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last update: 07.10.04

手法古生態 | 古人骨 | 植物地理
地域北海道 | 東北 | 中部 | 近畿 | 九州 | 奄美沖縄
スペシャルマルハナバチ班 | 栽培植物班 | 方言班 | 保全班

● 手法


古生態班〜日本列島における最終間氷期以降の植生変遷と人間活動

リーダー: 高原 光(京都府立大学大学院農学研究科、古生態学)
キーワード: 植生変遷、気候変動、人為による植生変化、野火と植生史

メンバー

研究の目的,内容,方法と期待できる成果

古生態班では、下記の4つの課題について、植物地理班や各地域班との連携を取りながら研究を進める。
A.氷期-間氷期に対応した植生変遷(長期気候変動と植生変遷)
B.最終氷期最盛期における植生および主要樹種の分布拡大過程の解明
C.人間活動と植生の変化 D.最終氷期最盛期以降における植生変遷についてのデータベース

これまでに明らかになったこと

A. 氷期-間氷期に対応した植生変遷(長期気候変動と植生変遷)

これまでの研究で、現在の温暖期の植生が、最終間氷期やそれ以前の間氷期のそれとは異なっていることや、氷期?間氷期変動のなかで絶滅した種が認められるなど、現在の植生を考える上で重要な成果が得られている。氷期−間氷期変動に対応するような長期の植生変遷を記録している堆積物は多くはないが、琵琶湖、京都府神吉盆地、長野県高野層など、各地で堆積物の採取がおこなわれ、分析が進められている。このほか、北海道や九州などで新規ボーリング地点の選定を進めている。

B. 最終氷期最盛期における主要樹種の分布拡大過程の解明

これまで、最終氷期最盛期や完新世のいくつかの年代ごとに古植生図が提案されてきた。しかし最近10年間に、長期的な植生変遷に関する新たなデータが集積されつつある。

C. 人間活動と植生の変化

古くからの人口集中地であった京都を中心に、京都盆地北部や丹波山地について、花粉分析および炭化片分析を併せて実施し、火災と植生変化との関係を検討してきた。その結果、これまで古墳時代以降とされてきたマツ属花粉の増加開始時期(人間活動により森林破壊が進む時期)が、地域により前後することが明らかになりつつある。また、近畿地方では、完新世前半(1万年前〜5000年前)に火災が多かったことや、少なくとも中世以降には、各地で焼畑によるソバ栽培がおこなわれていたことなども明らかになってきた。

D. 最終氷期最盛期以降における植生変遷についてのデータベース

データベース登録のため、すでに約90件の古植生データが、国内の古生態研究者の協力によって収集されている。これをもとにデータの整理をおこない、入力書式について検討している。



植物地理班〜日本列島における植生の歴史的成立過程の解明

 リーダー: 村上 哲明 (首都大学東京、植物分子分類学)
 キーワード: 分子植物地理学、核DNA、葉緑体DNA、GISデータベース

メンバー

研究の目的と内容

日本列島は、約8000種もの植物が生育する温帯地域においては世界に類をみない生物多様性の高い地域の1つである。それでは、現在、我々が日本列島で目にする様々な植物は、いつ、どこから、またどのような経路で日本列島へ入ってきたものなのだろうか?

本研究では、特に現在の植物相の形成に最も大きな影響を与えたと考えられる最終氷期以降の約2万年の変遷を研究対象とする。さらに古生態WGによって得られた花粉化石データとの比較、統合を行うことで、世界に類を見ない情報の量および質のデータに基づいた植物相の変遷を明らかにすることを本研究の最終目標とする。さらに,本研究では異なる植物種間で容易にかつ客観的に遺伝的分化の地理的パターンを比較できるように、遺伝的変異の地理的分布をデータベース化しGISによって表現するべく準備を進めている。

研究の方法

3つの項目について研究を進めている。

これまでに明らかになったこと



古人骨班〜古人骨分析による日本列島における食生活の復元

リーダー: 湯本貴和 (総合地球環境学研究所、植物生態学)
キーワード:人骨、コラーゲン、食生活、移動、同位体
メンバー

研究目的と内容

最終氷期以降、日本列島において人間は自然から食料などの資源を得てきたが、技術革新によって急激にその資源獲得効率を高めた結果、生物相の喪失や水質汚濁など、近年に見られる環境問題を引き起こしている。過去の食性やその変化の仕方は地域間で、また時代によっては地域内の個人間でも大きく異なるであろう。

ところで,過去の人間がどのような食物を食べていたのか(陸上植物なのか、陸上動物なのか、海産物なのか)、あるいはどこの食物を食べていたのかは,古人骨に残されたタンパク質や微量元素の中に記録されている。本研究プロジェクトにおける古人骨班の研究目的は、古人骨のタンパク質(コラーゲン)や微量元素の同位体分析により、日本列島における最終氷期以降の人間の食性復元、及びその時代変化を明らかにすることによって、人間が自然からどのような食料資源を得てきたのか、という人間と自然の関係性の時代変化について理解することを目的としている。

研究の方法

日本列島において狩猟採集、日本における市場経済、世界市場経済が発達した3つの時代区分(縄文、江戸、現代)を対象とする.

