連載

晴れときどき書評

このコーナーでは、地球環境学にかかわる注目すべき本、おすすめの本、古典などを幅広く取り上げて紹介します。

大谷通高(研究推進員)

「オープン・サイエンス」を読み解く

『環境問題を〈見える化〉する──映像・対話・協創』

近藤 康久・ハイン マレー 編

昭和堂、2022年3月
四六版、216ページ

本体2,200円+税



こんどう・やすひさ 地球研経営推進部IR室長、准教授。

MALLEE, Hein 専門は社会科学。2013-21年に地球研在籍し、副所長、研究基盤国際センター長を歴任。

『環境問題を〈見える化〉する──映像・対話・協創』

情報は知識にあらず。知識とは唯一経験から得られるものだ
──アルバート・アインシュタイン
 この言葉をもって本書を読み進めたとき、そこで紹介される研究の〈見える化〉の取り組みは、地球研の研究成果を情報としてではなく、知識として伝えるための試みであることがわかる。
 本書は、人間文化研究機構の「博物館・展示を活用した可視化・高度化事業」の成果を取りまとめたものである。2部構成で、第1部「異なるまなざしからの対話」は、それぞれに異なる主題に応じた映像作品の制作過程を含めた作品活用の実践について紹介されている。第2部「対話から協創を仕掛ける」は、映像作品の制作と活用例のほかに、「社会課題の見える化」としてのボードゲーム制作やウェブサイトの立ち上げ、異なる立場・役割にある者同士の対話による「問題の可視化」、複雑な状況を評価する「基準作成の見える化」、ワークショップによる「協創過程の可視化」など、社会にある違和や課題の可視化、さらにはその可視化の過程までも「見える化」している。

「見える化」としてのオープン・サイエンス

 本書の「可視化・高度化」の取り組みは、明示化しにくい価値や問題を掘り起こして作品(映像やゲームなど)として提示することや、専門家にしか理解できない研究成果やデータをだれもが理解できて利活用できるようにすること、さらには作品制作や研究成果をもちいて市民や異業種の専門家同士による対話や交流の機会をつくりだし、新たな価値を生み出すための「協創」を仕掛けるものとしてもある。
 こうした本書の取り組みは「オープン・サイエンス」として位置づけることができるだろう。近年、研究成果だけでなく研究データの利活用をはかることが世界的に求められている。2023年5月に発出されたG7広島首脳コミュニケの「科学技術」の項目にも、「FAIR原則*1に沿って、科学的知識並びに研究データ及び学術出版物を含む公的資金による研究成果の公平な普及による、オープン・サイエンスを推進する」ことが明記されている。ここでのオープン・サイエンス*2とは、平たくいえば、研究者以外のだれもが研究成果やデータを入手できるだけでなく利活用もでき、国や地域を超えて多様な人たちが協力しながら研究にまつわる活動に参加できることを意味する。
 こうした文脈は、研究領域の成果が情報ではなく知識として伝えられることが、いままさに世界的な潮流にあることを示す。本書で紹介される「見える化」は、そもそも上記のオープン・サイエンスを主題にして実施されたものではないものの、国内外の地域での取り組みであるし、市民参加型で業種・世代を超えた「協創」の活動もあり、それこそ多種多様なオープン・サイエンスのかたちを見せてくれる。しかし、本書のおもしさはそこに留まるものではない。本書がオープン・サイエンスを主題にしていないがゆえに、その枠を超え出た経験を伝えている点にも、本書のおもしろさがある。それは、研究者の活動において「当たり前」として見えにくいものも「見える化」しているためだ。

「見える化」の経験を記述するということ

 「見える化」は、日々の暮らしぶりや技術、地域の魅力といったものが「当たり前」であるがゆえに「見えていないものを可視化する」という意味や、「難解な情報をわかりやすくする」という意味も含まれている。本書には、研究者の「客観性」や「立場性」そのものを扱った論考や、これを意識した記述が散見される。それらは、研究を研究たらしめる意味や意義を問いなおすことにつながるが、それは研究そのものを対象化して「見える化」する経験としてもある。
 研究活動における客観性や立場性を意識し、研究者と市民とがともに手をとって研究すること、そこには専門家と非専門家、当事者と非当事者といった非対称な関係にかかる権力性だけでなく、その関係が逆転し入り混じる様相にも目を向けてかかわることの経験があり、本書はそれをそのまま記述し〈見える化〉している。それはオープン・サイエンスの「協創」の諸前提にかかる問題性や可能性もひっくるめて、地球研の研究成果を、情報としてではなく知識として伝える試みとしてある。

なぜ「協創」するのか?

 本書で紹介される研究者たちの「見える化」の活動とその経験の〈見える化〉は、オープン・サイエンスの過程における研究活動の問題性と可能性をも同時に見せてくれる刺激的なものとしてある。
 地域で生きる「当事者」としての市民や、地域に入り調査する「非当事者」としての研究者、異業種・異領域の専門家、行政・国の介入などの複雑で多様なかかわりあいが入り混じるがゆえに、それぞれにイノベーションを創発するような対話や緊張感やつまずきが「協創」のなかにはあるという経験を本書は伝えている。
「知識とは唯一経験から得られるもの」。冒頭の言葉をふり返るとき、本書はひとつの経験として「協創」を知識化してはいるが、それゆえに、すぐに新たな疑問が頭をもたげる。「協創の知識化」にどんな意味や意義があるのか、そのことについても「見える化」してもらいたかった。


*1  研究成果である研究データの公開と共有のための原則で、Findable(見つけられる)、Accessible(アクセスできる)、Interoperable(相互運用できる)、Reusable(再利用できる)を略した頭文語。2011年にドイツで開催された会合に端を発し、2014年に原案がつくられて以後、改訂がつづいている。

*2  日本では2016年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画に「オープン・サイエンス」の言葉が盛り込まれた。そこでは「……オープンアクセスが進むことにより、学界、産業界、市民等あらゆるユーザーが研究成果を広く利用可能となり、その結果、研究者の所属機関、専門分野、国境を越えた新たな協働による知の創出を加速」するだけでなく、「オープンデータが進むことで、社会に対する研究プロセスの透明化や研究成果の幅広い活用が図られ、また、こうした協働に市民の参画や国際交流を促す効果も見込まれる」ものとして「オープン・サイエンス」が明記されている。