特集2

対談

地球研ならではの「環境教育」RIHNメソッドをめざして

話し手●阿部 治(立教大学教授)

聞き手●阿部健一(教授)

コーディネーター●岸本紗也加(センター研究推進員)

今号の対談は、環境教育/ESD(持続可能な開発のための教育)をご専門とされている阿部治さんをお迎えした。日本環境教育学会会長を務め、現在はESD活動支援センター1のセンター長としてご活躍の阿部さんからご自身の研究および実践活動についてうかがいながら、「地球研ならでは」の環境教育を考えてみた

阿部治●お呼びいただきありがとうございます、憧れの地球研に。それにしては、これまで来たことがなかったのではと。(笑)

阿部健一●ずっとお待ちしておりました。(笑)きょうはぜひ、環境教育についてお聞きしたくて。

阿部(治)●地球研はプロジェクト方式ですね。環境教育のプロジェクトがあるのですか。

阿部(健)●ありません。研究所としては、大学・大学院教育も行なっていません。
 ただし、数あるプロジェクトの成果を、論文・本というかたちで学術コミュニティに公表してゆくのは当然ですが、もうすこし広く、一般の人にも示せないかと考えています。「社会還元」という一方的な発信ではなく、教育するということで、われわれもなにか得るところがあるのではないか。教えることで、自分のしていることを再認識できるということもあるし、地球研のめざす地球環境学の構築のためのツールにもなりえる。「環境教育」と言ってしまったとたん居心地が悪いものを感じますが、とりあえず「環境教育」RIHNメソッドとよんでみました。地球研だからできる「教育」があるだろうと。

地球研独自のメソッドを

阿部(治)●その「地球研だから」という、地球研らしさとはなんでしょうか。

阿部(健)●ひとつは、いろいろな専門の研究者と日常的に会話をしているということですかね。自分の研究の幅を拡げる点でも役にたつのですが、専門の研究者に自分の研究をわかりやすく的確に話すことを要求されます。サイエンス・コミュニケーション能力がおのずと高まってくる。それは教育にも活かせる。
 思い出すのは初代所長の日髙敏隆先生のことばです。ぼくは学生のころになにを言われたかというと、「高校生にもわかるように話せなきゃ、一流でないよ」と。「専門用語だけで語ってわかったような気になってしまう、それじゃだめだ」と。
 もうひとつは、地球研の構築する地球環境学は、研究者だけがつくりあげる学問ではなく、一般の人も巻き込んでつくりあげるものだと考えているところです。トランスディシプリナリー(TD)といっていますが、研究計画からいっしょに考え、いっしょに研究をし、いっしょに結論を導き出す。環境問題という、事実命題ではなく価値命題が問われる課題には、研究者だけで対処していてはダメだと思っています。ますます環境教育というものに違和感を感じるようになってきました。

阿部(治)●ぼくもあまり好きでない。(笑)具体的にどのような教育活動を。

阿部(健)●いろいろしているのですが、継続して取り組んでいる大きな柱は、京都府内の二つの高校での授業です。一年をつうじて一つのクラスを預かっています。課題は、自分で考える力を身につけるということ。むずかしいですね。(笑)授業の一環で、若い研究員に自分の研究の意義を語ってもらったりもしているのですが、みんないきいきと楽しそうに話している。ぼくも調子のよいときは、話しながら「おれ、ええこと言ってんな」と思うこともある。(笑)それが自分の研究にもプラスになる。
 ただし、いつまでも授業をくり返しているだけではもったいない。こうした経験と地球研の独自性とをあわせて、「環境教育」RIHNメソッドというのを考えてみたいと思うようになりました。
 日本環境教育学会のことだけでなく、阿部治さんがずっと携わってこられたESD(Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育)、さらにSDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)のなかで教育というのがどういうかたちになるのか。阿部治さんと話すことでなにかヒントを得たいと思っています。

阿部(治)●どれくらい貢献できるかわかりませんが、私はここに来たことだけで、満足なので。(笑)

