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Twitterによるみなさまの質問・コメントへの回答
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コウノトリがいなくなったことによる生態系の変化は、データがありませんが、コウノトリがいることによる効果はあります。狩猟していたのは食べるためということもあるし、稲を踏むという農業被害対策ということもあったと思います。

   
温暖化がシベリアの陸域生態系と住民に与える影響を調べ、その成果を(研究業界を中心に)世界に発信することが目的です。
 
地球研の仕事は、政策提言や意識変革を直接促すというよりは、これらの根拠となる物事のつながりや、新しいものの見かた、生き方、豊かさに対する考え方を示すことと、これらを実現するための社会のあり方を示すことにあると考えています。
研究者でない私が、地球環境研究に期待する目的は、なにがどういう理由で「地球環境問題」なのかを明示し、どんな対策が考え得るかを提示すること。そのうえで、私たちの行動の選択肢が明確になれば、その先は私たちが主役です。

   
問題発見型の研究(認識科学)と、問題解決型の研究(設計科学)があります。今回のシベリアのお話はどちらかというと前者になります。今後の地球環境研究は、後者に重点が置かれるべきと考えます。

   
よくご存じですね。春の融雪時期に融けた雪が再凍結すると、こどものトナカイがハナゴケを食べられず、餓死してしまうようです。どのくらい本当なのかを現在調べています。

   

ありがとうございます。自然とかかわる営みの復活が大事だと考えます。

   
終点を設定するのは難しいと考えています。コウノトリは多様な価値をもたらすものであり、それぞれの視点によって目指すものが違うからです。また目標も絶えず変化していきます。さまざまな段階で、多様な人たちの間で合意を形成することが大事だと考えます。

   

私も、高校生が素直にコメントされているのでとてもためになりました。
 
コメントが大変本質的で押されっぱなしでした。ツイッタ―は一人一人の知性を尊重する道具なんですね。

 

恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ。

   
ありがとうございます。両種の比較は、ほとんどされていないので、研究を進めてください。

   
こちらこそありがとうございます。屁理屈と言われないように、頑張ります。
   

ありがとうございます。

   
ヨーロッパでは電柱や煙突に巣をかけることがありますが、大きくなった巣が落ちる危険性があると聞きました。

   
ありがとう(笑)。でもうまく答えられなかった・・・(悲)。もっと伝えたいことがあったのに・・・。失敗を繰り返して先生も成長しています。

   
農家の取り組みと消費者の生活の関係とを見えるようにしていく必要があると思います。その一例として、豊岡では、小学校の給食でコウノトリ育む農法のお米を出している取り組みがあります。

   
人間も含めた生物のつながりが大事だと思います。地球研は環境と文化のつながりを研究する研究所です。


身近なところで、やれることから始めるのが重要ですね。
真摯に取り組まれていることに敬意を表します。このような取り組みをより多くの人が当たり前のように実践できる社会とはどのようなものか、そのためにはどうすればいいのか、これらは地球研が取り組むべき大きな研究テーマと思います。
問題が、自分に身近なことになかなか置き換わらないところに、地球環境問題の難しさがありますよね。でも、身近でなければ行動に移せないというのも、なんだか寂しい気がします。

   
コウノトリを軸に生態系の再生を目指すことにより、主に水系の生態系の再生が進むことが期待されます。生態系は複雑なので、常にモニタリングしていく必要があります。

ご質問内容が難しく、お答えできません。もう少し具体的な質問をお願いします。
仕組みを作るのは議会で、仕組みを使って解決を促すのは行政、実際に行うのは全員です。研究者は、仕組みや計画をつくったり修正したりするためのお手伝い(調査・分析をする、コミュニケーションをとるなど)をするところまで関わります。
研究結果に対する解決をするのが、私たち研究者でない人間です。また、地球環境問題に限りませんが、研究は問題解決のためのツール(アイデア?)でしかありません。問題を解決させるのは、私たちなのです。

 

いえいえ。ありがとうございます。

 

今回はご容赦ください。
新しいスタイル、初めての司会だったので、慣れていらっしゃる企画担当の半藤さんにフォローしていただいていました。おかげさまで、全体の流れが整ったのではと思っています。

 
原発を廃炉にした後の放射性廃棄物や使用済み燃料の問題については、この環境問題に向き合い、子どもや孫の世代にツケを回わさないこと。また、事故が起きてしまった現在、冷静で科学的な研究をわかりやすく、正しく伝える努力が必要だと感じています。

