連載
わたしと地球研 ………… リーダーのまなざし ❶
新たに始まったこのコーナーでは、プロジェクトリーダーが語り部となって、1枚の写真を手がかりに、自分の研究内容や将来の夢を ひもときます。
エリアケイパビリティーという知
石川智士 (地球研教授)
「専門は?」と聞かれ、返答に困ることが増えた。なにも困らずにもともとの専門である水産資源学や集団遺伝学と返答すればよいのだろうが、最近では、自分でピペットを握ることはほとんどない。資源評価を行なうことも少なくなっているなかで、そう答えることに若干の抵抗感がある。
いっぽうで、伝統文化、遺跡、ロボット工学、音響工学などの分野と協力した地域開発や観光開発の論文に名を連ねることが増えている。このような経験のおかげで、見識を拡げられる刺激的な毎日を送っている。ただ、このような状況で「専門は?」と聞かれると、やはり悩んでしまう。
■深く学び、知を創造する
研究者は、個人の興味から出発し、特定の研究課題や分野について深く学び、調査研究をつうじて新たな知識を創造する者であると考えている。さまざまな分野の研究を行なうにあたっては、寡聞浅学にならぬよう、自分なりには努力しているつもりである。
いまのように特定の分野の研究者だけでなく、さまざまな立場の方がたといっしょに調査研究をするようになったのは、たんに自分の研究の興味が移り変わったからではない。むしろ、私の興味は大学時代とまったく変わっていない。
自然を生業の場とする水産学との出会いは、「自然と調和した豊かな社会をつくる研究がしたい」と強く意識させてくれた。水産資源生物の生態を調べ、資源管理について学び、利用加工や地域経済における水産業や天然資源の価値を学ぶことにつながった。
漁村といえども水産業だけで成りたっているわけではない。観光開発や外部経済との関係性が重要であることから、開発学も学んだ。資源の持続的利用を達成するには、資源管理だけでは不充分であり、環境への配慮、地域文化への理解、新たな価値創造の連鎖が必要である。そのため、現在は、エリアケイパビリティーを研究するに至っている。
■エリアケイパビリティーを専門に
「エリアケイパビリティー(Area-capability)」とは、地域開発を捉えるための新たな概念であり、次に述べる四つの事象の連鎖からなる。1)地域資源の利用が地域コミュニティの形成を促し、2)資源利用をつうじて資源とそれを支える環境への興味関心が涵養され、3)自然へのケアが促進される。
4)この利用とケアのバランスをとることで持続可能な社会が形成され、地域と産品のブランド化がなされる。この連鎖を可能とする条件群を強化することこそが、地域の可能性を高めることであり、ほんとうの意味の持続的地域開発であると私は考える。
エリアケイパビリティーの概念は、地球研にプロジェクトを応募するなかでつくり出された。発案の背景には、これまで意識されなかった多くの自然の恩恵に着目した生態系サービスや多面的機能を研究する取り組みと、地域コミュニティによる資源利用がワイズ・ユースを達成できるとするコモンズ論、ならびに貧困問題の再検討に代表されるケイパビリティー・アプローチがある。
プロジェクトでは、タイやフィリピンおよび国内の複数の地域で、地元住民組織および行政と協力しながら、生物学・生態学的調査、文化・歴史の調査、社会経済学的調査と技術開発を行なう。新たな地域資源の発見と利用促進、環境教育やエコツーリズムの展開、長期モニタリングと地元愛の涵養にむけた活動をつづけている。
地球研でプロジェクトを始めるには、多くの分野の研究者や社会のステークホルダーと協調した研究活動を立案しなければならない。さらに、自分の専門分野以外の人からの厳しい審査を通過する必要がある。
ときには研究内容をうまく伝えられず、こちらの意図とはまったく異なる批判を受けることもある。しかし、その審査や批判は、自己の寡聞浅学への戒めとなり、研究の深化を促してくれる。地球研のプロジェクト審査プロセスがなかったら、エリアケイパビリティーの概念について必死に考え、それを実証する機会はなかったであろう。
エリアケイパビリティーの研究は、まだまだ道なかばであるが、最近の超学際研究の動向は、われわれにとってきわめて大きな追い風である。将来は水産分野だけでなく、地域開発や都市設計、開発援助の現場で広くつかわれる概念にしたい。
数年後に「専門は?」と聞かれたときに「エリアケイパビリティー研究です」と答えられるようになることが、いまの私の夢である。
フィリピンで開催した、住民、研究者、行政によるワークショップのようす(2014年10月25日撮影)。ワークショップは、フィールドトリップをふくめ3日間という長丁場の話しあい。フィリピンの住民とタイ、日本、フィリピンの研究者が参加した。エリアケイパビリティープロジェクトでは、毎年、タイかフィリピン、日本で開催している
■プロジェクト
東南アジア沿岸域におけるエリアケイパビリティーの向上
地域の特性を活かした住民参加型の資源管理をめざして、「エリアケイパビリティー」という新しい概念を創出し、資源の持続的利用と住民生活向上のための指針作成を進める。対象地域は日本や東南アジアの沿岸域。
プロジェクトの成果物
いしかわ・さとし
専門は水産学、集団遺伝学。研究プロジェクト「東南アジア沿岸域におけるエリアケイパビリティーの向上」のプロジェクトリーダー。2012年から地球研に在籍。