連載
晴れときどき書評
このコーナーでは、地球環境学にかかわる注目すべき本、おすすめの本、古典などを幅広く取り上げて紹介します。
阿部健一 (地球研研究基盤国際センター教授)
苦しみという贈りもの
『ダライ・ラマ 共苦の思想』
辻村優英 著
ぷねうま舎、2016年
四六判、266ページ
2,800円+税

ちょっとしたきっかけで、ふだんはまず手にしない本を手にし、思わず夢中になって読んでしまうことがある。本書がそうだ。きっかけは、著者がかつて地球研に所属していたということ。夢中になって読んだのは、ここで紹介されている「共苦
」という考え方が、環境問題を考えるときの手がかりになるのでないかと思えたからである。
地球環境問題は新しい段階に入った。すでに問題の存在とその深刻さは多くの人に理解されている。いまは、問題解決にむけて、一人ひとりがそれぞれの生活を見直し、変えるための具体的な行動を起こすべき段階になった。
そのために必要となるのは、根底となる思想である。個人がおかれている状況は経済的にも文化的にも社会的にも異なっている。地球環境問題という課題を共有しながら、なかなか力を合わせられないのは、そのさまざまなちがいが乗り越えられないからだ。ときにはまったく対立するようなちがいを超えた共通の価値、あるいは共有できる考え方を真剣に考えなければならない。そう思うとき、「共苦」にはその可能性がある。
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「共苦」とは、チベット仏教の指導者でありチベット亡命政府の最高責任者であるダライ・ラマ14世の行動の源泉にある思想である。あえて説明するとすれば「他者が苦しむのを見るに耐えがたく、他者の苦を苦しみ、他者が苦しみとその原因から離れるように欲すること」。14世みずからが英訳した「いっしょに苦しむ」という語義をもつ“compassion”というほうが簡明で理解しやすい。ただ14世の真意は、「いっしょに苦しむ」ことを超えたところにある。
だれにも苦しみがあり、だれもがそこから逃れたいと欲している。「共苦」の思想の出発点である。しかしつづいて、14世は、「では苦しみから逃れるのにはどうすればいいのか」とは問わない。むしろ問うのは、「苦しみに関して他人と自分を分け隔てるものはなく、他人も自分も同一ではないか」ということである。「自他平等」という意識がそこで醸造される。これは新たな価値だ。さらに他者の苦しみを自分の苦しみと思い、共に苦しむことで、他人のことを思うことができる。苦しみをつうじて他者と生まれるつながり。これもたいせつな価値だ。このように14世が導きだすのは「共に苦しむ」ことによって生まれる価値である。著者のことばを借りれば、ここにおいて「苦しみは贈りもの」となるのである。
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苦しみは無価値ではなく、他者とのつながりをもたらす扉となる。といわれても、現実に苦しむ者にとっては、ありがたくも役にたたない「説法」である。それでもこの考えにひきつけられるのは、ダライ・ラマ14世がこの考えに行きつく過程にある。著者が注目しているのもこの点だ。
1935年にごくふつうの農家で生まれた男の子が、観音菩薩の化身たるチベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ」となり、やがて国を追われて、チベット亡命政府の指導者として「無抵抗」の戦いをつづける。これほどふつうの人とかけ離れた人生はない。そのなかで、14世は、社会にとって必要なのは、宗教ではなく精神的支柱であり、政治権力ではなくビジョンであり、科学技術を盲信することではなく、科学では扱うことのできない領域があることを認めることだと気づく。そこにあるのは仏教の伝統とチベット民族の試練を一身に背負い、複雑な現代社会を乗り越えようとする一人の近代知識人の姿だ。困難な時代に特異な政治的・宗教的立場にあったからこそ、拠り所となる思想=共苦の思想を彫琢してゆかなければならなかった。
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ダライ・ラマ14世の苦悩は、われわれ一人ひとりの課題と重なる。著者が本書を書いた動機がまさにそうだが、個人の孤独感と無力感を克服し、社会の一員として現代の問題群に立ち向かう覚悟をしたときに、「共苦の思想」から得るところは大きい。
環境問題というアポリアに立ち向かうときもそうである。地球規模の課題だが、国家や国際機関だけでは対応できない。一人ひとりが意識を変え、一つひとつ行動を積み重ねることによって地球を「変える」ことができる。人新世Anthropoceneということばは、小さな個人が大きな地球を変えうる可能性も含意しているようにも思える。
意識を変え行動を起こすとき「苦しみ」は「苦しみ」でなくなるようだ。ダライ・ラマ14世のときおり見せる底抜けの明るさは、「共苦(compassion)」が、イヴァン・イリイチの提唱した「共愉(conviviality)」に通じていることを示している。本書を読み、地球環境問題を考えることは、最終的に、人と人とのつながりを意識し、ともに目的にむかって協働する喜びとなりうると思えた。