 
地球規模の現象は地域規模の環境にも影響が出ます。その逆もしかり。食の安全性などを考えてみると良いとっかかりになりますよ。

   
コメントありがとうございます。シュバシコウの場合、より国際的な問題として考える必要がありますね。

   

少し難しく回答してしまいました。ごめんなさい。
   

すいません。気を付けます。

   
例えばトキは環境省、コウノトリは文化庁・兵庫県・豊岡市が事業主体という違いがあります。トキは絶滅危惧種、コウノトリは特別天然記念物という扱いの違いがあります。コウノトリの方が地域の問題として取り組む傾向が強いと思います。

   
普段の生活でできること、例えば電気のつけっぱなしに気をつけたり、無駄に毎日洗濯をしない、など、できることはたくさんあります。
   
具体的な方法の一例としては、毎日食べているお米から考えることがあります。田んぼがあることによって、どういった生き物がどれぐらい暮らせるか、考えてみてはいかがでしょうか。
 
個人個人が、自分の消費生活や働き方などを主体的に選択し、社会、政治に積極的に関われるようになれば良い状況が訪れると思います。専門家と一般市民が結びつくことが大切だと思います。

   
ごめんなさい。次の機会があれば、もう少し高校生にもわかる内容でお話ししたいと思います。

   
その通りだと思います。人間も含めた様々な生き物のつながりの多様性が大事だと思います。

世界中の人達が窮屈に感じずハッピーに暮らせれば、地球環境問題は解決したと考えられます。
地球の環境が変化する速度を遅くしたり、変化する環境と付き合っていくための仕組みが世界中にできていて、その仕組みのもとで暮らしていくことを通して、これなら人間の社会も地球の状況と折り合いをつけながら続いていくだろうとみなされている状態。

だれも、それが問題だと思わなくなった状態、ではないでしょうか。

 
環境問題の歴史を調査したり、問題が顕在化している地域の人間文化についてインタヴューしたり、都市の成り立ちについて考古学調査をしたり、いろいろあります。

   
本当に起きています。特に北極圏の温暖化は顕著です。二酸化炭素などの温室効果ガス濃度の上昇がほぼ間違いなく原因です。(一部、都市化の問題もありますが。)

普段の生活でできること、例えば電気のつけっぱなしに気をつけたり、無駄に毎日洗濯をしない、等をしていけば良いと思います。
エネルギーを使い過ぎたり、二酸化炭素を出し過ぎたりしない暮らしとはどのようなものかを話し合い、そんな暮らしを楽しむためのアイディアを出してみる。そして、そのアイディアを地域の行事や学園祭などで形にして、大人たちを驚かしてみる!
なにができるか、一生懸命考えて、自分で見つけることです。正直なところ、今、答えはないと私は考えています。ならば、自分で考えて、納得のいく答えを見つけるしかない。WSで一緒に考えてみましょう!

 
オルタナティブがメインになると、オルタナティブではなくなってしまいます。(笑)多様なメディア環境を作っていくのは、個人の意識の問題だと思います。子どものメディアリテラシーを高めていくことや情報に対して主体的であることが大切だと思います。

 
すいません!用語説明を参照してください。

   
そうですね。そういう科学的知見を出せるように科学者は頑張らなければならないと思っています。

   
一人で頑張るにも限度がありますね。でも、世界中の人達が想像力を働かせ、思いやりと節約に努めれば、まだなんとかなると思います。


そうですね。等身大に考えられるように頑張ります。
環境問題は、等身大で考えていても、結果的に海外の自然・産業などとつながってしまいます。ですから、広い目から観察することと、等身大から考えることの両方が必要です。後者は、まさに皆さんと一緒に考えていくべき研究です。皆で知恵を出し合いましょう!
等身大に考えてみましょう。自分にとって、地球環境って何なのか。何を地球環境問題として捉えているのか。そして、なぜ、それを考えなければならないのか。そのとき、あなたなら何をしますか?

