Newsletter Aakash No.2

インドのロックダウンによってもたらされた思いがけない大気質の変化は、これからの人間行動をどう変えるのか?

林田佐智子(Aakashプロジェクトリーダー)

プラカル・ミスラ(Aakashプロジェクト研究員)

総合地球環境研究所


Aakashプロジェクトは2020年4月1日に京都市にある総合地球環境学研究所 (RIHN) にて始まりました (https://www.chikyu.ac.jp/rihn/project/FS-2019-01.html)。このプロジェクトの正式名称は、「大気浄化、公衆衛生および持続可能な農業を目指す学際研究:北インドの藁焼きの事例」です。我々は、ヒンディー語で空を意味するAakashという名前を選びました。なぜなら、この研究はインド北西部に位置するパンジャーブ州およびハリヤーナー州において、10月から11月に行われる稲わら収穫後の大規模な野焼きによって発生する大気汚染に対して取り組むものだからです。この野焼きによって周辺地域、とりわけデリーとその周辺地区から成るデリー首都圏では深刻な大気汚染が引き起こされています。穀物残渣の野焼きが大気質にもたらす悪影響がヒンドゥスターン平野 (IGP) 全域におよんでいると示唆するエビデンスがありますが[1,2]、現在の政策の不備が地域の大気質に与え得る悪影響を示す例であり、これは何億もの人々の健康と幸福に影響を与えます[3]

このプロジェクトが始まる前、インドおよび日本のプロジェクトメンバーやステークホルダーとの相互理解と協力を促進しようと、3月にデリーでの第1回インド-日本プロジェクト会議の開催を予定していました。しかしながら、コロナウイルスの感染拡大を阻止するため、インドは3月25日にロックダウンとなり、会議を中止せざるを得なくなったのです。その後まもなくして、デリーや汚染で知られる世界の大都市の清浄な空気に関する報道を知りました[4,5,6]。目指していた大気浄化について、プロジェクトが始まる前に知ることとなったのは、非常に驚きであり、むしろ皮肉なことでした。

突如として現れた清浄な空気にインスパイアーされ、大気研究を行っているワーキング・グループ2 (WG2) のメンバーは、デリーにおける大気汚染物質の排出削減を定量化しようと、4月から5月にかけて4回のオンライン会議を行いました。そして、会議を通して、「ミッション・DELHIS(大気汚染物質排出変化の検出:人為的影響に関する研究)」と名付けた新たな活動を始めることに決めたのです。この活動は、一時的に停止されたことによる、人為的な大気汚染物質の排出低減の定量化を目的としています。ロックダウン開始前後の大気汚染物質濃度を比較することで、人為的な排出量を正確に定量することができるかもしれません。さらに、農業以外の人為的排出量を推測することで、大気汚染物質排出全体における野焼きの影響を解明できるかもしれません。

宇宙から観測したロックダウン

1990年代以来、新技術の研究開発によって、宇宙から大気汚染物質を測定することが可能となりました。そして、今日では様々な汚染物質の観測にいくつかの衛星搭載センサが使用されています。汚染物質の中で、粒子状物質(エアロゾル)と二酸化窒素 (NO2) が重要です。これらの汚染物質濃度は、産業活動や輸送、そして料理といった日々の活動からの排出の程度によって変化するのです。そのため、汚染物質濃度を観測することで、人々の活動が排出量に与える影響についての理解を深めることができます。今日、衛星観測は地上に何があるかだけではなく、そこで何が起きているかまでも明らかにするのです。

かつて北京は深刻な大気汚染で知られ、そのため2008年のオリンピックでは不参加を表明する選手もいました。中国政府が大気汚染に対して様々な措置を講じた結果、大気質は大幅に改善されました。人工衛星搭載センサであるOMIが、オリンピック開催時の2008年8月の北京上空でNO2が突然減少したことを観測しました[7]。現在、多くの国がコロナウイルスの感染拡大を遅らせるためにロックダウンや自主隔離を行っています。その結果、パリや武漢などの大都市でロックダウン中にNO2濃度が劇的に減少したとの一連の報告がありました[8,9]。

インドの首都デリーは世界で最も深刻な汚染都市と呼ばれています[10]。しかし、突然のロックダウンによって空は青く変わり地元住民を喜ばせました[11]

我々は、欧州宇宙機関の衛星センチネル-5 ・プリカ―サーに搭載されたTROPOMIによって得られたデータを分析し、明らかにNO2 がロックダウン開始後に減少したことを発見しました(図1)。工場や輸送機関などの発生源から排出された汚染物質は風で運ばれるため、その濃度は風の状態に左右されます。そのため大気汚染物質濃度をその発生源と一意的に関連付けることは本質的に困難です。しかし、NO2 は大気寿命が比較的短く、またその排出源近くに留まるため、発生源を特定することは相対的に容易です。それゆえ、図1における2枚のイメージ図に見られる差異は明らかに排出量の減少を示しているのです。

現在、WG2メンバーはNO2 の減少を定量化するため全力を尽くしています。今後の研究では、現地観測や衛星データ、モデルシミュレーションを用いて、大気汚染物質濃度の変化を解明します。

図1:(左)2020年3月2日-6日(ロックダウン前)のNO<sub>2</sub> 濃度、(右)2020年3月30日-4月4日(ロックダウン中)のNO<sub>2</sub> 濃度を示している。NO<sub>2</sub> データはTROPOMIから取得 (ESA: http://www.tropomi.eu)。イメージクレジットはMission DELHIS

図1:(左)2020年3月2日-6日(ロックダウン前)のNO2 濃度、(右)2020年3月30日-4月4日(ロックダウン中)のNO2 濃度を示している。NO2 データはTROPOMIから取得 (ESA: http://www.tropomi.eu)。イメージクレジットはMission DELHIS

思いがけない人間行動変容

元々のプロジェクトの目標は、「パンジャーブ州における持続可能な農業、ならびに大気浄化および健康の改善を目指した人間行動変容の方法の探究」でした。2年前にこの研究計画を申請した際、RIHNの評価委員会は、人間の行動がそんなに容易に変容し得るのかと疑っていました。しかし、コロナウイルスのパンデミックが、極めて短期間のうちに多くの面で人々の行動を変えたのです。健康、特に呼吸器系疾患に関する人々の関心は劇的に高まり、多くの人がマスクの着用を始めました。深刻な大気汚染地域でのCOVID-19による死亡率の高さが報道されたことは、多くのデリー市民にとってショックであったかもしれません[12,13]。

デリーの大気浄化は、一時的なロックダウンとその結果生じた経済活動の停止によって可能となりましたが、ロックダウンが解除され経済活動が再開となった際には、大気汚染はロックダウン前のレベルに戻ると予想されています。しかしながら、人々の行動に現れた変容は、それほど容易には元に戻らないかもしれません。人々は徐々に自身の健康の価値を自覚し始め、大気汚染とその肺機能への影響に気付いたのです。人前でマスクを着用するという習慣がさらに普及するかもしれません。また、市民が清浄な空気と青い空を体験したことは、健全な環境の価値に対する認識を促進したかもしれません。デリー市民は清浄な空気をどれほど享受し、この体験から何を学んだのでしょうか?

現在、デリーと周辺農村地域においてアンケート調査の実施を予定しています。今しか手に入らないデータを手に入れることが重要です。現在の汚染物質濃度に加え、人々が今感じていることを「検出する」ため我々は努力しなくてはなりません。できるうちにできるだけ多くのことを学ばなければなりません。だから我々のモットーは「検出、検出、検出」となりました。

(初版は5月25日Aakash ホームページhttp://aakash.wp.xdomain.jpで発表)

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