持続可能な開発のための教育(ESD)のはじまり

阿部(健)●まずはESDを立ち上げたときの話を。われわれもESDには深い関心をもっています。

阿部(治)●そうですね。さきほど阿部健一さんがおっしゃったこの二つの高校での取り組みはほんとうにすばらしいことだと思いますよ。それを制度化しているというのは大したことだと思います。この課題については、またのちほど。
 地球研でやっていらっしゃることが「環境教育なのかESDなのか」という問いじたいは、私は意味がないと思うのですが。ESDを私が始めたというか、広めた経緯をお話しすると、参考になるかもしれません。
 私はプロパーとして環境教育を始めた、おそらく日本で初めての大学教員ではないかと思います。子どものころからほんとうに自然が好きだったということが理由の一つです。生まれたのは新潟県の南魚沼市。塩沢町という、コシヒカリの値段がいちばん高いところです。
 幼いころ、実家の屋根裏にムササビが棲みついていてね。夜中にムササビが帰ってくるのですが、歩くのが下手だから、バッタン、バッタンと音がするわけ。あるとき、うちの部屋に入ってきたので、それをつかまえて飼ったんですね。馴れるんだ、これが。(笑)寄ってくるんですよ、バーっと。父親が動物が好きだったものだから、いろいろな生きものを飼いましたね。そんな生活をしていたもので、生きものがすごく好きでしてね。

阿部(健)●ぼくも生きものが好きだった。大学も生物系の学科を選びました。治さんは?

阿部(治)●大学を選ぶときに、日髙先生のローレンツ2などを読んで、環境、生きものを勉強したいなと思って……。それで東京農工大学に入りました。ただ日髙先生はその年に京都大学に異動されたのですが。学部時代に所属していた研究室が、大型野生動物のテレメトリー(発信機による遠隔観察)を国内で初めてやりました。シカやクマを捕まえては、テレメーターという発信機をつけて放獣し、アンテナを持った2組で動物の居場所などを地図上にプロットしてゆくことなどでデータを集めるのですが、私はシカで卒論を書きました。
 そのころ、友だちといっしょに大学周辺の子どもたちを集めて自然観察会を始めたんです。そのころはまだ「環境教育」ということばはなくて、「自然保護教育」という言い方でしたが。ほかにも宇井純先生が開催されていた東京大学での自主講座「公害原論」に通ったり、全国自然保護連合の事務局をしたり、いろいろとしましたね。
 そんななかで、「ぼくと同じように自然が好きな子どもを育てたい」という思いが強くなってゆきました。将来は学校の教師、生物の教師になって、そういう子どもを増やしたいと思いました。大学院進学を考えたときに、環境教育が日本でただ一つ、筑波大学の環境科学研究科にあったのですね。それで筑波大学に行きました。当時は、中山和彦先生という、文部省からいらした方がおられました。学術情報と、CAIというコンピューターを使った教育と、環境教育の三つを日本にもってきた方です。私は環境教育を始めたのですが、院生時代から中山先生といっしょに授業をやっていたようなものです。

阿部(健)●日本の環境教育事始めですね。

阿部(治)●ほんとうに自然が好きだった。大学でも環境問題にとても関心をもっていたものだから、環境問題を解決するには、ぼくと同じような、自然が好きな子を育てたい、そういう視点を大事にする子を育てたいという思いで、環境教育を始めた。
 ところが、環境教育では飯を食えないということで、いろいろなことをしましたね。環境教育を広めるための学会をつくったり、NGOをつくったりして、企業や行政などさまざまな団体や個人の方などに働きかけて、だんだんと広めてきたのです。ところが、そういうなかで、自然の好きな子だけ育てても環境を守れないと気づいた。

阿部(健)●きましたね。そこですね。

阿部(治)●長蔵小屋をつくって尾瀬を守った平野長蔵氏や息子さんの長英氏、あるいは和歌山県の天神崎を守った外山八郎氏など、日本の自然保護の歴史には偉人がたくさんいました。彼らは戦ったわけですよね。戦うことはすごく大事なんだけど、戦うだけではなかなか守れないと……。
 自然が好きなら、同時に人も好きにならないと。人と自然の関係だけではなくて、人と人──そこには当然、文化も入るけど、人と自然との関係を改善するには、人と人との関係も改善しないといけないんじゃないかということに気づいたわけです。

阿部(健)●たんに自然が好きというだけでは、じつは問題は解決しないというのは、重要ですね。

阿部(治)●自然が好きな人だけが増えても、問題は解決しないのです。

「環境教育」への抵抗感

阿部(健)●公害なんかもそうでしょうね。自然が好きな人が多ければ、水俣病が防げたかどうか。人と自然、人と人の関係まで踏み込まないと、問題の本質を見誤ってしまいます。しかし、どのような経緯で、そこに至ったのですか。