   
あっ、ちょっと誤解されたかもしれません。もっと節約しましょう、と言いたかったのです。

 
今度やるワークショップに参加するなど、研究機関と直接かかわるのが良いでしょう。また、地域によっては、このテーマに沿ったNPO法人なども活動しています。研究者も社会とのかかわり方を変え、社会も変わっていくことが大事だと思っています。
「共に創る」ためには、①基本的な知識。②実践の経験。③コミュニケーションの力の三つが必要です。今回のテーマでは③が重要です。相手の意見を聞いた上で、ご自身の意見を示すといった、議論の機会をたくさん持っておくと、参加しやすくなりますよ。

核実験をした場所や、放射性廃棄物のそばに暮らす野生トナカイは、(食べ物のハナゴケが汚染されていると思われるので、)かなり放射能汚染を受けていると思います。

 
地球環境が崩壊すれば人間は快適さも利潤も追求できなくなります。だからこそ、地球環境問題は人類全体の課題なのです。

 
地球環境問題には様々なレベルがあります。化学汚染につながる化学物質の排出も、先進国起源から、(二次的な)途上国起源まであります。国際条約で規制をかけても、汚染がなかったことにはなりません。
   
その通りだと思います。戦争と核廃棄物の問題は、人間文化の問題です。我々日本人もきちんと考えないといけないですね。

 
循環型社会という構想自体、人間が勝手に考えていることです。どの規模で循環型社会という枠をつくるかで、人間と自然の調和の仕方がかわるでしょう。

 
多様なメディア環境を作っていくのは、市民一人ひとりの意識の問題だと思います。メディアに受け身でいるうちは、状況は変わらないので、子どものメディアリテラシーを高めていくことやそれぞれが情報に対して主体的であることが大切だと思います。


その通りだと思います。
ざっくりでもいいから早く落とし込む場合と、丁寧に落としこんでいく場合の二つがあり、研究は後者に当たります。だからといって研究者が前者をやらなくていいわけではありません。研究者の役割についての問い直しと社会での合意が必要と思います。
それは今の学術業界の大きな課題かもしれません。地球研も開かれた研究所を目指すべく、日々試行錯誤しています。

 
古今東西、文と理が分けられた経緯は根深く、「二つの文化」のようにたとえられます。地球研に来てからは、問題解決には文理の区別も、科学と社会の分断も不要だと思って研究をしています。研究者ももっと変わらないといけません。
環境の分野では特に重要ですね。大学の1回生時に文理がつながった物事の見かたを身に付けられる講義を提供したり、環境の研究者は、論文の数だけでなく、どれだけ物事の見かたを社会に提供しているかという視点から評価されるようになるべきと思います。

敢えて普通と反対のことを言います。研究者の考え方って意外とシンプルです。コツさえつかめば、この研究者にはここを突っ込めば議論が深まるかもということが見えてくるはず。議論が深まってお互いを理解したら、つながっていると思います。

鋭いご指摘です。北極海の海氷面積が減り、北極海航路が使えるようになるとLNG輸送のための船舶活用が期待できますが、化石燃料の利用は止まらないのでジレンマに陥ります。さあどうしましょう。


良い指標があれば、インセンティブとしてはたらくかもしれませんね。
確実にインセンティブとなるように仕組みが整っていれば効果を発揮します。指標開発と仕組みづくり、じつは一緒に考えないといけないこと。身近な事柄とスケールの大きな地球温暖化、生物多様性を結び付ける使いやすい指標をぜひ開発していきたいと思います。
「なぜ、なんのためにその指標を守る必要があるのか?」この点が身にしみて理解されなければ、たとえば食品の安全表示のようには、効果はないように思います。

 
司会に全権を持たせたいのですが、そこは組織なので色々。事務職員だけでできるはずの大学等の入試業務の一部に教員が立ち会い、トラブルに対して責任を取らされる構造と同じです。(泣)司会者本人はノリノリだったようですが。

環境問題に取り組む難しさは、今の私たちが頑張っても、効果が表れるのは後の世代だったりする点にあります。日々の暮らしで環境に配慮することが後の世代にどんな効果を与えるのか、という研究をし、その成果を参考に暮らし方を決められたらよいと思います。
今はまだ具体策はほとんどないと思います。それは「暮らし」や「生きる」ことは基本的に「消費」だから。「暮らしのスタイル」を変えなければ「今の暮らし」のままでは変わらない。では、どうすれば変えられるか。残念ながら私は答えを持っていません。


私もそう思います。
窓が無いので、エアコンなしでは難しいとは思いますが、もう1~2℃設定温度を高くしてもよかったと思います。次回はさらなる軽装を呼び掛けたいと思います。
では、なぜヒトは冷房を求めたのでしょうか?すべてはそこに集約すると考えます。ヒトの社会における「発展」とはなんなのか。本質はここにあるのではないでしょうか。