縄文時代及び江戸時代については、本研究で扱う古人骨が日本列島において比較的多く発掘されている。本研究では、江戸時代の古人骨を中心に化学分析を行う。また現代においては、人間の毛髪を日本各地で標本抽出する。縄文と江戸の古人骨、現代の毛髪を対象に同位体分析を行い、日本列島における同位体の地域間、地域内の違いや時代による変化を明らかにする。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

現在も分析途中であるが、現時点で明らかになったことは、縄文時代に於いては集団(吉胡貝塚遺跡)内においても、タンパク質の依存度で見た場合、海産物に強く依存する人や、陸上植物に強く依存する人など、個人間で大きく食性が異なっていたことである。また江戸時代の伏見の古人骨について、予備的分析を行ったところ、保存状態はよく、サンプルは分析可能であることが明らかとなった。今年度中には、江戸伏見人骨について、その食生活の復元や個人間の食性の違いが明らかになる予定である。




● 地域


サハリン・沿海州班〜環日本海北部地域における後期更新世の環境変動と人間の相互作用に関する総合的研究

リーダー: 佐藤 宏之 (東京大学大学院人文社会系研究科、先史考古学)
キーワード: 環日本海北部地域、後期更新世、旧石器時代、動物相、植物相

メンバー

研究目的と内容

環日本海北部地域における後期更新世の気候変動とそれに伴う動植物(相)資源環境の変遷が、旧石器時代の人間活動とその文化形成にどのような影響を与えたのかについて、現代的な視点と分析から評価を与えることを目的とする。

今回のプロジェクトでは、旧石器遺跡・動物化石・花粉化石それぞれの既存成果のデータベース構築、さらに新たな野外調査が計画されている。それら諸成果の包括的な統合によって、より精密で多角的な復元像の提示が期待される。

研究の方法

対象地域は、ロシア沿海地方、ハバロフスク州、サハリン州、北海道からなる環日本海北部地域である。後期更新世の当該地域は、サハリン島、北海道、千島列島が陸橋によって大陸と接続し、長い間、「古サハリン−北海道−千島半島」を形成していた。また完新世と違い、当該期の気候、景観、植物相、動物相はよく共通している。さらに、当時の人類文化は、これらの地域で広く活動を展開していたことが判明しつつある。これまで当該地域全体をカバーする研究はなかったため、本研究は大きな意義を持つものと予想される。

具体的な研究については、後期更新世の環日本海北部地域に展開した人類生態系を、その構成要素(文化要素、動物相要素、植物相要素、景観要素、気候要素)に分けて作業を進め、システム論のフォーマットで各結果を統合し、当該地域の人類生態系の均衡と変化に関する評価をおこなう。単にそれぞれの成果を最終的に持ち寄るのではないところに本研究の特色がある。

各研究対象は、地質学的対比の方法を基本とし、テフロクロノロジー、AMS年代測定等の共通の物差しを用いることで、相互に対比可能なデータを蓄積する。なお、植物相の検討については、古生態グループによる研究課題とリンクするため、密接な連携をとって研究を推進させていく予定である。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

人類文化と自然環境との関わりは、考古学の主要な研究対象のひとつとして実践されてきたところであるが、近年の古環境研究の著しい進展によって、過去の自然環境への人類適応に関するより高解像度の議論が可能になりつつある。

後期更新世の全球的な気候変動に伴い、環日本海北部地域の植物相・動物相がこれまで考えられていたよりも急激に変動していたことが、近年の研究の進展によって指摘されはじめた。当該地域では、寒冷乾燥な気候から比較的温暖湿潤な気候へと時期によって何度も変化し、動植物相もそれに伴って入れ替わっていた可能性が高いことが明らかにされている。

一方、環日本海北部地域に展開した旧石器文化は、本州以南の旧石器文化と比べて、遺跡立地・道具組成・石器型式など様々な点で遺跡ごとに変異が大きいという特徴をもっている。この遺跡間の変異は、まず年代的な違いとして把握されているが、当該地域の中で比較的豊富な調査事例をもつ北海道での先行研究、すなわち考古遺跡の地質編年、動物相変遷、植物相変遷の対比からは、自然環境の変化に相関して石器群が変化している可能性が指摘されている。このことは、環日本海北部地域の旧石器人が本州以南と異なる自然環境に適応するための行動戦略と生活システムを有していたためであると予想される。

もちろん、北海道の旧石器文化が様々な変異を持つことの原因を、すべて自然環境の変化に帰着させて説明しきることはできないと思われるが、大きな影響を与えていたであろうことは容易に想像できる。生物群系がめまぐるしく入れ替わっていたと考えられる後期更新世の北海道で環境と人間との相互関係の研究を進めることは、環境変動が人間の生活に与えた影響を列島規模で考えていくうえできわめて重要であると予想される。こういった研究の背景をふまえ、より正確で具体的な研究を目指すところである。



北海道班〜森林をめぐる人間と生業の多面的研究

リーダー: 田島 佳也 (神奈川大学経済学部、日本経済史)
キーワード: 北海道、古環境、先史文化、貝塚、アイヌ、開発、漁業、魚付・河畔林

メンバー

研究目的と内容

北海道は最終氷河期以降、温暖・寒冷の環境変化と地理上の変化を経験し、動植物相や続縄文期にかけての狩猟・採集活動、さらに古代から中世の物流交易にお よぼす影響は大きかった。とはいえ、もともと豊かな資源をもつ地であるがゆえに、近世にはおもに漁業を目的にした和人の出稼ぎや移住が進み、アイヌの地域 社会の崩壊の危機をもたらした。その一方で、漁獲物の加工燃料(〆粕生産燃料など)や梱包材料をはじめ、住宅や薪炭などの木材需要の高まりを招来し、材木 の伐採が、無秩序に加速されていった。当然、それによる森林生態系とそれに伴う動物生態も激変していった。海岸や河畔における森林、いわゆる魚付林(魚招林などいくつかの名称がある)や河畔林の伐採によって鰊や鮭・鱒なども枯渇したといわれている。近年ではその反省から、主に漁協の婦人部を中心に植樹が進 められ、いまや行政の後押しもあって「北の魚つき林」という意識のもとに運動が展開している。
そこで北海道班では先史〜近代の「漁業の展開と森林生態系の変化」を課題に掲げ、漁業の展開に伴う漁獲物加工や人間生活において近隣の森 林資源がどのように利用され、それに伴って漁業資源や森林資源がどのように変化し、その結果、森林生態系と魚貝類の生態系がどのように変容してきたのかな ど、生物の多様性の観点から過去、現在へとアプローチし、考古学、歴史学、民俗学などの学際的な研究を進める。すなわち、この地域の先史時代の遺跡の立地 環境や貝塚などの考古学的資料の分析から過去の人間活動について復元し、近世から近代の人間が関わる生業の多面的な活動の比較研究を進め、その成果を近未 来につなげるものにしたい。
この課題追究にあたっては当面、積丹半島から余市・小樽地域にかけての自然と人間のあり方を、北海道開拓と地域漁業(具体的には鮭、鰊や ほかの漁業)、森林利用の有機的・保全的関係に焦点をあて、究明したいと思う。もちろん、課題はこれのみに留まるわけではない。研究対象地域における人間 ―自然相互関係の考古学的・民俗学的考察も進めており、これらの研究から新たな歴史的事実が発見され、多くの歴史的教訓をえることができ、抽出できた歴史 的事実が「賢明な利用」だったのかどうかも明らかになると考えられる。
魚付林などの森林資源の保全と利用に関しては、その植樹運動など現代から未来に向けた課題に多面的に寄与できるものと思われる。

