対話特集号1 人と自然の関係──地球環境学の現在
対話4
FD×生態系
研究者の能力と住民の知恵が導く世界
話し手●西條辰義(特任教授) × 中静 透(特任教授)
進行●三村 豊(研究員)
持続可能な社会システムの構築をめざすフューチャー・デザインの視点は、硬直化しがちな議論に新風を吹き込む発想法でもある。「現在から過去」を眺めて分析・反省・評価し、「現在から未来」を想像してあるべき姿を夢見る、さらには仮想将来人を設定して「未来から現在」をふりかえる。そのフューチャー・デザインを専門とするのが西條辰義特任教授。森林生態学を専門として、その観点から自然資本や人的資本、社会関係資本を捉え、価値や行動の転換の重要性を訴えるのが中静 透特任教授。2人の議論が行き着く人と自然の新しい関係は……
中静●西條さんたちは、なぜフューチャー・デザインを考えるようになったのですか。
西條●2012年、教え子のジョン・ストランランド教授に招待され、彼の大学で「囚人のジレンマ」を解決するしくみのセミナーをしました。セミナー後の夕食のときに「囚人のジレンマが扱っているのは現世代のみで将来世代は入っていません。将来世代を考えるとどうなるのだろうか」という話題が出たのです。将来世代が入ってくるとさらにむずかしくなるという話が出ました。
中静●もうその時点で将来世代の話があったのですか。
西條●囚人のジレンマだと現世代どうしです。だけど、地球温暖化や財政の問題を考えるときに、将来の世代が入っていないと困るという話があったのです。そこで、私が、「だったら、仮想将来人のようなものをつくったらよいのではないか」と気軽に話をしたら、ジョンの奥さまのローラさんが、「そういう人びとがすでにいた」という話を始めました。それがイロコイ・インディアンだったのです。
中静●7世代先のことを考えるという人たちですね。
西條●そうです。私は思いつきでしたが、現実にそういう人たちがいたと聞いて衝撃を受けました。研究者が紙の上で話をつくるのではなく、ほんとうに実行していた人びとがいるという話に、私は衝撃を受けたのです。
仮想将来人の立場で議論する
中静●問題解決にフューチャー・デザインはどうつかえるのですか。
西條●私たちは「このように考えてください」と枠組みを提供するだけです。
中静●その枠組みに秘密がある。(笑)
西條●一つの事例として、地域の集会所の存続問題をあげましょうか。かつて、大規模マンションを建てるとき、集会所の設置を条例で定めた町がありました。この結果、小学校の数よりも集会所の数のほうが格段に多いベッドタウンが誕生したのです。しかし、維持は市の仕事。築40年、50年の集会所は建て直さなければいけません。「潰しますよ」と告げると、「なんで潰すんや」との大声が住民から上がる。そこでこの問題をふくめて「みんなで考えよう私たちの未来」のようなタイトルでワークショップを開くことにしました。もちろん、背後にはその問題が隠れています。
4人のチームに分かれて議論すると、各班に1人くらい集会所の存続をふくめてさまざまな案件に強く意見を言う人がいて、残りの3人の方は発言する機会があまりありませんでした。
中静●そういう大きな発言力をもつ人がいて、みんなその意見に流されて決めてしまうことがありますね。
西條●1か月後に、今度は全員が仮想将来人として、未来のまちのあり方を考えてもらいました。すると、それまで強い意見をおもちの方の発言が減り、残りの人びとの発言が増えたのです。さらには、強い意見をおもちの方がたが笑顔になったのです。
中静●というのは……。
西條●想像するに、強い意見をおもちの方のお考えになっている目先の利益が相対化され、将来の視点からだと別の見方ができることに気づいたのではないのでしょうか。いくつかの班では、人口が減ると、学校に空き教室がでるはずだから、これをつかえばよいのでは、という提案がでました。
中静●ワークショップでは、専門家は特定の方向に意見を誘導してしまう可能性がありますが、どうふるまうのですか。
西條●私たちは話し方の枠組みを提供するのみで、中身に関してはいっさい関与しません。いっぽうで、市町のみなさんは、人口減少のようすや集会所数の変遷など、市民が必要とする情報を提供しています。
中静●地球研の研究者は、情報を生産・提供する研究をしていることが多いのですが、フューチャー・デザイン的な枠組みのもとでは、情報提供には注意が必要なのですね。
