2025.06.03
研究ニュース
「OSO18」および標茶町周辺のヒグマの食性解析
福井県立大学海洋生物資源学部の松林順准教授は、北海道立総合研究機構の釣賀一二三主査、三浦一輝研究主任、NHK(日本放送協会)の山森英輔氏、有元優喜氏、総合地球環境学研究所の陀安一郎教授、由水千景上級研究員と共同で、標茶町周辺で甚大な家畜被害をもたらしたヒグマであるOSO18およびその周辺地域のヒグマの食性分析を実施しました。
1.発表のポイント
◆ 北海道の標茶町を中心に、2019年から2023年までの5年間で少なくとも64頭の乳牛を殺傷したヒグマ「OSO18」の体組織を用いた同位体分析により、その食性の変遷を明らかにしました(図1)。
◆ 上腕骨の分析から、OSO18は3歳以降継続してエゾシカを中心とした極めて肉食寄りの食性を持っていたことが明らかになりました(図1)。体毛の分析からも、エゾシカを中心とした肉食寄りの食性が示され、捕殺前年である2022年の夏頃には乳牛またはデントコーンに強く依存した食性を持っていたことが分かりました。
◆ OSO18以外でも、標茶町周辺で近年駆除された個体では、他の地域と比べてエゾシカなどの自然の動物性の食物に強く依存している個体の割合が高いことが分かりました(図2, 3)。標茶町周辺においてヒグマが動物性の資源を利用しやすい環境が形成されている可能性があります。
2.背景
OSO18は、北海道東部の標茶町周辺において、2019年から2023年までの5年間で少なくとも64頭の乳牛を殺傷したヒグマです。OSO18は2023年7月に釧路町で地元ハンターによって駆除されましたが、当初は当該個体がOSO18だと認識されないまま死体が処理されたため、十分な調査が実施できませんでした。そこで、本研究ではかろうじて残されていたOSO18の検体(歯、骨、体毛)を用いた年齢査定及び炭素・窒素安定同位体分析による食性履歴の復元を実施しました。また、OSO18が活動していた標茶町周辺のヒグマの骨の分析も併せて実施し、北海道内の他の地域のヒグマと比較することで、標茶町周辺のヒグマの食性の特徴を調査しました。
3.研究手法
同位体とは、同じ原子番号の原子のうち、中性子数が異なるものを指します。時間経過で放射壊変しない同位体は安定同位体と呼ばれており、炭素では質量数12と13の安定同位体(12Cと13C)が、窒素では質量数14と15の安定同位体(14Nと15N)が存在します。物質中に含まれる同位体の存在比率を同位体比と呼び、生物の体組織に含まれる同位体比は、その生物の餌資源の同位体比を反映します。このため、生物の同位体比を調べることで、その生物の食性を復元することができます。
体毛のように逐次的に成長する組織では、組織を成長方向に連続的に分割して分析することで、その伸長期間中の同位体比の変化から食性の履歴を復元できます。上腕骨や大腿骨でも一定の条件下では同位体比の時系列変化を調べることが可能で、年単位の大まかな食性の変化を追跡できます。私たちは、この分析手法をOSO18とその他のヒグマに適用することで、①OSO18の3歳から駆除時点までの大まかな食性の変化、②OSO18の駆除直前の約1年間における食性の季節変化、③標茶町周辺に生息するヒグマの食性の特徴を明らかにしました。
4.成果
上腕骨の連続分析から、OSO18が3歳から駆除時点である9歳まで継続してエゾシカなどの動物性の栄養源に強く依存した食性を持っていたことが明らかになりました(図1)。体毛の分析結果も同様で、OSO18が基本的に自然の動物性の資源に強く依存していることが示されましたが、駆除の前年(2022年)の7月頃に乳牛もしくはデントコーンを採食したことを示す同位体比の明確なシフトが見られました(図1)。2022年の7月はOSO18が多数の乳牛を捕食した時期と一致しているため、この時期の同位体比の変動は乳牛の捕食を反映している可能性があります。ただし、この同位体比の推移がデントコーンの利用を反映した可能性も排除することはできません。
一般的に、ヒグマは自力で健康な大人のエゾシカを狩って捕食することは難しいとされています。このためエゾシカを利用できる季節は春先などの一部の季節に限られていると考えられていました。しかし、OSO18は死亡前年(2022年)の夏を除き、季節を問わず長期間エゾシカに強く依存した食性を持っており、この点において特徴的な個体といえます。OSO18が牛を襲ったことが最初に確認されたのは2019年であり、この時点では5歳でした。一方で、3歳の時点で形成された骨にもエゾシカに強く依存した食性のシグナルが残されていたことから、OSO18は牛を捕食し始める前から肉食寄りの食性を持っていたことが明らかになりました。なお、この食性と牛を繰り返し捕食するという行動との関連性については、本研究の結果からは言及できません。