阿部(治)●長くなりますよ。(笑)1986年に筑波大学の専任講師になりましたが、担当したのは障害児教育です。しかし、やっぱり環境教育がしたくて、埼玉大学に転出することになります。

 そのころに、山梨県の清里で開催された第1回清里フォーラムに参加しました。1987年のことです。日本各地から97人が集まりました。このうち教師が20〜30人ほどいたのかな。私はそこで教師のセッションを担当したのですが、参加した教師たちは、「学校で、こういう教育活動をすると、校長にいじめられる」と言うんです。(笑)

阿部(健)●なぜでしょう。やっぱり、そんなの必要ないと。

阿部(治)●「必要ない。余計なことはやるな」と。だからみんなバラバラだった。ところが清里に来てみたら、みんな同じような境遇でがんばっている。それで元気が出たわけですね。

 ただし、1回めのフォーラムでは「環境教育」ということばは標題に使われなかった。なぜ、使わないかというと、環境教育というと行政や企業から敬遠されるというのです。日本の環境教育のルーツは公害教育や自然保護教育にあるわけですが、いずれも政府や自治体などの行政、企業から危険視され、敵視されてきました。なので環境教育を標題につけることを避けていたのですね。そこで、それはおかしいんじゃないかということで、実行委員会で議論して、翌年から「清里環境教育フォーラム」になりました。

 そこに如実に表れているのですが、じつは環境教育ということばを使って、両方から批判されたのです。自然保護教育と公害教育をしている人たちは、「おまえは環境教育という官製のことばを使って、自然保護教育や公害教育をつぶそうとしているんだろう」と。いっぽうで、行政や企業からは「環境教育は危ない」と。その両方から批判されましてね。

阿部(健)●行政や文部科学省もふくめてでしょうけれど、企業が環境教育ということばに敏感に反応したのは、どういう……。

阿部(治)●けっきょくは、公害教育、自然保護教育の延長線上ではないかと。

阿部(健)●それで企業は気になって……。

阿部(治)●いっしょに活動してきた自然保護協会の方がたには、ずいぶん長いあいだこの点を指摘されましたね。公害教育の団体からは90年代になるまで指摘されました。環境と公害教育研究会というのがあって、私はときどき顔を出していたのですが、「阿部はなんだ。環境教育なんてやって」と批判されました。もちろんいまは、そんなことはまったくありませんが。

環境教育の先進国アメリカのジレンマ

阿部(治)●環境教育ということばじたいは、アメリカで1970年につくられた環境教育法と、環境教育の実施を勧告した1972年の国連人間環境会議から日本に入ってきました。もともとは、公害教育や自然保護教育を包含したものが環境教育ですが、だいぶ長いあいだ、「環境教育」への風当たりは強かった。

阿部(健)●それは……。お聞きしていると、環境教育のコンセプト、あるいはことばとしては、アメリカが先進国ですね。

阿部(治)●そこなんですよ。私はアメリカの環境教育から入ったのですが、アメリカの環境教育に幻滅しましてね。
 国立公園の制度もアメリカが始めたものです。1980年だったかな、イエローストーンやグランドキャニオンなど、アメリカの国立公園に視察に行きました。自然がほんとうにすばらしくて、ビジターセンターなどが充実していて、自然解説のプログラムには感動しました。そのあと90年代ころに、なんどか通ったヨセミテ国立公園のレンジャーと話していたら、「気候変動に関しては、ほんとうのことを言えない。政府から言うなと言われている」と。アメリカの国立公園のレンジャーは、自然との関係はすばらしい。自然のガイドはいくらでもできる。でも、そういう政策的なこと、政治のことは言っちゃいけなかったんですよ。たいへんショックでした。
 当時は、国立公園制度の創設やシエラクラブ、オーデュボン協会といった世界で最初の自然保護団体の設立、環境教育の制度化など、世界最先端の環境保護の取り組みがなされていたアメリカに一種の憧れを抱いていました。しかし、自然解説などの環境教育はすばらしいのですが、いっぽうで、レストランで容器から生ごみまでいっしょにゴミ箱に捨てるといったライフスタイルには驚かされました。環境教育の成果が出ているのだろうかという大いなる疑問を抱いたわけです。

