多様性の森から〜いろいろであること〜

 いま日本では、そこら中にものがあふれていて、実に多様な生き方ができるかのようにみえる。デパートの食料品売り場や小物売り場にあるもののかずはいくらくらいなのだろうかと思うほどである。いろいろな道具も売られていて、いろいろなものを作ろうと思えば素人にでもできるようになっている。あまりにものが多すぎて、何に使われるのかさえわからないものもたくさんある。我が家を見渡しても、じつにいろいろなものが所狭しとおかれている。もし我が家が火山の大噴火か何かで埋もれてしまい、それを二千年後の考古学者が発掘したとすればどうだろう。コップ、スプーン、皿、はさみなど、二千年後の考古学者にもそれがなんだかわかりそうなものもあるが、何のためのものだかさっぱりわからないだろうと思われるものも多い。ケータイはじめその充電器、爪切り、オーディオ機器のリモコン、CDのケース、菓子の袋に入っていた乾燥剤などなど。台所へ行けばもっとすごい。野菜の皮むき、レモン絞りなど、どれもこれも用途がさっぱり不明なものだらけである。少し前にはやった、ゆで卵を輪切りにする道具とか鮫皮のわさびおろしなどになると、若い世代には何をするものなのかわからないという人が多いのではないかと思う。

 これだけものが増えると、人間は怠慢になって、工夫するということがなくなる。手先も不器用になってしまうに違いない。悪く言えば、物の氾濫によってからだも頭も使わない体質のようなものが出来上がってしまっている。しかしこうした物質的豊かさ、多様さの反面、今の日本の社会はといえば一様な価値観にむかってつき進んでいるかのようである。建前としては「多様性」をいいながら、その実一様化の道を進む日本。いったい多様性とは何なのだろうか。多様であることはなぜ必要なのか。ここでは多様性について少し考えてみたいと思う。

 かつて私が所属していた日本のある研究所に、フランス人の女性留学生がいた。フランスの女性という一般的なイメージにはおよそそぐわないなかなか快活な彼女は日本語も堪能で、「歯に衣着せぬ」とばかり思ったことはずばずば言った。彼女はとくに、自分というものにこだわった。「フランス人はどうなの?」などと聞こうものなら、よくシラク大統領がテレビの中でするように、眼をくりくりと丸くし、首をすくめ両手を広げて、
「ああ、私、フランス人のことは知らないの。私は私だから」とくる。

 「私たち」、という表現をすると、「わたしたち? 複数?あなたと、それから誰?」といわれてしまう。ずいぶん我の強い彼女ではあったが、いやな感じは不思議としなかった。
 そんな彼女が日本に来たばかりのころ、3時のお茶の時間に、日本の少年院が開放的だ、といったことがある。彼女の住まいのそばで、丸刈りの少年たちが番号を書いたゼッケンを縫いつけた青い制服姿でジョギングをしているのに出くわすことがあるのだという。少年院など近所にはないし、それに日本の少年院が開放的とは絶対いえないのになあ、と思っていると、彼女と同じ町内に住むアルバイトのKさんが手をうって言った。
「それ、少年院じゃないよ。中学の部活だよ。ブカツ」
「ブカツ?」
「体育系の部活。生徒が放課後ランニングをしているの。少年院じゃないの」
「ああ、チュウガクね。学校ね。少年院かと思ったよ。アハハ」
 彼女には、丸刈りでゼッケンつきのジャージのユニフォームが、学校の生徒たちのいでたちとしてはおよそ不似合いなものに見えたのである。彼女もびっくりしただろうが、私もびっくりした。フランスが個人主義の国、とは聞いていたが、日本の学校の当たり前が向こうの少年院と同じとなると、こればびっくりを超えてショックですらある。
 たしかに丸刈りもゼッケンも、いろいろないでたちを否定している。なぜ丸刈り? と先生たちに聞くと、そのほうが清潔だから、というわけのわからない答えが返ってきた。清潔かどうかは本人の判断に任せればいいわけで、何も学校がどうこういうことでもないと私は思ったが、先生たちはそうは思わなかったようだ。そこで、なぜゼッケン? と聞いてみたが、もうひとつはっきりしない。どうやら皆がジャージのユニフォームに丸刈りなので、遠くからでは誰が誰だかわからないから、ということらしい。
「おーい、そこのゼッケン●●番! おしゃべりしてないでまじめに走れ!」
などとやれるわけだ。個人の生き方や考え方より、ここでは学校運営の効率性のほうが優先された、ということだろう。

