百聞一見──フィールドからの体験レポート
世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メ ンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に 耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています
うなづき症候群と生きる村
西 真如 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科特定准教授)
「森へハチミツを採りにゆくから、来なさい。」
そろそろ寝る支度をしようと思っていた私は、声をかけてくれたお父さんについて小屋を出た。3月のなかば、ウガンダ北部を流れるアチワ川流域の村には雨季が訪れようとしていたが、今宵は雨にはならなさそうだ。家屋の裏手に広がる暗いブッシュの中を歩いて、円筒形の巣箱をかけた木の根元にたどり着く。お父さんは巣箱のところまで登ってゆき、煙でミツバチをいぶしながら巣箱に手を突っ込んで、ミツの詰まった巣を手際よく取りだしては助手の男の子に手渡してゆく。一匹のハチに首元を刺されて、私は小さな悲鳴を上げた。それがよほどおかしかったらしく、男の子は爆笑している──ここで「お父さん」とよぶのは、私が調査中に滞在させてもらった世帯のあるじである。彼が暮らす村はけっして豊かではないが、畑を耕すほかに、近くのアチワ川では漁ができるし(写真1)、ブッシュでは野生動物も狩る。お父さんは村を通りぬける国道沿いに雑貨や酒を売る店ももっていて、ほかの家よりも少し金回りがよいように見える(写真2)。
紛争と疾患と
村に滞在していると、この地域で暮らすアチョリの人びとがそう遠くない過去、「神の抵抗軍」を名乗る反乱軍と政府軍との衝突のなかで、虐殺や拉致、略奪をふくむ凄惨な暴力に巻きこまれていたことなど、まるで嘘のように思われる。もちろん「嘘のよう」という感慨は、当時を知らない私のものであって、紛争を経験した人たちは暴力の記憶を心の中に重く淀ませながら、今日に至るまで日常を取り戻そうとしつづけているのである(アチョリの紛争経験についてはFinnström,
2008)。
暴力がおおむね収束し、村での日常生活が戻り始めたのは2007年以降のことであるが、ちょうどそのころからアチワ川流域では、「うなづき症候群(Nodding
Syndrome)」とよばれる病気の流行がみられるようになった。患者の多くは10代までに発症し、てんかん症状を頻繁に呈することに加えて、なんらかの知的障害を伴うことが多い。疾患そのものはただちに命を奪うものではないが、水浴びの最中に意識を失って溺死したり、意識のないまま徘徊して行方不明になる患者もいる。てんかん発作への偏見から通学を拒まれたり、知的障害のために教育機会を失う子どもも少なくない。近くの町には国営の診療所があり、抗てんかん薬を無償で受け取ることができるが、薬の種類も職員の知識もかぎられており、治療を受けても発作が収まらない患者が多い。
ウガンダで人と自然を見つめる
私はこれまで、エチオピアでHIV感染症に関する医療人類学調査に従事してきたが(西、
2017)、最近になって、うなづき症候群の調査を目的にウガンダ北部を訪れるようになった。私の相手をしてくれるお父さんも、身内に患者を抱えている。患者の危難を未然に防ぎ、生活の質を確保するには日常的な見守りが欠かせないが、患者の家族はそれぞれ、生計のための労働に従事したり、学校に通う時間が必要である。患者の祖母が健在である場合、日常的な世話役を期待されるが、彼女らにもじぶんの人生がある。医療資源がかぎられたアフリカの農村で、どのように患者とその家族の生活の質を確保するのかを考えることが、私の調査の課題の一つである。
この病いとどう付きあうかという問題とともに、村人にとって重要なのは、なぜ彼らが、この病いの流行を経験せねばならなかったのかということである。村人のなかには紛争との関連を疑う者も少なくないが、医療専門家のあいだでは寄生虫の関与が疑われる。たとえば河川盲目症の原因とされるオンコセルカ(回旋糸状虫)が、てんかんの発症にも関与することは、専門家のあいだでは知られている。オンコセルカを媒介する黒バエは河川で繁殖することから、アチワ川流域でうなづき症候群の流行がみられることとも整合する。
村の周囲に広がるブッシュと同様、アチワ川の流れは村人の生活を支えてきたが、同時にその流れは、さまざまな病いも運んでくる。うなづき症候群は、治療を必要とする疾患であると同時に、人と人との関係についての問題であり、人と自然とのかかわりについての問題でもある。
参考文献
Finnström, Sverker (2008) Living with Bad Surroundings: War, History, and Everyday Moments in Northern Uganda, Duke University Press.
西 真如「公衆衛生の知識と治療のシチズンシップ――HIV流行下のエチオピア社会を生きる」『文化人類学』81巻4号、2017年、pp.651–69.

写真1 お父さん(本文参照)は川漁もする。写真はアチワ川でとれたティラピア

写真2 国道沿いの雑貨店。電気のない村では、ソーラーパネルはたいせつな商売道具
にし・まこと
2017年3月まで実践プログラム「環境変動に柔軟に対処しうる社会への転換」プログラム上級研究員として地球研に所属。専門は医療社会学、文化人類学。エチオピアやウガンダをおもなフィールドとしてHIVやてんかんなどの疾患と共存する社会のあり方について考えている。