阿部(健)●人と自然の関係だけではだめだということですね。

阿部(治)●これはアメリカ人のライフスタイルの問題ですよね。ゴミの問題やエネルギーの問題などをふくめて、アメリカとヨーロッパとでは、ちがいが明らかです。イギリスの王立鳥類保護協会(RSPB)はアメリカのオーデュボン協会と同じころにつくられ、ともに愛鳥から始まったもっとも古い環境保護団体です。1990年代に両方の本部を訪ねたさいのエピソードを紹介します。RSPBは野生生物保護を担保できるサンクチュアリ(保護区)の購入にとても熱心でしたが、オーデュボン協会はというと、サンクチュアリは維持費がかかるから遺産寄付などでもらっても困る、増やす気はないと当時は言っていました。このスタンスのちがいには驚きましたね。とくにドイツやオランダ、スカンジナビア諸国などは、環境に対する態度がアメリカとはぜんぜんちがいます。持続可能な社会にむけてライフスタイルを変えようとしています。いわゆる環境教育、環境運動はアメリカから始まったけれど、アメリカではなかなか成果が出ていないように思います。

阿部(健)●人と自然の関係からいえば、アメリカの国立公園は人を排除した。

阿部(治)●そうなんです。そこで生活していた先住民を排除してつくられたもの。だから、アメリカの国立公園のほとんどのネイチャーセンターやビジターセンターには、先住民のものが展示されているのですが、それはあくまで切り取られた文化です。そこにいないんだもの。自然の中に人の暮らしがないのがアメリカの国立公園です。

お年寄りも自然の一部

阿部(健)●ぼくも苦い経験があります。アメリカの自然保護の父とされるアルド・レオポルドさんの娘さん、エステラ・レオポルドさんが、花と緑の博覧会記念協会のコスモス国際賞を受賞されました。たしか8年ほどまえです。ぼくは光栄なことに、その式典での記念対談の相手に選ばれた。はりきりましたよ。娘さんといっても80歳を過ぎたおばあちゃんですがとてもお元気で、式典の前日にアメリカから来られて、「私、里山のことも話したい」と、とても気が合った。でも、当日の対談は最悪。まったく話がかみ合わない。
 最後になって、ようやく二人とも気がついたのだけど、natureということばの理解がまったくちがう。控室に戻って彼女が笑いながらぼくに言ったのは、「あなたの自然は、人をふくめているのね」。彼女がいう自然は、人がいないのです。
 それで思い出したのは、日本の民俗学者の宮本常一のことばで、「自然は人がいるとあたたかくなる(自然はさびしい。しかし、人の手が加わるとあたたかくなる)」と。
 日本人は、自然のなかに人の姿があってもぜんぜんかまわない。それが自然だということです。たんに自然の好きな子どもを育てるのではなくて、そこには、ESDで強調されている、人と……。

阿部(治)●人と自然、人と人、それから人と社会。人と自然にフォーカスを当てていた狭義の環境教育から人と自然、人と人、人と社会という広義の環境教育、私は総合的環境教育とよんでいますが、これを1990年代に提案しました。これがESDにつながっています。

