2025.12.23

研究ニュース

眼は口よりものを言う?
ヒグマの水晶体から若齢期の食性履歴を時系列で復元

北海道立総合研究機構 エネルギー・環境・地質研究所の研究チーム(代表:三浦一輝)は、福井県立大学の松林順准教授および総合地球環境学研究所の陀安一郎教授、由水千景上級研究員と共同で、ヒグマの水晶体を成長方向に小さく分割し、分割した組織を順番に炭素・窒素安定同位体分析1)することで、生まれてから数年間の食性履歴を時系列で復元する手法を確立しました。この手法により今後、ヒグマの食性の個体差が生まれる仕組みや基礎的な生態の理解が進むことで、人とクマのあつれきの低減に役立てられることが期待されます。

(イラスト:中島あかり) 

背景

野生動物の行動の個体差の把握は、生態や進化の理解、さらには保全・管理策の立案において極めて重要です。哺乳類は個体ごとの行動のばらつきが大きいことが知られていますが、そのような行動の個体差の解明にはこれまで、直接観察や追跡機器の装着(bio-logging)などの手法が用いられてきました。しかしこれらの手法には、対象種の繰り返しの捕獲を必要とすることや機器の電池寿命、金銭的なコストの問題などから、多数の個体の長期的な行動履歴の把握には大きな制約がありました。こうした課題に対処する手段として近年注目されているのが、成長に伴って組織が追加され、形成後に物質が置き換わらない組織を用いた「回顧的な同位体分析による行動追跡(iso-logging)」です。特に、動物の眼の水晶体は生涯にわたり外側に組織が追加され、物質がほとんど置き換わらないことから、近年魚類やイカなどの頭足類において手法開発と生態研究への応用が進んできました。しかし、哺乳類においてはその適用例がなく、哺乳類の水晶体の特徴(形や弾性の違い)に合わせた分析手法の開発が求められていました。

研究手法

本研究ではまず、水晶体を成長方向に沿って分割するための前処理法を確立しました。哺乳類の水晶体は非常に柔らかく壊れやすいため(図1)、本手法では水晶体を乾燥して硬化させ、蒸留水でふやかしながら扱うことで、ピンセットで試料を小さく分割できることが分かりました。次に、分割した組織の断片に含まれる炭素および窒素安定同位体比(δ13C、δ15N)を逐次的に分析することで、個体の食性(摂餌行動の指標)の変遷を復元しました。具体的には、2022年に北海道渡島半島で捕獲された2~15歳のヒグマ7個体(オス6、メス1)を対象に、次の2つの仮説を検証することで、水晶体から時系列の安定同位体比情報を復元できることを明らかにしました。1つ目は、授乳と離乳による食性変化を反映したδ15N値の変化が示されること、2つ目は農耕地周辺で捕獲された個体から、北海道においてヒグマによる主要な被害作物となっている、デントコーン由来の高いδ13C値が観察されるということです。これらの仮説検証に加えて、同一個体内の左右の水晶体の安定同位体比の変化パターンを比較することで、この手法の再現性を検証しました。

研究結果

水晶体を用いた逐次的な炭素・窒素安定同位体分析により、個体の食性履歴を時系列で復元できることが示されました。分析した全てのヒグマ個体において、中心から外側にかけてδ15N値が一度低下する傾向が共通して観察されました(図2)。これは、哺乳類に特徴的な授乳と離乳による食性変化が反映されたためと考えられ、食性情報を時系列で復元できたことを示しています。また、ヒグマによるデントコーン被害が確認されている地域で捕獲されたヒグマ水晶体から、デントコーンの摂餌による特異的に高いδ13C値が検出され、デントコーンへの依存度の時系列的な変化パターンを複数復元できました。加えて、同一個体の左右の水晶体から、非常に似た安定同位体比の変化パターンが復元されたことから(図3)、両眼でほぼ同じ安定同位体比の情報を保持していること、また本手法の再現性が高いことが確認されました。

今後への期待

本手法は、哺乳類の水晶体を用いて個体レベルの時系列での食性履歴を詳細に明らかにできることを示しました。各分析値が具体的に何歳のものかという点は、今後水晶体サイズと年齢の関係を詳しく明らかにしていく必要があります。その一方で、今回復元された授乳ー離乳のパターンや一般的な哺乳類の水晶体の成長様式から、ヒグマでは生まれてから1~2年程度の食性情報を水晶体から高解像に復元できると予想されます。このことは、従来の手法では困難だった、ヒグマの若齢期を含む行動の個体差の理解に貢献します。例えば、自然の食物を食べていた若いヒグマが、どのように農作物へ依存していくかを解明するのに役立ちます。さらには今後、ヒグマ以外の様々な哺乳類種への応用が進むことで、他種の生活史や食性の解明に役立てられ、保全や管理に寄与することが期待されます。