西條●参加者の希望があれば別ですが、基本情報以外は流さないのが基本です。
中静●具体的な問題解決にフューチャー・デザインをつかうことが多いのですね。
西條●「これをなんとかしてくれ」と。(笑)
中静●フューチャー・デザインの分野だからそういう依頼がきますが、私たちには「水道の管路を改善したいから、地図をつくってほしい」など、現況の問題解決のための要請があります。この分野にフューチャー・デザインの手法がもっと普及すると、おもしろくなりそうですね。
西條●ぜひこれを条例化、法制化したいのです。総務省が「これはよい」と号令をかければ、日本全体が変わる。でも、私たちはフューチャー・デザインの専門家でもないので……。
中静●いやいや、西條さんたちが専門家でなかったら、だれが専門家ですか。(笑)いまもつづくワークショップは、いつころ定着したのですか。
西條●2014、2015年ころは、被験者実験の段階でした。「将来の人のことを考えなければ、みずからが得をするほうを選ぶはず」という損得の選択実験です。囚人のジレンマではなく、将来世代までふくむ単純なモデルでの実験でした。実験には大勢の人が必要ですが、経済系の人に協力をお願いすると、「なにをばかなことを考えているんだ。そんな実験に意味はない」と無視されました。このときに助けてくれたのが、社会心理系の人たち。経済系の一人も、「西條さんが困っているから助けてあげよう」と。(笑)それで始まりました。実験では、議論のなかに仮想将来人を一人だけ放りこむだけで、結果がまったく変わりました。
実践は、NHKの番組「クローズアップ現代+」の岩手県矢巾町の水の特集を見たことがきっかけでした。矢巾町上下水道課の吉岡律司さんの取り組みを見て、彼のやり方はフューチャー・デザインではないものの、フューチャー・デザインの先駆者だと私は思いました。
矢巾町は水道事業でとても注目されている町です。私たちがお願いしたところ、私たちを選んでくれました。それからずっと共同研究が継続しています。
過去も未来も真剣に見ていない
中静●私は、技術革新で解決するというよりも、人間と自然とが仲よくしなければ問題は解決しないという考えが基本です。人間は数十万年という長い時間をかけて進化していますが、いまのようなモダンな生活をしているのは、たかが数世代にすぎません。明治時代くらいにもどっても、もっと自然に近い暮らしだった。そういう自然の環境で自然淘汰がかかり進化が起こってきている。1世代や2世代でこのような激しい環境変化を経験しても、適応しきれないのです。その結果、心や体に矛盾を引き起こしているのがいまの社会でしょう。
あと10世代もすると、都会的な環境に適応した人類が進化するのかもしれませんが、いまはむりがある。(笑)人間にとって幸せな状態は、いまの都会のような環境ではとうぶん期待できない。少なくともあと数世代くらいは、きっとないと思っています。
その時間的ギャップと環境改善にかかるコスト、そのあいだに失うものを考えると、もっと自然と向き合って考えるべきです。
西條●たとえば、生物や生態系の研究では、データを大量に集めますね。しかし、そのデータのむこう側のヒューマニティ、社会科学系の問題意識はどうなっているのかです。
中静●そうですね。対症療法的な研究はすごく多いです。この傾向は公害問題や環境問題を研究する最初のころからあって、いまだに「汚染されたものを無害にする技術を開発する研究」が多い。どうすれば問題が発生しないのかという、根本の研究はあまりない。
――いろいろな立場があるので問題の捉え方が複雑になりますよね。トップダウンとボトムアップでの意思決定のむずかしさというか。なにか具体的な経験があるのですか。
中静●震災後、海岸に防潮堤をつくるかつくらないかというなかで、まさにそういう話がありました。国土交通省や県の人たちは100年に一度の津波に耐えられる大きな防潮堤をつくろうと動くのですが、そういう予算がついているから、何年までに防波堤をつくらなければいけないと県の人たちはそれをつくるために懸命に動く。ものごとの決め方が現状優先になっている。
よくよく考えてみると、50年後にはいまの人たちはもういません。防潮堤をつくって内側に田んぼを残そう、田んぼを復活させようと言うけれども、自分たちの子どもは田んぼをつくりたくないと思っているかもしれない。いっぽうで、防潮堤をつくると、自分たち海水浴で楽しんでいた場所がなくなる。建設に反対する人たちは、自分の子どもがどのような生活をしたいのかということを考えるが、賛成する人たちは過去も未来も真剣に見ていない気がします。
