百聞一見──フィールドからの体験レポート
世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メ ンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に 耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています
フィールドワークは苦難があるほどドラマチックになる
對馬あかね プロジェクト研究員
「あー、楽しかった」。観測を終えたばかりの私の口から出るのはたいていこのことばである。この夏、私はユーラシア大陸中央部にあるキルギスタンでのアイスコア掘削に参加した。
アイスコアを掘りに行きたい
氷河は降り積もった雪が次の年まで融けきらずに積み重なってゆき、それが圧密されることで形成される。氷河からくり抜いた円柱状の氷をアイスコアとよぶ。アイスコアを化学的・物理的に解析することで過去数十万年に至る地球の環境変化を知ることができる。それは、将来的に環境がどのように変化してゆくかを考えることにもつながる。
修士課程でアイスコアの研究を始め、それ以降ありがたいことにたくさんのフィールドワークに参加させてもらった。しかし、なかなか本格的なアイスコア掘削に参加する機会には恵まれなかった。いつかは自分でアイスコアを掘りに行きたいとずっと思っていた。それはたんにフィールドワークが好きだからではない。アイスコア研究では氷が掘られた場所の雪質や地形など、現地で得られる情報はどんな些細なことでも解析のヒントとなる。人から伝え聞くことだけでは充分でないと感じていたし、自分の目で見て感じてたくさんのヒントを得たいと思っていた。
今年に入り、千葉大学の竹内望教授に声をかけていただき、念願叶ってアイスコア掘削に参加できることとなった。それが今回の観測である。観測隊長のアイダホ大学のVladimir Borisovich
Aizen教授らとキルギスタンにあるレーニン峰付近(標高5,300m)で約1か月間の観測を行なった。
氷を掘るということ
掘削を始めるまでには2日ほどかかる。大型のテントを立てその中に掘削ドリルを設置し、横にはアイスコアを観察するためのラボを、雪を掘ってつくる必要がある。今回の観測は場所を変えて計3回もその作業を行なったことになる。そういう意味でひじょうに珍しい観測といえるだろう。
1回めの掘削は生活スペースから100mほど離れた場所で行なわれたが、氷河内部にある水脈に当たってしまい、開始して2日めにしてあっけなく終了した。
2回めの掘削は1回めの掘削場所の西側にある丘の上で行なうこととなった。
夜6時に夕飯を食べたあとに登山を開始し、8時ごろから掘削する。しかし、氷河内部のクレバスとよばれる氷の割れ目に当たってしまった。掘削はまたしてもあっけなく終了した。
場所を数m移動させて3回めの掘削。この掘削でようやく岩盤までアイスコアを掘り進めることができた。山岳域の氷河でアイスコアを掘削する場合、さまざまな方法を駆使して事前調査を行なうが、氷の内部がどうなっているかはじっさいに掘ってみないとわからないことも多い。これがアイスコア掘削のむずかしさなのだ。
掘削を終えるのは真夜中で、テントに戻り寝袋に入るが、体中が冷えきりなかなか眠れない。「寒い、寒い」と、1時間ほどのひとりごとのあと、眠りにつく。そんなときにふと、「氷を掘るとはこういうことなのだ」といまさらながらに実感する。
快適な氷上生活のために
ところで、アイスコア掘削を語るうえで氷河上での生活の話を省くことはできない。観測中は氷の上で寝起きし、ご飯を食べ、雪が降り風が吹くなかで用を足す。快適な生活環境を整えることは観測の成功につながると思っているが、そのなかでもトイレは重要だ。
今回の観測では共用のトイレができあがるまでに数日要したため、私は自分のテントのすぐ裏に穴を掘り雪のブロックを積んで個人用のトイレを製作した。使用方法はかんたんで、スコップを持ってトイレに向かい、用を足したら雪で埋めるのだ。このトイレもわれながら上出来だったが、数日たったころ、クレバスをうまく活用した通称クレバストイレが完成した。洋式タイプのトイレで夜は用を足しながら満天の星空を眺めリラックスした時間をすごすことができたし、もちろんスコップでの後始末など余分な作業を要さない。このクレバストイレが完成した日から快適な氷上生活が始まったのである。
観測中の出来ごとを詳細に思い出すと、たいへんだったことや辛かったことももちろんある。しかし、世間から遮断され、雄大な山々に囲まれたまっ白でキラキラと輝く雪氷上での生活は、苦難があればあるほどドラマチックな思い出として私の心に深く刻まれるのだと思う。だからたいていの場合、観測後に私は心の底から感じるのだ。「あー、楽しかった」と。

氷河上での生活のようす(千葉大学大学院理学研究科教授 竹内 望撮影)

アイスコアを掘削する筆者(名古屋大学大学院環境学研究科准教授 藤田耕史撮影)
つしま・あかね
専門は雪氷学、古気候学。研究プロジェクト「高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索」プロジェクト研究員。2016年から地球研に在籍。