特集1

所長からのメッセージ

地域と地球をつなぐ思想 「近代化」をどう超克するか

安成哲三(地球研所長)

地球研は2016年から第3期中期目標・中期計画に入り、プログラム-プロジェクト制という新たなしくみを整えた。新体制のもと、地球研は、複雑化する現代社会の環境問題をどう捉えているのか。地球研はどのような姿勢で環境問題に臨もうとしているのか。2017年度のはじまりに、あらためて所長の見解を聞いた

 地球研の所長を仰せつかって丸4年、この4月からは再任として引きつづき職務を遂行することになりました。2016年度から始まった第3期中期目標・中期計画では、新たにプログラム制を導入し、プロジェクト間の有機的な連携と統合をはかります。ここで、所長候補に指名されたときに私が掲げた抱負の一部を、あらためて以下に示します。

地球研が掲げる「文理融合」は、地球あるいは地域の自然を人間がどのように理解しつつ風土を形成してきたのか、あるいは、今後の地球および地域スケールでの社会の持続可能性はどうあるべきかを、さまざまな切り口を統合しつつ考究していく過程と考えています。この過程は、実は、自然を人間から切り離して、あるいはある機能・部分だけを捉えて理解してきた、17~18世紀以来の近代合理主義にもとづく現在の科学の再構築の過程そのものです。その意味で、地球研は、人と自然(地球)の調和的・持続的な相互作用を考究する新しい「環境知」構築のための世界の先端研究所になるべきと考えています。すでに「環境」や「地球」あるいは「地域」などを冠する多くの研究機関がある中で、国内・国際的に地球研を地球研たらしめる存在理由(レーゾンデーテル)は、そこにしかないと考えます。そのためには、現在進めている多くのプロジェクト研究の方法と成果を横断的・統合的に評価すること、そして、地域からの視点と地球的視点の止揚をめざすことなど、新たな学の具体的な切り口の模索と、これらの活動の国際的な発信を強力に進めることが重要です。

(2012年2月 所長立候補時の所信表明から)

 5年経ったいま読みなおしても、この抱負に書いた地球研の方針は、まだ有効であると感じています。しかし同時に、このなかで指摘していた、地域と地球の視点をどう止揚あるいは統合してゆくか、という課題は、大きな宿題として残されていると言わざるをえません。ここでは、この問題について今後の道筋を考えてみます。

国境なき地球の自然

 いま、世界各地の陸でも海でも、国による領有や占有をめぐる政治的緊張が高まっています。しかし、このような人間社会での緊張には関係なく、鳥たちは自由に空を飛び、魚たちは自由に海を泳ぎまわっています。人工衛星画像からみる生の地球には、海陸分布があり、地球をめぐる雲の動きはみられますが、国境はどこにもみられません。
 大陸と海洋の境界には大陸棚で縁どられた沿海が拡がり、豊かな海洋生態系が培う水産資源の宝庫となっています。陸上には複雑な地形や気候に育まれた植物生態系があり、さまざまな動植物群の生存を可能にしてきました。近年の多くの研究は、海と陸の生態系は独立した生態系として維持されているのではなく、水や物質の循環をとおして、密接につながっていることも明らかにしています。
 人類は、このような海洋と陸上の生態系から多くの恵みを授かりながら、人間社会を形成してきました。生態系からの恵みとは、食糧としての水産資源や森林資源などの直接的な恵みに加え、植物プランクトンや森林による光合成をとおした酸素の供給、森林による水循環や栄養循環の維持や水害防止など、多岐にわたっています。このような生態系からのさまざまな恵みを総称して、最近では「生態系サービス」といわれています。人類は農業・漁業など、生態系サービスを活用して、社会を形成し発展させてきたわけです。生態系サービスを保証してきた海・陸の生態系は、それを支えてきた大気、水、物質循環系とエネルギー系をふくめ、長い地球の歴史のなかで形成され、シームレスにつながったシステムとして維持されてきました。私たち人類が依存する地球のこのシステムには国境はなく、まさに人類の共有財産、すなわちグローバル・コモンズとして守る必要があるのです。

地域と風土の形成

 人類はその長い歴史のなかで、シームレスにつながる地球の自然の恵みを、それぞれの地域での気候、水・物質循環系や生態系の特性を活かしつつ、生業や生活圏を築いてきました。国や社会の成立もふくめ、自然と人間の係わり合いについて考えると、どうしても人間が住んでいるその場所、すなわち「地域」における問題を、まず考える必要があります。地域は多様で、自然もそこに住む人たちの生業や文化もさまざまです。その多様性もふまえたうえで、それぞれの地域で自然と調和的に豊かに幸せに生きることとはなにか、その社会の持続可能(あるいは未来可能)なあり方はどうかを考えることが重要なのです。
 地域の自然の特性を活かしながら循環型の持続可能な社会を築いてきた一つの好例が、鎖国していた江戸時代の日本であったと指摘されています*1。もちろん、封建体制下の社会体制、さまざまな自然災害に対する脆弱性など、多くの問題も抱えていましたが、現在私たちが里山・里海と称している、人が自然と一体化して生きる持続性の高い地域社会の原型は、260年つづいた江戸時代につくられたといっても過言ではないでしょう。日本にかぎらず、近代化以前の世界の多くの地域では、それぞれの地域の自然をあるていど改変しつつも、持続的な生業と生活が長くつづき、それぞれの地域で固有の風土が形成されてきたともいえます。

