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第5回地球研フォーラムが開催されました。

 2006年7月9日、国立京都国際会館において、第5回地球研フォーラムが開催されました。
 地球環境の大きな課題である森林破壊について、東南アジアや日本など地域の問題としてとらえる一方、地域住民や生物、所有者、統治者などの立場を踏まえながら、100年から1万年まで様々な時間軸で考え、解決への道を探りました。
 以下はフォーラムの講演要旨です。

開会挨拶 :総合地球環境学研究所所長 日高敏隆

 本日はお忙しい中、たくさんお集まりいただきましてありがとうございます。
地球研が毎年開催する「地球研フォーラム」も今年で5回目をむかえます。このフォーラムは、地球研の研究成果を今日お越しの皆さまを含め広く社会に発信する場です。日頃の研究を踏まえて、「地球環境間題とは何か?」「将来、地球環境問題はどのようになっていくのか?」「地球環境問題と私たちの暮らしはどこでどのようにつながっているのか」などについて、具体的な問題提起をしたいと思います。その中で皆さんと一緒に地球環境について考えてみましょう。
 これまでのフォーラムでは、地球環境問題の統合的理解、温暖化のゆくえ、生物の多様性、地球上における水のアンバランスなどについて考えてきました。今年は、地球温暖化問題とも密接に関係する「森林の利用と保全」について考えます。現在、森林破壊が地球環境に大きな影響を与えることから、森林の利用と保全をどうするかが世界的に議論されています。しかし、地球全体にとって重要な問題であっても、 それぞれの地域で何がどのように起こっているのかを知る必要があります。つまり、現地に根ざした問題の発見と対応が地球全体にとっての意味を考える上でどうしても必要です。森林をいったい誰が守り、誰がどのように利用しているのか。さらに、森と関わってきた住民はどのように森を捉え、どのように利用してきたのでしょうか。
 これから、「森は誰のものか?」というテーマにそって、アジア地域を中心として、さらには世界の森林をめぐるさまざまな現代的な課題を、生態学、人類学、環境社会学、政治生態学、熱帯林学などの多面的な分野から展開していきたいと考えています。どうぞ最後までおつきあいいただければ幸いです。
 地球研は、この2月に新しく上賀茂に施設を移しました。5月には竣工記念式典を行い、研究もますます精力的に行っています。地球研は今後とも地球環境問題についてさまざまな取り組みを進めていく所存です。皆さまがたのますますのご支援とご理解をよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

趣旨説明 司会:秋道智彌(総合地球環境学研究所・教授)

 今回のシンポジウムで注目したいのは、アジアを中心とした世界の森林の問題です。アジアの国ぐにの森林はとくに第二次大戦後の復興と経済発展の過程で大きく改変、破壊されてきました。人口の増加による農地の拡大や道路・ダム建設のみならず、いわゆる「自然の商品化」のための森林破壊が相当進みました。そして森林は、木材、ゴム・アブラヤシなどのプランテーション林やマンゴ・ライチなどの栽培林に大きく変化しました。東南アジアの沿岸部ではエビ養殖、スズ鉱の採掘、木炭製造などのためにマングローブ林が大量に伐採されました。こうした森林伐採と改変による弊害は地域の住民だけでなく森に生きるあらゆる種類の生き物にもおよんでいます。
 アジアの国ぐにが森林の保護策を提唱するようになる1990年代以降は、人びとがそれまで利用してきた森林も立ち入り禁止となる事態が生じています。とくに焼畑耕作をおこなう農民や森林産物を利用してきた人びとは、森林の破壊者として烙印を押されるようになりました。インドネシアやタイでは1994-95年に天然マングローブ林の伐採を全面的に禁止する法令が施行されました。中国では1998年に長江下流部で発生し た大洪水の反省から、天然林の伐採禁止、狩猟の全面禁止、さらに農耕を抑制して植林により森を回復する「退耕還林」政策が推進されるようになりました。生物多様性の保令が堂々と語られるようになったのです。それが人間の暮らしを無視したものであれば、いったい誰が森林の保護と利用に責任を持つべきといえるのでしょうか。
 ここで、「森は誰のものか?」という素朴な疑問がおこります。この問いかけは、森林に依存してきた住民のみならず外部者であるわれわれ日本人にとっても他人事ではありません。なぜなら、これらの地域から多くの木材や農作物、あるいはマングローブを伐採してつくられた養殖池のエビが日本向けに輸出されており、日本経済の繁栄の蔭でアジアの環境が悪くなったふしがあるからです。
 このシンポジウムでは、森を所有する人間や支配者が誰であるのかを議論しようというのではありません。森を利用するうえで、どのような自然観や支配の論理、あるいは経済の力が働いているのか、森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことこそが眼目なのです。そこから、森林を利用する人間が踏まえるべき「ものの見方」を探ることが未来の地球環境へとつながると考えています。

