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第14回地球研市民セミナーが開催されました。

  2006年9月22日、第14回地球研市民セミナーが開催されました。
地球研の研究プロジェクト「環境変化とインダス文明」のリーダーを務める長田俊樹教授が、インダス文明の衰退に関する研究をもとに、文明が滅びることはどういうことなのかを語りました。
 以下はその要旨です。

「なぜインダス文明は崩壊したのか」

長田俊樹

 インダス文明が四大文明の一つであることは、ほとんどの方がご存じだと思います。ところが、エジプト文明、メソポタミア文明、中国文明と比べると、情報は断片的で、よく知られているとはいえません。じじつ、インダス文明に関する本や研究も大変少なく、最近での唯一の情報源ともいえるNHK四大文明シリーズで紹介された「インダス文明」も、取材制限などがあって、残念ながら、その魅力を十分に伝えられなかったように思います。
 そこでまず「インダス文明とは何か」、そして「インダス文明がどう研究されてきたのか」について、お話ししたいと思います。インダス文明は南北1400km東西1600kmの広範囲に約1500遺跡群が分布しています。これだけの広範囲に、紀元前2500年から紀元前1900年にかけて、都市文明が開花します。下水道が完備した都市の規模が大きく、都市期の期間が短いこと、ピラミッドなどの大型建造物がないこと、それら がインダス文明の特徴です。
 都市として、モヘンジョ=ダロやハラッパーが有名ですが、二つの遺跡は600kmも離れています。最近ではNHKで紹介されて有名になったドーラヴィーラー遺跡をはじめ、ふたつの都市に匹敵するような大きな都市も見つかっていますが、発掘がなかなか進んでいません。これらの都市が紀元前1900年ごろに放棄されたことが考古学的に確認できます。それを我々はインダス文明の崩壊と呼んでいます。
 「インダス文明の崩壊原因」としては、アーリヤ人侵入による都市破壊説が現在でも流布しています。ところが、この説は現在完全に否定されています。まず、アーリヤ人という概念が本来は同じインド=アーリヤ語を話す集団を意味したのですが、それが人種や民族を指すようになったため混同がみられ、アーリヤ人が誰を指すのかはっきりしません。このインド=アーリヤ語の到来は紀元前1500年頃と考えられているので、インダス文明崩壊年代とずれがみられます。また、異人種が到来した証拠が骨の研究などから見つかっていません。
 では、ほかにどんな原因が考えられているのでしょうか。大別するとローカルな環境変動とグローバルな気候変動などがあげられています。また地震などの災害によるという説もあります。しかし、だれもが納得するような説は現在のところありません。
 我々のプロジェクトでは、砂漠に埋もれているインダス遺跡群に注目しています。じつは、ここにはサラスヴァティーと呼ばれる川があったのです。その川がインダス文明期にどこに流れていたのか、いつ流れを止めて砂漠になったのか。それらはまだよくわかっていません。幻のサラスヴァティー川とインダス都市。それらを総合的に研究することによって、この地域の環境史を復元すること、それが我々プロジェクトの目的の一つなのです。
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