特集1

地球研+フランス国立社会科学高等研究院合同セミナーの報告

人類世アンソロポシーン(Anthropocene)における複数形の人類景アンソロポシーンズ (Anthropo-scenes)
アフリカからの視点

報告● 田中 樹 (地球研教授) + ベノワ・アザール (フランス国立社会科学高等研究院准教授) + 寺田匡宏 (地球研客員准教授)

現代を地質年代で区分すると、新生代第四期の完新世(ホロシーン、Holocene)にあたる。しかし、人間の行為が地球環境に与える影響をふまえて、新しい時代区分に入ったのではないかという議論が起こっている。それが「アンソロポシーン(人類世、人新世、Anthropocene)」だ。53号や58号でも取りあげたアンソロポシーン学説について、今回はフランス国立社会科学高等研究院(EHESS)との合同セミナーをもとに、世界が地球人類史をどのように捉えているのか、その最前線をお伝えする

 アンソロポシーンという概念は、アントローポス(人間)とカイノス(新)という2つのギリシア語をもとにしており、二酸化炭素排出量などのさまざまな観点から見て人間の行為が地球史という巨視的なスケールでみても無視しえないほどとなっていることを含意している。このアンソロポシーン・テーゼはまだまだ仮説段階であるが、学術界でじょじょに影響力をもちつつある。今回のセミナーは、そのアンソロポシーン・テーゼをアフリカのランドスケープから考えてみようという試みである。
 アンソロポシーン学説はグローバルに見て影響力をもちつつあるが、その西洋中心性は否定できない。それを、アフリカの視点から見たらどうなるのか。ランドスケープとは、たんに景観だけではなく、広く人びとの生活の場である。アフリカの人びとの生活の場から見たとき、アンソロポシーンはどう見えてくるのか。日仏の2人のオーガナイザーと参加者の視点から考える。(寺田)

日本側オーガナイザーの視点

生活圏のスケールからのアンソロポシーン

田中 樹(地球研教授)

 2016年12月、パリ市の日仏財団において「Landscapes in the Anthropocene」をテーマとする日仏国際セミナーを行なった。地球研実践プログラム3「豊かさの向上を実現する生活圏の構築」による企画で、日本からは地球研や北海道大学、広島大学、フランスからはIIAC(人類学・学際研究所)やEHESSの研究者とアフリカからの留学生が参加し、2日間にわたり27件あまりの発表と意見交換を行なった。また、砂漠化プロや地球研のフォトコンテストに出品された約100点の写真を展示した。
 人口増加と人間活動の拡大を背景に、人間が地球の資源・生態環境や気候に大きな影響を及ぼすようになった時期以降を人類世(人新世、Anthropocene)とよび、それにかかわる研究が進められつつある。地球研が取り組む、地域・地球環境に関する諸問題の解決に資する研究、人間存在(文化)や未来社会のありように関する研究は、アンソロポシーン研究と重なる。このセミナーの関心事は、ヒューマン・スケール──あるいは「生活圏」のスケールにたつときに見えてくるアンソロポシーンの諸相を捉えること、時限を帯びて深刻化する諸問題の解決や未来社会のあり方を探ること、などであった。なによりも、そしてそれ以前に、さまざまな専門分野や経験をもち、異なる国・地域から集った研究者らが、用語や認識を共有する場と機会にすることを意識した。
 参加者の多くが互いに初対面である場合、手始めとなる作業は、それぞれがつかうことばの意味の確認である。セミナーでの意見交換は、アンソロポシーンを認識の背景としつつも、むしろ「ランドスケープ」に関するものが多かった。このことばの定義や概念は、「環境」ということばと同様に、国・地域および専門分野によりかなりの幅や揺らぎをもつ。景観、風景、景色、景域などと訳されるそのことばから、人によっては、感覚的・審美的な観点からの土地(場、空間)の拡がり、それを構成するものとして土や水、植生、地形などの物理的な要素や人間がつくり出した造形物を想起するだろう。フランスの研究者らの話しぶりからすると、それらを包括した「テロワール(terroir)」よりも、それらと人びとの暮らしが織りなす佇まい(そこに投影される文化や心象を含む)から派生したといわれる「ペイサージュ(paysage)」の概念をあてていた(ように思う)。それは、プログラム3の「生活圏」の概念ともおそらく重なるだろう。
 たった1回の集まりで、美しいことばや修辞に彩られたなんらかの方向性、結論が得られるわけはない(そのような集会は、しばしば茶番劇に例えられる)。それゆえに、このセミナーの収穫の一つは、露悪的にいえばグダグダな議論がくり返されるなか、お互いに通じることばを探りつつ、その輪郭や焦点らしきものが徐々に浮かびあがってきたことだ。また、「ランドスケープ」に関する議論をふまえて、「アンソロポシーン」の綴りに「s」を加えた「Anthropo-scenes」ということばの提案もあった。これは、「始まりの始まり」である。主催責任者の1人であるIIACのアザール先生とよく冗談にする「極東(Far East)と極西(Far West)の研究者が、アジアやアフリカのフィールドを共有しつつアンソロポシーンについて考えるとこれまでにない認識や着想が飛びだすかもしれない」ことにむかう第一歩である。

