち
新型コロナウィルスの感染(コロナ禍)は、国内も世界もさらに拡大しています。国内でも首都圏に再び緊急事態宣言が出されようとしています。
このような中で、「未来を考える」とは、何をノンビリしたことを、と顰蹙を買いそうですが、私はこんな時こそ、「未来を考える」姿勢が大切だと感じています。
コロナ禍の対策として、三密の回避や移動の自粛など、いろいろと挙げられており、それなりの科学的根拠があり、それなりの効果は期待されています。ワクチンの開発・製造も急ピッチで進んでいるようです。科学にもとづく対応、対策の重要さは、言わずもがなです。ただ、私たちは、これからこのパンデミックはどうなるのか、いつ終息(収束)するのかについて、明確な答えはまだ出せていません。経済への影響についても不透明なままです。時間スケールは異なりますが、気候変動(地球温暖化)の予測は、世界の研究者が結集して進めているIPCCなどの努力により、かなり精度の高いものになっています。地球全体の平均気温が人間活動により2℃以上高くなった場合には、地球環境変化はかなり危機的状況になることを、ある程度の説得力をもって予測しています(安成通信No.52, No.57など参照)。しかし、人間の知の及ばない不確定な部分はまだまだ大きく、私たちは、はかり知れない「未来」について、大きな不安をもったまま、生きています。
倫理学者の竹内整一は、2011年3月の東日本大震災と福島原発事故のクライシス(危機)に直面して、興味深いひとつのエッセイを残しています(竹内、2012)。以下に、このエッセイからいくつかの部分を引用します。
「クライシス(crisis)という英語は、危機と同時に、転機・転換という含意がある。(中略)我々は今、この危機をどう乗り越えるかということと同時に、それをどう『よき』転機へとてんずることができるかということも問われているように思う」。
一方で、人知ではどうしようもない自然の振る舞いや大災害について、物理学者の寺田寅彦の以下の文を引用しています。
「地震や風水の災禍の頻繁でしかも予測しがたい国土に住むものにとっては、天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っている(寺田, 1935)」。
寺田はこの文章を昭和三陸地震の直後に書いたようですが、「たとえ激甚災害や災禍があろうとも、『祖先からの遺伝的記憶」を思い起こしながら危機に立ち向かい、人は必ずや立ち直ることができるという確信の感情を寺田は持っていたようだ」と竹内は説明しています。
現在のコロナ禍も気候変動も、人間が大なり小なり自然に働きかけた結果としての自然の振る舞いとして現れています。その意味では、現在直面するこれらの課題を寺田がのべている自然の災禍と置き換えてみることができます。「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」(寺田, 1934)という寺田のことばも、今回のコロナ禍にも気候変動の影響にもあてはまっているようです。
「はかりしれなさ」に畏敬の感情をもちつつ「はかる」行為を続けよう
私たち(とくに日本人)は、人知ではコントロールできない自然を前に、ある種の「無常感」を感じています。縄文時代からのアニミズムや奈良時代以降の仏教が私たちの精神のどこかにまだ息づいているからかもしれません。無常感は「はかなし(はかない)」ということばに対応しますが、このことばは「はかりしれない」とつながっています。「はかる」は、科学知を含めて、まさに人間の多様な知(理性)の働きを総称しています。(漢字では、計る、量る、測る、衡る、料る、忖る、諮る、図る、画る、策る、謀る、などがあります。)
一方で、「はかなし」ということばには、「はかる」ことのできない何ものか(自然の大いなる働きや、神仏など超越的な働き)への感受性や、けっして「はかる」ことのできないかけがえのないもの、すなわち、今ここにあることの1回限りの尊さ・いとしさ・面白さ、といったものを感じ取る感情が含まれていること、そしてこのことばには、今われわれの突き当たっているクライシスを受けとめ乗りこえる大切なカギがあるように思うと、竹内は指摘しています。同時に、「はかなさ」の感受性は、「はかる」ことと単純な二者択一の問題ではないことも、追記されています。
私たち人類にとって「未来を考える」とは、さまざまな災禍が繰り返されつつも、生きとし生きるものを包含して進化しつづける地球の(そして宇宙の)「はかりしれなさ」に対する畏敬の感情をもちつつ、「はかる」行為を続け、あらたな可能性を考えていくことではないでしょうか。「考える」ということは「理屈をつけることではなく、深く感じるということである。深く感じる力を自分の中に育てられないと何も見えてこない」という詩人長田弘のことばもかみしめておきたいと思います。
参考文献:
- 竹内整一(2012):「はかなさ」の感受性へ―梅棹忠夫の「人類の未来」論に即して.梅棹忠夫著(小長谷有紀編)
- 梅棹忠夫の「人類の未来」 ―暗黒のかなたの光明 勉誠出版 所収 p。202-212.
- 寺田寅彦(1935): 日本人の自然観. 小宮豊隆編「寺田寅彦随筆集第5巻」(1963年版)岩波文庫 所収.
- 寺田寅彦(1934): 天災と国防.小宮豊隆編「寺田寅彦随筆集第5巻」(1963年版)岩波文庫 所収.
- 長田弘(1997) 詩集「黙されたことば」 みすず書房.
- 安成通信No.52 2020/01/06 「地域と地球」再考 『地球温暖化』に向き合って
- 安成通信No.57 2020/07/22 「緑の回復」に向けて-「異常な夏」に考える