百聞一見──フィールドからの体験レポート

世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メ ンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に 耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています

新米研究者、海外で調査する

石田卓也 (プロジェクト研究員)

 私が所属している栄養循環プロジェクトは、川の流域を一つのまとまりとして考え、そこに住む人びとが自然と向き合い、よりよい暮らしを営む社会をつくることをめざしている。そこで私は、流域の栄養循環のかたちを描くために、川や森、水田などで水や土壌を分析している。本プロジェクトの重要な調査地はフィリピン、マニラ近郊の流域である。日本とフィリピンの河川は驚くほどちがう。海外調査の経験に乏しい私にとってフィリピンでの調査は驚きの連続である。

調査はじまる

 フィリピンでの河川調査に行ったのは、乾季にあたる11月。熱帯地方なので11月だろうがかなり暑い。今回の調査の目的は、フィリピンの河川で栄養循環や生態系がどのようにかたちづくられているかを知ることである。
 調査地周辺でジカ熱が流行っているとの事前情報があり、大量の汗をかきながらも長袖で調査に挑む。調査は河川の上流部から始まった。最初に驚いたのは、流速がものすごく、ものすごく遅いことだった。流速計で流速を測定してみると、ほとんど0に近い値(流れがない状態)であった。今回対象とした河川は、最上流部には山があるのだが、そこから外れるとほとんど平地になっていた。日本の急峻な地形を流れる川のようすとは大ちがいだった。
 流速が遅いというのは、私たちにとって大きな問題だった。調査の一つにトレーサー実験というものがあった。それは、川の上流で栄養であるリンや窒素を含む溶液(トレーサー・写真上)を流し、100mほど下流側でトレーサーを回収・分析することで栄養循環を現場でとらえるという実験である。溶液は透明で河川内をどう流れているかわからないので、電気伝導度を指標とし、一定時間ごとにモニタリングしながら河川水を採取してゆく。
 しかし、遅い流速のせいでトレーサーを含む河川水がいっこうに流れてこない。本来であれば1時間ほどで終わる調査が、半日以上かかった。また、トレーサー実験の途中で、家畜のし尿らしきものが上流から流れてきたこともあった。実験途中で新たなトレーサーの登場である。もちろん川の中で新トレーサーを待ちかまえている気分はよいものではなかった。
 分析した結果、残念ながらそこの調査地のトレーサー実験はうまくいかなかった。その他、語りつくせぬほどのトラブルに対応しながら、なんとか調査はつづけていった。朝起きると疲労でまっすぐ立てない日もあった(シャワーを浴びたらまっすぐになりました)。しかし、平和なときはとくにすることもなく、フィリピンの河川でぼーっとしている非日常的な状況に、私は違和感をともなうなんともおかしな楽しさも感じていた。

川と住民とときどきわたし

 調査は上流から下流へとつづいていった。河川の近くには集落がいくつもあった。上流側に住んでいる人びとにとって川は遊び場であり、洗濯をする場であり、共同浴場であり、下水管であった。下流に行くと川に入って遊ぶ子どもたちはいない。川の水面は、洗剤の影響か、白っぽく泡だっている。川で遊ぶのは、上流の子どもたちの特権のようだ。
 川で調査をしていると周辺の住民が集まってきて、興味深そうに私たちの行動を観察していた。いっしょに調査をしていた現地の学生がタガログ語(フィリピンは英語とタガログ語が公用語)で子どもに話しかけると調査を手伝ってくれた。この子らが将来川の研究者になっていたらおもしろいと妄想し、自分が川と住民をつなげる懸け橋になれたみたいで嬉しかった。
 40代半ばのプロジェクトリーダーは、むかしは日本の川もこれくらい汚かったと言っていた。それを数十年で現在の日本のきれいな川の状態まで変化させた自然と人間の力はすごいと思う。これからどのような貢献ができるかはまだわからないが、今後の私に期待。

いつでも元気な現地の学生と同僚

いつでも元気な現地の学生と同僚。日中の調査が終わると、その日得た試料をその日のうちに処理しなければならない。右端の私の目はすでに死んでいる(それぞれの写真は上原佳敏地球研プロジェクト研究員の撮影)

トレーサーづくりの達人

トレーサーづくりの達人

いしだ・たくや

研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」プロジェクト研究員。専門は、生物地球化学。森林や河川、水田などで土壌、水の化学・同位体分析を進めている。