 考えてみると、住んでいた町自体が画一的な雰囲気に包まれていた。新興の住宅地が多く、そこではどの家も同じような広さの土地と似たような間取りの家をもっている。父親はみなサラリーマン。年齢も違わない。いきおい、生活スタイルからものの考え方まで、何から何までが似通ってくる。近くに大きな工場があり、団地全体が企業城下町化して、工場の運動会の日程が街の行事の日程を決めてしまったりもする。こうして実に画一的なつくりの街が出来上がる。30年たてば住人の平均年齢も30歳高くなる。子どものはしゃぎ声が飛び交っていた街がひっそりと静まり返ったシニアタウンになってしまう。
 親の職業が似ている街ではじつに妙なことがおきることがある。茨城県のつくば市一帯には国の研究所が固まる「つくば学園都市」があるが、そこのある小学校では、クラス30数人のほとんどの父親が博士号を持っているという。普通の社会なら「博士号」など会話に登場することさえないはずなのに、ここでは、父親たちが運転免許証のようにごくあたりまえに博士号をもっている。これでは学校の先生もさぞかしたいへんだろうと同情してしまった。
 反対に昔からの街では、隣は魚屋、むかいは神主さんという具合に職業も多様だ。家の大きさやつくりも、商売に応じて多様である。朝から飲んだくれてる親父もいれば、時計のように正確に家と会社を往復するサラリーマンもいる。人にはでき不出来、得意不得意があるのだということは、教えられなくとも周囲を見れば自然に学習できる。年齢構成も多様なので、街の年齢構成はいつも変わらない。もし私が地球に住む人類の調査を命じられた宇宙人ならば、間違いなく、昔からの町のほうを調査するだろう。なにしろそこには、赤ん坊から年寄りまであらゆる世代の人びとがいるのだから。こういうところではものの考え方は多様化し、なかなか一色にはなりがたいのだとおもう。
 新興団地型の社会がよいか、それとも昔からの社会がいいかは人によって意見がわかれる。企業城下町など真っ平という人もいれば、昔からの街や家などプライバシーもなにもあったものじゃない、と敬遠する人もいる。どちらがいいとか悪いとかは一概には決まらない。ただ、いろいろな存在に囲まれて生活することで、選択肢や考え方の幅がひろがるであろうことは確かと思われる。


 ここで私は、いろいろな存在との共存 −多様性− がよいこと(もの)であるというスタンスでこの文章を書いてきた。だが日本には、「いろいろな存在」との共存を良しとしない文化があることも事実である。それがいつのころからのものなのか私は知らないが、その片鱗が「雑」の字のつくことばにあらわれているとおもう。
雑という字を辞書でひいてみると、いろいろなもの、という意味のほかに、取るに足りないもの、ごちゃごちゃとわけのわからない状態、という意味があることがわかる。前者は多様な状態を客観的に表したものだが、後者はあきらかに否定的意味合いをそのなかに込めている。じっさい「雑」の字のつく熟語を集めてみると、このふた色に分かれることが知れる。例えば前者の意味で使われる熟語としては、「雑記長」、「雑誌」、「雑感」、「雑食」、「雑種」、「複雑」などがある。後者の意味で使われるのは、「雑念」、「雑草」、「雑木」、「雑巾」、「雑然」、「雑踏」、「雑駁」、「雑穀」、「雑学」、「雑多」、「雑夾物(夾雑物ともいう)」などたくさんある。むろん2つの意味があるといっても、同じ語で否定的意味合いを持ったり持たなかったりするものもある。例えば「雑種」の語は、「うちの犬は血統書つきじゃなくて雑種」という場合のように否定的な意味合いをもつこともあるし、生物学者が使う、「ライオンと豹の雑種」のように、価値判断を含まないこともある。私の感覚では後者は前者よりずっと多いように思う。つまり日本人の感覚では、「雑」はあまりよくないという価値判断を含む語であるように私は思う。
 これらの語の語源は知らないが、近世以降の社会で人びとの共感を得て使われるようになったのではないかと思う。近世末の日本は、西洋人の目には、技術的には西洋に大きく立ち遅れた遅れた社会であるにもかかわらず、主に日本人の勤勉性によって高度に洗練された社会に映ったようだ。かの探検家シュリーマンも日本見聞の後に次のように書き残している。

