本プロジェクトについて

研究の目的

感染症は、病原体とヒトの相互作用によっておこり、両者をとりまく環境の変化に大きく左右されます。さらに媒介動物が関与する場合も多くみられます。医科学的アプローチでは、病原体、媒介生物、宿主としての人間の研究が別々に行われ比較的短期的な解決が模索されてきました。しかし、人類と感染症の長期的な関係や人類の健康の未来像を考えるには、感染症を、上記の三者の生態学的な関連としてとらえ、さらに、それを取り囲む環境全体の問題として統合的にとらえる視点が不可欠です(図1)。本プロジェクトでは、熱帯アジアモンスーン地域で進行中の環境変化が、地域の人びとの健康にあたえる影響を、感染症に焦点をあてて解明します。具体的にはラオス、バングラデシュ、ならびに西南中国における自然・社会環境の変化と、マラリア、肝吸虫、エイズなどの感染症の関係を総合的に記述・分析し、この地域の人びとの生存と健康を長期的、総合地球環境学的な視点で考察することを目的とします(図2)。



図1 環境変化と疾病発生の関連


 


 
 
図2 プロジェクトの枠組みと具体的研究テーマ







研究班の構成

全体は「総括班」と「個別研究班」から成り、個別研究班は、「方法論的アプローチ」と「地域的アプローチ」に二分されます(図1)。総括班は、フィールド個別班にかかるMOUの締結やプロジェクト全体に関わる重要文献の翻訳などを行い、さらに「エコヘルス」概念の深化・具体化を総合的に研究していきます。

フィールド個別研究班は、ラオス班、バングラデシュ班、中国班、全体班の4班とします。これに方法論的アプローチをおこなう研究班として、歴史・文献班が各地の衛生関連文書の検討を行い、農学・林学班が衛星画像分析やGISを利用した研究を展開し、人類・教育学班がコミュニティと学校の現状と変化を分析し、自然環境・社会環境と疾病発生の関連を分析します。



RIHN Ecohealth Project 組織概念図












2009年度 主な活動成果

1)ラオス、ラハナム地区での
HDSS構築とタイ肝吸虫

水田耕作の変容と経済発展にともなう生活変化がタイ肝吸虫の感染にあたえる影響を研究しています。地域住民の健康動態を長期観測するために、地域人口健康調査システム(HDSS: Health and Demographic Surveillance System)の導入を進めてきました。2008年に対象人口を拡大し、7000人以上の住民からデータを得られるようにしました。現在は情報収集システムのIT化に取り組んでいます(図3、写真1)。



写真1)ラハナムHDSS内の1村の世帯配置                                                                                             

 世帯位置と情報がGIS-PDA上で管理され、情報更新がネット経由で自動的に行われます。

図3 ラハナム地域保健人口動態調査システムのIT化




また、ラオス全土の環境分布と変化を定量化する作業の一環として、この地区の衛星画像のグランドトゥルースを行いました。HDSSと空間情報は、この地域における感染症の興亡を時空間軸上で把握するために欠かせない情報基盤です。これらの調査により、近代化にともなう水環境の変容が、媒介生物である貝と魚とタイ肝吸虫の分布に影響を与えていることが明らかになってきました。

 

2)ラオス、セポン郡でのマラリアと森林変化の関係

ベトナム国境のセポンでは、マラリアと森林変化の動的関係の解明をめざします。現地住民のマラリア感染率は高いですが、症状は概して軽く、マラリアが風土病化しています。山地に点在する村落から感染症情報を効率的に集約するために、携帯電話を配布して域内158村の村落保健員と中央保健所とを結ぶ情報ネットワークを整備しました(写真2)。同時に、現地調査と衛星画像解析を組み合わせた土地被覆・土地利用の解析を進めています。この森林調査を通して、熱帯モンスーン林が手付かずであればマラリアの感染リスクが小さいこと、現地の人びとの伝統的な森林利用のあり方が熱帯モンスーン林の保全に寄与していること、そして近年の森林破壊によってマラリアの感染疫学像が変化するおそれがあることが仮説として浮かび上がってきました。



写真2) ラオス・セポン郡での村落保健ボランティア講習会

 

3)バングラデシュでの気候変動と下痢症
ならびに全国感染症データベースの整備

国際下痢症研究所およびロンドン大学との共同研究体制により、気候変動と感染症・非感染症に対する洪水の長期影響について研究しています(図4)。また、バングラデシュ保健省およびケンブリッジ大学との協力で、全国感染症サーベイランスデータの改良も進行中です。バングラデシュでは国レベルでの保健統計システムが不完全なため、この改良は健康に対する環境変化の長期影響の理解をめざす本プロジェクトにとって大きな意味があります。既存の国家保健ネットワークを活用したフィラリアとリーシュマニア症のモデル調査も開始しました。



図4 バングラデシュ・マトラブ地区で2004年の洪水の後にコレラ患者が発生した地域


4)西南中国での人口流動と感染症

中国西南部・雲南省での過去から現在までの感染症の興亡を研究しています。過去の対策としては、マラリアや日本住血吸虫症が減少していった過程を歴史的に追跡します。現在の問題としては、改革開放後の流動人口の急増と感染症(性感染症・エイズ・結核など)の関係を研究しています。これまで昆明医科大学の健康発展研究所と連携して、中国−ラオス国境を越える流動人口、長距離トラック運転手、性産業従事者、静脈ドラッグ使用者を調査してきました。中国雲南省の店勤務と街頭の性産業従事者を調査した結果、自己申告ではコンドーム使用率は高いのですが、前者の1/4と後者の1/3が何らかの性感染病原体を保有しており、後者の3.5%はHIVに感染していました。

今後の課題

研究体制の基盤整備は2009年度でほぼ完了しました。今後は個別分野の調査研究を進め、各対象地域での仮説検証に取り組みます。多分野の協働によって個別成果を統合し、モンスーンアジア地域の環境と健康の関連の全体像を解明するとともに、それをもとにしたエコヘルス教育・エコヘルス推進を提案します。さらに、大メコン圏エコヘルス研究ネットワークの構築に向けて多国間の研究協力・交流を促進します。プロジェクトではこれらの研究を通して、人間と病原体の長期的な相互作用を地域の文脈に即して検討するとともに、人類史的かつ地球規模の視野から考察していきます。