2001年4月に地球研(総合地球環境学研究所)が創設されました。ここではまず、 できたばかりの地球研を2003年に紹介した一文を掲載しておきます。
はじまり
地球環境問題が広く認識されてからすでに20年余りが経過した。「多量の二酸化炭素の放出による地球温暖化によって北極の氷が融解して世界の海面が上昇する」というメディアの報道に端を発して、砂漠化の進行、成層圏オゾンの減少、酸性雨の発生、土壌浸食、海洋汚染、生物多様性の消失、森林生態の衰退、水資源の枯渇、異常気象の多発化などさまざまな問題が地球規模で生じてきているということが広く人々の知るところとなった。
この問題への取り組みのひとつとして学術審議会は、1995年4月に地球環境問題の解決を目指す総合的な共同研究を推進する中核的研究機関を設立することを検討すべしという趣旨の建議「地球環境科学の推進について」をだした。建議を受けて当時の文部省は、中核的研究機関の設置に向けて予算化を含む具体的な検討を開始した。その結果1998年と1999年には地球環境科学研究所(仮称)準備調査委員会および準備調査室を設置し、研究所の基本構想のとりまとめを行った。その構想に基づいて研究所を創設すべく2000年には総合地球環境学研究所(仮称)創設調査委員会と創設調査室とを設置して予算要求を行い、文部科学省が所掌する大学共同利用機関として2001年4月に「総合地球環境学研究所」が京都市に設置されたのである。
基本構想と設置目的
研究所の構想は準備段階でさまざまな紆余曲折があった。誤解を恐れずに言えば、初期は、たとえば今後の温暖化予測あるいは温暖化影響評価を行うために貢献するような研究を実施する研究所というイメージが強かった。言い換えれば、ある意味では完全な理系の研究所にいくらか社会経済学的な研究を加味したような研究所という雰囲気であったと思う。
しかし上記委員会や調査室の中で、地球環境問題は自然系と人間との相互作用に関わっており、上記のような研究だけでは地球環境問題の解決につながらないのではないかという疑問が出され、そもそも地球環境問題とは何かというような議論に相当時間が割かれた。この議論は「科学とは何か」という問題にも発展し、最終的には「地球環境学」とも呼ぶべき新たな学問分野の創出なしには地球環境問題の解決にはつながらないという結論に至った。このことは、検討の初期には、仮称とはいえ「地球環境科学研究所」と呼んでいた研究所が「科学」の字を除いて、結果的に「総合地球環境学研究所(略称;地球研)」と呼ばれることになったことにも反映されている。
では、地球環境学とは何か。これはまだ学問として出来上がっていないのではっきりと定義することはできないが、地球研の初代所長である日熾q隆氏の言葉によれば「知識としての科学ではなく、知としての『学』である」という認識や「地球環境問題の根源は、自然に挑み、支配しようとしてきた人間の生き方、いいかえれば、ことばの最も広い意味における人間の『文化』の問題である」という認識に基づいている。このことは、地球研の英語表記「Research Institute for Humanity and Nature(略称:RIHN)」にも表現されている。
設置目的は、「地球環境問題の本質把握に欠くべからざる、@『人間と自然系の相互作用環』の解明や、Aこの問題に対処するための『未来可能性』を実現する道筋の探求に関する研究を行い、Bこれらの研究を広く発信することにより、この問題の対応策に関連する学問的基盤形成に資する」となっている。
組織と研究の仕組み
地球環境問題への対応ということで作られた組織であるところから、個々の専門分野による個別的な研究ではなく、いわゆる理系や文系を統合した形での研究が求められている。このことの実現および組織的な流動性を高めるために、地球研では研究部門を設けずに、地球環境問題を相対的に捉える研究の視点としての研究軸を五つ設けてそれぞれに研究プログラムを設定し、その中に研究プロジェクトを位置づけて研究活動を展開する形になっている。五つの研究軸と当面の研究プログラムは、設立当時のものをやや見直した結果2003年度現在では
@自然変動影響評価研究軸。研究プログラム:自然環境の変動に伴う諸変化と生態系・人間社会へのその影響の解明。
A人間活動影響評価研究軸。研究プログラム:政治システムやその変革などに伴う価値観の変化を含め、人間の産業・経済活動が及ぼす地球環境への影響の解明。