阿部(健)●人と社会ですね。これがアメリカで環境教育をしている人には、なんでわからないのですかね。

阿部(治)●わからない。
 アメリカには自然学校がいっぱいあるのですね。いわゆる国立公園や国定公園の中に自然を体験できる施設がたくさんあって、子どもたちが自然を体験している。さきほど話した清里環境教育フォーラムはそれを日本でつくろうということでみんなで始めました。最初の5年間で日本型自然学校をつくろうと、研究会を重ねました。このため毎年のフォーラムではヨセミテ国立公園の所長や自然学校関係者など、アメリカからゲストをよびました。この5年間の成果は『日本型環境教育の提案』(1992年、小学館)として出版しました。NGOや行政、企業などをまきこんだ自然学校をつくる動きはその後、急速に拡がり、現在は、日本各地に3,000か所くらいありますね。
 ところが、気がついたら、日本の自然学校は、アメリカとはまったくちがうものができました。アメリカの自然学校は、都市部から国立公園などに行って、自然体験だけをしてそのまま帰る。ところが、日本の自然学校は、だいたいは山間地が多いのですが、自然だけではなく、地域の人ともふれあう。地域のお年寄りと話をして、彼らから自然について、さらに自然とともに生きる知恵を学ぶ。だからいま、自然学校が持続可能な地域創生の拠点となっているのです。
 このことには、本家本元のアメリカの大学の環境教育の先生たちも感心しています。でも、「アメリカに紹介したいのだけれど、アメリカ人には理解できない。どうやったらいいのかな」と私に相談するんですよ。(笑)このように日米の自然学校、ひいては自然を扱った環境教育は決定的にちがうのです。
 じつは昨年末、ESD研究所でアメリカ最大の国立公園内の自然学校の運営組織であるネイチャーブリッジの方に「アメリカの国立公園における環境教育」と題して講演していただきました。そのさいに、日本の国立公園はアメリカほどの奥深い自然はないが、里山での人の暮らしがある。この点はアメリカにないことですごい魅力、日本の売りになる。どんどん発信してゆくべきだと言うんですよ。やはりそうなんだと思いましたね。

阿部(健)●日本の自然のなかには、お年寄りも入っている。(笑)

阿部(治)●生活そのものもね。日本の自然学校は自然の体験だけじゃなくて、自然の恵み、生物多様性を地域の人を通じて理解できるようにしている。自然の恵み、生態系、生態系サービスそのものを教えるのです。

阿部(健)●地域のお年寄りの経験は、自然の恵みだけでなく、自然の怖さを教えることもできます。

阿部(治)●自分たちが死んでしまったら、もうこの地域はなくなると思っていたお年寄りたちが、自然学校ができたことによって、元気になった。(笑)いっぽうで、自然学校で学んだ子どもたちは、その地域に関心をもつ。一つの可能性として、自然学校が持続可能な地域創生の拠点になるというのは、こうした点です。

子どもは未来

阿部(健)●環境問題の議論では世代間倫理が大切だとよくいわれます。地域創生の課題としても、地域の将来を考えるときに、世代間の考え方のちがいが、ときに大きな障害となることがあります。教育というと、おとなが子どもに教えるということに縛られてしまいますが……。

阿部(治)●おとなと子どもがともにある、これがものすごく意味があるんですよ。互いが理解しあうと同時に、互いが励ましあうことができるのです。そして、未来を語ることができる。子どもたちにとっては環境問題をふくめてたいへんな時代に生きなければならない。その問題をなんとか打開できないかとがんばっているおとなたちがいる。案外、社会は捨てたものじゃないかもしれないと子どもたちは感じて、いっぽう、おとなたちは未来につながる子どもたちから元気をもらうのです。とくにお年寄りはこれまで話し相手がいなかった、伝える相手がいなかったわけです。それを子どもたちが聞いてくれる。お年寄りはだれに話しているかというと、未来に対して話しているのですよ。

 子どもたちにとっても、「自分がいまここにいること、自分という存在ってなんだ」と考えたときに、自分たちが生まれ育ってきた背景、歴史と文化が見えてきます。ここに至った道が見えている。ほんとうの環境教育は、子どもたちを希望、未来として考え、彼らに語りつづけることです。子どもたちをふくめて、若者の存在は希望ですよ。

阿部(健)●地球研では「未来可能性」ということばを持続可能性に代わって使います。これは日髙先生の発想で、持続可能性には現状維持のニュアンスがあるから、未来の可能性をもっと強調したかったのだと思います。

阿部(治)●「未来可能性」について日髙先生が書かれているものを読んで、「持続的で未来可能」とあって、「そうか、こういうことばがあるのか」と思っていました。

阿部(健)●日髙先生の造語で、Futurabilityという英語も商標登録しました。(笑)
 未来のことを考えると、教育もそうですが、地球研では従来の認識科学──正しいのか正しくないのか、事実なのか事実でないのかといった事実命題を問う学問ではなくて、設計科学をめざしています。つまり、こうすべきではないのか、こうあるべきでないかという価値を問う学問です。ますます価値が多様になるなかで、どういう将来のビジョンを描き、共有するのか。しかも、そういったことを研究者だけが考えるのではなくて、いろいろな立場の一般の方、さらには高校生や小学生たち、つまり未来といっしょに考える、そういう研究所にしたいね。