標茶町周辺の他の個体の骨の炭素・窒素安定同位体分析の結果からは、当該地域のヒグマでは、OSO18と同程度に肉食傾向が強い個体が多数存在することが明らかになりました(図2、3)。これは、標茶町周辺ではヒグマが年間を通じてエゾシカを利用できる環境が形成されていることを示唆しています。ただし、本研究の分析に用いられたヒグマは、標茶町周辺の個体では比較的近年(2002年-2022年; 平均2014年)の個体が多く、その他の地域ではより古いデータ(1996年-2008年;平均2004年)が多く含まれています。このため、標茶町周辺のヒグマの食性の特徴について結論づけるためには、他の地域においても近年駆除された個体の分析を実施して比較する必要があります。
5.今後の展望
本研究の結果から、OSO18と標茶町周辺のヒグマの食性が肉食寄りであることが明らかになりました。一方で、標茶町周辺における自然の動物性資源への依存は、当該地域におけるエゾシカの生息密度とは強く相関していませんでした。このため、エゾシカの個体数以外の何らかの要因によって、標茶町周辺のヒグマはエゾシカを利用しやすい環境になっている可能性があります。ただし、上述の通り標茶町周辺のヒグマは、その他の地域と比較してより最近に駆除された個体を多く含んでいるため、近年の北海道においてこの地域が特徴的であるかどうかは不明です。したがって、今後は北海道全体で最近のヒグマの骨を用いた同位体分析を実施し、ヒグマの食性の変化がエゾシカの個体数の変化とどのように対応しているか、同じ時期のヒグマで比較しても標茶町周辺のヒグマは特徴的な食性をもっているのか、といった調査を実施する必要があると考えています。
6.論文タイトルと著者
タイトル:Multiscale dietary analysis of brown bears in Hokkaido Japan
掲載誌:The Journal of Wildlife Management
著者:Jun Matsubayashi1, Kazuki Miura2, Eisuke Yamamori3, Yuki Arimoto3, Chikage Yoshimizu4, Ichiro Tayasu4, Hifumi Tsuruga2
所属:1Fukui Prefectural University, 2 Hokkaido Research Organization, 3Japan Broadcasting Corporation (NHK), 4Research Institute for Humanity and Nature
論文へのリンク:https://doi.org/10.1002/jwmg.70047
7.問い合わせ先:
(研究内容について)
公立大学法人福井県立大学 海洋生物資源学部 海洋生物資源学科
准教授 松林 順
電話:0770-52-9600 E-mail:matsuj[at]fpu.ac.jp [at]を@へ変更してください。
ホームページhttps://sites.google.com/g.fpu.ac.jp/mast/
(OSO18や関連するヒグマ対策について)
地方独立行政法人 北海道立総合研究機構(道総研) 産業技術環境研究本部
エネルギー・環境・地質研究所(エネ環地研)研究推進室 研究情報グループ
電話:011-747-2420 E-mail:eeg-koho[at]ml.hro.or.jp [at]を@へ変更してください。
ホームページ https://www.hro.or.jp/eeg.html
図1 OSO18と標茶町周辺、その他地域(渡島地域・日高地域・道北地域)のヒグマおよびヒグマの潜在的な餌資源の炭素・窒素安定同位体比(δ13C・δ15N)。左側のパネルは、OSO18とその他の標茶町周辺のヒグマの骨の炭素・窒素安定同位体比、右側のパネルは、OSO18の体毛の炭素・窒素安定同位体比を示す。餌の値は、各組織における炭素・窒素安定同位体比のオフセット(餌と組織の差)で補正後の値を示している。
図2 ヒグマの骨の窒素安定同位体比(δ15N)の空間分布を示した地図。窒素安定同位体比が高いサケを利用できる知床半島を除いた地域では、エゾシカの利用の多寡が大きく影響する。標茶町周辺は、知床半島を除く北海道内で最もヒグマの窒素安定同位体比が高いエリアとなっている。本研究の分析に用いられたヒグマは、標茶町周辺では比較的近年(2002-2022年; 平均2014年)の個体が多く、その他の地域ではより古いデータ(1996年-2008年;平均2004年)が多く含まれている点に注意が必要。
図3 骨の同位体分析により推定した、北海道内の各地域のヒグマにおける陸上動物類(乳牛は含まない)の寄与率。陸上動物類の寄与率のピーク(最も確率の高い寄与率)は 、渡島地域:3%、道北地域:6%、日高地域:5%なのに対して、標茶町周辺では41%となっている。