「新たな物理学」を構築した真鍋淑郎博士
 -「現象解明」と「問題解決」はひとつ -

安成哲三 地球研顧問・名誉教授(京都気候変動適応センター長)

地球温暖化予測研究を1960年代から1人で始め、その後も世界のこの分野の研究をリードしてこられた真鍋淑郎博士が、今年のノーベル物理学賞を受賞された。このニュースを聞かれた真鍋さんご自身は「驚いた!」のひと言、そして私も「驚いた!しかしやった!」と思わず手を叩いた。ノーベル物理学賞は、これまで素粒子論に代表される量子力学や、物性物理学、あるいは宇宙論・宇宙物理学など、「近代物理学」と総称される分野しか対象としてこなかったからである。私は理学部地球物理の学生であったが、大学では、ノーベル賞の対象となっている近代物理学こそ物理学の王道であり、気象学や海洋学、水文学など古典物理学をベースにした地球物理学は「ワンランク落ちる」泥臭い、あるいは古臭い学問であるという「(近代)物理帝国主義」の学生・教員たちに囲まれていた。

21世紀になり、地球の危機が叫ばれ、「人新世(The Anthropocene)」とよばれる地球社会になり、風向きが変わったのであろうか。地球や地域の環境問題には、身近な物理現象が複雑多様に絡んで生じている。もちろん、物理だけではなく、化学や生物もからんで、さらに複雑な問題となっている。「スマートな」近代物理学は、実はこのような複雑で手に負えない現象やプロセスをすべて避けて発展してきたともいえる。大学入試で物理を選択した人たちは、「xxxを解け。ただし、摩擦はないものとする。」というような文言が設問にあったことを記憶していないだろうか。実は、地球の気候・気象現象などでは、摩擦、粘性、乱流など、近代物理学がもっとも苦手とし、避けてきたこれらのプロセスこそが重要な役割を果たしている。

真鍋さんの研究で最も重要な貢献の一つが、大気・海洋・陸面を結合させた気候モデルを開発したことである。大気の循環と海洋の循環がどうつながっているか、地表面と大気のあいだで熱・水の交換がどう行われているのか。雲はどのように形成されるのか。これらは気候の仕組みにとって最も根幹となる問題であるが、これらのプロセスを担っている主役は、摩擦や粘性、乱流などであり、気候モデルにはこのような過程をできるだけ正確に組み込むことが必須なのである。真鍋さんはこれらのプロセスを、理論と経験(観測事実)を踏まえて数式化して、全地球表面で計算するモデルを開発された。そして、このようなモデルに温室効果ガスの増加を入力することにより、100年後の地球気候がどうなるかという議論をはじめて可能にしたわけである。今年出たIPCC第6次報告では、最新の気候モデル群によって今世紀末の地球気候を精緻に予測しているが、空間的精度などははるかに劣っていたにせよ、真鍋さんは、驚くべきことに、すでに1975年の論文でほぼ同じ予測結果を出されていた。真鍋さんは、気候のモデリングにより身近ながら複雑多様で非線形なシステムとしての地球の気候とその変動を包括的に理解できる「新たな物理学」を構築されたのであり、ノーベル物理学賞の受賞は、その意味では、遅きに失したともいえる。

もうひとつ、真鍋さんが今回の受賞に際し、強調されていたのは、科学における好奇心の大切さであった。地球研では、ここ数年、「問題解決型」研究が強調され、知的好奇心にもとづく「現象解明型」研究は、地球研でやるべき「総合地球環境学」の主題ではない、との雰囲気も強くなっている。しかし、この二つは、表裏一体のものであると私は考えている。真鍋さんご自身は、「好奇心の趣くままに研究をしてきたのであり、地球温暖化解決のために研究をしてきたわけではない」と明言されている。しかし、私たち人類(や生物)が生存できている地球気候とはどんな仕組みなのか、という問題意識を踏まえての好奇心がその基層になっていることも、真鍋さんとの長いお付き合いの中で、私は強く感じている。複雑系としての地球の自然と社会を対象にした研究者にとって、「解明すべき現象」と「解決すべき問題」は、ひとつの融合した大きな課題として常に捉えておくべきであることを、私は改めて肝に銘じた次第である。

2013年1月22日 名古屋大学の研究室にて (左)安成先生 (右)真鍋先生
 2013年1月22日 名古屋大学の研究室にて
(左)安成先生 (右)真鍋先生

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