B空間スケール研究軸。研究プログラム:ある地域における人間・自然系の相互作用の全体像の解明と未来可能性のある社会構築の探究。
C歴史・時間研究軸。研究プログラム:地球環境変化と人間活動の相互作用の中で、何がなぜ持続し、何がなぜどのように変化したかの歴史的検証。
D概念検討研究軸。研究プログラム:地球環境学の構築に関わる諸概念の理論的・実証的検討。 となっている。
これらの研究プログラムの中に位置づけられる個々の研究プロジェクトは、「インキュベーション研究」(IS)によって企画され、まず1年程度の「予備研究」(フィージビリティー・スタディー:FS)の対象となる。その後、予備研究の結果が評価を受け、適当と認められれば「本研究」へと進み、5年程度の研究が行われる。プロジェクトの評価は外部委員のみによって構成される評価委員会でおこなわれ、運営協議員会で承認されるという仕組みになっている。2003年度現在、8つの本研究と4つのFS、2つのISとが進行中である。これらのプロジェクトの中には、雪氷コア解析や氷河変動、積雪と大気の相互作用、融雪流出など、雪氷分野にかかわりの深いものも含まれている。個々のプロジェクトの内容に関しては、地球研のホームページを見ていただきたい。
地球環境といえばその問題に関わらない研究はないといってもいいほど実に多くの研究分野にまたがる。したがって、かかわる研究分野の研究者をすべて集めようとすると数万人規模の研究所が必要だということになって現実性がない。そこで地球研ではその創設時から、既存の研究機関との「連携」ということを非常に重視している。ここでいう「連携」とは、たとえば科研費研究における他機関に所属する共同研究者というような意味合いと、さらに深い、機関同士の「連携」という場合とがある。とくに後者は、地球研と他機関とが一種の協定書のようなものを締結し、他機関からポストごと人を地球研に送り込んでプロジェクトを遂行するというきわめてパイプの太い連携である。この深い関係にある地球研との連携研究機関は、2003年度現在、京都大学生態学研究センター、なごや大学地球水循環研究センター、鳥取大学乾燥地研究センター、東京大学生産技術研究所、国立民族学博物館、東北大学大学院理学研究科、琉球大学熱帯生物圏研究センター、北海道大学低温科学研究所の合計8機関である。
設置目的の3番目にうたわれている「研究を広く発信する」ということは、従来型の研究で求められていた、論文という形による研究成果の発表だけでは十分でなく、より広く世間に発信するということである。そうなると研究者の努力に負うだけでは足りず、地球研には研究推進センターという組織が組み込まれている。センターは一種の情報中心としての役割を果たすことを意図されており、観測調査・分析支援に加えて、上に述べた情報・発信にウエイトがおかれている。発信手段としては、インターネット情報の構築・公開や一般用書物の企画・出版などに加えて、メディアとのリンクも含めた映像の企画や製作なども検討されている。
今後の地球研
地球研では、地球環境問題の解決に資する学問的基盤の確立を目指しており、そのための研究は分野統合的なプロジェクトの遂行という形で進められるが、新規プロジェクトの提案権は地球研の専任教官にしか与えられていない。そのためもあって、地球研の教官は全員任期制であり、プロジェクトの期間を中心として研究所に所属することになる。このことによって、従来から批判の強かった、研究者は同じ研究機関に定住しがちであるという傾向を見直し、その流動性を促進したいという意図を強くだしている。つまり、地球研の研究目的に沿うプロジェクトを企画した研究者がいれば、そのプロジェクト実施のためには地球研に籍を移して来てくださいということである。 2003年度現在、地球研は旧京都市立春日小学校の建物を借りて活動している。今後3年間は同所にいる予定だが、2006年には京都大学演習林から貰い受けた敷地に新しい建物が竣工する予定である。そのときは外来研究者の宿泊施設もできる予定で、外部の研究者も利用しやすくなると期待される。
地球環境問題が広く認識されてから20年以上が経過し、その解決のためには従来のように個別に分かれた学問分野の研究を推進するだけではだめで、多くの分野の統合による研究が極めて重要であるということは世界中で認識されてきている。このような研究を推進するために、欧米諸国では予算を重点的に配分するという程度の動きしか見られないのに対して、新たに組織を創設したという意味では、わが国の対応の方が一歩進んでいると考えられる。
