2025.10.09

研究ニュース

「町は語る 宮本道人(2025)」
予備研究(FS):シチズンナレッジを活用した気候変動への態度行動変容の可能性(責任者:馬場 健司)の研究成果

概要

下記のSF物語は、予備研究(FS):シチズンナレッジを活用した気候変動への態度行動変容の可能性(責任者:馬場 健司)の研究過程で作成された小説(ナラティブ)です。「日本学術振興会・課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業(JPJS00124017859)との協働による成果です。
研究グループが以前に作成した神奈川での気候変動影響をナラティブとして作成したパンフレットをベースにしながら、プロのSF作家である宮本道人が物語を作成しました。

町は語る

こんにちは! ぼくは、町を見守るために作られた、架空のストーリーテラーAI。
ぼくはこの町を、じぶんの「からだ」のように感じている。山も川も海も畑も道も家も、ぜんぶがつながって、ひとつの「ぼく」になっている。
だから、ぼくには町の声が聞こえる。みんなのくらしが見える。町がどうなっていくのか、考えることができる。
今日は、ぼくがデータから予想した、ふたつの未来についてお話しするね。
ひとつは、みんなが力を合わせた未来。もうひとつは、だれも何もしなかった未来。みんなは、どっちを選ぶ?

みんなが力を合わせた未来

2050年、夏の朝。

昨日までの雨が嘘のように空は晴れわたり、ぼくの川面はきらきらと光を弾いていた。水は透き通り、小魚の群れが元気に泳ぐ。この光景を見て、ぼくの心は洗われる。近年、滝のような雨が増えたけれど、もう昔のように慌てることはない。みんなが、この町を、ぼくを、強くしてくれたから。

始まりは、十数年前からみんなが続けてくれた、町をまるごと大切にする活動だった。上流では、山の木々を手入れして災害に強くし、中流では、子どもたちが川沿いの草を刈り、下流の公園ではお年寄りが雨水タンクや花壇を整えた。世代を超えて力を合わせ、水害を防ぐ工夫をしてくれたおかげで、雨が一気に街へ流れ込む心配がなくなったんだ。

港のコミュニティスペースには、町の沿岸を立体的に映し出す光の地図が浮かんでいる。市民が生き物の写真を送ると、その場所に小さなアイコンが灯り、誰もが町の自然の変化をリアルタイムで感じることができる。砂浜では月に一度、三十分だけの清掃活動があり、いつも笑い声が響いていた。

海では、新しい種類の海藻を育てたり、増えすぎた生き物を駆除したりする活動が続き、豊かな生態系が戻ってきた。港の食堂のおばちゃんがつくる日替わり定食は、町の名物だ。「今日の魚はね......」と語る彼女の笑顔が、ぼくは大好きだ。

畑では、高温に強い品種や温暖な気候に合う果物への転換が進み、新しい名産品が生まれた。若い夫婦が楽しそうに話しながら、薄いガラス板のような端末を畑にかざしている。あれには作物の健康状態が色で表示されるんだ。二人が開く収穫祭には、町じゅうの笑顔が集まる。

海岸では、波の勢いを弱める砂浜を保全するため、他の場所から砂を運んで補う作業が続けられ、国道もサイクリングロードも守られた。夕暮れの浜辺で、仕事終わりの人たちが語らったり、子どもたちが波と戯れたりしている。そんな穏やかな日常が、何よりの宝物だ。

ある日の夕方、台風が接近して大雨警報が出た。でも、町は冷静そのもの。みんなが身につけている端末や、家の窓ガラスに、進むべき道が光の矢印で示され、「お隣の鈴木さんを避難所へ」と、すぐやるべきことが浮かび上がる。一人ひとりが自分の避難計画をあらかじめ作り、毎年の訓練で確かめていた。誰に助けが必要か、地域のみんなで情報を共有していたから、誰一人取り残されることはなかった。

冬の森では、専門家と市民が協力して鹿やイノシシの数を調整してくれたおかげで、若い木々がまっすぐ空を目指して伸びている。子どもたちの元気な声が、安全になった野山にこだましていた。

ぼくは、この未来を誇りに思う。みんなの無数の小さな行動が、このかけがえのない日常を守ったんだ。高すぎるぼくの体温も、少しは緩和されている感じがする......。みんなのおかげだよ。

だれも何もしなかった未来

2050年、夏の朝。

ゴーッという不気味な音を立てて、茶色い濁流がぼくの川を駆け下りていく。土や枝を巻き込み、今にも岸からあふれそうだ。これで今シーズン3回目の避難の知らせ。サイレンの音が、みんなの不安をかき立てているのが、ぼくには痛いほど伝わってくる。

雨が降れば洪水、降らなければ水不足。町じゅうが、乾くか溺れるかの悲鳴をあげていた。上流の山は十年以上手入れされず、むき出しになった山肌が痛々しい。中流の川沿いは草が伸び放題。雨が一気に街へ流れ込む状態を、誰も気にかけてはくれなかった。

ぼくは、ただ自分のからだが壊れていくのを、黙って見ていることしかできなかった。

港では、強い台風が来て、漁師さんたちが大切にしていた網が流された。網にかかったのは、値のつかない魚ばかり。海の生き物を調べる活動はなくなり、港の地図は色あせたまま。砂浜は清掃されず、打ち上げられたゴミの間をカラスが歩き回っている。あの頃のにぎわいは、もうどこにもなかった。

海藻の養殖もされず、害のある生き物の駆除もされず、魚の姿はまばらになり、漁師さんたちは次々と海を去っていった。

畑では、高温や獣害に強い作物への切り替えも進まず、重い農作業に疲れ果てたお年寄りが、また一人、畑を手放した。耕されなくなった土地が、静かに広がっていく。

海岸では、砂を運び入れて補う作業が行われず、ぼくの自慢だった砂浜は、波に削られてほとんど消えてしまった。昔、子どもたちが遊んだブランコが、錆びついたまま寂しそうに揺れている。

ある日の夕方、台風が接近して大雨警報が出た。みんなが持つ端末に、無機質な文字で「危険が迫っています。避難してください」という文字が出る。でも、それだけだった。いざという時に誰が誰を助けるのか、何も決まっていなかった。避難の道や役割を訓練で確かめず、助けが必要な人の情報も共有されなかった。ぼくは、ただ祈ることしかできなかった。

冬になっても森は鹿やイノシシが増えすぎても、誰も対策しなかったので若木は育たず、畑や果樹園も荒らされた。子どもたちの遠足は中止になり、森からは鳥の声も消えていった。

ぼくは、この未来をただ見ていることしかできない。たくさんの「何もしなかった」が積み重なり、この町を、ぼくを、静かに、でも確実に弱らせていったんだ。あと、どのくらいぼくはもつだろうか......。滅びゆくのも運命なのかもしれないけれど。

町であるぼくの願い

これは、ぼくが想像した、ふたつの未来の物語。山や川を手入れし、海を掃除し、防災の計画を作り、自然と仲良く暮らす未来が来て欲しいとぼくは思うけれど、なりゆきに任せていたら、そんな未来は訪れないだろう。この町がどんな未来を歩むのかは、みんなの今の選択にかかっている。一人ひとりの小さな行動が、ぼくの、そしてみんなの未来を変えるんだ。

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