中尾正義
はじめに
ノーベル賞が授与された研究は、その研究活動が受賞に遡ること数十年以前に行われたものが多いとのことです。しかし、「当時、この研究が非常に重要だと思われていました」もしくは「極めて必要だと考えられていた研究課題でした」というような話はほとんど聞いたことがありません。受賞された方々の喜びの言葉では、「当時、好きな研究を自由にやらせて頂いたおかげです」という趣旨のコメントが多く聞かれます。ほとんどであると言っても良いでしょう。
人々が賞賛する研究成果は、「好きな研究が自由にできる」という、自由闊達な土壌を持つ研究環境の中で生まれたということです。何者にも束縛されることなく、個人の探究心もしくは好奇心の赴くままに、自由に行われることによって達成されたと考えて良さそうです。つまり研究活動の自由というものが極めて大切だということ示唆しています。いわゆる「学問の自由」です。
「総合研究」と呼ばれる研究形態をとる研究にとっても、自由闊達な課題設定が必要であり、極めて重要です。「総合研究」が、現時点での社会的ニーズが高い研究課題だけにとらわれることなく、多様にその研究を推進することこそが、学問が社会に大きく貢献する方策であると考えます。
学問の自由
「学問の自由」とは、「真理探究の自由」と言い換えられてもいます。何を研究するかという、課題設定の自由がまず重要です。加えて、その成果として得られた学問的見解の自由が、その発表・表現の自由並びにその見解を教育する自由を含めて、大切だと考えられています。
「学問の自由」が認められるようになるのには長い道のりがありました。「絶対的真理」を独占していたカトリック教会と学問との軋轢が、われわれが「学問の自由」を得るための長い道のりの端緒でした。宗教との長い戦いの末、1849年になってようやく、ドイツのフランクフルト憲法152条に「学問およびその教授は自由である」と書かれたとのことです。このことを嚆矢として、その後多くの国の憲法に、「学問の自由」が謳われるようになったのです(伊ヶ崎、2001)。
わが国では、宗教というよりは、時の政権と学問との相克とが問題になりました。たとえば、江戸幕府による学問弾圧とされるシーボルト事件はその一つの例です(向坂、1952)。明治期以降でも、わが国では、学問がその自由のために戦った相手は主に時の為政者達でした。
昭和に入って、日中事変から第二次世界大戦へと戦争体制が強化されるにつれて、権力者側による「学問の自由」への圧迫が強まりました。美濃部事件や滝川事件、河上事件などに代表されるように、当時の帝国大学での研究に政府が様々な介入を行い、学問の自由が脅かされてきたという歴史があります。その反省から、戦後制定された日本国憲法では、その第23条に「学問の自由は、これを保障する」と書き込まれています。
さらに教育基本法には、第7条の第1項に、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」とあり、第2項に、「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」と、学問の府である大学の自主・自律性が謳われているのです。
このように見てくると、「学問の自由」は、時の権力へ奉仕するのではなく、学問が独自に、自由に活動することによってこそ、新たな知見を創造し、社会の発展に貢献できる、と考えることができます。
わたしたちの社会は、時間の流れの中で様々な変化にさらされてきました。大規模な自然災害に直面したこともありました。革命もしくはそれに類似した大きな社会変革も幾度となく経験してきました。あらかじめ想定できないような大きな、あるいは急激な変化が我々の社会に生じたことがたびたびありました。そのようなときの対応に威力を発揮してきたのが、それまでにわれわれ社会に蓄積されていた学問的成果の数々でした。そのことによって、想定外の変化に対するわたしたちがとるべき対応にヒントを与えてくれたからです。想定していなかった変化への対応ですから、それらの知恵はあらかじめ意図的に準備していたわけではありません。
多様な学問の蓄積があればこそ、その中には、突然降ってわいてきたような問題への対応に用いることのできる知恵を、何がしかは見つけることができるのです。少なくとも、必要な知恵が含まれている可能性が高まるのです。だからこそ、「学問の自由」を担保することによって、その成果としての、多様な知見・知恵を創造して蓄積しておくことが重要だと考えられます。
