インドシナのスープ麺 

 先月、カンボジアの奥地、ラオスの南端に接するところまで行ってきた。初めてのカンボジア旅行のときにはベトナムから陸路首都プノムペンにたどり着いたが、夜になると銃声とどろく物騒さで、とても食を楽しむ余裕などなかった。その後15年ほどが経過し、カンボジアは少なくとも見かけの上では発展が著しく旅行もどんどん楽になってきた。とはいえ、地方に住む人びとはまだ地雷の恐怖から開放されてはいない。私たちが狙いとするイネの原種も水溜りに生えているので、調査も命がけである。自転車やバイクの轍の上を歩くのが唯一安全な方法と教えられ、それからはずれると文字通り地雷を踏むかもしれないという綱渡りのような緊張感のなかでの調査であった。

 熱帯アジアの地方の調査では、朝食は、屋台か、レストラン(というより大衆食堂)が軒先にいすとテーブルと、ちょっとした調理台だけを持ち出しただけの、簡単な店でとることが多い。そこでの私たちの人気は、簡単にして栄養もあり、かつ比較的衛生的なスープ麺だ。これはタイやインドシナいたるところにあるメニューで、麺の原料は圧倒的に米が多い。太さはいろいろで、中には幅広のものもある。ベトナムのフォーはとくに有名だが、各地に似たようなものがいっぱいある。

 ゆでた麺をどんぶりに入れ、魚肉のミンチボールや豚肉、各種の野菜をトッピングしたものにスープをいれてできあがり。野菜の種類はいろいろだが、ほぼ必ず入っているのがタイ語ではパクチーと呼ばれるコリアンダー(香草)。人によって好き嫌いが分かれ、好む人はほんとうに「はまる」が、だめな人はカメムシの臭いといって敬遠する。タイやラオスでよく見かけるのは、このスープに自分で唐辛子の粉や魚醤、酢などを入れて好みの味付けにして食べるスタイルだ。これだと自分の好みに味付けできるので、このメニューは万人向きである。土地の人の中には砂糖を入れる人もいるようだが、どんな味になるのだろうか。私はこわくて試してみたことはないのだが。

 カンボジアにも似たメニューがあった。ここではなぜか、生のもやしがほんの申し訳程度に小皿についてきた。調査時には生水、生野菜は口にしないという恩師、岡彦一先生の教えに従い、このもやしはゆでてもらって麺にいれる。なんだかラーメンの雰囲気漂う一品ができあがった。唐辛子とパクチーの味が利いたあつあつのスープ麺を平らげると、どっと汗が噴出してくる。このようにして調査の一日は始まる。

佐藤洋一郎, 飲み食い話の玉手箱 (「酒・麺・肴」巻頭随想)