 「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化している。なぜなら日本人は工芸品において蒸気機関を使わず達することのできる最高の完成度に達しているからである」(「シュリーマン旅行記、石井和子訳、講談社文庫」、一部改)。

 明治維新以後、日本は富国強兵、文明開化と西洋に近づこうとしたが、その妨げになるのは伝統的な価値観と多様な存在であった。「雑」なるものは、さらに疎んじられた。当時は今の世の「グローバル化」の時代と似たところがあったのではないかと思う。今のグローバル化は文字通り地球規模でのグローバル化であるが、当時のそれは日本列島の中でのグローバル化、つまり全国統一だったのである。効率化を求めて、伝統的な価値観と多様な存在は切り捨てられていった。「雑」の概念が定着する背景には、こうした社会変化があったのではないかと思う。
 グローバリゼーションの動きも、多様な価値観の喪失を招いている。私は、グローバリゼーションという言葉もその中身もあまり好きではない。この言葉を聴くと、なにか「葵の印籠」のような押しつけがましさ、胡散臭さを感じるのだが、そう感じるのは私だけではないと思う。胡散臭さの原因はいくつかあるが、ひとつには「グローバリゼーション」の少なくない部分が「アメリカナイズ」と同義と思えるからである。いささかへそ曲がりの私は、周囲ではアメリカ嫌いで通っている。アメリカナイズを受け入れたくない理由は比較的はっきりしていて、アメリカの文化が、とかく自分を国際的スタンダードと勘違いしているように思えるからである。これは私の偏見なのかもしれないが、飛行機の巡航高度がフィートで、距離がマイルで表示されるなど、国際的スタンダードでいけば当然メートル法を使うべきところなのに、米国の文化はまずそうしない。そのあたりから、私のアメリカ嫌いは始まっている。
 グローバリゼーションによからぬ思いを抱くもうひとつの理由は、グローバル化したものの中には人間にとって都合のよいものは案外少なく、むしろ鳥インフルエンザ、新型肺炎、BSEなどの病気はじめ、ありがたくないもののほうが多いように思えるからである。
 グローバル化も、ほうっておけば進むところではどんどん進んでゆく。好むと好まざるとによらず、世の中のいろいろなものがグローバル化しつつある。それをみていると、お題目のように「グローバル化」などとことさらにいうこともあるまい、と思うのも、もう一つの理由である。