研究の方法

北海道班は当面、小樽・余市地域を重点地域として研究する。この地域は貝塚に見られるように、蝦夷鮑をはじめとする貝類が獲れる一方で、近世以降、 鰊や鮭、鱒、鱈、海鼠などの優良な生産地帯となっている。また、小樽は蝦夷地の中では一番早く村並となり、明治以降は樺太、ナホトカ、ウラジオストックと の貿易関係から急速に市街化した地域である。港湾整備によって海岸線も変化した。そのような歴史的な特徴をもつ地域である。しかも、この地域には近世から 近代までの実態を知りうる古文書も多く存在する。
本研究ではこうした文献史料を中心に、考古学や民俗学などの学際的な協力を得て小樽、余 市地域における課題研究を進め、近世から近代までの新たな知見を得ていくこととする。
なお、研究の成果を地図上で表現する作業も進めるが、そのために後氷期以降(過去1万年以降)の積丹半島周辺での遺跡変遷(人間−土地利用関係)を整理し、明治期における仁木−余市−小樽地域での海洋−河川、すなわち漁撈活動の舞台に関するデータを集積する。
アイヌの活動をめぐっては、江戸時代の蝦夷地の調査記録、すなわち文献史料の分析、近代初期の資源調査の記録分析、動植物と生活との関係を示すアイヌ語地名分析を行なう。また、アイヌ口頭伝承(日本語、アイヌ語によるもの)も分析・検討する。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

@ 今年度は余市水産博物館と小樽市博物館の協力のもと、班員合同で余市・仁木・赤井川・小樽を調査し、研究会を行ってきた。余市の「林家文書」、小樽の「西川家文書」「青山家文書」の公開・閲覧が実現できた。
A 乱伐の状況とそれによる漁獲の減少は当時の明治政府に認識され、内務大臣井上馨や拓殖務次官北垣国道(元北海道庁長官)らの危惧もあって、魚付林が北海道に対する漁業と林業の政策課題として上げられていた史料が提示された。
B 先史時代においては、重要な食糧の一つである貝類の資源に注目して、本研究を進めることとした。貝類は、海進、海退による海洋環境の変化にともない敏感に生息環境を変えることから、先史時代の貝塚を構成する貝類の比較検討をおこなうこととした。特に、ハマグリ、マガキ、エゾアワビ、ホタテ、ウバガイ、ヤマトシジミなどが、北海道では時期ごとに大きく変化したことがわかってきた。これまで、余市水産博物館収蔵の山岸コレクション、安芸遺跡の資料データ収集と資料撮影、東京国立博物館所蔵の北海道関係考古資料の情報収集を実施した。
C 積丹半島周辺における鰊漁業以後の主漁業の1つと認められるスケソウ鱈漁を取り上げ、岩内、桧山のスケソウ鱈漁関連文献、古文書の所在調査、及び、収集につとめた。また、フィールドワークを行い、スケソウ鱈漁の推移や実態を多角的に把握し、資源や環境との関わりを検討した。
D 海・川・森林の関連についての研究論文の所在調査、アイヌの有用植物についての古文献調査も行なった。
E 魚付き林に関する資料を収集した。


東北班〜東北地方における野生動物と人とのかかわりの環境史?北上山地の事例を中心として?

リーダー:池谷和信(国立民族学博物館、民族学・地理学)
キーワード:環境史、獣害、ニホンザル、クマ、オオカミ、馬

メンバー

研究目的と内容

東北班では、「世界の中の東北」、「日本の中の東北」という視点を意識して、野生動物と人とのかかわりの歴史(とくに、近世から現在まで)の復元と当時の社会・経済システムの解明を目的とする。とりわけ、対象地域としては、東北地方の北上山地とその隣接地域を中心として考えている。なお、これらの地域は、江戸時代における南部藩を中心にして、仙台藩、秋田藩、津軽藩、松前藩に該当するとみている。

すでに、北上山地の景観とその成り立ちについては、近年、すぐれた論文集[大住ほか編2005『森の生態史』(古今書院)]が出ている。本研究では、野生動物と人とのかかわりの歴史に焦点をおいているが、その歴史は北上山地の森林の形成史と深く結びついていると考えられる。とりわけ、北上山地の森林の多くは2次的植生景観からなることからも、野生動物に対する人為の歴史的作用を無視することのできない地域でもある。本研究では、上述の本の内容の一部を越えるものを提示することをめざすと同時に、日本全国に適用できるような野生動物・人関係史に関わる地域モデルの構築に努める。