生態系サービスの議論にも将来世代の視点を
中静●私たちが生物や生態系を研究していて思うのは、まだきちんとした価値観が成立していないということです。たとえば、生態系サービスの価値もあまり確定していないのです。自然資本という考え方があったり、貨幣価値に換算できなくても大きな価値をもつものがあったりすると、私たちは言いつづけてはいます。
一般的に見ると、それらに対する価値観はまだ確立されていない。そうした価値観のあまり定まっていないものを将来世代はどう評価するのでしょうか。
西條●矢巾町のあるワークショップで、現代から過去をふりかえったあとに、仮想将来人になって現代を考えてもらったとき、あるおじさんはこう言いました。「いまは2049年。岩手山がよく見えるのは、2020年ころ、景観の維持のため、建物の高さの制限をしてくれたからです。ほんとうによかった」。もちろん仮想の話です。
中静●そうしたことはたくさんありますよね。こんな建築物をつくったから、この生きものがいなくなったというような。
環境省からの要請で県や市で生物多様性地域戦略をつくることになって、その委員会の座長をしたことがあるのです。そのときに、地元の方とワークショップをしました。「あなたの町でだいじなもの、誇りに思う生きものをリストアップしてください」とお願いした。すると、年配の方ばかりのワークショップでは、出てくる話題はむかし話ばかり。ところが、そこに高校生が混じるとおもしろくなる。
年配者は「田んぼをこのようにしてしまった」、「水路を三面張りにしてしまったから、メダカがいなくなった」と。すると若い人たちは「なぜこのようなことになったのか」と質問するのです。年配の方はまじめに答える。政府や行政が悪いという話も出てくるが、自分たちの反省もふくめて話してくれる。
西條●私たちは、年配の方は仮想将来人になると独創的になることを発見しています。お年寄りの方は自分の死んだあとのこと、50年先のことや100年先のことを真剣になって考えるのです。だから遠い未来のことを真剣に考えられるのです。80のおじいさんに30年先のことを考えてもらうと、きちんと考えてくれる。
中静●この50年、100年間の変化は激しくて、こんなに変化の激しい時代はもうないかもしれない。ですから、この50年間の反省をきちんとしておくべきだと思う。そういう意味でも、この世代を生きた年配者と若い人との対話はとても重要です。
有益な議論の場を取り戻すために
西條●私たちが最近始めているのは、過去にアドバイスをするという手法です。
中静●こうしておけばよかった、と。
西條●「なぜあんなことしたんや」、「あのときああしてくれてよかった」など。
まずその町の過去の重要なイベントを並べるのです。そして、「あのとき新たな水路を導入したのはよかった」とアドバイスをするのです。いっぽうで、たとえば、水質データの改ざんの話がありました。現代の視点から考えると、多少データをごまかしたところで、最終的に私たちは水を浄化するのだから、供給者としては問題ない。
中静●おもしろいですね。
西條●なんの目的かはわからないものの、だれかがデータを改ざんしたようです。でも、そのようなことをする必要はなかったのだと。とにかく、こうした過去の話をしておくと、将来からの話がしやすくなるのです。
中静●それは感覚的にわかります。こういうディスカッション・ツールのようなものがたくさんあるとよいですよね。
西條●私たちはツールとは考えておらず、しくみにしてほしい。将来の話を考えるのなら、この方法をつかうのですよと。多数決のしくみと同じです。
中静●おもしろい。でも、そのしくみがあることを知らないと、そういった発想にいたらない。TDなどと言っているけれども、いまの人たちが抱えている問題に専門家として入っていって、その問題を現在の問題として解決しようというTDが多いです。将来世代から考えた問題を取り入れてTDをすれば、先をみすえたソリューションが出てくる気はします。