その通りですね。どうやったら解決できるか共に考えましょう。
とても本質的な問いです。関心の高い方々とそうでない方々とでは、関わり方や伝え方も変わってくるだろうというのが、結論です。どう違うのかは、研究課題とさせて下さい。この企画は新しい企画です。まずは関心の高い方々と「共に創る」をしてみました。

 
naoki_people78さんが仰るような多くの人々に開かれた環境問題に関するコミュニティは少しずつではありましすが、徐々に増えていると思います。その多くで、専門家と一般市民が結びつくことが大切だと思います。


節電、節約。
このツイートを見て、もっと具体的な話に舵を切らねばと判断しました。確か、色々な分野の話が飛び交って共通の課題が見つからなかったタイミングでした。今回の経験を踏まえて次回は、核になるようなトピックを用意した上で「共に創る」したいと思います。
今できることは、考えること。考えて、必要だと感じることを実行に移すこと。あれをやれば、これが解決する。それが明確な地球環境問題があるなら、事はもっと簡単だと思いませんか?それがわからないから、今はみんなで考えることが大事だと私は考えます。

大多数の国民が地球環境研究に対してお金をかけるこをリスクだと感じたならば、税金を使った研究を止めざるを得ませんね。
研究って、普通の仕事よりもいつ役に立つかも見えにくいですよね。ただ、現在の状況に対応した研究をしていないと、それに見合った教育や社会活動の支援はできないと考えます。教育や社会活動との連携で考えた上でお金を使うという視点が必要と思います。
研究って、そんなものなのです、といってしまえばそれまでになってしまうのですが、研究は地道な活動のなかの偶然やひらめきが、その後の大きな発見や成果につながるものではないでしょうか。

鋭いご指摘。効率的に生産できるのであれば、木材資源や石油資源の節約につながる?
これは大いなるジレンマです!技術を使うほどある種のコミュニケーションは円滑になり、問題解決の提案に貢献するのですが、環境に負荷がかかります。少しの負荷で知恵を出し合い、大きなエネルギー負荷や環境汚染を軽減できるようにしていきたいと思います。
意識共有のためのツールとして、Twitterなどに代表されるSNSは即効性、拡散性の点では有効で、遠回りでないかもしれません。でも、浸透性があるかというと、私は疑問に感じます。

 
具体的にどの行動?と思いますよね。複雑な問題を文理で解き解し、様々なステイクホルダーと連携して問題解決にあたっても、研究者を含めたステイクホルダーの関係が問題を複雑化することがあります。「環境問題の根源は人間文化の問題にある」を実感します。

 
問題は隠蔽できません。情報の真偽を見極め、それを共有していくことが常識になることを望みます。

   
まず、みんなで考えて、みんなで答えを探す。コモンズという考え方ですが、「あの人も頑張っているから、私も・・・」となるかもしれません。今回のテーマ「共に創る」は、一人でなく「みんなで考える」ことの大切さを意識したものです
   
正しいという答えは出せなくても何か行動していく必要があるのが環境問題の特徴の一つだと思います。常に取り組みの結果をモニタリングして、その結果を現場に戻し、修正していくことが大事だと思います。

 
でしょう?本当は一セット形にするのに、最低1日半、ある程度きちんとやったら丸三日かかると思います。

 

面白いテーマが出てきたらいいですね。

 
専門用語を使わないで説明するのは実は大変難しいのです。褒めてくれてありがとう。元気がでます。

究極の目標は、今ココ、将来ココにいる一人一人が幸せになること、過去ココにいた方々の生き様が理解されることです。環境と社会のつながりを研究する意味はここにあると信じています。物事の新しい見かたを少しでも社会に提供できたらと思います。
まずは、「地球環境問題ってなんなのか」について、一緒に考えてみましょう。そうすれば、「自分にできること」とともに「自分にはできないこと」もはっきりするかもしれません。

 
プロジェクト単位で試行錯誤しています。地球研には広報の機能もありますので、今後改善してゆきます。食の問題は地球研フォーラムで過去に何度か扱いました。今後も取り上げると思います。

 
生徒さんのグループで要望してくれたら特別セミナーなどもできます。怪しい話からまじめな話まで品揃えが豊富です。あと10年後くらいに皆さんとアフリカかアジアのどこかでばったり会えることを楽しみにしています。

 
“共に創る”シリーズは継続します。ただし、参加者の中には、従来のフォーラムの形を好む人もおりますので、そのあたりはバランスを取っていきたいと思います。

 
アフリカのような私たちから遠い世界の話をしましたが、何か具体的なイメージを持ってもらえたら嬉しいです。

 
地球温暖化、生物多様性の損失、砂漠化など様々な地球環境問題がありますが、真の問題の解決には、どのような社会が人にも生命にもやさしく、持続的かという、価値や文化の問題も含めて考える必要があります。地球研はまさにそのことを考える研究所です。