研究の方法

東北地方のなかで北上山地(現在の青森県、岩手県、宮城県)を重点対象地域に選ぶ。その理由は、以下のように北上山地の人獣交渉史には、未解決な課題が数多く残されているためである。

まず、近世の南部藩では、北上山地で飼養されている馬がオオカミに襲われていることが報告されている(菊池、私信)。その後、明治の初めには、北上山地(岩手県)には、ニホンオオカミ、イノシシ、ニホンジカ、ニホンザル、ツキノワグマ、ニホンカモシカの6種の大型哺乳類が生息していた。しかし明治期の終わりまでにこのうちのオオカミ、イノシシは絶滅し、シカとサルは県南の五葉山周辺に限定的に分布するのみとなり、北上山地の多くの山村から姿を消していったことがいわれている(岡、私信)。こうした大型哺乳類の減少の原因について、様々な説があるが、いまだ明らかになっていない。また、これらの大型哺乳類の盛衰プロセスとその要因を示すモデルは、日本国内の他の地域の問題を考えるうえで、重要な参照枠になると考えている。

その一方で、北上山地における当時の社会経済システムの解明をめざす本研究では、対象地域をこえる視野からの位置づけが不可欠である。このため、下北半島や奥羽山脈のような地域での野生動物・人関係史の成果との比較も重要な研究枠組みとして位置づけている。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

2006年4月下旬に、東北班のメンバーが全員集合して、お互いの研究関心のすりあわせや具体的な研究内容について打ち合わせをした。その際には、メンバーの一部がエコソフィア17号(2006年4月、昭和堂刊行)の特集「越境する動物たち」に関与していたということもあり、現在の獣害問題のかかえる問題点ほか、この分野に関する最新の内容が論議された。

その後、各々のメンバーが主体的に活動できる研究テーマをかかげて、各自が個性的な研究を継続している。その研究テーマは、以下のとおりである。
@菊池勇夫:『北上山地の馬(馬産)と獣害について-近世期の南部藩(オオカミ)と松前藩(クマ)の比較から-』
A岡 惠介:『北上山地の野生動物(オオカミ、サル、イノシシ、シカ)の消滅について-明治・大正期に注目してー』
B三戸幸久:『北上山地のニホンザルの分布消滅はなぜ起こったか?-大正・昭和期の東北地方のなかでの位置づけ-』
C池谷和信:『北上山地におけるツキノワグマの獣害-昭和・平成期に注目して−』
D伊澤紘生:『奥羽山地におけるニホンザルの獣害の生態史』
以上のように、各テーマは、近世から現在までの時間幅に沿って並べてあり、北上山地を直接に対象する研究と北上山地と他の地域とを比較するものに分かれるが、両者の研究を交えることでより高度な統合的な研究に到達できると考えている。



中部班〜中部山間地域における人間ー自然関係の歩みと現代

リーダー: 白水 智 (中央学院大学、歴史学<日本中世史・山村史>)
キーワード: 山村・森林資源・多雪地域・生活文化・焼畑・狩猟

メンバー

研究目的と内容

中部地方は日本の屋根(日本アルプス)を構成する山岳地域を中心部に含み、列島を南北に横断する深い山地帯に覆われた地形を特徴とする。同時に日本有数の多雪地帯でもあり、12月から5月にかけては深い雪に覆われる。それは豊かな水に満たされた森林資源の涵養にもつながる。豊富な森林資源はまた多様な動植物資源を育み、それらは人間生活と深い関わりをもってくる。

中部班では、当該地域を特徴づける山地の生活に焦点を当て、そこで自然環境がどのように利用され、改変されてきたか、また資源利用に対して人間社会がどのようなルール・規制を構築してきたかを解明していきたいと考えている。それはひいては、山地資源の持続的、あるいは逆に断続的な利用に、人間社会がどう関わってきたかを解き明かすことにもなる。

いうまでもなく今日ある中部地方の自然環境は、人為を排除した自然的遷移の結果ではない。そこに見えるのは、有史以来、人間が自然に対して及ぼしてきたさまざまな影響の表れにほかならない。では歴史的に人間はどのように自然と関係をもってきたか。実は歴史学の分野では、山村の生活文化についての研究は大変遅れており、そもそも山村自体に対する評価や関心もはなはだ薄かったというのが実情である。研究対象となる史料自体が内容的にも形式的にも平地に偏したものとなってきたのがその大きな理由ではあるが、しかしその結果として、民俗学・人類学における山地生活文化の研究や環境経済学・地理学・社会学などからする山村社会構造の研究は、前近代的な山林資源利用の裏づけを確と持ち得ない、近現代を孤立的フィールドとするものになりがちであった。とくに、平野部と比べてさまざまな基幹的生業が複合的に営まれる山村のあり方は、総体的視野から捉えられるべきものであるにもかかわらず、各分野史の前史としての範囲でのみ扱われることが多かった。こうした研究状況を改め、前近代から現代までの変遷を一貫した視野の中に捉えることで、現今の自然環境がいかにして成立してきたかを解き明かすことができるようになるものと考える。 中部班では、第一の調査対象地として信越国境にまたがる秋山地域をとりあげる。当地の選定は歴史的史料の多様な残存状況と、諸学問からたびたび関心を抱かれてきた生活文化の遺存によるが、この地の研究にあたって特徴として念頭に置くべき事象がいくつか挙げられる。

まず第一には、当地が日本有数の多雪地帯であることである。そのことが当地の自然や人間生活に多大な影響を与えてきたことは間違いない。第二に、人為と自然の関係にまつわる問題であるが、当地が巣鷹採取の場として少なくとも中世前期以来長く重要視されてきたことが挙げられる。巣鷹山の存在は、人間活動の自然な介入をしばしば阻害することになり、それが周辺地域に比して自然環境の特異的な残存または展開を導いた可能性がある。第三には、同じく人間世界の問題として、当地が信越の国境に位置してきたことが挙げられる。境界の存在は、両国の人間活動に一定の規制をはめることも多く、現実にしばしば両国間の民衆どうしの訴訟を惹き起してきた。