西條●そうすると、町の意思決定は変わるにちがいないと思っています。仮想将来人と現代人とが交渉するおもしろい話があります。現代人が関心をもつ政策のナンバー・ワンは、子どもの医療の無料化です。すると仮想将来人のおばさんはこういう。「うちには子どもが3人いる。子どもの医療費が無料化されるのはうれしい。でも、そのお金はどこから来るのか」。町の予算から支給されるなら、別の予算はへこむではないか。しかも、うちの子どもが大人になってもここに住んでいたら、彼らの負担になる。これはいやだと、大げんか。(笑)
中静●なるほど。そのあたりのフィードバックがきちんとできる。
――中静さんは、多くのTDは現在の問題しか扱っていないとご指摘ですが、TD研究における問題や、ステークホルダーの存在についてあらためて考えてみたいですね。
西條●将来人をステークホルダーとして入れないとおかしいのです。
中静●よく考えると、ほんとうにそうだなと思います。TDはなんのためにあるのかというと、現実にある問題のソリューションを研究者とステークホルダーがいっしょに考えるということですよね。サイエンスの専門家がたくさんいれば、この問題はこうすればよい、ああすればよいと、要素的なことはいくらでも助言できる。その助言のおかげで5年先までは状況がよくなったとしても、10年や20年後、そのようなことを選択したことで悪くなっている可能性もある。
だから、将来人であるステークホルダーが入ると、もっとよいソリューションが導き出せる。少なくともいまの多くのTDがしているような、現在の問題を1年後に解決するためのTDではなく、50年後の問題も解決できて、トータルにいろいろなものを解決できるソリューションをめざすことはだいじなことだと思います。そう考えると、現在の利益をシェアしているステークホルダーだけではいけない気がしますね。
西條●私たちは仮想将来人の話をするときに、現代から過去を見ることがとても重要で、現代から過去を見ると、将来から現代が見られるのです。
中静●過去にはステークホルダーだったのに、いまではそのステークホルダーの枠から外れている人たちが言ってくれる場合もあるのかもしれないですね。
西條●「10年前、なぜあのようなばかなことをしたのですか」といってもひっくり返しようがないけど、それを考えることで、「あそこはああすべきではなかったんだ」と考えられる。それがこんどは将来からいまを考えたときに、「いまあんなばかなことをしている」という話につながります。
中静●過去を見て、これからに活かすときに、個々の事例で反省するのではなく、そのような考え方をしなかったことを反省するということですよね。その考え方を未来に活かすということだと思いますね。
地球研がめざすサイエンスとは
西條●極端なことを言うと、たとえばNatureに投稿するさい、いわゆるサイエンスの部分だけではなく、それに対応する社会科学、政策の部分もふくむようにするのです。計測だけではだめだとする。そのようなタイプのアナウンスをNatureがすると、研究者は急激に変わります。テクノロジカル・イノベーションだけではサイエンスとよびませんよと。一人のサイエンティストが考えるのではなく、自然科学、社会科学、人文科学の集団できちんと考えないと、サイエンスとはとてもよべないと。
中静●生物系の科学は人間の命を変えようとしている。生命のあり方も変えようとしている。テクノロジーがどんどん進むと、人間の幸せに対する考え方は変わってしまいますからね。
西條●サイエンスのあり方は、計測ないしテクノロジーが半分で、もう半分は社会との関係。自然と人間との関係、自然と社会との関係がなければサイエンスではない、というのが根幹の話だろうと思います。
中静●研究全体のイメージをどう考えるのかだと思います。研究者のなかにはNatureに書くことを狙って発想をしている人も多いので、各分野の研究は黙っていても先に進むと思います。
黙っていても進むけれども、地球研のような研究所がすることはそうではなく、そのようなサイエンスの発展を活かしながら、50年後や100年後の世界を見たときになにが必要なのかを考えることです。おそらく50年前は、こんな研究所は絶対になかった。
――ゲノム解析などの技術革新によって生態系を回復する技術が確立された場合、人の価値観がどう変わるのか。地球環境を考えることは定着したが、これすら技術で克服できるとなったとき、人はどのような視点で生態系システムを見るのか。
中静●とはいっても、そうした技術が可能かどうかは、むずかしいことだと思います。個々の生きものを変えることはできても、生態系はものすごく複雑なインタラクションでできあがっている。ある生きものを変えると、ほかのシステムにどのような波及効果があるのかが予想しにくい。
