◆池田 光穂・奥野 克己 編,20071010,『医療人類学のレッスン――病をめぐる文化を探る』学陽書房.

 ■目次

  Lesson 1 医療人類学の可能性――健康の未来とは何か?

  Lesson 2 病気と文化――人間の医療とは何か?

  Lesson 3 呪術――理不尽な闇あるいはリアリティか?

  Lesson 4 憑依――病める身体は誰のものか?

  Lesson 5 シャーマニズム――シャーマンは風変わりな医者か?
  
  Lesson 6 グローバル化する近代医療――医療は帝国的権力か?

  Lesson 7 リプロダクション――「産むこと」は単純ではないのか?

  Lesson 8 女性の身体――身体は所与のものか?

  Lesson 9 エイジングと文化――老いはどのように捉えられているか?

  Lesson 10 心と社会――狂気をどのように捉えればいいか?

 Lesson 11 今日における健康問題――なぜある人びとは病気にかからないのか?

■内容

◆医療人類学とは何か

現代医学は生物学的知見によって基礎づけられており、それは生物医学(biomedicine)と呼ばれる。
だが医療という営みはそれに尽くされない。看護・介護にかかわるケアなどの心理学的側面を扱う行動医学(behavioral medicine)もある検疫・公衆衛生・法医学も、さらには社会医学(social medicine)もある。医療人類学はごく簡潔には「健康と病気を対象にした人類学的研究」と定義することができるが、21世紀を迎えた今日、文化人類学・自然人類学・公衆衛生学・社会医学・看護学などの分野において、従来の健康と病気にかんする人文社会科学研究がある合意に達したとみなしうる。それは三つの命題――(1)健康と病気は動態的に定義される、(2)生物医学と文化科学は相互に理解可能である、(3)文化科学と生物医学の実践的協働の可能性――を含むものとして、あらわすことができる。 医療人類学では、フィールドワークでえられた報告(民族誌)から、その健康と病気にまつわる社会現象がどのようななりたちをしているかについて考察される。健康と病気にまつわるさまざまな社会現象がテーマ化され、その他の民族誌資料などと比較検討される。それらのテーマには、治療の成功/失敗、さまざまな生理学的経験、病気などの苦悩経験、医療と呼ばれる日常の外部からの介入の検討などがある。

◆〈病い illness〉〈疾病 disease〉〈病気 sickness〉  

医療人類学者のアラン・ヤングは、人間が経験する病気の全貌を解明ずるために、〈病い illness〉〈疾病 disease〉〈病気 sickness〉の三つの類型を提起している。

〈病い〉とは、病状を含めた病者が経験する病気のことであり、〈疾病〉は生物学的実体としての病苦である。どんなありきたりな〈疾病〉でも病者にとってそれは常に固有の苦しみをともなった〈病い〉といえる。しかるに医者にとって重要なのはそのような患者の〈病い〉の個別性ではなく、どの人にたいしても無差別な症状としてあらわれる〈疾病〉の方である。他方、〈病気〉は〈病い〉と〈疾病〉をともに含む包括的な概念として使用されることもあるが、 病者・医者・周囲の人びとのやりとりから病気が社会的に経験されるようになる過程をとらえる、より分析的な概念として用いられることもある。医療人類学者が扱う病気の経験はかならずしも医学/近代医療が扱う〈疾病〉とは一致しない。異文化の状況含め、日常的に〈病い〉の自覚はあっても〈疾病〉と認められない場合や、〈病い〉の自覚がまるでないのに特定の〈疾病〉とラベリングされ〈病気〉とされるケースもある。医学/近代医療はこれまで〈疾病〉にたいしてなされる「治療 cureing」に専念してきたが、
医療人類学は〈病い〉と〈疾病〉にたいしておこなわれる「癒し healing」を含む広義の人間の医療実践を扱う。

◆感染症と人類

感染症と人類との関係においてもっとも重要な点は、感染症がもっぱら低開発地域で深刻な問題となるという点にある。たとえばHIVの感染者は2006年末には4000万人近くにのぼろうとしているが、その9割はいわゆる発展途上国の人びとである。たしかに1980年には世界保健機構によって天然痘の絶滅宣言が出されたが、これはかぎりなく例外的なケースである。 疫学者ならば、病気の制圧――ワクチン摂取や投薬――が現実的な対処法であるとするはずである。他方、17世紀以降の栄養条件の長期的改善と19世紀以降本格化する公衆衛生改革により、主要な感染症の脅威は激減したともいえる。しかしながら今日では、人口増にともなう世界規模での食糧不足と貧困格差の拡大、それらがひきおこす不衛生と局地的な感染症の流行が懸念されている。じっさいこの間にも新感染症の出現――エボラ出血熱のアウトブレイク(1975年、1995年)、SARS(2002年-2003年)――や健康転換による疾病構造の変化――感染症から生活習慣病などの慢性疾患へ――など、病気の質と頻度が変化するだけで、疾病の終焉は幻想であることが決定的になった。むしろ人類と病気は共存し、ともに進化するパートナーであることがいよいよ明らかになったといってよい。

◆開発原病(disease of development)

開発による生態系の変化は当該社会の疾病構造を変える要因となる。開発の余波によって、それまで地方病(endemic)であった感染症が広域的な流行病(epidemic)に変化することがある。トリパノソーマ感染症(睡眠病)を媒介するツェツェバエは湿地や川に繁殖するが、西アフリカでは道路開発による人の往来の変化とともにツェツェバエの吸血行動が変化し、住民よりも旅行者を多く刺すようになった。また吸血ハエがバスに乗りこんで長期移動した結果、睡眠病は道路沿いに流行するようになった。このような交通機関の発達は19世紀におけるコレラの流行同様、流行病の規模を拡大させ、世界的流行病(pandemic)にまで拡大するおそれさえある。 開発が試みられたところで生態系の撹乱やライフスタイルの変化が生じ新たな流行病が生じるが、こうした病気を「開発原病」と呼ぶ。これは流行病の発生原因に注目するもので、特定の病(内容)を規定するものではない。またすべての開発が病気を引き起こすわけではない。じっさい開発のうち病気を引き起こす原因には、@環境改変すなわち周辺生態系への影響、A開発現象が引き起こすライフスタイルの変化、B環境汚染という個々の要因ないしはその複合的相互作用によるものが多いとされる。もっとも有名な開発原病は、1960年代以降のアフリカ各地域でのダム建設にともなうビルハイツ住血吸虫症の大流行である。中間宿主である巻貝が繁殖し、地域住民へと流行が広まった。また複数の生態学的要因の変化により思わぬ災害が起こるケースもある。水俣病がその例であるが、工業廃水内のメチル水銀が不知火海に長期間流失し、生物濃縮の結果、魚介類に高濃度に蓄積され、それを摂食した人びとのあいだに食品中毒症が流行した。今日では海洋における有機水銀の生物濃縮の規模は地球レベルの問題となっているが、それにたいする十分な警鐘がなされないのは水俣病の科学の経験が「公害病の科学」にすぎなかったという誤解にもとづく。「水俣病の科学」は地球レベルでの環境汚染のはじまりに警鐘を鳴らし、生物濃縮をはじめとする生態系の複雑な現象、さらには被害者の苦悩・加害者の謝罪・補償の社会文化的プロセスを全体論的観点から把握する学際的なものでなければならない。


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Effects of Environmental Change on Interactions
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