自由な研究活動の原動力となるのは、研究者個々人の探究心もしくは好奇心といえるでしょう。これら個人的な欲求を妨げることなく自由に伸ばせる機会が得られる訳ですから、学問的活動は活性化します。そして、どんな課題の研究活動も許容するということによって、結果として得られる成果は実に多種多様なものとなります。つまり多様な学問的成果が実現することになるのです。ある種の研究の推進を阻害すれば、その研究によって得られるであろう成果は失われます。学問全体としての成果の多様性がその分失われるのです。
つまり「学問の自由」は、ある時点における価値観を基準にして学問的活動の選択をしたり、当該活動の優劣を決めたりしてはいけないということです。ある時点における価値観の代表として最も問題になるのが「時の権力者の意向」です。だからこそ「学問の自由」を守り、権力の介入を阻止すべしということに?がるわけですが、そのことだけに意味がある訳ではありません。より積極的に、現在は想定できなくとも、将来必要とされることになるかもしれない実に多様な社会のニーズに対応可能な、多種多様な成果を生み出すためにこそ、「学問の自由」が極めて重要だと考えます。近視眼的ではなく、長い時間スケールで物事の価値を考えると、「学問の自由」の重要性が鮮明に認識できるような気がします。
総合研究
問題解決志向型研究と呼ばれる研究のタイプがあります。このタイプの研究の場合は、研究の目的が出発点だという特徴があります。問題の解決を志向して研究を行うわけですから、解決すべき問題がはじめにあり、それを解決するために研究が企画されます。解決に必要だと思われる分野の研究者や技術者、行政の担当者や市民など関係者の組織化、そして問題の解決に向けたアプローチの企画などです。したがって、これらの研究は、いわゆる政策研究に非常に近いともいえるでしょう。場合によっては、政策研究そのものであることもあるでしょう。
このタイプの研究では、問題の解決という研究目的(出口)が研究の出発点になっています。そのために、必要な人材や研究アプローチは、特定の研究分野に関連したものに限られるというようなことはまずありません。ありとあらゆる選択肢の中から、必要な様々な分野の人材を糾合して目的を達成しようとするからです。その取り組みは専門性などにとらわれず、総合的にならざるを得ないのです。つまり、問題解決志向型研究は総合研究であるともいえます。
総合研究とは、一つの専門分野に閉じることなく、多くの分野の専門家を組織化して、設定した研究課題を共通のものとして、係わるもの全員で同一の研究目的に迫る研究です。そういう意味で、問題解決志向型の研究はまさに総合研究のひとつといえるでしょう。
文系、理系の研究者の協働による総合研究の一つの例として、問題解決型もしくは問題解決志向型の課題があると考えられています。多くの人々にとって、問題解決志向型研究は世の中に必要な研究だと認識されています。
たとえばその代表格ともいえる防災分野の研究は、特定の研究分野に偏するものではなく、総合学問であると位置づけて、全学問分野の協働のもとに、災害を防止あるいは災害の軽減を目指すという出口からスタートして推進すべきたと考えられています。この考え方は、2011年3月の東日本大震災以降、特に顕著になっています(中尾、2012)。災害は、人と自然の関わり方によって生じるという認識に立つ最近の防災研究は、理系と文系との両者に係わる総合研究であり、また、問題解決志向型研究の典型だと考えることができます。様々な災害にさらされているわが国にとって、まさに必要な研究です。
近年のわたしたちは、混沌とした現代の大海原に漂っていると例えられることがよくあります。人々は海の中で溺れる危険にさらされています。泳ぎを知らない多くの人にとっては、泳ぎ方の習得は喫緊の課題です。泳ぎを習得できなくとも、近くに船というものがあって船に拾われれば危機を回避することができます。したがって、船の作り方を開発し、大海原を漂う人々に船という危機回避手段を提供することもまた極めて重要です。つまり、泳ぎ方の専門的な指導や、みんなが乗り込むことができる船を建造するという取り組みにたとえられる、極めて重要な研究課題があるということもできます。
これらは、まさに現代においてニーズの高い研究課題です。溺れる人々を対象とする泳ぎ方の指導や、泳げない人々に提供する船の建造に関わる課題などです。これらに限らず、他にも、人々が何とか生き延びるための方策を提供するための様々な研究課題があるでしょう。目の前にある問題の解決を志向した、様々な分野の研究者が一丸となって取り組むべきまさに総合的な研究課題も多々あるかもしれません。問題を出発点とする研究ですから、一般的には、総合的に取り組むことになる場合の方が多いことでしょう。総合的な問題解決志向型の研究というわけです。