これらの諸要素が自然と人間の具体的な関係、ひいては今日までの自然環境の遷移にどのような影響を与えてきたかはこれからの課題であるが、こうした特徴的な問題点に留意しながら標記の目的に近づいていきたいと考えている。 歴史学および民俗学の分野に関していえば、すでにこれまでに数年から二十年程度にわたる資史料の蓄積を経ており、今後5年間という調査研究期間で、現在に残る主要な研究素材は収集を終えることが概ね可能と思われ、標記の課題に迫る分析は行えるものと考えられる。

研究の方法

中部地方山村といっても、南から北まで多様な特徴をもっており、必ずしも一概に論ずることはできないが、本研究では、第一フィールドとして長野県下水内郡栄村秋山地域ならびに隣接する新潟県中魚沼郡津南町秋山地域を取り上げた。当地選定の理由は、鎌倉時代から江戸時代に至る前近代史料が稀有な形でよく残されていることを第一とする。すなわち、鎌倉から南北朝・室町に至る在地領主の動向を見事に示す貴重な史料「市河文書」があり、さらに近世に至れば、後期に秋山を約一週間かけて踏査し、その生活文化を詳細に書き残した鈴木牧之「秋山記行」が刊行されている。また、信濃秋山地域を管轄した近世の箕作村名主島田家には、近世から近代に及ぶ数千点の古文書群が残されており、秋山ならびに周辺地域に関する貴重な情報を提供してくれる。箕作村管内の枝村にも関連史料が未調査のまま残されており、これらを総合することで前近代から近代・現代までの総体的な資源利用・社会情勢の様相が明らかにできると考えられる。また、民俗学・地理学等に関しても、当地は中部地方の代表的山村として古くから関心の対象となり、多数の研究が蓄積されてきている。とくに狩猟に関しては、伝統的な狩猟文化を受け継ぐ現役猟師が現在も健在であるし、山菜・茸等の資源利用も昔よりは衰えたとはいえ、今も続けられている。なお、比較研究の際のサブフィールドとして、中部地方南寄りの山村地域である山梨県南巨摩郡早川町も視野に入れている。同町は南アルプスに東接する林野率95パーセントを超える自治体で、秋山と同じく渓谷沿いに立地する環境にある。巣鷹山が存在するとともに、林業・焼畑が盛んに行われ、犬を用いた狩猟も行われていた。当地では前近代史料をすでに16年にわたって調査しており、一定度の史料蓄積がある。

研究にあたっては、まず当該フィールドがどのような地形的特徴をもち、その中で人の居住地がどのような部分に開かれてきたか、また災害履歴との関係で集落移動があったのかどうか、生業の展開される場と地形的特色との関連などについて検討を行うため、自然地理学的手法による調査を進める。さらに、歴史時代における山野資源の利用とそれに対する社会的規制、あるいは生業にまつわる領主と在地との庇護・貢納の関係などを歴史学の分野から研究する。近代以降における山野資源の利用等の生活文化については、民俗学・人類学的手法によって解き明かすとともに、これと深く連携しながら制度的・社会的な側面も含めて人文地理学や環境経済学の分野から検討を加える。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

<自然地理学>調査地域の地形・地質概要を把握し、地すべり地形分布図及び段丘面区分図を作成することを目標とし、空中写真を入手・判読し、また現地観察によって作業を進めた。その結果、地すべりブロック内に挟在する埋没段丘礫層の存在が複数地点が確認された。また、浅間草津・大山倉吉とみられる広域火山灰層の分布が調査地域内の段丘面上で確認できた。年度末までに上記2図を作成の予定である。

<歴史学>市河文書及び狩猟文化に関する先行研究を入手・整理し、史料に見える地域の景観観察を実施した。またすでに6年に亘って続けている島田家文書の調査を継続して行い、巣鷹山絵図を含む近世絵図類・近代史料類を撮影するとともに、近隣の斎藤家文書の調査にとりかかり、巣鷹山関係史料の存在を確認した。島田家からは近世近代移行期の山地利用態様の変化を示す文書を見出すことができた。

<民俗学・生態人類学>秋山関係の民俗学文献の調査を行った。また猟師からの聞き取り調査を継続し、近年の熊捕獲と資源管理の問題点を抽出した。熊は前近代から当地における重要な狩猟動物であるが、とくに近年、猟師への捕獲制限と、それに矛盾する檻罠による乱獲の問題のあることが明らかとなった。

<環境経済学>現在の資源利用及び資源管理の状況について、役場での聞き取りとデータ入手によって確認するとともに、観光・山菜利用・狩猟・共有林などのキーワードに関わる近年の資源利用関係論文の収集を行った。また、現地観察によって行政データや聞き取り情報を実地に調査し、耕作放棄地の現状や作付状況を確認した。

<人文地理学>役場や法務局において土地利用関係のデータを収集するとともに、各集落を踏査して基礎データの収集を行った。また、現地での聞き取り調査を実施し、近現代における生活文化の大きな変化の要素を確認した。林野所有関係図、共有地位置図、集落別作付面積推移図を作成した。



近畿班〜植物資源利用の実態解明をめざして-特に萌芽利用と施業による環境形成

リーダー: 大住克博 (森林総合研究所・関西支所、造林・生態学)
キーワード:萌芽、里山、土地利用、植物資源利用、近世・近代

メンバー

研究目的と内容

近畿班は研究テーマとして「植物資源利用の実体解明」を掲げ、その中でも特に萌芽利用の形態と萌芽林施業による環境形成に着目して、研究を進める。

集落周辺の植物資源は、様々な民具に利用されているように日常の生活の中で利用されるとともに、木材、薪炭、また特用林産物として交易手段としても用いられる。同時に、森林は地域の環境基盤として大きな影響を持つため、伐採に伴う攪乱の規模や時期、間隔、伐採後の管理などのあり方は地域生態系を規定する要素となる。

