出張者:上杉彰紀
出張先:ファルマーナー遺跡など
 
2007年4月のインド調査に参加して
 2007年4月7日から5月9日までインドに行ってきました。調査の目的はハリアーナー州ロータク県に所在する遺跡の発掘への参加と、ラージャスターン州ウダイプルにあるラージャスターン大学に保管されるカーンメール遺跡(グジャラート州)の出土品の整理でした。
 ハリアーナー州ではデカン大学のヴァサント・シンデー先生がファルマーナー遺跡、ギラーワル遺跡、ミタータル遺跡の3ヶ所で発掘を行ないました。いずれもロータク市内から車で1時間ほどの距離のところにあり、収穫を控えた小麦畑の直中に遺跡が忽然と姿を現すといった光景です。
 調査成果の詳細は後日あらためて紹介したいと思いますが、いずれもインダス文明を考えるにあたって重要な遺跡で、貴重な体験を得ることができました。とはいいながらも、4月のインドは40度を超える酷暑で、発掘に参加した初日は不覚にも倒れてしまいました。デカン大学やロータク大学の学生は暑い中、日々進む発掘調査に興奮を抑えきらない様子で、彼らの姿に感動しつづけた毎日でした。
 4月20日には長田先生がチョーリスターン砂漠のガンヴェリワーラー遺跡の調査視察を終えて合流され、4月26日までご一緒させていただきました。シンデー先生の計らいで、ラーキー・ガリー遺跡、ハーンシー遺跡、クナール遺跡、ベードワー遺跡、バナーワリー遺跡、ビルラーナー遺跡など、インダス文明の重要遺跡を見学することができました。特に7つのマウンドからなる巨大遺跡ラーキー・ガリーでは、遺跡の規模に驚く一方で、破壊が著しく進行している状況に目を覆う限りでした。1990年代末に開始された発掘調査もすっかり止まってしまい、遺跡の概要すらわからないままに遺跡の破壊が進んでいっている状況でした。
 私自身の作業としては、発掘そのものはシンデー先生以下学生さんたちにお任せし、出土した土器や遺物の記録を主として行なってきました。ロータク大学のゲストハウスに滞在し、朝目が覚めてから夜目が閉じるまで延々と写真撮影と実測を繰り返すという、常人ならぬ生活でしたが、はじめてハリアーナーのインダス遺跡の出土遺物を手にして学ぶことは大でした。
 もうひとつハリアーナー州の調査で興味深く感じたのは、この大穀倉地帯ではコメの生産がほとんど行なわれていないということでした。地元の方にお伺いしたのですが、夏季の降雨がきわめて限られており、一部の水が豊富なところ以外では原則的にコメを作っていないとお聞きしました。コメは結婚などの儀礼のときにのみ食べるもので、日々の生活はコムギを中心としてオオムギや雑穀を食べているとのことです。かつて私が調査に参加していた東のウッタル・プラデーシュ州では冬の乾季にはコムギを、夏の雨季にはコメを栽培し、日々の食生活の中でも「コメを食べないと食べた気にならない」とまでいうのとは対照的で、まさにコメ世界からコムギ世界への変化がインドにあることを実感させられました。ハリアーナー州にあるクナール遺跡では前3000年ごろにコメが栽培されていたことをラクナウーにあるビルバル・サハーニー古植物学研究所のポーカリアー博士からお伺いしたことがありますが、インダス文明前後の時代にはコメ栽培がハリアーナー地域で行なわれていたのかどうか、あるいは現在の特別な穀物としての位置づけと似たような習慣があったのかどうか、インダス・プロジェクトで解明すべき問題であろうと思います。
収穫を待つコムギ
 
 さて、4月29日にはデリーに戻り、翌30日に飛行機でウダイプルへ移動。大学の近くにとってもらったアンクル・ホテルというところに滞在し、毎日大学まで通って作業をするという生活でした。カーンメール遺跡の発掘調査を指揮するJ.S.カラクワール先生のご厚意にすっかり甘えてしまいましたが、おかげさまで有意義な日々を過ごすことができました。ここでの作業も基本的に遺跡出土の土器の記録化でしたが、カラクワール先生からの依頼で大学の学生に土器について講義することに。冷や汗を流しながらヒンディー語で講義をするという初めての体験でした。素直な学生たちに囲まれ、私にとっても有意義な時間でした。
 グジャラート州とハリアーナー州というインダス遺跡が濃密に分布する地域の調査に参加し、これまで手に取って見ることすら叶わなかった貴重な資料に触れることができました。その中で得た多くの着想を今後の研究に十分に活かしていきたいと思います。
シンデー先生から遺跡の説明を受ける長田先生
 
■ 出 張 報 告(2007年度)
出張日:2007年4月7日- 5月9日