謝辞

ヒグマ試料の収集には関係機関、捕獲従事者の方々に多大なご協力をいただきました。本成果の一部は、科学研究費補助金 (JP24K20960)と総合地球環境学研究所の同位体環境学共同研究事業の支援を受けて実施しました。

用語解説

1)安定同位体分析 同じ元素の中で、質量数(中性子数)が異なる“安定同位体”の比を分析する手法で、動物の食性や利用してきた環境履歴を推定するために使われる。炭素(12C、13C)の同位体比は動物が食べた植物タイプの違い(C3やC4植物のような光合成回路による違いなど)を反映し、窒素(14N、15N)の同位体比は母乳から固形食への移行といった栄養段階の変化を調べるのに用いられる。

公表論文

論文名: A novel method for fine-scale retrospective isotope analysis in mammals using eye lenses(哺乳類の水晶体を用いた回顧的同位体分析の新手法)
著者名: Miura Kazuki1, Matsubayashi Jun2, Yoshimizu Chikage3, Takafumi Hino1, Shirane Yuri1, Mano Tsutomu1, Tsuruga Hihumi1, Tayasu Ichiro3(三浦一輝1・松林順2・由水千景3・日野貴文1・白根ゆり1・間野 勉1・釣賀一二三1・陀安一郎3
著者所属: 1Hokkaido Research Organization, 2Fukui Prefectural University, 3Research Institute for Humanity and Nature(1北海道立総合研究機構、2福井県立大学、3総合地球環境学研究所)
雑誌名: Ecosphere (生態学の専門誌)
DOI: https://doi.org/10.1002/ecs2.70276
公表日: 2025年5月26日(月)オンライン公開

お問い合わせ先

(研究内容や本成果とヒグマの生態・管理の関係について)

地方独立行政法人 北海道立総合研究機構(道総研) 産業技術環境研究本部
エネルギー・環境・地質研究所(エネ環地研)研究推進室 研究情報グループ
  電話 011-747-2420  Eメール eeg-koho[at]ml.hro.or.jp([at]を@に変えてお送りください)
  ホームページ https://www.hro.or.jp/eeg.html

(Iso-logging技術や安定同位体分析について)

公立大学法人福井県立大学 海洋生物資源学部 海洋生物資源学科
准教授 松林 順
  電話 0770-52-9600  Eメール matsuj[at]fpu.ac.jp([at]を@に変えてお送りください)
  ホームページ https://sites.google.com/g.fpu.ac.jp/mast/

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 広報室
電話 075-707-2128(担当:片岡)
  Eメール kikaku[at]chikyu.ac.jp([at]を@に変えてお送りください)
  ホームページ https://www.chikyu.ac.jp/

参考図

図1 眼球から取り出したヒグマ水晶体の様子。Miura et al. (2025)Ecosphereより転載。

図2 ヒグマの水晶体から復元した窒素(a)および炭素(b)安定同位体比の成長方向の変化. 水晶体中心部が出生時、外側に行くほど死亡直前の安定同位体比を示す。水晶体IDのカッコ内はそれぞれのヒグマの年齢を示す。潜在的な食物の安定同位体比は各平均値を点線、標準偏差を色付きの帯で示している。潜在的な食物の安定同位体比はMatsubayashi et al. (2015) および Sakiyama et al. (2021)より参照。Miura et al. (2025)Ecosphereを元に作成。

図3 2個体のヒグマ水晶体から復元した窒素(a)および炭素(b)安定同位体比の両眼の比較。Miura et al. (2025)Ecosphereを元に作成。

参考文献

Matsubayashi, J., Morimoto, J. O., Tayasu, I., Mano, T., Nakajima, M., Takahashi, O., ... & Nakamura, F. (2015). Major decline in marine and terrestrial animal consumption by brown bears (Ursus arctos). Scientific Reports, 5(1), 9203.

Sakiyama, T., Morimoto, J., Matsubayashi, J., Furukawa, Y., Kondo, M., Tsuruga, H., ... & Nakamura, F. (2021). Factors influencing lifespan dependency on agricultural crops by brown bears. Landscape and Ecological Engineering, 17, 351-362.

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