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第10回地球研市民セミナーが開催されました。

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 2006年2月3日、第10回地球研市民セミナーが開催され、環境に対する人の価値判断(環境意識)の形成に、どのような「環境の質」が影響しているかについて 吉岡崇仁(地球研・助教授)が講演を行いました。

 以下はその要旨です。

「環境の物語り論−環境の質と環境意識−」

吉岡崇仁

○「物語」やないの?

 はい、「り」がついています。
 「物語」と「物語り」は違うものとして、今晩のところは考えてください。同語反復(トートロジー)ではありません。めんどくさい言い回しですが、「物語」とは、「物語り」という行為によって「物語られたもの」ということになります。

○しかも、「論」までついとる。

 はい。ついています。
 したがって、今回の講演「環境の物語り論」は、環境に関する興味深い「物語」をいくつかご紹介するというものではなく、環境とは、「物語られるもの」であるという位置づけから、何かが見えてくるかも知れない、という内容です。
 「若草物語」とか「子鹿物語」(読んだことありませんが)みたいな美しいお話しを期待されてきたみなさんには誠に申し訳ありません…もっとややこしいお話しです。

○そんなややこし話は、、、

 すみません。
 ややこしいことはややこしいですが、そのややこしさが今の地球環境問題の根源に関わるように思っています。

○ますますややこし!

 この講演では、いくつかの本の内容を少しご紹介しようと思っています。それらは、ちょっと難しい言葉も使われていますが、とてもよくできた本だと思います。

○ほんなら、それ買うて帰るわ。

だから、もうちょっとゆっくりしていってください。本の名前はあとでお教えすることにします。

このように、私たち(研究者?)にとって、みなさんとの会話は、それ自体がとてもむずかしいと感じています。物語りの間に行き違いがあるようです。

 さて、地球研の研究プロジェクトの一つとして「流域環境の質と環境意識の関係解明」という課題を取り上げています。大学院生の時、私は、信州の湖、仁科三湖の一つ、木崎湖という湖で調査をする自然科学の研究をしていました。お師匠さんは、有名な作詞家有名な西條八十の息子・西條八束先生で、湖の見えるところに別荘をお持ちです。それはともかく、自然科学を専門にするものが、環境意識などというものを扱えるのか、とても不安です。しかし、『地球環境問題は、根本的には、言葉の最も広い意味で人問の文化の問題といえる』という地球研の基本理念に照らすとき、その文化を創り出している人間の意識も相手にしなければならないだろうと考えて、このような課題に取り組んでいます。
 プロジェクトは計画の半ばですので、今回ご報告できる成果はほとんどありませんが、その土台、背景を考えるなかで、環境哲学、環境倫理学、環境経済学など、「環境」を冠する人文社会系の分野の本を勉強する機会がありました。そこで考えたことをみなさんに聞いていただき、ご意見をいただければと思って、今回、講演することにしました。
 このセミナーでは、まず、歴史、風景と「私」の関係などを「物語り」の観点から考えます。そして、人びとと環境の専門家との間での見方の違いを「人称」をキーワードに考察したいと思います。そのうえで、「環境意識」が環境に対する人間の価値判断ととらえることなど、プロジェクトの骨格についてもご紹介したいと思います。最後に、プロジェクトで昨年に実施した関心事調査の結果についても、簡単ですが触れてみたいと思います。
 具体的なお話しが少なく、概念的・抽象的な内容が多いですが、退屈なものにならないように工夫したいと思います。
 お話しの中で引用する本は、以下の通りですが、中心になるのは最後の3冊です。

「日本の歴史4 天平の時代」栄原永遠男、集英社、1991.
「日本の歴史5 平安建都」瀧浪貞子、集英社、1991.
「大系日本の歴史3 古代国家の歩み」吉田孝、小学館、1988.
「物語の哲学」野家啓一、岩波現代文庫、2005.
「環境の哲学」桑子敏雄、講談社学術文庫、1999.
「風景の中の環境哲学」桑子敏雄東京大学出版会、2005.

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