水俣での地元学を学ぶ学生たち

水俣での地元学を学ぶ学生たち

清里での自然環境プログラムを体験する

清里での自然環境プログラムを体験する

未来とつながる〈そうぞう力〉

阿部(健)●ここであらためて、地球研の環境教育について考えてみたい。人と自然だけではなくて、人と人、人と社会の関係を大切にしなければならないというESDの発想に、もしかしたらかなり近いところがあります。

阿部(治)●ESDで持続可能性というと、環境、経済、社会あるいは環境、経済、社会、文化といわれていますよね。語弊があるけれど、環境、経済、社会の持続可能性といってもそれだけではわからないですよ。ことばとしてはわかるけれど、通底する、鍵となるコンセプトが必要で、それが「つながり」です。
 これまでの人と自然との関係、つながりでは、もう未来はない。私とあなたとの関係は世代内の人びと、つまり、ほかの人びととの関係につながってゆきます。でも基本は、現在の人と人との関係です。それが次に、人ではない生きもの、生物種との関係に拡がってゆきます。これが一つのつながりの方向。もう一つの方向が、世代間、つまり未来の人びととのつながりです。
 では、どういう関係、つながりなら、未来があるのか。それをイマジネートする、あるいはビジョニングして、持続可能な新たな関係をクリエートしてゆく。私はこれを二つの〈そうぞう力〉とよんでいるのです。想像力と創造力という二つの〈そうぞう力〉を育むのが環境教育であり、ESDです。

阿部(健)●つながりの未来を想像し、そのうえで新たなつながりを創造する。ぼくは、この研究所に来てから、「関係価値」ということばをつくりました。

阿部(治)●いいですね。わかります。

阿部(健)●つながっていることによって豊かになる。そして、そのつながりが切れてしまうことによって不安定になり、将来がなくなってゆく。こういうものに名前をつけようと。いろいろな価値があることにみんな気づいている。つながりが大事だと。それなら、それにはっきりとした価値があることを名づけることで、明示すべきだと思いました。

阿部(治)●いやぁ、いいことばですよ。広まっていますか。

阿部(健)●残念ながら。(笑)でも、一昨年には、慶應義塾大学の入試問題の小論文に使ってもらいました。

「見える化」と「つなぐ化」

阿部(治)●社会関係資本ということばがよく使われ、自然資本なり、人的資本なり、いろいろあるけれど、いまは近代化のなかでつながりが見えなくなってきている。関係が切られたから見えなくなってきて、だからこそ、いろいろな問題がたくさん出てきています。
 いっぽうで、不可視化というか、見えなくさせられている、見えなくなっている関係もある。それをまた見えるようにするという意味での可視化ですね。いま私は、ESDでの地域創生を課題として、あちこちで実践しています。そこでみなさんに言っているのは、いろいろな資源の「見える化」、「つなぐ化」です。

阿部(健)●つなぐためにはまず、見えるようにしておかなければならない。

阿部(治)●「見える化」だけなら比較的かんたんです。地域創生に関しては、「ふるさと学習」という言い方もありますが、総合学習にも取り入れています。ないよりはあったほうがよい。
 おとなたち、とくに高齢者の方がたが、子どもたちに地域のことを知ってほしいと思ってがんばっています。地域の自然や歴史、文化、人材など、さらにはそれらとのつながりを学んだ子どもたちは、「あっ、自分たちが育った場所はこういうところだ」と誇りをもてる。語るおとなたちもあらためて地域への誇りを自覚することができる。こうした誇りが大事なのですが、いまは「誇りの空洞化」がどんどん進んでいます。明治から戦後の高度経済成長期を経ていまに至るまで、地方から都市に転出する流れができるなかで、地域の人が誇りをなくしてきたのですよね。だから、誇りの回復がまず基本。おとなたちが誇りをもって地域を語れる。同時に、子どもたちもそれに応える。そのなかで誇りの回復がはかられます。誇りの回復こそ、つながりの「見える化」です。
 いっぽうで、地域が消失しています。急がなければならないのが「つなぐ化」なのですよね。さまざまな資源をつなぐことで、生活や経済活動などに活かすことです。たとえば、こんどの学習指導要領では、「地域に開かれた学校(社会に開かれた教育課程)」といって、地域のなかでの教育課程、つまり、学校が持続可能な地域づくりの拠点となることを謳っています。それはよいことなんですが、これからどうするかという、そこが肝心なんです。
 そのさいに、地域の課題に気づくことが出発点になります。小学生だったら、「うちの地域にはこんなにいっぱいよいものがあるんだ」、「生きものだってたくさんいて、都会ではもう生きられなくなったものがうちの地域にはいるんだ」ということを知ることです。その次に、「では、これらはずっとここで生きられるのだろうか」という課題につながってゆく。中学や高校に行くにしたがって、知ることから課題解決へと関心を変えてゆく。できるんですよ、中学生や高校生は。
 たとえばアサヒビール株式会社は、「若武者育成塾」というワークショップを高校生むけに実施しています。私も審査委員でかかわっていたのですが、高校生たちが環境にかかわるプロジェクトを立ちあげ、取り組むのですが、おどろくほどの成果をあげています。ESDの拠点としては、ユネスコスクールに登録された小中学校などは1,000校を超えていますし、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)やスーパーグローバルハイスクール(SGH)など、がんばっている学校はいっぱいあるのですよね。