 日本の社会が多様な存在を認めたがらないもうひとつの動機は、おそらく「公平」「平等」という思想にあるのではないかと思う。公平も平等も、もともとは輸入された思想だった。輸入されて間もないこの思想は、完全に咀嚼されることなく、もっぱら学校教育によって社会に浸透させられた。これらは近世以降の「横並び」の生活習慣と妙にマッチし、言葉として受け入れられていったものと思われる。
 大学にいたとき、毎年のようにセンター試験の試験監督をさせられた。毎年1月の中ごろに全国いっせいにおこなわれる、大学入試の前哨戦のような試験である。全国何十万という受験生がいっせいに受験するわけだから、試験の総本締めである大学入試センターは、「公平」であることにことさらに気を使う。試験時間は言うに及ばず、受験生へのアナウンスなど、制御可能なことがらについては完全に公平でなければならない。というわけで、試験監督が持つマニュアルには、何時何分には以下のアナウンスをする、という事柄が厳密に定められている。アナウンスの内容は一言一句決まっていて、監督はそれをそのマニュアルのとおりに読むことになっている。
 もうだいぶ前のことになるが、試験2日目の最後の科目の試験が終わったとき、私は教室の受験生たちに思わず、「ご苦労様でした」といってしまったことがある。あとで相棒の監督である高校の先生に −私の試験会場では大学の先生と高校の先生がひとりずつの二人でチームを組み、ひとつの教室を受け持つことになっていた− 
「先生、ご苦労さまなんて言っちゃだめですよ」
といわれてしまった。高校の先生と違って、大学人はおよそ「マニュアル通り」がへたくそである。わたしもついつい余計なことを言ってしまったのだが、後で大学の仲間たちとの慰労会のときに、このことが話題となった。二日間にわたる監督業に疲労困憊の私たちは、
「そんなに公平をいうなら、うんと短いミニスカートを穿いた女性教授は監督をしてはいかんということになるだろう。俺たちみたいな人相風体の悪いやつらは受験生に恐怖心を与えるから不公平、ということになって、『来年からは監督をせんでよろしい』という具合にならんものか」
などと勝手なことを言って大いに盛り上がったのだった。
 この話には後日談がある。人相風体、は冗談としても、「あまり短いミニスカートは控えるように」というお達しが、いつのころからか監督たちに口頭で指示されるようになったのだ。このお達しには、さすがに、お堅い「監督説明会」の会場も笑いの渦に包まれた。毎年、大学入試センターには、監督の態度にいろいろなクレームがくるらしい。「ケータイメールに一生懸命で、手を上げたのに気づいてくれなかった」という、クレームがつくのももっともと思われるものもあったが、なかには「巡回に歩き回る監督の足音がうるさい」「鼻毛をむしるのをやめて欲しかった」など、首を傾げたくなるようなクレームもあるらしい。なるほど、そんなクレームにまで気を使っていれば、ミニスカートも当然問題になるのだろうと、妙に納得してしまった。

 「公平」、「平等」は学校社会ではとくに好まれる思想である。しかしその意味は人や立場によっていろいろである。例えば、「生徒が平等に評価される」というとき、みなが一律に同じ点数になるようにするのが平等なのか、個々人が払った努力の量に対して平等であるべきなのか。また努力に対して平等といっても、例えば皆勤であることが大事なのか、授業はサボっても点数がよいことが大事なのか。などと考えると、平等も公平も意外にむずかしい。ともかく横並びが好きな日本人には、平等や公平は受け入れられやすい思想である。もっとも日本人が横並びになったのはそう昔のことではなさそうだ。横並び意識の歴史はおくとして、それが多様な価値観や存在を拒否することは容易に想像できる。いま、小中学校でも友だちと違うことに敏感な子が多いという。違うというだけでいじめの対象になるのだそうだ。人と違うことをよいことと教える風土が、これからの学校教育の現場には必要である。

人と違うことをやる− 研究者は誰もがそう願ってきた。人と違う発想をすること、人とは違った業を編み出すこと、それらは大学人の誉れだった。反対に人と同じような研究をすることは軽蔑の対象でさえあった。ところが最近の大学人をみていると、人と同じことをやる人たちが増えた。似たような発想の研究を似たような手法でやって、それをなるべく多くの研究者が読む学術雑誌に載せること、それが最近のトレンドである。それも、「多様性」をいう生物学者や文化人類学者までが、他人と同じような研究を志向する。これにはつくづく考えさせられてしまった。