オギュスタン・ベルク教授の講演

オギュスタン・ベルク教授(右端)の講演。コメンテーターとして、ナイルズさん(左端)と寺田さん(左から3人め)が登壇

自由討論の光景

自由討論の光景

Landscapes in the Anthropocene
アンソロポシーンにおけるランドスケープ

おもなプログラムと地球研関係者の発表題目

■ 講演 人類世における風景という知──環世界学的考察

……オギュスタン・ベルク(EHESS教授)

■ コメント ダニエル・ナイルズ(地球研准教授)、寺田匡宏(地球研客員准教授)

セミナー1 人類景と他者の人類学

セミナー2 過去から現在への風景──環境のための形態?

セミナー3 映像誌における風景

セミナー4 アンソロポシーンにおける生と住まい──その特徴

セミナー5 大地、領域、資源──場と関係

セミナー6 アンソロポシーンにおけるエネルギー、テクノロジー、生の技法

フランス側オーガナイザーの視点

アフリカから見る複数形の人類景(Anthropo-scenes)

ベノワ・アザール(EHESS准教授)
* 原文英語

 地球環境だけでなく、人文学の新パラダイムとしてアンソロポシーン概念が浮上している。この学説は、人類が地球環境の変化を引き起こす主要な地質学的要因であることを指標に、ある時間分割単位を提唱するが、いっぽう、認識論的な問題もそこにはある。地球上のあらゆる場所で人類と非-人類が織りあげてきた時間とダイナミクスの複数性を、たんに生態的・社会的・文化的なリスク要因とみなすような超歴史的で単純な視座を創設してもよいのか? それが人と生物の織りなす世界を再概念化する唯一の道なのか?
 本セミナーは、自然と人間の関係を概念化する新しい理論的・概念的枠組みを立ちあげ、グローバルな環境の変化を地域のレベルでどのように理解すればよいのかを考える試みだ。それは「複数形の人類景(Anthropo-scenes)」に収れんする。それはアンソロポシーン学説を補強するというよりむしろ、自然/文化の二元論を超えた社会生態学的変化を再考する多くのパラダイムと親和性をもつ。

「マージナル・ランド」アフリカにおけるアンソロポシーンの景

 アンソロポシーン学説は地球の天然資源の有限性を指摘するが、地球規模の環境変動に対応する新たな資源の模索のなかですでに複数の新たなアンソロポ・スケープ(Anthropo-scapes)が生まれている。ここでは、ジオ・サイエンティストやアース・マスター(Earthmaster)とよばれる専門家が提唱する技術により、天然資源の保全とグローバルな発展が同時に追求される。複数の人類景(Anthropo-scenes)を考えるとき、この持続可能性のための経済のグリーン化が、じつはさまざまな生活世界や人びとの暮らしの多様性をいかに無視しているかを見ないわけにはいかない。
 低価値とされてきたアフリカと南米の「マージナル・ランド」は、この複数の人類景(Anthropo-scenes)を明らかにするうえで重要な土地である。アフリカでは自然に依存していた人びとが急速で大規模なグローバル市場に巻きこまれてきた。そこではグローバルな成長のためのエンドレスのエネルギー需要を確保するため土地の「強奪」が行なわれる。国際食料メジャーが、非持続可能な発展モデルを維持するためにはそれが必要だ。他方、アフリカの地は、食料と一次エネルギーだけでなく、代替エネルギーにも最適だとされる。アフリカとは、技術により温室効果ガスを削減し気候変動問題を解決するテクノスフェア(Technosphere)実践の場として有望というわけだ。
 この現状は、アフリカにおける人類世のアンビバレントな状況を示す。多くの国は炭素排出に対する責任と補償への拠金を拒否するいっぽう、低炭素排出であることによる「グリーン成長」と補償メカニズムの両方から工業化への利益を得る権利があると主張する。ケニア、ウガンダ、タンザニア、エチオピアなど東アフリカ諸国は、人類世における土地利用を如実に示す。エネルギー生産の8割をバイオマスに頼るケニアでは、気候変動適応的なエナジー・ミックスなどの再生可能エネルギー部門が勃興し、グリーン経済が出現している。