地球研の研究員は「憧れの人」

阿部(健)●地球研がかかわっている二つの高校の授業も、課題解決のための授業です。生徒が自分たちで課題を見つけて、さらに、その解決のためのアプローチを提案します。その模範になる例はありますか。

阿部(治)●たとえば、岡山県立矢掛やかげ高等学校はESDにとても熱心で、「やかげ学」という学校独自の教科を取り入れています。
 1年生の前半はおもに座学の授業で、地域の人からいろいろと話を聞きます。1年生の後半から2年生の前半にかけては、地域が受け入れ先になって、30回のインターンを経験します。そのインターンシップをとおして発見した地域のさまざまな課題をレポートにまとめて発表するのです。発表会には地域の人たちと中学生も参加します。すると、中学生たちが高校生の発表を聞いて、ああいう高校生になりたいと、ロールモデルにするのですね。当然、地域のおとなたちは喜ぶし、がんばった高校生は、AO入試で希望の大学に入ったりするのです。
 大学生の事例では、北九州市立大学が中心となって取り組んでいる「まちなかESDセンター」があります。北九州市内の10大学が連携して、「北九州まなびとESDステーション」を立ちあげました。大学が講義を開き、学生はもちろん、一般の人も授業を受けられます。学生たちは、自分たちでESDに関するプロジェクトを立ちあげて、市内のあちこちで実践する。それを見ている高校生たちは、自分も市立大の地域創生学部に入って、それをしたいと思うし、大学を卒業して市内に就職する学生も多くなりました。
 文部科学省が提唱しているアクティブラーニングは、まさにこういうことだと思います。「対話型」で「深い学び」というのは、学生たちが自分で考えて行動すること。さきほど、「地球研の若手は、高校に行くと一所懸命にやる」とおっしゃいましたが、まさにそれなんですよ。

阿部(健)●地球研の研究員も、高校生にとっては「憧れの人」かもしれないですね。

阿部(治)●それがまさにアクティブラーニング的なことで、互いに深い学びができる。

阿部(健)●互いにね。若手研究員たちはなにかと忙しいのに、高校生の授業となると、あれだけの時間を割いて熱心に取り組んでいるというのは、えらいと思います。

阿部(治)●おそらくそれが、地球研におられる研究員の方がたの、「なぜここで働いているのか」、「なぜここを選んだのか」ということとかかわっているのではないですか。いろいろ理由はあると思うのですよ。ここしか来るところがなかったとかね。(笑)でも、共通してあるのは、やっぱり未来ですよ。自分の専門性を伝えることによって、高校生に話すことによって、自分の未来にも確信をもてるし、子どもたちの未来もつくってゆくことになる。

阿部(健)●だから熱心なのか……。

阿部(治)●ただし、さきほどおっしゃっていたように、それをどうするかということ。することじたいにも意味はあるけど、研究員の方がたはエネルギーをものすごく使うわけですよね。それでもつづけてほしいと、ぼくは思うけれど、なかなかそればかりやっているわけにもいかないでしょう。

阿部(健)●みんなの努力を財産として、どこかで、地球研ならではの環境教育として確立させたいと思っています。どうやら、見える化、つなぐ化というのが、RIHNメソッドの鍵概念になりそうです。われわれ地球研が大学共同利用機関として、ほかの大学と協働しながらできることは、こういうことなのかな。つなげてゆく、そのハブになることができたら……。

