総合地球環境学研究所(地球研)の2017年度研究審査・報告会に出席しました。丸三日間の日程でした。うち前半は、新たに立ち上げることが望ましい研究プロジェクトの候補を選考するという一種の審査でした。この研究会への出席は6〜7年ぶりです。研究所がどのように変容したのかしないのか、進化したのかなどを肌で感じたく、楽しみに出席しました。
初日の前半は、研究所がどのように変ったのかどうかなどを全く知らないため、その観測をするために全く発言をせずに聞くことに徹しました。そして、同研究会の様子は以前と幾分変ってはいるものの、基本的な取り組み方にあまり大きな変化がないという印象を持ちました。そこで、午後からは、あまり遠慮することなく、質問をある程度させてもらいました。
研究会に出席して、非常に面白かったというのが正直な感想です。プロジェクトに取り組む皆さんの真摯な態度に接し、その研究を「すべき」という一種の使命感だけではなく、「したい」という内包する意欲を実感することができたことが、とても嬉しかったです。
2017年当時、人間文化研究機構の機構長であった立本さんが所長であった時代から、プロジェクトの目標として、以前と比べて「超学際的な研究」に力を入れようとしているのは知っていました。このことは、地球研の存在感がないという外部からの批判や圧力への対応として判らなくはありません。機構本部にいた時期にわたし自身もその批判や圧力を強く感じていました。だからこそ、地球研応援メッセージに、「右顧左眄せずに信じた道を進んでください!」と書いたのでした(地球研ニュースレター: 目指していたものに向かって進んでください)。
今回の研究会に出席してみて、プロジェクトによっては政策研究的な要素がかなり強いものがあることも実感しました。地球環境問題への対策としての実を挙げたい、社会実装を目指したいという意思の反映なのでしょう。このような現役の皆さんの意向を尊重したいとは思いますが、地球研が政策研究所的になるのは、個人的には、やはり賛成ではありません。先に述べた、「すべき」ではなく、「したい」を大事にして欲しいと思うからです。学問の自由を「守る」、あるいは「固守」する研究所であって欲しいからなのです。
(2017年12月フェイスブックへの投稿原稿を微修正)
「地球環境問題の解決に資する学問的基盤の確立を目指して」2001年に京都に大学共同利用研究機関として創設された総合地球環境学研究所(地球研 )の2020年度の研究審査・報告会に出席しました。この研究会に最後に出席したのは2017年ですので(上述)、3年ぶりとなります。前回は実際に京都の会場に足を運んだのですが、今回は新コロナ禍の影響で、リモートでのオンライン参加となりました。
2017年の研究会の印象として以前に書いた、「超学際的な研究(わたしなりの解釈で簡単にいうと、より実践を目ざした研究)」の要素が3年前と比べて、いわゆる「研究」の要素以上に強くなってきているという印象を持ちました。別の言い方をすると、いわゆる政策研究を超えて、さらに「学問の世界」と「政治の世界」との協働歩調を目ざそうという機運がかなり強くなってきていると感じたのです。
一般論として「政治の成果は(意図やプロセス、あるいは新規の発見などではなく)いつに結果によるのだ」といわれます。研究会の中の議論でも「目標は結果です」という発言も聞かれました。つまり地球研でのプロジェクト研究の目的が、実践による社会の変容等の実現という「結果」だと考える方もおられるということだと思います。
その一方で、超学際的な研究に対する(学問的な成果への)評価が定まっていない、ということに対する一種のふまんととれる発言もありました。目標が「結果」であるなら、こんなふまんは出ないはずです。学問と政治の協働という試みに根ざした矛盾なのかもしれません。
考えてみれば、地球研が超学際的な研究を正面から取り入れた段階で予想されたことのような気もします。このことに対してどのように対応(選択)していくかということは、短期的には現役の皆さんが考えることでしょうが、長期的にはわが国の国民の意向が決めるのかもしれません。
今後も、地球研の変化の様子を見守っていきたいと思います。
著者:中尾正義(なかを・まさよし)
なごや大学大気水圏科学研究所在職中に文部省学術調査官として地球研の創設にかかわる。地球研が創設された2001年4月から2008年3月まで在籍し、オアシスプロジェクトなどのプロジェクトを実施。中国環境問題研究拠点の初期のリーダーを務める。2008年4月より2014年3月まで人間文化研究機構理事。2008年より総合地球環境学研究所 めいよ教授
(地球研ニュースレターNo. 31より)