人類世下の再生可能エネルギー市場に翻弄されるマサイ遊牧民

 このようなエネルギー市場の出現は、政策の優先度と土地利用を大きく変える。ケニアでは自然とは、観光からの、のちには炭素税からの収入を意味した。だが、政策「ケニア・ビジョン2030」は、ミレニアム開発目標のプライオリティを自然保護からエネルギー生産に変えることを謳う。再生可能エネルギー市場の標的は、資源採取のための国立公園民営化に留まらない。集約的農業・「クリーン・エネルギー」・地下資源への大規模投資のため、コモンズも強奪と私有化の対象となる。
 これはエネルギーの地政学的境界と地域の生物・文化的境界を変える。影響を受ける多くは遊牧民の土地だ。アンソロポシーンの名のもとで、天然資源のために大地溝帯のマサイなど遊牧民と農家が大規模に立ち退かされている。「気候変動難民」のあとに、アンソロポシーン的統治の選択によって新たな弱者が生まれているのだ。
 アフリカのアンソロポシーンのランドスケープは、持続可能性のためのイノベーションが、じつはローカルな人びとの知と暮らしを脅かすという限界を突きつける。その意味で、複数形の人類景(Anthropo-scenes)とは、人間と風土の関係を実現し、人類が変容させている自然とわれわれの持続可能な関係を議論する場を再建する重要な概念である。

王さんの発表。コメンテーターはベノワ・アザール准教授

王さん(右)の発表。コメンテーターはベノワ・アザール准教授(左)

参加者の視点

下からのアンソロポシーンのために

寺田匡宏(地球研客員准教授)

 アンソロポシーン言説は歴史に関する言説である。通常の歴史言説は、人間の歴史を扱うが、アンソロポシーン言説は、人間の歴史を人間の歴史を超えた地球の歴史へと接続しようとする。とはいえ、それは、地質学における地質年代や生物学における進化論とは異なる。これらは、歴史や進化の目的や当否を問わない。いっぽう、アンソロポシーン言説が問うのは、人間の存在が地球に地質規模で影響を与えていることの当否である。
 歴史言説とは、現在から見た過去の語り直しである。仮に、産業革命期からアンソロポシーンに地球は突入していたとしても、アンソロポシーンという言説が発明されたのが現代であるということは、アンソロポシーンとは、「過去の語りというかたちをとった現代に関するイデオロギー」であることを示している。
 イデオロギーという点で見ると、アンソロポシーン言説は、古代-中世-近世-近代-現代という時間の前後を基準にした比較的ニュートラルな歴史言説よりも、奴隷制-農奴制-封建制-資本主義-共産主義という発展段階を問題にする史的唯物論の歴史言説にちかい。史的唯物論で問題になったのは人間の生産力であった。いっぽう、アンソロポシーンで問題になるのは、人間の自然への支配力の大きさである。
 人間の自然への支配力の大きさを評価するのは、西洋のユダヤ・キリスト教にもとづいた考え方である。そこでは、動物と人間とが截然と分けられ、人間は言語という象徴体系をあやつることができるという点をもって動物に卓越した能力を持つとされる。しかし、そのような卓越した能力を持つにもかかわらず、人間は自然を支配することができなかった、というのが現代の西洋の自然観である。そのような自然観に立ったとき、人間がアンソロポシーンとして地球環境をいわば支配していたという発見は、恍惚と驚愕をもたらす。