 あきれたことに、今ではいろいろな学術雑誌に点数がついている。それもグローバルに点数化が進んでいる。自分が書いた論文が載せられた雑誌の点数の合計がその研究者の点数になる。だからみな、なるべく点数の高い雑誌に論文を書こうとする。雑誌のほうは雑誌のほうで、自分の点数を高めるために役に立つ論文を載せようとする。このままいけば、学術雑誌の間で点数をめぐる競争が起こり、点数の低い雑誌はどんどん淘汰されてしまう。
 みんなが「人と違う」ことをしていれば、大学は実に多様な人間の集団になって、とりとめはないだろうが、知性の集団として何がしかの役割を果たすだろう。だが、みんなが同じことをするようになると、どの大学も同じということになって、「こんなにたくさんの大学はいらない」といわれてしまうに違いない。大学が生き残る道はただひとつ、他の大学と違ったことをすること、である。
 先生たちがそうなのだから、大学院の学生たちもそのまねをして、似たような研究を志向するようになる。早くデータを出して論文を書き就職するためには、それが手っ取り早いからでもある。彼らが、彼ら自身の研究のテーマを選ぶとき、何が面白いかでなく、何が注目されるか、何が論文になりやすいかと考えるようになってしまっているのをみるのは気の毒でさえある。

 大学の大きな使命はすぐれた人材を世に送り出すことにある。そこで大学も授業を重視することになる。ところがこの授業の様子も最近はだいぶ変わってきている。このごろの大学では、先生の授業に対して学生が点数をつける「授業評価」というのがはやっている。先生が学生に点数をつけるように、学生が先生の授業に点数をつけるのである。評価の方法や項目が大学によって多少違うところが救いだが、将来はこれも統一されてしまうかもしれない。
 多くの大学の評価項目にあげられているのが、「わかりやすさ」である。要するに、はきはきと聞き取りやすいしゃべり方をしたか、が問われているのだ。私たちが学生のころの哲学の先生のように、口の中でもごもごと何かを言い、窓の外を見てはまたぼそぼそっと何かを言う、などは失格である。でも、あの、わけのわからない話がいかにも哲学で、その雰囲気のゆえに人気のある先生もいたが、今はそんな教授はお呼びでないということだろう。

 わかりやすさの2つ目は、プリントをこまめに配ったり、ビデオやパソコンを駆使した、ビジュアルな講義になっているかどうか、というところだ。プリントを配れ、というのはまだわかるが、ビジュアルにしろといわれても、それができる分野とできない分野とがある。さきほどの哲学の話など、ビジュアルな話とはおよそ無関係に思われるし、だいいち哲学の話など、じっくり聞いてじっくり考える以外理解の手はないのではないか。そのような講義に、ビジュアルという意味での「わかりやすさ」を求めるのは筋違いである。実際、一般教養科目の(もっとも今の大学には一般教養とか教養課程などというものがなくなってしまっているのだが)哲学など、不人気科目の最たるものにされてしまっている。
 それでは困るというので、大学のほうでも「生き方を考える」などという「わかりやすい」授業名をつけてカムフラージュしているようだが、学生の関心を惹くのはなかなか大変なようだ。結局、授業は、「わかりやすい」というお題目のもと、安直なものばかりが残されてゆく傾向にある。
 授業評価の点数は、教授たちの「勤務評定」のようなものだ。勤務評定を絶対悪と決めつけるつもりもないが、ここ何十年にわたり「評価」とは無関係な世界にすんできた教授たちにとって、それは「学術雑誌の点数」同様、なかなかショッキングなできごとである。とにかく今まで、人を「優」、「良」、「可」、「不可」の四つに分けるのが仕事だったのが、突然今度は分けられる側にまわったのだから。なんとか「優」の座におさまろうとがんばる教授がいると思えば、「なにが評価か」とばかり、知らぬ存ぜぬを決め込む教授もいる。しかしいずれは「授業評価」が教授への昇任やボーナスの額にも影響を及ぼしかねないとなると、知らんふりもできなくなる。それによって質の悪い講義も減るだろうが、骨のある、ほんとうに面白い講義が淘汰される危険性がないわけではない。結局は、悪貨が良貨を駆逐する、ということになるのだろうか。とにかく、いろいろな意味での多様性が失われてきていることだけは確かなように思われる。

