百聞一見──フィールドからの体験レポート

世界各国のさまざまな地域で調査活動に励む地球研メ ンバーたち。現地の風や土の匂いをかぎ、人びとの声に 耳をかたむける彼らから届くレポートには、フィールドワークならではの新鮮な驚きと発見が満ちています

忘れられなかったカミサマ

嶋田奈穂子

研究基盤国際センター研究推進支援員

 長いあいだどこのだれかも知らなかった人について、25年ぶりに知ることができた。その人は、私が小学生のとき、通学路沿いの空き地でいつもほこら にお水を供えていたおばあさん。その風景が、なぜかとても印象的だった。

二つの空き地

 その空き地は、奈良県斑鳩いかるが 町のJR法隆寺駅前にある、駐車場や住宅が密集する一角の小さな森である。中には小さな祠があり、「阿波村所有につき立入禁止」という看板がいちばん大きな木にくくりつけられている。
 近寄りがたい雰囲気のある場所だった。私自身も近所の神社では遊んだことはあったけれど、この空き地には入ったことがない。だからよけいに、そのおばあさんのことが気になったのかもしれない。
 神社の研究を始めてしばらくしてからこの空き地をよく思い出すようになった。きっかけは、滋賀県での神社調査だった。住宅地図に記された神社の場所に行ってみると、そこが空き地になっていたことがある。鳥居はなく、社殿が置かれていた台座だけが残されていた。片隅には、「巌稲荷神社跡」と刻まれた石碑が立っていた。近所の人にきくと、維持管理がむずかしくなったので、2005年に近所の神社に合祀 ごうししたとのことだった。合祀されたあとの神社地とは、こんなになにも感じない、抜け殻のような空間になるのかと驚いた。このとき、斑鳩町の空き地を思い出したのだ。
 あの空き地にも鳥居はなかった。でも祠はあったし、だいいち、なんだか怖かった。おばあさんがいたあの空き地は、いったいなんだったのだろう。
 昨年、そこに行ってみた。木も祠も看板も、なんともいえず暗い感じも、全部小学生のころのままだった。ただ、おばあさんはいなかった。その足で図書館に行ってみた。『斑鳩町史』には、次のように書かれていた。「この空き地はかつてつち神社であった。明治期の神社合祀政策にしたがって、同じあざ にある阿波神社に合祀された」。つまり、神社から空き地になった理由が合祀であることは私が滋賀で見た旧巌稲荷神社と同じだった。しかし、その後の様相はまったく異なっている。

消えてゆく神社

 日本では近年、神社の消滅や放棄が進んでいる。これは、地方集落の過疎化や高齢化にともない、神社の維持管理が困難になった結果だという。これらは過疎地神社とよばれることが多いが、過疎地にかぎられた問題ではない。神社地が神社でなくなった結果、その空間や地域社会には、どのようなことが起こっているのかを知りたくなった。そのとりかかりとして、この夏、おばあさんのいたあの空き地を所有する集落で聞き取りをさせていただいた。
 旧野椎神社境内地は、地元では「ユダノモリ」とよばれている。ユダは「湯田」と書き、森の中にある池をさしている。飛鳥京と斑鳩宮を行き来する聖徳太子が湯あみをした池と伝えられているので、ここは古い森であるようだ。森の中央がすこし盛り上がっていて、古い塚だともいわれているらしい。地元では「怖い森なので、近寄ってはいけない」といわれてきたという。祠はいつ、だれが置いたのかはわからない。明治時代に神社が合祀されたあと、土地は村の共有地となった。年に2回の草刈りがあって、先週も役員が草を刈ったばかりだそうだ。
 私は、おばあさんのことを尋ねてみた。「ああ、あの森の裏に住んでいるおばあさんや。役割を決めていたわけではないけど、信仰心があって祠のお世話をしてくれてはったんや」といわれた。25年もまえの私の記憶についてごく自然に返答されたことに驚いた。それ以上に、神社でなくなった土地をだれかが信仰し、お世話をしていることが特別〈変わったこと〉ではないこの地域が、なんだか嬉しかった。

おばあさんが見せた聖地

 聞き取りのあと、ユダノモリへ行って、初めて中に入った。外からは見えないが、池もあった。ユダノモリは駅にも近く、手入れの面倒を考えると、アスファルトにしたり駐車場にだってできるのだが、自治会では、「ここは神さんがいてはった場所やから」という理由で木を切らず、手をつけないでいるという。
 神社が神社でなくなったとき、なにが起こるのか。野椎神社の場合は、ユダノモリに戻っただけで、土地の聖性は失われてはいない。木々も池も、祠も変わらずそこにあり、地域の人びとに意識されている。その土地が更地になり、空っぽになるときは、合祀などによって「神社」という社会的枠組みを外すときではなく、人がそこにいるカミサマを忘れたときなのだろう。あのおばあさんこそ、そこにカミサマを見つづけ、ユダノモリを聖地たらしめつづけた一人なのだ。そしてあの小学生は、おばあさんがいた森の風景に、聖地というものを学んだ。

閑静な住宅地にポツンと佇むユダノモリ

閑静な住宅地にポツンと佇むユダノモリ。この森の中に祠がある

ユダノモリにいまも残る祠

ユダノモリにいまも残る祠

入口に設置された看板

入口に設置された看板

しまだ・なほこ

専門は人間文化学、思想生態学。日本や東南アジアなど、それぞれの土地に根ざした聖地について研究している。