「近代化」──その帰結としての人類世

 このような風土に培われた地域社会は、しかし、とくに19世紀以降、「近代化」と称される人間活動により大きく改変あるいは破壊されてきました。近代化は、石油・石炭などの鉱物資源をエネルギー源にして進められてきた工業活動に加え、自動車、鉄道、船舶、飛行機などの大量・長距離輸送システムが発達して、地球の多様な自然を破壊して画一的な人工世界をつくってきた過程ともいえます。この近代化により1万年つづいてきた完新世(Holocene)の地球システムは大きく変えられ、地球規模で近代化の足跡に満ちた人類世(人新世、Anthropocene)になったといわれています。
 資本主義経済と軌を一にした近代化はエネルギー・資源および情報の集約化が前提であり、これらを生みだす資源の保有、所有、利用をめぐって、国家間の競争や戦争が頻発しました。20世紀はまさにそのような時代であり、21世紀に入った現在もなおその状況はつづいています。「グローバリゼーション」という名の地球の画一化は、エネルギー・資源・情報と富を限りなく成長・拡大させようとする資本主義経済が地球規模になって進行していることであり、これらを持てる国(あるいは企業体)と持たざる国の格差は、結果としてますます大きくなっています。
 そのようななか、持てる国を中心とする資源の消費が、温室効果ガスである二酸化炭素の増加を招き、地球温暖化を促進し、地球全体の気候に大きく影響し始めています。鉱物資源やバイオマスの燃焼によって大量に放出された大気汚染物質も、国境を越えてまたたくまに広域に拡散し、グローバルな大気汚染と深刻な健康被害を引き起こしつつあります。都市開発や農地拡大は、地域固有の生態系の劣化や消滅を引き起こしており、生態系サービスの劣化を招き、有限な地球での「限りなき成長」がもう不可能であることが顕在化してきたのも人類世の特徴といえます。いずれにせよ、地球環境問題の本質は、近代化による、さまざまな地域における多様で持続的であった人と自然の関係性(すなわち風土)の地球規模での破壊にあります。

地域と地球をつなぐ思想

 地域の自然は多様であり、そこに住む人たちの生業や文化もさまざまです。それぞれの地域で豊かに幸せに生きることとはなにか、その社会の持続可能(あるいは未来可能)なあり方はどうか。そこに生じている環境問題、社会の問題をいかに解決するか。地球研の多くの研究プロジェクトは、異なる地域を対象としたフィールド調査を中心に、これらの問題についてさまざまなアプローチで取り組んできました。
 そうしたなかでも、「地球環境問題の解決に資する研究」をめざす地球研として、忘れるべきではないのは、地球規模で進行する近代化を、それぞれの地域でどう超克しつつ地域を変えてゆくことができるか、という視点ではないでしょうか。17世紀ヨーロッパに始まった近代合理主義の思想にもとづく近代化の論理に対し、多様な自然のなかで、人びとが長い歴史をつうじて培ってきた地域の智と思想(風土性)*2を対峙させつつ、どう新しい風土性と社会・経済の未来可能性を探れるか、という視座が重要です*3。地域が抱える問題について、社会との共創による超学際研究をとおして、近代化を克服する方向での解決策を探ることは、地域と地球をつなぎ、未来可能な地球を考究する新たな思想と科学を創出する営為そのものだと考えます。

*1 鬼頭 宏『文明としての江戸システム』日本の歴史19 (講談社学術文庫、2010年)

*2 オギュスタン・ベルク『地球と存在の哲学──環境倫理を越えて』(ちくま新書、1996年)

*3 安成哲三「地球の論理と地域の論理──生態地球科学の提唱」文部省科学研究費補助金重点領域研究「総合的地域研究」世界と地域の共存、地域と生態環境 A01、1994年、第7号、pp.32-34.(http://www.chikyu.ac.jp/yasunari/yasunari.bak/list/paperlist.n.r.html

観測衛星で地球を撮影した写真

観測衛星で地球を撮影した写真。JAXAホームページより転載http://www.eorc.jaxa.jp/earthview/2005/tp050603.html

高知県長岡郡大豊町八畝の棚田

高知県長岡郡大豊町八畝の棚田。江戸時代からつづく叡智を、未来可能性を探る指標に
(2017年2月26日、三村 豊研究基盤国際センター研究推進員撮影)

インドネシア、ジャカルタの高層ビル

インドネシア、ジャカルタの高層ビル。「近代化」の象徴として(2016年7月3日、三村 豊撮影)

やすなり・てつぞう

1947年生まれ。専門は気候学・気象学、地球環境学。京都大学博士(理学)。京都大学東南アジア研究センター助手、筑波大学地球科学系教授、名古屋大学地球水循環研究センター教授などをへて、2013年から現職。筑波大学、名古屋大学名誉教授。名古屋大学21世紀COEプログラム「太陽・地球・生命圏相互作用系の変動学」、名古屋大学グローバルCOEプログラム「地球学から基礎・臨床環境学への展開」拠点リーダー。地球研研究プロジェクト評価委員会委員、地球研運営会議委員、WCRP(世界気候研究計画)国際科学推進委員などを歴任。6月からFuture Earth国際科学委員に就任。趣味は登山など。学生時代には京都大学探検部に所属、チリ・パタゴニアの学術調査などを行なった。

受賞歴

日経地球環境技術賞
日本気象学会賞、藤原賞、山本賞、水文・水資源学会国際賞、功績賞
モンゴル国自然環境功労研究者賞
地球惑星科学連合フェローなど