百聞一見──フィールドからの体験レポート
世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています
町の歴史から考える地縁の意味
岩本葉子 (センター研究推進員)
私のフィールドは京都である。ただし、近世に洛中(ほぼ現在の上京区・中京区・下京区に相当)として認識されていた地域に限定しているため、かなり狭義の京都ということになる。この京都にいまも存在する地域組織が、近代にどのように変化してきたのかを古文書から読み解くのが私の研究である。いっぽうで、私にとって京都は日々の生活の場でもあり、研究生活は古文書のなかの京都と現代京都との行き来である。
京都の町
京都の都市としての歴史は古代の都城としての平安京に始まるが、住民による住みこなしが本格化するのは中世に入ってからである。平安京は60間(約120
m)四方の街区を基礎単位として建設されたが、街路に面した空間での経済活動の活発化、辻子
(細い道)による街区内部の開発、街路に対する巷所化(土地の占有)などがしだいに進行する。さらに応仁の乱以降の治安の悪化は住民の地縁的な結束を促進し、道を挟んで向かいあった家々が「町
」という組織を形成するようになった。たとえば冷泉町は近世初期の町内の構成をあるていど復元でき、道の両側に約60間にわたり各30軒ていどの商家が並んでいる。このような町が現在の町内会へとつながっているのである。
近世には幕府が都市の住民を把握・管理するために町を活用するようになり、法令などは町をとおして住民に伝達された。いっぽうで、町は住民が都市生活を送るうえでも重要な単位であった。社会保障制度が未発達な時代において、町は困窮者を援助し、火の元の見回りを住民の持ちまわりで実施した。そのために各町では役員が選ばれ、独自の内部規約を作成している。町は自治組織としても機能しつづけたのである。
近代になると明治政府は地方制度を整備するが、その過程で町の行政上の役割は極端に縮小することになった。だが住民にとって地縁の必要性は容易に変化するものではない。京都には町が明治以降に作成した内部規約も数多く残されており、祭礼の執行や地域の諸問題に独自の対応を試みていたことがうかがえる。それらに関する記録の一部が現在では古文書として資料館などで閲覧できる。だが、京都の町が作成した最古の古文書は1582年までさかのぼれるため、近代のものは史料的価値があまり認識されてこなかった。私が近代の町を研究しはじめたころは「町は近代に形骸化してゆく」という認識も根強く残っていたが、こうした豊富な史料の存在からは町が形骸化したとは考えにくい。制度的な視点を離れ、一住民の視点から近代の町をとらえたとき、それがどのような存在であったのかが私の興味関心となった。
古文書のなかの町と現代の町
近代の古文書を残す町の一つに、大宮通沿いの北之御門町がある。明治・大正期にこの町で作成された内部規約からは、不動産の売買や賃貸を規制することで住民の出入りを町が管理していたことがうかがえる。こうした町の姿勢は近世には幕府からもあるていど法認されていたが、近代には法的根拠を失っている。それでも住民の出入りは町にとっては重要な課題であり、同時代の京都では多くの町が同様の内部規約を作成していた。
北之御門町の古い商家である木村卯兵衛家には明治後期の家訓が残されているが、対応不能なほどの「不埒」を行なう家人がいた場合は、町や学区に相談するようにと記してある。これは町組織が経営の安定を補完する存在であったことを示しており、現代の町内会とはやや趣を異にする。
いっぽうで町住民の紐帯として機能していたのが祭礼であり、これは現代にもよく引き継がれている。町ごとに地蔵盆が開催される光景は、このような風習のない地域で育った者にはとても新鮮に映る。地蔵菩薩のための祭壇が組まれ、老若男女が寄り集まって晩夏の一日を過ごす。また、日常においてもよく手入れされた祠は、地縁の強さを体現している。
「ずれと重なり」から見えるもの
全国的には、市町村合併にともない町名も変更されることが珍しくない。東京では近世の町名はほとんど目にしないが、京都ではよく残されている。町組織が脈々と生きつづけてきた証である。しかし、近代の交通手段の発達によって町は職住一体の空間ではなくなりはじめ、戦後にはその傾向が加速する。さらに通信機器の発達と普及は距離の障壁を消し去った。もはや地縁の必要性は自明ではないといえるだろう。
それでも、人間の身体が土地から完全に自由になることはない。安定した生活のために地域組織を維持し、絶え間ない住民の出入りと時代の変化に対応してきた古文書の書き手たち。彼らが伝えてくれる古文書のなかの町と現代の町とのずれと重なりは、「その土地で生活する」ことの意味を思考する手がかりを提供してくれる。

現在も西陣機業関連の会社や古い町家が並ぶ北之御門町

新しい花が供えられ、よく手入れされた祠
いわもと・ようこ
専門は建築史・都市史。2014年に東京大学大学院工学系研究科にて博士号を取得。2017年8月から地球研に在籍。