工場など生産の場では節電しにくいので、家庭や学校などでとりあえず頑張ってみましょう。
このツイート素晴らしい!まさに「研究の問い」です。紹介できずごめんなさい。研究的なことを言うと、判断の材料としてまず目標像とシナリオを用意します。シナリオに応じて何をどこまで使ってよいか、節約すべきかを判断していくことになります。
その判断をするとしたら、私の判断基準は「いま、ほんとうに、電力でなければできないのか否か」です。

マイクロ水力発電や太陽光発電など、身近に対応できることはたくさんありますね。
ご指摘の通りと思います。太陽光、小水力、風力、地熱、バイオマスといった再生可能エネルギーによる発電を、まずは大規模に進めていったら、社会も変わっていくと思います。もちろん、これらの副作用に対応しながらということになりますが。
わたしも「発電」をしてみたいです。そうすれば、自分の作った電力は、自分で育てた野菜のように、愛着を持って使用できるのか、自分自身で確かめてみたい。

データが必要ですね。前提とする条件によって結果が変わります。かなりターゲットが絞り込まれていますが、このツイートもまた「研究の問い」ですね。あるべき前提条件(電力市場、供給の仕組み、使うエネルギー資源)は何なのかが論点になるかと思います。
なるかもしれません。なったとしたら、どう考えますか?原子力発電を止めても、電力の供給がまかなえ、しかも料金も据え置きで大丈夫そうだ、ということになったとして、次は、どうすべきか。

 
「大量消費を繰り返し、経済を成長していく社会」あるいは、「従来のようなGDPを指標とした経済が停滞しても、新しい社会」を目指すのか、「自分がどんな社会を望んでいるのか」ということを徹底的に議論する機会が増えると良いと思います。

 
現在、行われている再稼働をめぐる議論でも、電力会社や財界は「原発と止めた方がお金がかかる」「廃炉費用がかかる」という立場をとっていますが、原発は稼働しようが中断しようが、いつかは廃炉になり、死の灰を処理する必要があります。

 
確かに実質的な選択肢は少ないと思います。エネルギー問題は今後地球研でも取り上げたいと思います。

 
メディアを活用するなどして、道を探ります。この類のフォーラムが世界に伝播し、各地域で新しい地球環境観を共に創っていければよいですね。

 
少し興味が広がるだけでも文理の捉え方は変わっていきます。私だって学生時代は文アレルギーでした。皆、問題解決の必要を感じたり、日常で色んな人と交流して価値観がかわっていくものです。文理融合も大きな課題です。

 
環境なんて言葉のない世の中が一番良いに決まっています。それが解決した状態なんだと。「環境研究者の失業 = 環境問題の本質的解決」ということを表にだすと、誰も環境問題を研究しなくなるのでは?(笑)

 

素晴らしいメッセージありがとうございます。

 
遠慮なく、積極的に情報を求めてください。研究者ももっとオープンになる必要があると思います。

 
どんな組織でも、組織の維持が目的化したり、年月が経ち過ぎると組織疲労が起きます。メディアに受け身でいるうちは、状況は変わらないので、子どものメディアリテラシーを高めていくことやそれぞれが情報に対して主体的であることが大切だと思います。

 
様々な分野がまわりまわって地球環境と関係しています。なかなか目に見える形で示すのが難しいですけど。

 
意見をまとめるのは大変ですが、おっしゃるように考えるだけでも違ってくると思います。

 
環境問題は、人間と自然系の相互作用環の悪い面が具現化したものです。結局は、自然との付き合い方なんだと思います。

 
ごめんなさい orz それでも個人個人の意見を皆で共有できる良い機会だと思ってくださいね。

 
Twitterを使う難しさです。今回のこの回答集で、ご容赦いただけたらと思います。

 
「環境」という言葉・概念が人間社会から消えてなくなり、本当の意味で地球環境問題が解決した状態です。
望ましい未来とは、他の国の人達、次世代の人達への「思いやり」がある世界です。環境問題は人間文化の問題。思いやりが無いから、環境問題が発生してしまうのです。
環境とうまく付き合うコツを皆が身に付け、過去ココにいた方々の生き様を理解した上に、今ココ、将来ココにいる一人一人が幸せでいる未来です。幸せでない人は、幸せでないことが他の人にきちんと伝わり、解決への取り組みがなされる未来です。