また、里山薪炭林に代表されるように、利用される植物資源は、萌芽林として管理されるものが多い。萌芽の利用は、安定した生産を可能にするだけでなく、実生に比べ「節の少ない」材の生産や、繊維長の長い植物体を生産できるなど質的改善にも効果があり、また、細い萌芽枝を大量に利用する場合などには、同質のものを大量に用意することができるなど規格化の面でも効果がある。民具制作などで聞かれる質のよい材料の選択などは、しばしば萌芽枝が関係していることがある。

近畿班は植物資源利用について、1)何をどのように利用したのかといったインベントリー的調査をはじめ、2)採取・管理に関する情報(攪乱の質)、3)利用の規模(攪乱の規模)を把握、明確化させることによって、最終的にはこれらの利用によりどのような生態系が構築されていたのか復元を目指す。

研究当初は、民俗、文書ともに利用しやすい近世・近代について具体の集落を対象に研究を進めていくが、近畿は弥生以降非常に人間活動が濃密に営まれた地域でもあり、これらの時代にどのような生態系復元が可能なのかについても古生態班などと連携して取り組んでいきたいと考えている。

研究の方法

近畿は、大阪・京都・奈良という古くからの都市を内包し、集落は立地によって都市との関係が異なる。都市との経済的な結びつきの中で植物資源利用は大きな影響を受けていると考えられ、このことを検証するために、立地が異なるいくつかの調査地で各参加者が積み重ねてきた事例研究を深めつつ比較していくことにした(図参照)。

調査地はいずれも近畿班参加者がこれまでの研究活動を通じてベースが整えられている場所であり、これらの場所に相互に乗り入れをしつつ、比較研究を進めていく方式とした。

右図中、米への依存の大小は農村的要素から山村的な傾向を、都市との距離は経済活動による影響や物資輸送のしやすさを反映する、指標的なものとして示した。

これらの各地において、聞き取り・文献・民具などから植物資源利用を具体的に確認し、年代とともに、攪乱の様式や時期、管理などを記述する。利用の痕跡や実態を現地調査や再現実験により確認できる場合には植生調査、利用量推定などを行い、攪乱に伴う生態系への影響を推定する。

特に、製品、民具、家屋などは材料を確認し、どのような質の材が好まれているかについて調査を進め、萌芽管理利用についての資料集成を進める。

また、これらの利用は植物側の種特性を反映していることから、萌芽種特性、萌芽枝成長時の木材組織に関する研究、発芽特性との比較などを行う。

これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

上世屋は深町・奥・井之本ら、志賀町は大住・堀内ら、京阪奈は佐久間らが既に調査地として活動していた場所であり、資料の収集が進んでいる。

2006年度は

  • 猪名川町の池田炭生産林における萌芽枝の成長量計測、および林床植物の多様性調査を行った。
  • 志賀町の明治期の住民日記記録に基づいた村落内の農家、山林家それぞれのマツ・山草・柴に関する資源利用パターン認識を調査した
  • ササブキ屋根利用におけるササの採取面積・規模とそれに伴う植生の変化
  • 北摂および京阪奈地域におけるクヌギの利用・管理様式の記録 などを行い、志賀町と対比するための葛川集落での調査準備、吉野における調査準備などを進めた。



    九州班〜九州中央山間地帯における人間―自然相互関係の歴史的・文化的検討

    リーダー:  飯沼賢司(別府大学 環境歴史学)
    キーワード: 野、森、焼畑、野焼き、水田開発

    メンバー

    研究目的と内容

    九州班では、阿蘇・高千穂・くじゅうの尾根、山麓、台地を研究フィールドに設定した。この地域は、阿蘇を中心とする火山活動の結果、大規模なカルデラ盆地、広大な台地地形、発達した長大な尾根地形など、多様な地形環境を持っている。

    ここで、古くからの人々は、その地形環境・自然環境に合わせながら、生活を営んできた。その自然環境から独特の土地の利用法が発展した。その一つが火を用いた土地利用法である。焼き畑、野焼きなどがそれであり、そこには、畑、放牧、狩り場など様々な利用法があり、このことが、今日に至るまで、独自な草原環境を形成する要因となった。もう一つは、広大な山系のもたらす豊富な地下水を利用する土地利用である。これが台地や尾根の下やカルデラ盆地に水田を形成させ、やがて、斜面にも棚田を開発させた。

    また、これらの人間と自然の関係が独自な信仰形態を生み出すことになり、阿蘇や高千穂、くじゅうには独自な信仰が見られる。

    本研究では、歴史学、考古学、民俗学、地理学、植物学、地質学などの諸分野の学際的なアプローチによって、この地域での人間と自然の相互関係を歴史的・文化的な面から解明しようと考えている。九州班の参加者は、「人間−自然相互関係の歴史的・文化的検討」という共通の認識のもとにそれぞれの専門分野から旧石器から現代に至る時間の中で検討を加え、総合化を図る。

    期待できる成果としては、

    1. 調査地区のボーリングや発掘調査の中で、プラント・オパール、花粉などの植物遺体の分析により、旧石器時代から現代に至る植生環境の変化を明らかにできること。
    2. 実験的野焼きによって、火による植生変化を追い、人工的原野と形成と自然環境の関係を明らかにすること。
    3. 歴史資料、地名資料、民俗資料などの蒐集・分析によって山岳地帯の山野利用の歴史・文化を明らかにすること。
    4. 山岳地帯の地下水、湧水、川などの地質学的調査とくらしの中での水利用(井戸、水田の水源、水路、水田など)の調査を行い、Bと組み合わせながら、水と人間のくらし、その歴史的、文化的検討を行なうこと。神社などの信仰にも注意。
    などがあげられる。

