連載

晴れときどき書評

このコーナーでは、地球環境学にかかわる注目すべき本、おすすめの本、古典などを幅広く取り上げて紹介します。

窪田順平 (地球研研究基盤国際センター教授)

問題意識と「ひとり学際研究」

『フィールドサイエンティスト ──地域環境学という発想』

佐藤 哲著

東京大学出版会、2016年

A5判、234ページ

本体3,600円+税

『フィールドサイエンティスト ──地域環境学という発想』

 地球研研究プロジェクト「地域環境知形成による新たなコモンズの創生と持続可能な管理」のリーダーである佐藤 哲さんは、知の生産現場における研究者の役割について、「レジデント型研究者」や「知識のトランスレーター」など、独自の考えを主張してきた。本書では、地域の社会生態系の複雑な問題と向き合い、その解決を志向する「地域環境学」が提唱される。地球研プロジェクトの成果というよりも、「科学的な探求の魅力と知的興奮を追い求める若き生態学者」であった佐藤さんが、地域の人びととともに、地域の課題解決をめざす「フィールドサイエンティスト」となる、いわばプロジェクトの前史である。

想像力がもたらす公平な目線という資質

 本書では、多様なステークホルダーの協働による総合的な知識生産である「トランスディシプリナリー・アプローチ」が、世界各地の事例にもとづき展開される。とくに、アフリカのマラウィ湖の固有種でかつ地域の人びとの重要な水産資源であり、さらには生態学的にも貴重な大型のナマズ、カンパンゴを中心として、地域の課題解決を模索するくだりは、思わず引きこまれる。そのなかで、佐藤さんらが実践した「ひとり学際研究」(森岡、1998)が地域環境学の根幹であるとの主張は、個人的にはおおいに共感するものがある。一人称で語られる文章は、みずからの主張の強さを感じさせる。しかし、世界各地の事例の記述においては佐藤さんが主役となるのではなく、地域社会とそこにかかわる人びとに対する敬意と深い洞察が読みとれる。それを可能としているのは、どのような人がどのような思いで問題にかかわっているのかをきわめて公平に見つめ、みずからの問題意識として取り込むことができる、卓越した感性と想像力である。この資質があったがゆえに、佐藤さんは専門性を追究する学問的枠組みにはとどまることができず、地域社会と向き合うことを選んだのであろう。それは、環境問題のような現代の複雑な問題に対して、「みずからの問題意識」にもとづく「ひとり学際研究」の有効性を説く森岡さんの主張とも符合する。

地域社会という複雑系と自己組織化

 マラウィ湖から、さらに新空港建設をめぐる地域の葛藤や世界有数のアオサンゴ群落で有名な石垣島白保のサンゴ礁や、絶滅したコウノトリを研究者、行政、地域の人びとが復活させる豊岡へと、佐藤さんのあゆみはつづく。こうした成功事例を読み進めてゆくと、人と自然をつなぐ象徴としてのサンゴ礁やコウノトリといった「環境アイコン」のように、価値の可視化をつうじて、予定調和的にあるいは合意形成にもとづいて地域で協働できたかのようにも思えてくる。しかし佐藤さんは、コロンビア川の事例をつうじて、この安易な考えを強く否定し、あらためて地域の複雑性や多様性とその課題解決の困難さを説く。
 コロンビア川の事例では、緩やかに目標を共有しながら、さまざまなステークホルダーが独自の判断と意思決定によって行動することが複雑に相互作用して、社会全体の集団的な動きをつくり出すというメカニズムが示される。それが複雑系科学の領域で議論されてきた自己組織化の過程とよく似ているとの佐藤さんの示唆は、学習と社会変容という視点からたいへん興味深く、突っ込んだ議論がぜひほしかった。

新たな理論的な枠組みへの期待

 地域の社会と自然とが直面する課題解決にむけた総合的な科学である「地域環境学」は、個別具体的な課題における成功事例をもって語られるときには、きわめて示唆に富み、訴求力は大きい。そのいっぽうで、必要とされる知は、科学的な知識だけを考えても事例によってきわめて多様であり、そこにかかわる人びとも、その解決の過程も事例ごとにまったく異なっている。それでは地域環境学は、巨大な事例研究のかたまりで、理論的な枠組みや検証可能性はあるのだろうかという思いが頭をよぎる。
「新たな知の体系を求めて」と題された第5章では、事例分析をふまえて体系化と理論化が試みられる。さらに、持続可能な社会への転換にむけた方向性が語られる。しかし、佐藤さんのめざす枠組みの全体像がまだ掴みにくいと思うのは、評者だけではあるまい。複雑な社会生態系は、予測できないふるまいをするのだから、終着駅はないのだと佐藤さんには言われるだろうが、IASS(ドイツ持続性科学高等研究所)のイラン・チャバイさん(科学と社会との協働による持続性研究に関する世界的研究者のひとり)らとの共著で、地球研プロジェクトの成果として準備が進められているという次作におおいに期待したい。

参考文献

森岡正博「総合研究の理念──その構想と実践」『現代文明学研究』1998年、第1号、pp.1-18.