複数の時間、複数の空間へ

 ここから見るように、アンソロポシーン言説が現在西洋の学術言説界で大きな影響力を持ちつつあることはある意味で必然的である。いっぽう、今日のグローバルな知の配分構造からみると、西洋の学術言説界で大きな影響力を持つ言説はすなわち、地球規模で影響力を持つ言説である。アンロソポシーンという西洋の刻印を色濃く受けた言説が、地球を覆いつつある。
 しかし、それでよいのか、というのが今回のシンポジウムの根底にある問いであったように思う。今回のシンポジウムが採用した視点は、アフリカの、生活世界からの視点である。アフリカの視点から見たとき、アンソロポシーンは「だれの?」という、コロニアリズムの歴史への問いが鋭く突きつけられる。他方、生活世界(life-world, Lebenswelt)とは、ドイツの現象学者エドムント・フッサールが1930年代に提唱した考え方で、現実との接点を失った現代科学への批判を込めたことばである。この生活世界の視点から見たとき、同じくアンソロポシーン言説の「上からの」側面が批判的に検討されることになる。今回のセミナーでそれを論じたのは、フランスと日本の、そして多くのアフリカ出身でフランスで活動をする研究者であった。
 今回のセミナーで提起されたのは、複数形の人類景(Anthropo-scenes)という概念であった。時間の区分としてのアンソロポシーンについて、MITマサチューセッツ工科大学で科学論を論じるクラッパトン・ムブフンガ准教授(Clapperton C. Muvhunga、ジンバブエ出身)は単数のアンソロポシーン(the Anthropocene)に代えて、複数のアンソロポシーンズ(anthropocenes)を提唱し、一つの時間が地球を覆うとする考え方への異議申し立てをしている。このセミナーで提起されたのは、それにくわえて、空間的な複数性であった。
 マックス・プランク科学史研究所のユルゲン・レン(Jürgen Renn)教授がいうように、アンソロポシーン言説は、現状では「コーヒーの入っていないコーヒーカップ」で、ことばだけがあって中身はこれから満たされてゆくべき段階である。この言説を豊かに、そして真の意味で地球的なものにしてゆくさいに、下からの、複数性の視点の意味は大きいが、世界的に見て、そのような試みはまだほとんどない。その意味で、今回のシンポジウムは重要な意味を持っていると思われる。

http://www.anthropocene-curriculum.org/pages/root/campus-2016/whose-reading-the-technosphere-and-the-anthropocene-from-africa/

アンソロポシーン(Anthropocene)をどう訳すか?

 Anthropoceneとはギリシア語の人間(アントローポス、ανθρωπος)と新(カイノス、καινός)を組み合わせた造語である。そこにはそれだけでは「世」という意味はなく、正式名は、The epoch of the Anthropoceneである。「新(cene)」とは新生代の時期名称の世(Epoch)につく形容詞連結形であり、完新世、更新世など新生代の時期はすべて「新」をふくんで命名されている。それゆえ、「アンソロポシーン(The epoch of the Anthropocene)」をそのまま訳せば、「人新世」である。
 とはいえ、まだ定訳はなく、日本語で「人類世」、中国語で「人类世」、韓国語で「인류세(in-lyu-se)」などともいわれる。人類の影響力を強調する場合、「人新世」よりも「人類世」がふさわしいともいえる。あるいは、人間世、人造世、人使世などの訳案が挙げられることもある。だがはたして、ギリシア起源の「人(アントローポス)」と漢字起源の「人」は同じ概念か?アンソロポシーンは西洋起源の概念である。西洋起源の用語をどう訳すかという問題は、日本ならびに東アジア近代化における長い課題であった。アンソロポシーンをどう訳すかという問いにおいて、われわれはその同じ問いに直面している。(寺田)

セミナー終了後の1枚

セミナー終了後の1枚

たなか・うえる

専門は境界農学。研究プロジェクト「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクトリーダー。2012年から地球研に在籍。

HAZARD, Benoit

専門は文化人類学。フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)准教授、フランス国立科学研究センター(CNRS)研究員。2017年1月から3月まで、日本学術振興会(JSPS)外国人招へい研究者として地球研砂漠化プロジェクトに滞在。

てらだ・まさひろ

専門は歴史学、メタヒストリー。地球研客員准教授。2012年から地球研に在籍。