話題提供 1. 「森の1万年史」

湯本 貴和(総合地球環境学研究所・教授)
 赤道直下の熱帯から、亜熱帯、暖帯、温帯、寒帯まで、地球上にはさまざまな森林が存在し、さまざまな生物や生物問の関係を育んできた。人間もまた森林と長い歴史を共にしてきた。地球規模の気候変動下で過去にも森林は大きく変化してきたが、狩猟採集から農耕、さらには工業化と人間生活が大きく変化していくなかで、ヒトの力による森林の改変が著しくなってきた。現在みている森林の姿のうち、どの部分が自然プロセスだけで説明でき、どの部分に人間活動の影響を見いだしていくかは大きな課題となっている。

話題提供 2. 「ボルネオ・イバン人の暮らしと森とのかかわり」

市川 昌広(総合地球環境学研究所・助教授)
 熱帯林の減少問題がクローズアップされて以来、日本でも焼畑とか森の管理などについて熱帯の森に住む人々の情報を目にする機会が増えてきた。しかし、彼らが日常どのように暮らしているのか、ということについてはあまり知られていない。彼らは、森の中でひっそりと自給自足的に暮らしているわけではなく、意外と頻繁に外の社会と交渉を持ちつつ日々の糧を得ている。発表では、ボルネオの熱帯雨林に暮らす先住民イバンについて話す。

話題提供 3. 「入れ子構造を崩す「協治」は可能か?」

井上 真(東京大学大学院農学生命科学研究科・教授)
 東カリマンタンは、7世紀頃から「緩やかな市場経済化」が進展しつつも、ずっと森と川の世界であった。しかし、1970年代の石油ブームと木材ブーム、および1980年代の合板ブームによって森林消失と先住民の周辺化が生じ、さらには1990年代の人工林やアブラヤシ農園の開発により、先住民族はライフスタイルの転換を余儀なくされた。そして、地方分権関連法が制定されたことを契機として、マハカム川上流に位置する西クタイ県では2000年よりマルチステークホルダーアプローチによる森林政策策定の試みが実施された。その結果、52のアクションプラン、地方林業条例、コミュニティ林業実施条例など、住民参加を尊重した法制度が整備されるに至った。地球研フォーラムでは、52のアクションプランの実施状況の評価をおこなうとともに、コモンズ論で指摘されている「入れ子構造」(あるいは異なるスケールの制度間の連携)は確かに重要であるものの、資源を巡るポリティクスを考えると、むしろそれを無視すること(あるいは崩すこと)も視野に入れる必要があることを示したい。

話題提供 4. 「ボルネオ熱帯林ランビルの林冠でみえたこと」

酒井 章子(京大生態学研究センター・助教授)
 熱帯林の擁する目がくらむような生物多様性は、昔も今も科学者を魅了してやまない。長い研究の歴史にもかかわらず、熱帯林がどのような仕組みで維持されているのか謎が多い。そのフロンティアの一つが林冠、森林の天蓋である。ボルネオ島のランビル国立公園では日本人研究者が世界に先駆けて林冠にアクセスし、研究を行っている。10年以上の研究により、複雑な生物同士の相互作用や、非季節性熱帯林の地球規模の気候変動と関連した熱帯林のダイナミックな変動が見えてきた。

話題提供 5. 「誰のための森か?」

阿部 健一(京都大学地域研究統合情報センター・助教授)
 国家にとって森は、貴重な資源である。森林の中や周辺に住む人々にとっては、日々の生活の糧を得るところだろう。国際社会は、大切な「環境」とみなすことが多い。(僕たちの棲みかにほかならないでないか、と森の生き物なら主張するかもしれない)つまり、森をどうみるかは立場や状況によって異なっていて、その結果、森をめぐる利害は、往々にしてぶつかり合うことになる。
 それでも、森がなければ困る、という思いは同じである。誰のものか、という問いに、みんなのものだ、と答えたうえで、どのようにして衝突する利害を乗り越え、森を残してゆけばいいのか、ガバナンス(協治)やスチュワードシップ(森番)という言葉を手がかりに、考えてみたい。

話題提供 6. 「世界の森の現状からみた地球未来」

山田 勇(京都大学名誉教授)
 この50年間は、世界の森がそれまでには経験しなかった大撹乱をうけた時代であった。その結果、失われた生態資源を修復するため、多くの取組みが世界各地ではじまっている。カナダ先住民と伐採会社、インドネシア地方分権化と森、雲南生態文化村、アマゾンの伐採業者による持続的生産、マングローブ植林など多分野の活動の中で篤林家の役割に重点をおき、今後の地球のあり方について考えたい。
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