総合地球環境学研究所の近藤康久准教授と東京大学、早稲田大学、名古屋大学、北海道大学、国立極地研究所等の研究グループは、現生人類ホモ・サピエンスのうち最初にユーラシア大陸に広がった集団が、どこを通りやすかったかということを、考古学のデータと古気候のモデルを組み合わせた空間分析により明らかにしました。
この研究成果は、2017年12月8日に、Springer Nature Singapore社から刊行された成果論文集『The Middle and Upper Paleolithic Archaeology of the Levant and Beyond』の一章としてオンライン公開され、2018年1月に出版されました。
これまで、初期のホモ・サピエンスがいつ、どのような経路でヨーロッパやアジアへと移動したかについて、考古学、自然人類学、集団遺伝学など、さまざまな視点で検討されてきましたがまだ確証は得られていません。今回、研究グループは、考古学データと古気候のモデルを組み合わせたシミュレーションによって、通りやすい経路を推定することを目指しました。まず、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの20万年前から2万年前の遺跡の情報を網羅的に収集したデータベースから、ホモ・サピエンスがユーラシア大陸で用いた最古の石器群と考えられる上部旧石器初頭石器群(約4万7千年前〜4万5千年前頃)の出土が確認された遺跡28か所を抽出しました。このうち最南端のヨルダンの遺跡から、最西端のヨーロッパの遺跡や最東端の南シベリアの遺跡までの最適経路を、当時の亜氷期-亜間氷期の気候変動サイクルを再現した最新の古気候モデルに基づくシミュレーションにより推定しました。その結果、この石器群をもつ人類集団がヨルダンを含むレヴァント地方からユーラシア大陸の東西に拡散したと仮定すると、トルコのアナトリア高原を経てヨーロッパへ向かう経路(図1A)と、コーカサス山脈を越えてロシア平原に向かう経路(図1B)、イランから中央アジア・シベリアへ至る経路(図1C)がもっともらしいことが分かりました。
今後、この経路上に上部旧石器初頭石器群と類似の石器群が見つかれば、実際に最初にユーラシアに広がった人類集団のたどった道すじであったことが実証されることが期待できます。
図1 気候が比較的湿潤だった時期(亜間氷期)に、最南端の上部旧石器時代初頭の遺跡(ピンクの○)を起点として同じ石器群を持つ遺跡に向かう最適経路(白い線)
Aはアナトリア高原、Bはコーカサス地方、Cはイランから中央アジアを通る。
○は、上部旧石器時代の遺跡を示す。
<論文タイトルと著者>
表題:Ecological Niche and Least-Cost Path Analyses to Estimate Optimal Migration Routes of Initial Upper Palaeolithic Populations to Eurasia.
著者(所属):
- 近藤康久(総合地球環境学研究所;考古学・地理情報学)
- 佐野勝宏(早稲田大学高等研究所;考古学)
- 大森貴之(東京大学総合研究博物館;年代学)
- 阿部彩子(東京大学大気海洋研究所、海洋開発研究機構;古気候学)
- Wing-Le Chen(東京大学大気海洋研究所;古気候学)
- 門脇誠二(名古屋大学博物館;考古学)
- 長沼正樹(北海道大学アイヌ・先住民研究センター;考古学)
- 大石龍太(国立極地研究所;古気候学)
- 小口 高(東京大学空間情報科学研究センター;地形学)
- 西秋良宏(東京大学総合研究博物館;考古学)
- 米田 穣(東京大学総合研究博物館;年代学)
掲載誌: The Middle and Upper Paleolithic Archaeology of the Levant and Beyond. In: Nishiaki Y., Akazawa T. (eds), Replacement of Neanderthals by Modern Humans Series. Springer, Singapore, pp. 199-212.
https://doi.org/10.1007/978-981-10-6826-3_13
<経費について>
この論文は、2010年度から2014年度にかけて実施された文部科学省科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化に基づく実証的研究」(領域代表者:赤澤 威・高知工科大学名誉教授、計画研究A01代表者:西秋良宏・東京大学総合研究博物館教授、同A03代表者:米田 穣・東京大学総合研究博物館教授)による学際共同研究の成果の一部です。