目に見える生きものだけではなく、微生物もいます。一部を変えると、そのようなものまですべて変化する可能性がある。そうした予想はむずかしいと思うのです。予想ができないとなれば、徹底的に部分最適をめざすのではなく、たとえ経験的にでもコントロールのできるところでとどめるしかないのです。そのほうが、長年の進化で適応してきた人間と自然との関係を保って幸せに暮らすことができるように思います。
――いかなる技術革新が起こっても、生態系の未来予測は困難ですね。そうすると、将来世代を想定しつつ未来を想定し、現在をみるバック・キャスティングの考え方を、人と自然との関係のなかにどのように取り込むのですか。
中静●この数十年間は科学の進歩が激しすぎて、みんなが夢を見ていた。では50年後に科学はどこまで進んでいるのか。暮らしに科学がどう貢献しているのか、50年先をプロジェクションすること自体がむずかしい。だから、どのくらいサイエンスが進むかによって、将来世代の考え方も変わるのかもしれない。
西條●ほんとうに必要なテクノロジー、サイエンスとはなにかを考えたいですね。
中静●寿命が100歳の時代が来ると言うけれども、私は100歳まで生きたくありません。ほんとうに健康な状態で生きられるなら別だけれども。体のいろいろなところを治療しながら100歳まで生きるのがよいのか、いろいろなことを自分で楽しめる年齢で満足するか、どこをめざすかはもうすこし考えなければいけない気はします。
西條●クオリティ・オブ・ライフをきちんと保つ医学に変わるべきですね。それには、将来の視点から、どのようなものが必要なのかを考えないといけない。本来のクオリティ・オブ・ライフのサポートを私たちはしているのかという根本的な発想があります。イノベーションのあり方そのものを、フューチャー・デザインで変えてゆこうと。
中静●そう思います。いろいろな分野でそうした方向性を考えなければいけないですよね。
〈2019年2月22日、地球研はなれにて〉
対話を終えて…………三村 豊
対談前に、「なぜ、私たちの組みあわせになったのですか」と二人に言われた。同じプログラムディレクターである西條さんと中静さんならば、なにか新しい発見につながりそうという期待を込めて、二人に依頼した。対談をリードする気持ちだったが、その必要はなかった。
フューチャー・デザインを皮切りに、地域社会での互いの実践例で話がはずむ。西條さんは、枠組みの提示にとどめる「いっさい関与しない関与のしかた」を示された。中静さんは、生態系システムの観点から、研究者とさまざまなステークホルダーが協働する望ましいあり方や生き方について話された。ともに、「未来」のあり方はそこで暮らす人たちの手で掴まなければならない、と。
じつは、この対話を聞いていちばん刺激を受けたのはわたしかもしれない。対話では、現在の問題をどのように捉えるのかについて、たとえばステークホルダーということばの認識など、地域社会で実践する方への貴重な示唆が多かった。わたしは聞き手に徹することができず、対話という形式を壊してまで、議論に参加してしまった。冒頭の「なぜ」に対しては、「わたしのため」となってしまったかもしれないが、読者の方がたも同じ気持ちで読んでいただけるとうれしく思う。

岩手県矢巾町で、法被を着た仮想将来世代と現代人とがはじめて出会い、政策の優先順位を討議中

生物多様性の地域戦略づくりのワークショップ。若い人が加わると、意見の出かたがちがっておもしろい(青森市)

震災後に建設された巨大防潮堤。震災前はここにマツ林が拡がり、人びとは海水浴やサーフィンを楽しんでいた(気仙沼市)

世代を超えてつながる生き物観察会で将来の環境保全につなげる(滋賀県甲賀市)

孫を抱きかかえる祖母。ラオス・ビエンチャン近郊の農村で

西條辰義

中静 透

(左から)西條さん、中静さん
さいじょう・たつよし
専門はフューチャー・デザイン。高知工科大学フューチャー・デザイン研究所教授。2017年4月から地球研プログラムディレクター。
なかしずか・とおる
専門は生態学、生物多様性。現在は東北大学生命科学研究科教授。2016年4月から地球研の客員教授、10月からプログラムディレクターに就任。
みむら・ゆたか
専門は建築・都市史、歴史GIS。2012年から地球研に在籍し、2018年からは研究基盤国際センター研究員。