地球環境のことなんか問題にならない未来


今回の企画が出発点になるかと思います。

 
あくまでも個人の意見ですが、そこの立場の調整は極めて困難です。単に原発の功罪を問うのではなく、さまざまな地球環境問題を直面したなかでのエネルギー問題を含む人間文化のあり方の観点から議論をすすめるべきだと考えます。

   
そのとおりです!共有することが簡単にできるなら、地球環境問題はもっと簡単に解決できるかも?
ご理解下さりありがとうございます。なかでも柔軟に受け止めて、話の流れに合わせて共有していく過程で、言葉で表現しながらその場で行うのが、本当に難しいです。このやり方に対するお互いの慣れが必要なところもあります。次回もぜひお付き合い下さいね。

 
問題の認識の仕方には差があるかもしれませんが、解決に向けた行動には差がないのでは?というよりは、研究者が一般市民の足手まといになっている部分もあります。地球に住む以上、人類全員も環境そのものも当事者です。
今回の反省として、「市民にできて、研究者にはできないことは何か」を突っ込んで議論できなかった点があります。用意はしていたのですが、うまくいかずすみません。互いの強いところを出し合って調和させていくのが「共に創る」作業と理解しています。

議論の開始点とご理解下さい。身近な暮らしの中から研究課題を設定していく場合は、わかりやすい疑問から出発して、その疑問が最終的に様々な分野や地域の問題と関係していることを確認します。その上で研究課題を考えると地球環境学の研究らしくなります。

 
ワークショップのときに聞いてみます。フォーラム当日は間に合いませんでした。

現時点では個人ベースを想定していますが、研究室などグループで参加されたいという場合は、Forum[at] chikyu.ac.jpにご相談ください。大学生や大学院生の皆さんには、ぜひ来ていただきたいと考えています。

 
今度行うワークショップと合わせ、一冊の本にするように動くつもりです。「“共に創る”」を出版物として残せるように努力します。

みんな悩んでいるのだと思います。我が家は固形化して捨てています。その方が水を汚さずエネルギーのロスが少ない(と思っている)から。
このツイート、まさに「研究の問い」ですね。紹介できずごめんなさい。本当かどうか調べてみる、とても大事なことと思います。環境問題の研究らしいテーマ設定ですね。
私は考えてみたことがありますが、やはりどちらの選択が環境負荷が低いのか分からず、いまだ結論をもっていません。これを明確にしてくれるのが、「研究」ではないでしょうか。そして、その研究結果をうけて行動を決めるのが、私たちだと思っています。

 

究極のtransdisciplinarityですね。Max-Neef (2005)の発想に近いです。

 
共に考える機会をもっと持ちたいです。継続するのは大変ですが、個人個人が環境に対する理解を深めるように、人類の未来を真剣に考える機会が大切ですね。
ご指摘の通りと思います。今回の企画がまさにその出発点です。地球研の役割とは何かを改めて考える必要がありますが、個人的には、地球研が「共に創る」ためのやり方を確立して、こうやったら共に創れるんだよ、ということを社会に示せたらよいなと思います。

 
そのとおりです!子供に環境教育を押し付けるだけでなく、大人は今まで何をしてしまったか、便利な生活と引き換えに何を失ったのかを、責任をもって次世代に伝えなければなりません。

 

ありがとうございます!
前向きなコメントありがとうございます。共感します。私も水や生物、廃棄物といった特定の分野が専門ではなく、共に環境や地域をつくっていくにはどうしたらいいのか、という分野が専門なので、同じような関わり方でいきたいと思います。
そうですね! 地球環境問題、そして地球環境研究はみんなで“考えること”がとても大切ですよね。今回のフォーラムもそのひとつとなることを狙いました。

環境分野に限って言うと、教育のどの段階で、文系と理系の融合を体験し、環境の研究に触れてもらうか、という議論が必要かと思います。せめて、大学の1回生の段階では、どこの学校でも環境と持続可能性に関して学ぶ講義・実習を提供すべきと思います。
私も同感です!地球環境研究は、一部の人だけが関わっているのでは、問題の解決には結びつきません。いかに多くの人を巻き込むか、"共に創る"ことが本当に必要です。手始めに、ご自身の周囲から、みんなで議論することを始めてみてはいかがでしょうか。

でも、気持ち(こころがけ)は重要だと思います。本当に願っていれば、それは行動にも現れてくると思うのです。


楽しみにしております。

お待ちしています!

来てください!地球環境について、一緒に考えましょう。

 

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