朝鮮半島にある二つの国はもともと一つの国であったが、植民地時代が終わり、南北の解放国がそれぞれ持っていた異なるイデオロギーを選んだのが分断の始まりだった。二つの対立した社会体制は、自分たちが信じて疑わないイデオロギーを背景にして、自分たちの国をそれぞれ作ったのである。そのイメージは、20世紀半ばにおいては、双方ともに夢と理想の輝くものであったが、20世紀後半に両国の差異は決定的なものとなった。片方は経済的に破綻しつつ露骨な軍事国家の道を歩み、国際社会では孤立の道を歩んだ。そして片方は資本主義的欲望の果てに、アメリカや日本と同様の、夢や理想を失った国家に近づくと共に、地球環境への大きな負荷をかける産業構造や都市構造を形成し、21世紀に至ったのである。
しかしながら分断からの60年間、両国は常に「私たちは一つであるべき」という意識を共有していた。にもかかわらず一つになる方法は共有できなかったため、自分たちの思想や体制が相手より優れていることを証明しようとしてきたわけであり、それによって相手を超え、自分たちの思想の下で統一できる方法だと信じてきたのである。
では、こうした国家レベルでの思想的背景のもとで、都市はどのような役割を担い、空間を変質させてきたのであろうか?両国の首都であるソウルと平壌(ピョンヤン)が見せる経済的・社会的格差、あるいは環境問題と密接に絡む都市構造の異相は、イデオロギー的差異の都市への表れと無縁ではない。つまり、二つの首都を読み解くことは、20世紀後半の東アジアにおける二つの新興国家の雄が、何を求め、何に敗れ、そして今にどんな課題をどのように残しているのか、とい
うことを問うことに他ならない。
以上のように、本発表の目的は、具体的には開港期以降のソウルと平壌の都市史をたどりながら、イデオロギーと政治経済社会、そして都市構造に端を発する地球環境問題の諸相へと、歴史的かつ連携的にアプローチする切り口を模索することにある。