    研究の方法

    くじゅう・阿蘇・高千穂
    @植生・古環境
    直入・朽網−田野(千町無田)−玖珠の古道沿いにおいて、ボーリング調査をおこなう。

    A考古学分野
    B植物学分野 
    C歴史学分野 D民俗学分野

    これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

    1. 考古学分野
        歳の神遺跡もしくは無田口遺跡の発掘調査を行なうに当たって、調査区策定のための予備調査を実施した。歳の神遺跡においては、弥生時代・鎌倉時代遺物を表面採集することができた。
        無田口遺跡に関しては、九重町筌の口地区において、表面採集資料を見学し、古代の遺物を確認することができた。無田口遺跡においては、過去に大分県教育庁により発掘調査が実施されており、やはり同じく古代の遺物が出土している。よって、白鳥伝説に関する時期の遺物を得ることができる遺跡と言う意味では重要なものとなる。
    2. ボーリング・古環境分野
        10月の検討会でボーリング調査の位置を検討した。遺跡のデータのある地区にある湖沼などの跡を優先し、選定した。
        ⇒機械ボーリング 千町無田、宮処野、
        ⇒手ボーリング 黒岳・飯田高原、路頭地層
         過去のボーリング・古環境の調査データを蒐集する。
    3. 環境歴史学分野
        内成地区調査 歴史、水利・水田構造調査、杣山⇒焼き畑⇒畠⇒棚田と山野利用の変遷・開発の歴史を想定する。
          宮処野地区  道と市の関係.宮処野神社の市(かたげ市)と道と境界、城と館と市の関係を調査 
          阿蘇小野地区 水利・地名調査.阿蘇カルデラ内扇状地の開発過程・牧と水田開発の関係


    奄美・沖縄班〜琉球弧における自然資源利用の歴史

    リーダー: 安渓 遊地 (山口県立大学,人類学)
    キーワード:高精度の空中写真、自然資源利用の歴史、税と交易、サンゴ礁、ヤコウガイ

    メンバー

    研究目的と内容

    奄美・沖縄の特徴である、湿潤亜熱帯の島嶼という条件のもとに成立したユニークな生物多様性と、たとえば鹿児島以北のすべての諸方言よりも大きな相違をその内部にもつ琉球諸方言にみられる、自然と文化の多様性とその成立の過程を明らかにすることが研究の目的である。

    具体的には、奄美大島と沖縄島およびその周辺の島々を研究対象として、琉球弧において少なくとも10年、できれば20年以上の経験をもつ人を中心に研究チームを編成し、地元主導で自然や文化の研究をしてきた多彩なグループの人脈と成果を生かしうる構成をめざす。

    文理融合的な研究の実際を経験し、かつ地域研究のモラルについて、全員が行動規範を共有することをめざして、合宿形式による共同調査を初年度に設定した。夏季は、奄美大島、冬期は沖縄島北部での共同調査を実施する。  全体としての融合をめざしつつ、各個人がおこなう研究のメインテーマと、連携のためのグループテーマを設定していく。以下に示すのは、個別研究のテーマの例である。

    当山昌直氏をリーダーとし、植物学の瀬尾明弘氏と動物学の早石周平氏の協力を得て、「空中写真による土地利用と植生の変遷」の研究をおこなう。これは、最近になって利用が可能になった、1945年前後に米軍が撮影した5000分の1縮尺程度の高精細な空中写真を活用する研究で、奄美大島では、大和村と加計呂間島を中心に調査をすすめ、沖縄島では、従来調査を進めてきた名護岳および、あらたに羽地大川流域を中心とした地域で踏査と聞き取りによる調査を行う。また、沖縄島北部においては、戦前の農耕や山の利用を体験した方々の聞き取り調査を急ぐ必要があり、これらの調査も並行して行う。

    渡久地健氏は、「サンゴ礁地形と民俗知識」をテーマに、サンゴ礁という、日本では奄美・沖縄に集中的に存在するユニークな生態系と人間生活とのかかわりを明らかにするべく、海の調査と、集落における石垣の材料調査など、サンゴ利用の実態把握を進めていく計画である。奄美大島や沖縄島のような高い島と周辺の低い島の対比も視野にいれて研究を進める。

    木下尚子氏は、近年発見された、琉球列島における7〜9世紀のヤコウガイ大量出土遺跡の分析を通してその内容を把握し、当時の歴史状況を復元しながら、300年にわたる琉球列島人のヤコウガイ資源利用の実態を把握することをめざしている。多数の出土ヤコウガイの全数調査をして、そのサイズを測るという実証研究を展開する。 盛口満氏は、博物学の復権をめざすこれまでの教育・研究活動の成果をふまえて、冬虫夏草など、琉球弧ではこれまでにあまり注目されてこなかった生物種の分布についての研究を進めるとともに「奄美・沖縄の生物多様性と人間生活」についての、ビジュアルな教材づくりを通した「自然と文化の賢明な利用」への意識を高める環境学習の可能性についての研究を進める。

    安渓貴子氏は、「琉球弧の栽培植物と料理の体系」をメインテーマに、ソテツなどの毒抜き技術や酒づくりなどの発酵技術を、日本および世界の技術の中でのタイポロジーと系譜的な研究を行うことで、奄美・沖縄のユニークさを浮き彫りにすることをめざす。

    安渓遊地リーダーは、全体の統括を行うとともに、「琉球弧の交易ネットワークの歴史的復原」をテーマに、奄美での黒糖プランテーション開始前後での、物々交換活動の変化や、沖縄島と奄美南部の島々を結んだヤンバル船などの長距離交易の歴史といった、近代から近世にかけての税と交易の問題を解明する。