阿部(治)●それは充分になれると思います。
 つながりのなかで私たちは存在しているわけです。そのつながりが切れたなかで、必要だからできたのが、この研究所でしょう。その研究所が、人と自然とのつながりを再構築してゆこうとしている。しかも、現代風にです。人と自然とのつながりはぜったいに切ってはいけないのですが、むかしに戻るのではなくて、社会が変わってゆくなかでも関係を維持してゆく努力をすることです。切れたら未来はありません。
 これは大きな課題で、地球研だけではできませんし、地球研だけでするものでもありません。地球研はハブとして、人と自然とのつながりという概念を磨き、それを維持するしくみを考え、さらにその概念やしくみをどんどん拡げることが求められます。そのしくみのなかで、高校がサテライトになってゆくかもしれない。その高校で育つ子どもたちがまた、そのしくみを支えることになるかもしれない。こうしたしくみを支える人たちはいっぱいいるのです。そう考えれば、未来は……。

阿部(健)●未来可能性ですね。

阿部(治)●そうそう、未来可能性は高まるでしょうし、さらにもうひとつ、RIHNメソッドとしてなにか考えられるような気がしますね。とても大きな話にはなりますけど、小さなことから始めて、最初はゆっくりと、そして、やがて一気に拡がってくるような気がします。

〈2018年2月18日 地球研 はなれにて〉

1 2016年に、環境省と文部科学省が民間とともに設立。
2 コンラート・ローレンツ著、日髙敏隆・久保和彦訳『攻撃――悪の自然誌』(みすず書房、1985年)

地球研の環境教育の取り組み ………岸本紗也加

 地球研がおもに授業を行なっているのは、京都府内にある京都府立洛北高等学校(以下、洛北高校)と京都府立北稜高等学校(以下、北稜高校)です。
 洛北高校ではスーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業に協力しており、生徒が環境研究の問いを立てるところから結論を導くところまでをサポート。地球研主催の市民公開イベントで、高校生が研究成果を報告する機会を提供しています。
 いっぽう、北稜高校では「地球環境学の扉」という授業を設け、講師として地球研の研究員を派遣。演習を取り入れた授業を行なっています。2017年度は新たな試みとして、京都市立明徳小学校で合同授業を開催、高校生と小学生が授業で学んだ世界や地域の環境について、互いに教えあいました。

森林調査をする地球研の研究員と洛北高校の生徒

森林調査をする地球研の研究員と洛北高校の生徒(2017年10月 梅小路公園内「いのちの森」)

小学生に岩倉地域の植生についてクイズを出す北稜高校の生徒

小学生に岩倉地域の植生についてクイズを出す北稜高校の生徒(2018年2月 京都市立明徳小学校)

阿部健一先生

阿部健一先生

阿部治先生

阿部治先生

初対面での対談だったが、語りあううちに、環境教育への問題意識、人的ネットワークに多くの共通点があることがわかり、議論は白熱

初対面での対談だったが、語りあううちに、環境教育への問題意識、人的ネットワークに多くの共通点があることがわかり、議論は白熱。あっという間に2時間が過ぎた

あべ・おさむ

 専門は環境教育/ESD(持続可能な開発のための教育)。日本環境教育学会会長(2009-2015)を務め、現在は立教大学社会学部・大学院社会学研究科教授、同大学ESD研究所長、ESD活動支援センター長、公益社団法人日本環境教育フォーラム専務理事など。ヨハネスブルグ・サミットにおいて国連ESDの10年を日本政府とともに提案し、その後、国内外で主導している。環境教育による日中韓の環境協力への貢献で2015年にTEMM Environment Awardを受賞。編著書に『ESDの地域創生力──持続可能な社会づくり・人づくり9つの実践』(合同出版)など多数。

あべ・けんいち

専門は環境人間学、相関地域学。地球研研究基盤国際センターコミュニケーション部門部門長・教授。2008年から地球研に在籍。

きしもと・さやか

専門は国際協力学。モンゴルで日本語教師、大阪大学大学院工学研究科で環境リスク評価の研究を経て2016年4月から地球研研究基盤国際センターに在籍。環境教育について「現場」で問いつづけている。