 大学から失われたものでもう一つ、つくづく惜しいと思うのは名物教授の存在である。昔はどの大学にもどの学部にも、一人や二人、名物教授といわれる先生たちがおられた。とにかく面白い講義をする先生、一芸に秀でた先生、大学では見ないけどテレビではしょっちゅうお目にかかる先生など、名物の中身はいろいろだったが、とにかく彼らはその大学を代表していた。私の学生時代にも名物がいた。理学部の寺崎英先生はいつも和服姿だった。研究室は畳敷きで、窓の障子を開けると目の前に大文字山が見えた。こういうのを「借景」というのだと、ばりばりの生物学者が語るところがおもしろかった。文学部のある先生は研究熱心のあまり世間知らずで、初めてトーストを食べたとき目を丸くして『こんなうまいものが世の中にはあるのか。いったいこれは何という食べ物かね?』といって周囲を驚かせたとか、とにかく話題には事欠かなかった。
 国立遺伝学研究所におられたイネの起源の研究の大家岡彦一先生も、名物教授の一人でおられた。先生はとにかく、希代のけちだった。シャーレに敷くろ紙は半分とか4分の1に切って使われた。それも一度使ったものを洗って二度は使うというのだから、半端なけちではなかった。あるとき先生に新聞紙大の白黒の風景写真をプレゼントしたところ、「現像液代が大変だったでしょう。今度から霧吹きを使って現像液を節約する方法を教えるから」といわれてしまった。先生は大の車好きだったが、手に入る限り小さな軽乗用車を好まれた。しかもその軽で、坂の上の研究所から坂下の駅まで、ギアをニュートラルにしたまま走るのが常だった。それがガソリン節約の秘訣だというのが先生の持論だった。その軽で駅まで送ってくださるのはありがたかったが、いつ事故をおこしはしないかとひやひやだった。
 名物教授はどの大学でもぐんと減り、いまやもう「絶滅危惧種」である。あと何年かのうちに、残された名物教授も姿を消すだろうといわれている。名物がいなくなった大学が没個性化してしまうことはいうまでもない。そこへ授業評価などを持ち込んだわけだから、いまやどの大学のどの講義も似たり寄ったりの状態である。講義を受ける側からすればたしかに平等にはなったに違いないが、少し考えるとこのような「平等」はやはり大学の危機、あるいは日本の文化の危機である。今後IT化が進み、インターネットで配信される授業がもっと増えると、同じような授業ばかりができあがることになるだろう。すると同じような講義の間で淘汰が始まる。大学受難の時代の本格到来が始まろうとしている。

 今回、「多様性」ということを、学校などの社会の例に即して考えてきたが、社会は、多様であること、あるいは多様なものに寛容であるときと、反対に集権的で一様、合理化に向かって突き進むときとがある。今はどうも後者の時期のようである。多様な存在の多くは現役から脇へと退かされてゆく。そして引導を渡すときの口実が、「効率的でない」「役目は終わった」などの決まり文句である。しかし、引導を渡され消えていったものを復活させるには長い時間と大きなエネルギーが必要である。中にはいくら金を積んでも復活できないものもある。確かに多様性は確かに必要だとはいっても、多様でないからといって直ちに私たちの生存がおびやかされるわけでもない。しかしそれでも、多様性は、人間社会のみならず自然界にも必要なもののようである。次回以降、身の回りにはどんな多様な世界があるのか、そして多様性がなぜ必要かについて考えてみたいと思う。

佐藤洋一郎, すばる 3月号 P.166-173, 2006