しかし上でも述べたように、さまざまな分野と関係する地球環境問題の解決に資する学問基盤の構築という極めて大きなタスクは、国内外の多様な広い意味での研究機関の支援なしにはできないことであり、地球研単独ではなしえない。そういう意味でも、地球研の将来は、関連研究機関をふくむわが国の学術研究全体に懸かっていると考えられる。新プロジェクトの企画や参画も含めて、みなさまのご支援を切望する次第である。
(「雪氷」65巻3号(2003)を微修正)
地球研が創設される前から、学問分野が極端に細分化されてきていることが問題になっていました。個々の狭い学問領域における「タコ壺化」を何とかしなければいけないと考えられていたのです。そういう意識が急激に強くなった背景の一つが地球環境問題の顕在化だったといえるでしょう。総合的に取り組むほかはないというわけです。
地球研創設にかかわっていた当時、「地球研には先端性は要らない」必要なのは「妥当性、あるいは適切性」ではないか、などという議論が活発でした。というのは、地球環境問題が生じた背景は、バランスを欠いた「発展」ではないか、という認識があったからです。地球環境問題というモンスターが生まれたのは、それぞれの研究分野が個別に「最先端」を求めた結果ではないかというわけです。
図示したのは、地球研創設の概算要求時に描いたモンスターです。空を飛びたいと思って「翼」を作り、海の中で自由に動けるように「尾びれ」や「水かき」を開発し、水中からの視界を確保するために「潜望鏡」を装着し、早く走れるように「車輪」を身につけ、よく聞けるようにと「耳」を大きく進化させた結果、先端的な個々の能力は飛躍的に「発達」したが、全体としてバランスを欠いた地球環境問題というモンスターができてしまった、という説明です。
地球研の創設を要求する過程で、なぜ研究機関が必要なのか、と聞かれました。大型の研究費の手当てだけではだめかとのこと。従来の学問から脱皮して真に総合的な取り組みを行うには、分野の異なる研究者が机を並べて日常的に交流する場の設定がどうしても必要だ、と主張して組織の形成が認められたのでした。研究室が廊下で結ばれていた地球研の建物の当初の設計を、研究室が通路を兼ねるように変更したのも、「日常的に交流する」必要があるという意図を実現しようとしたものです。
故日熨O所長のいわゆる、良質な異なる素材を混ぜ合わせた「五目チャーハン」を生み出す地球研という「フライパン」のたとえ(竹内望:地球研ニュースレター17参照)は、まさにここに根ざしています。
こうして地球研はできました。プロジェクトの成果を海外で発表すると、経験をした方も多いと思いますが、ものすごく評価されます。その原因は、日常的な交流を基礎にして生まれた真に「総合的な」成果だからではないでしょうか。完璧ではないにしても、異分野の研究者の知恵をよく混ぜ合わせた「五目チャーハン」としての風味があるからでしょう。
「総合的な」取り組みはわが国特有ではありません。諸外国でも力を入れています。米国でも当時から、総合的研究に特別資金を手当てして地球環境問題に対応しようとしていました。しかしアメリカのNSFとの懇談の席で「日本は組織を作るのか!」と感心されました。組織を作ったのは我が国が最初なのです。異なる分野の人々が出会い、互いに理解し、何かを生み出すのには時間と場所が必要です。地球研という場ができて、このことはかなり加速されたと思います。
最近は評価ばやりです。成果は?と短兵急に問われるのもわかります。しかし、まったく異なる分野を糾合して人間の知恵を生み出すという課題は簡単なものではないはずです。焦る必要はありません。右顧左眄する必要もありません。目指していたものに向かって、一歩づつにしろ、進んでいることに、自信を持ってください。自信を持って歴史の法廷に立つ気構えを持ってください。
著者:中尾正義(なかを・まさよし)
なごや大学大気水圏科学研究所在職中に文部省学術調査官として地球研の創設にかかわる。地球研が創設された2001年4月から2008年3月まで在籍し、オアシスプロジェクトなどのプロジェクトを実施。中国環境問題研究拠点の初期のリーダーを務める。2008年4月より2014年3月まで人間文化研究機構理事。
(地球研ニュースレターNo. 31より)