このように、今の課題(目的)の解決を目指す上述のような直接的な研究は、溺れかけている人々にとっては極めてありがたい研究です。しかしながら、生命は助かったとしても、混沌とした大海原に漂う我々人類には次に大切な課題が待ち受けています。それは、命は助かったとしても、今後、泳いで(あるいは船で)どこへ行くべきなのか(目的地)を考えなくてはいけません。
その探求には、上述の問題解決志向型の研究だけでは無力です。つまり、目の前の問題への対応だけでは、社会が必要とする知恵のすべてを得ることは難しいのです。目の前の問題がクリアーになった後、さて、ではどこへ向かおうかという、次の重要な課題が出てくるのです。そのための知恵を得る努力をなおざりにしておいて良いはずがありません。
多様な総合研究を
生きる目的を探す、あるいは、生き抜いた後どこを目指すのかという課題、これは問題解決志向型の研究ではありません。学術研究の根本ともいえる課題でしょう。このような課題の場合でも、狭い専門分野にとらわれない、総合研究としての取り組みは極めて有意義です。というか、まさに総合研究によってこそこれら根本的課題への回答に近づくことができるのではないでしょうか。
確かに問題解決志向型の研究は総合研究的な取り組みが有意義な場合が多いでしょう。しかし前段で述べたように、逆は真ではありません。総合研究は問題解決志向型の研究には限らない、ということです。そして前節で述べたように、人類に必要になるかもしれない多様な成果を蓄積するためは、問題解決志向型研究に限らない、多様な総合研究を推進していかなくてはなりません。
ところが、かくも問題が山積している現代だからこそでしょうが、目前の課題の解決に?がらないような研究を切って捨てようという風潮があります。「目の前にこんなに問題があるのに、これら問題の解決に?がらない研究などすべきではない」という考えです。「この有事に、勝利に貢献しない研究などするべきではない」という、まさに近視眼的な、大政翼賛会的な発言だと言わざるを得ません。
これは戦時下の研究に限りません。多くの人が共感する災害研究こそが大事であって、自由な研究なぞするべきではないという言説が意外に共感をよんだりする傾向があるものです。だからこそ、現在みんながその意義を認める分野以外の総合研究を、例えその意義がよく分からないにしろ、推進することの重要性を知り、そして推進するべきなのです。
ともあれ、「すべき研究」をすることは重要です。しかしここで指摘したいことは、「すべき」ことをする場合には、そのことは「すべき」なのですから、「しない」人に対して一種のいらだち、あるいは、しないことへの糾弾に?がる場合が多いということなのです。「したい」という自らの意思で物事を進める場合には、そのことを「しない人」に対して特に要請する気持ちにはなりません。いわば自らの嗜好に従って物事をなすのですから、一種の遠慮こそあれ、「しない人」に満足しない気持が生まれることはまずありません。しかし「すべき」と自らが認識して努力している場合には、「しない人」への「いらだち」が生まれるのです。なぜなら、そのことは「すべき」なのですから。
鬼畜米英との戦いに勝利するために一億奮励努力しているときに、恋愛問題にうつつをぬかしたり、趣味的な研究を行ったりする人々を糾弾したくもなるでしょう。大政翼賛会や隣組のおじさんおばさんによる「非国民!」呼ばわりは、ある意味当然なのです。
このような戦前の状況が何かしらおかしいということは、現在では多くの人が認識するでしょう。 しかし、災害への対応を考えてみるとどうでしょうか。たとえば東日本大震災を経験した時に、あのような大惨事を今後無くするための努力は「すべき」いうことに異論は無いでしょう。あの大災害からの復興を進める努力も当然「すべき」でしょう。しかし、だからといって、「この有事に際して、我々の活動はすべて災害対策や復興推進のための活動以外はするべきではない」という言説は、米英との戦争に勝利するための一億総決起」と大きく違わないのではないでしょうか。
総合研究においても、「学問の自由」に根ざした、問題解決を志向するタイプの研究に限らない、多様な「総合研究」が展開されることを願って止みません。
参考文献
伊ヶ崎暁生(2001)『学問の自由と大学の自治』三省堂、pp.248.
向坂逸郎 編・著(1952)『嵐の中の百年―学問弾圧小史―』勁草書房、pp.214.
中尾正義(2012)「問い直される学問のあり方」雪氷、74(1)
(2018年10月)