出張者:長田俊樹   出張先:パキスタン
 
5月18日、タイ国際航空で関西空港を旅立ち、途中バンコクで乗り換えたあと、パキスタンのカラチに着く。バンコクからの飛行機がカラチを経由して、マスカット・オマーンへ行くために、オマーンでのメイド仕事をするためだろうか、フィリピン女性が目につく。乗客のうち、我々と目鼻立ちがよく似た人々のほとんどは韓国からのビジネスマンだった。ハングルの新聞を広げていたのですぐにわかった。飛行機の乗客一つとっても、現代史の縮図をみるようで、なかなかおもしろい。
18日の午後9時(日本時間19日午前1時)にカラチ到着。インド経験は長いが、パキスタンの地を踏むのははじめてだ。メヘラン・ホテルに向かう。まず道がいいことと、車がいいのに驚かされる。インドよりも間違いなくいい。ホテルに着き、11時間近くの飛行機の旅で疲れたのか、すぐに寝る。
翌日、朝起きると、ケノイヤーさんがアメリカから来ており、レストランで再会。イスラマバードを発つまで、ずっとご一緒する。
19日はまずカラチ市内にある、遺跡の発掘を統括しているExploration Departmentに行く。ここには発掘された出土品が壊れかかったガラス戸のなかに、無造作に置かれている。空調もなく、蒸し暑いカラチに置かれた、メヘルガルから出土した地母神土偶が大量に壊れてしまったそうだ。国宝級の出土品の保管場所というのにはあまりにもお粗末である。ケノイヤーさんはこの場所の一室に空調施設とともにコンピューターを置き、まだ出版されていない発掘報告書などをデジタル化して保存しようとしているが、残念ながら、ソフトは古いものしかなく更新していないし、データを熱心に打ち込んでいる形跡もない。埋蔵文化の管理と整理はほとんどされていない。その点はインドもパキスタンも似た状況である。
お昼にはAsma Ibrahimさんの家に行き、彼女と会ったあと、彼女たちが運営するNGOによる考古学研究所に案内される。トタン屋根に断熱ウレタンを貼り付けた建物にはエアコンがなく、かなり暑い。この研究所では海外からの援助を受けながら、古文書の補修からインダス文明遺跡の調査までおこなうという。彼女たちの意欲は大いに買うが、長い目にみてどのように研究所を運営していくかというとなかなか心許ない。昼食にお米の粉から作ったチャパティーなど、家庭料理をいただく。とてもおいしい。この日は夕方ホテルに戻ってきて夜は部屋で過ごす。なおこのホテルからは無線ランを使ってメールができる。
20日はまず国立博物館へ行く。そこで寺谷さんという在カラチの日本人にたまたま出会う。京都教育大学を卒業後、カラチの日本人学校に赴任。その後現地で外務省入りし、カラチの領事館に勤務するが、ニューヨークの転勤を言い渡されたので、外務省を辞め、旅行代理店をはじめたのだそうだ。インダス文明展やガンダーラ展などのときにも、交渉や手配などを手伝ったそうで、我々も今後お世話になるかもしれない。こうしたハプニング的な出会いもあったが、博物館では主にプロジェクトに関係しそうな方々を紹介される。カラチの考古責任者であるQasim Ali Qasimさんにお会いする。なかなか温厚そうな方で、好印象を持った。午後からは、ホテルでQasid Mallahさんに会う。ケノイヤーさんのもとでPh.D.を取得した考古学者で、シンド州のKhairpur大学の準教授である。教授のNilofer Shaikhさんがやってくる予定だったのだが、用事で来られなくなった。我々の計画を説明すると非常に乗り気で、話はトントン拍子にすすみ、来年度にでも客員として地球研にきてもらうことにする。これもケノイヤーさんが仲介してくださったおかげである。
翌朝21日は5時に起き、7時発の飛行機でイスラマバードへ向かう。ケノイヤーさんの荷物はかなり多い。いつも驚かされるのだが、なぜにアメリカ人はあれほどの荷物を持って歩くのか。イスラマバード到着後、旧友の日本大使館に勤める多賀さんと合流し、休む間もなく、タキシラへ向かう。タキシラへはビーズ職人のAbdul Momin Rajabiさんも同行する。タキシラの仏教遺跡と博物館を回る。日本人の訪問者も多いようで、あちこちに日本語の看板がある。アショーク王がたてたというストゥーパはなかなかのもので、十分堪能する。昼食はタキシラで取ったあと、イスラマバードへ戻る。その日の夜は、ケノイヤーさんと考古学局の総局長であるFazal Dad Kakarさんの三人でワインを飲みながら夕食をともにする。ケノイヤーさんの今回のパキスタン行の主目的はハラッパーに立派な博物館を建設することにあり、その話がメインであったが、折を見てプロジェクトの説明をしたところ、大学とMOUを結び共同で発掘調査をやれば、クリアランスは簡単であるといわれ、パンジャブ大学と共同でチョリスタンでの調査をやることにする。
22日は考古学局に行き、すでにお会いした総局長以外の主だった人と顔つなぎを行う。ケノイヤーさんはハラッパー博物館の件で忙しく、午前中はケノイヤーさんが所長を務めるパキスタン研究アメリカ研究所(American Institute of Pakistan Studies=AIPS)でケノイヤーさんを待つ。12時過ぎに帰ってくると、今度はNational Heritage Museumに連れて行ってもらう。館長のMuftiさんにお会いし、館内を案内してもらう。その日の午後はケノイヤーさんがアメリカ大使館での話があるというので休み、夕方は多賀さんの家にケノイヤーさんを招待してみんなで日本食をいただく。多賀さんの同僚である石塚さんも同席され、ケノイヤーさんにいろいろと質問を浴びせた。なかなか貴重な時間であった。
23日、今度はパンジャブ大学のFarzand Masihさんに会い、パンジャブ大学との共同研究を進めることにする。彼はインダス文明展のときに日本に行ったことがあり、日本の印象はすごくいいということで、こちらもトントン拍子に話が進む。話が終わったあと、パキスタンの考古研究の父とも言うべきDani先生に会いに行く。もう80歳半ば過ぎになられるというのに、顔の色つやはよく、我々を歓迎してくださる。夕方にはケノイヤーさんと別れ、夕食は多賀さんにイスラマバードを見渡すことができるレストランへ案内していただく。南アジアを専門とする多賀さんにインドとパキスタンの違いなどを聞く。また、お互いが初めて出会ったインド留学時代の思い出話にも花を咲かせる。
24日は帰国の日なので、とくに重要な用事はなかった。午前中は本屋さんへ行く。パキスタンで刊行された本は少なく、インドで刊行された本が多かったので、あまり本は買わなかった。午後は日本へのおみやげなどを購入する。最後に、ハラッパー博物館の件で忙しくしているケノイヤーさんを考古学局に訪ね挨拶をして別れる。1週間という短い旅であったが、パキスタン国内でのガッガル=ハークラー涸川沿いをパンジャブ州とシンド州に分け、それぞれ大学と共同研究をするという約束を取り付けたことは大いなる成果だった。しかし、実際に発掘調査までには幾多の山があり、これで安心せず、速やかに事が運ぶことを祈るのみである。
■ 出 張 報 告(2006年度)
出張日:2006年5月18日-25日