百聞一見──フィールドからの体験レポート
世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています
兄妹間のセックスを見た
松本卓也 (日本学術振興会特別研究員)
「あっ! あ~? ……ああ。」
調査アシスタント2人が、示しあわせたようにまったく同じタイミングで、嘆息にも似た声を漏らした。その声に、かたわらの私は、いままさにわれわれの眼前で起こっている出来ごとが、たんなる見まちがいではないことを静かに悟ったのだった。その日われわれは、タンザニアのマハレ山塊国立公園における50年におよぶ研究史で初めてとなる、チンパンジーの兄妹間交尾の目撃者となったのである。
2013年1月7日当時、私は博士後期課程1年めの学生だった。その日私は、おもな研究対象としていた赤ちゃんを見つけられず、第1位オスのプリムスと、妹のパフィーが毛づくろいするようすを観察していた。パフィーの性皮は大きく腫脹しており、その日もプリムス以外のオスと交尾する場面を複数回観察した。しかし、兄と妹が交尾するとは、もちろん夢にも思わなかった私と調査アシスタントは、比較的のんびりとした心もちで、仲睦まじいふたりの毛づくろいを見ていたのである。
毛づくろいを受けていたパフィーが体勢を変えようとしたそのとき、プリムスがゆっくりと交尾の姿勢をとり(あっ!)、3回腰を前後させた(あ~?)。そして、また毛づくろいに戻った(……ああ)。その間、10秒にも満たない。パフィーは嫌がるようすを見せなかった。今回の交尾は、射精をともなうものではなかったと考えられる。しかしその数か月後、別の研究者によって、射精をともなう交尾が両者のあいだで観察された。
近親交配は避けられる
かつて人類学において、「近親交配の禁止」こそが人間社会だけに備わった原初的な規範であると見なされていた。たとえばフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、結婚を女性の交換であると捉え、「近親交配の禁止が女性の他集団への移動(外婚)を促進する」と主張した。
しかし、そこに待ったをかけたのが、霊長類学の知見であった。ヒト以外の霊長類を対象に、一頭ずつ名前を付けて観察をつづけたところ、近親間の交尾がほとんど起こっていなかったのである。そして、ヒトの社会において外婚制がみられるように、ヒト以外の霊長類もまた、近親交配を防ぐ社会構造を有していた。チンパンジーの社会においては、一般的にオスが出自集団に留まり、メスが出自集団を出て別の集団へと移籍する。教科書的にはそうなのだが……。このパフィーというメスチンパンジーは、兄と交尾したかと思えば、出自集団にそのまま留まって子どもを産んだ(子の父親がだれかは現在DNA判定中である)。そして2018年3月時点でも、出自集団で元気に子育てしている。
「一見」に懸けるフィールドワークを
今回の事例を、私はどう解釈するべきだろう。パフィーは例外的で、異端で、外れ値で、それゆえに研究においては無視すべきチンパンジーなのだろうか。あらゆるチンパンジーの個性を押し並べて、統計学的になにかモノを言おうとすれば、そうなるのかもしれない。あるいは、現代生物学において栄華を極める社会生物学の観点から言えば、近親交配という遺伝的なリスクを犯すようなチンパンジーは、いずれ淘汰される存在と見なされてしまうかもしれない。もしくは、じっさいに子ができなければ、近親間の交尾は無視してよい現象なのか。
1960年代、イギリスの霊長類学者ジェーン・グドールによって、野生のチンパンジーが哺乳動物を狩ってその肉を食べ、道具を製作・使用することが明らかになったとき、グドールをチンパンジー調査に送り込んだ古人類学者のルイス・リーキーは、「人類の定義を変えるか、チンパンジーをヒトの仲間にふくめなければ」と言ったという。自分の目の前で起こった、「見てしまった」出来ごとへの驚嘆、猜疑、呆然、そして受容。フィールドでの行動観察はいつだってそれ
だ。自分たちの存在(=人間というもの)を再定義しつづけなければいられない、そんな現象を、フィールドでは誇張ではなく毎日、体験する。私たちフィールドワーカーは、「一見」にすべてを懸けていると言い換えてもよい。
兄妹間で交尾をするチンパンジーがいた。タブーとされつつも、合意のもと近親交配をする現代人もいるだろう。兄妹間でセックスをするネアンデルタール人だって、アウストラロピテクスだって、アルディピテクスだって、きっといたにちがいない。「いま」の結論としては、それでいい。あの日、私と調査アシスタントがチンパンジーの社会で目撃した10秒にも満たないたった一つの観察事例が、人類の進化という壮大なパレードを彩る、小さな一つの照明になる。それがいい。大きな明かりも小さな明かりも、重なり合い、線でつながって、時空を超えた人類進化の過程を浮き彫りにする。そんな光景を夢見ながら、かくて私は、今年もまたチンパンジーの社会にお邪魔しに、フィールドへと向かう。

子を背負うパフィー(マハレ山塊国立公園、2015年7月16日撮影)

くつろぐチンパンジーたち。右端でメスの腫脹した性皮をしげしげと眺めているのが兄のプリムス(マハレ山塊国立公園、2013年8月9日撮影)
まつもと・たくや
日本学術振興会特別研究員(PD)。2016年に京都大学理学研究科(人類進化論研究室)を単位取得満期退学後、現職。専門は霊長類学。