    蛯原一平氏は、西表島におけるイノシシ猟の研究を進めているが、「琉球弧におけるイノシシ猟の歴史」をテーマに、奄美大島・沖縄島でもイノシシ猟の実証的研究をすすめて、日本および世界の中型ほ乳類を対象とする狩猟活動についての比較研究を実施する。

    これらの個別テーマに加えて、グループテーマとして、「賢明な利用」を模索するための基礎資料づくりを行う。具体的には、沖縄方言センターなどの協力を得て「動植物の琉球方言書誌」と、南島地名研究センターとの協同で「琉球弧の地名書誌」の作成・公表を計画している。

    研究の方法

    重点対象としては、奄美大島においては、5000分の1の米軍撮影の空中写真が入手できる地域ということで、南東部の大和村および南側の瀬戸内町加計呂間島を選定して、総合調査を行う。沖縄島では、北部地域を重点に研究を行う。もちろん、交易や、サンゴ礁・ヤコウガイ利用などそれぞれの研究のテーマにより、これらの地域に隣接する場所での調査・研究も行う。具体的な方法としては、空中写真に写された現場の確認と現在の地形・植生の調査を実施する。ヤコウガイについては、破片から全体の大きさが推定できる回帰式を用いて計測値からサイズを推定する。歴史的な資料の扱いについては、随時の専門家の助言を求めているが、近い将来にメンバーとして、沖縄・奄美の古文書を読む経験をつんだ研究者を迎えることを計画している。聞きとりにあたっては、安渓遊地がリードして、「調査地被害」を軽減しつつ、豊かな伝承を引き出し、その内容を地元の人々とも共有していくことができるように、時間をかけ、ていねいに実施する。

    これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

    これまで、メンバーのそれぞれは、琉球弧における実地研究を経験しており、それぞれの専門におけるフィールド研究を問題なく行うことができる能力をそなえている。安渓リーダーは、安渓貴子班員とともに1974年から継続して調査を続けているところから、おおむねどのような文献や研究成果が蓄積されているか、またどのようにすれば人脈が作れるかについて、あらましのところがわかるという状態にあったため、課題は、異なる分野をもつ研究者の間に橋を渡すにはどのようにすればよいか、ということに絞られてきた。

    これまでの沖縄や奄美における研究の問題点は、多数の調査や研究が行われてきたが、それらの総合という点では、多くの課題が残されているという事実にあると考えられる。研究成果がよく咀嚼された形で公表され、異なる分野の内容を総合して、地域の未来像を地域の人々自身が共有し、行動する手助けとなるということこそが、地元では求められているものなのであるが、そのような需要に対応し得ている例は少ないと言わざるをえない。このように、地域研究のモラルに関する取り組みの必要性が、これまでの研究の背景をなすものの中ではもっとも重用なものであると、考えられた。

    2006年2月に山口において初の合宿をおこない、湯本プロジェクトリーダーから、本プロジェクトの目指すところを聞き、今後の調査についての打ち合わせをおこなった。空襲にさきだって米軍の作成した5000分の1程度の精細な空中写真から分析できることの豊かさを確認し、主なメンバーのこれまでの研究歴を紹介しあった。これをふまえ、3月には、当山昌直氏が、アメリカ国立公文書館での情報収集を実施することになった。沖縄県公文書館との連携プレイにより、大型のスキャナーの使用が可能になったことで、迅速に情報が収集できた。この情報は、他の班にとっても非常に有用なものとなることは疑いない。

    8月には、リーダーと安渓貴子班員は、奄美大島において、3週間の予備調査を行い、のべ1000キロメートルを踏査して、ほぼ全集落を訪問した。その後、その準備をふまえて1週間の合宿調査をおこなった。自由な学際的雰囲気の中でのフィールドワークとして、古い空中写真を用いた聞き取りや現地調査など、今後、個別に訪れた場合も、暖かく迎え入れていただけるように現地の住民や研究者との人間関係を育てることを第一の目的とした共同調査であった。

    12月末には、5泊程度で沖縄島北部での合宿調査を予定しており、来年度以降の本調査をスムースに行えるための準備としての本年度の予備的調査は、これをもって完了し、残された時間で収集した資料の共有と分析など、来年度以降の本格的研究の準備をする予定である。




    ● スペシャル


    栽培植物班

    リーダー: 山口裕文 (大阪府立大学生命環境科学研究科、資源植物多様性学)
    キーワード: 自然資源、雑穀、マメ、食用植物、雑草

    メンバー

    研究目的とプロジェクト終了までに期待できる成果

    氷河が南北に移動する第4紀の終わりに、人類は大きく自然を撹乱するようになる。その撹乱に依存して生育地を獲得し、個体数を増やした植物群をヒトが継続的に利用するようになると、栽培植物や雑草や家畜という特殊な生物が進化してくる。自然の生産物に食を依存した動物としての生活からヒトが解放され、栽培植物や家畜への食の移行に伴って、人間は文化や文明を手に入れることになる。植物資源の継続的利用に伴い、新しい栽培植物は、いつどこででも成立している。栽培植物や撹乱依存性植物は、原産地からの伝播というシナリオに沿わなくとも人間の周りに存在できる。

    食だけでなく、衣や住の要素にもみられるように、自然との直接的関係からヒトの生活が乖離してゆく生態的プロセスは、日本列島でどのように進んだのであろうか?栽培植物や雑草はこのプロセスのなかで進化成立した植物であるから、私たちは、人間の行為に依存して進化した結果が栽培植物や雑草に形態的あるいはDNA変異のかたちで刻み込まれていると考えている。このような観点から、本研究では、とくに植物資源利用の開始時・初期の実態と生態的意義、利用継続にともなう撹乱環境での植物の振る舞いの再現を論考する。

    研究の内容と方法

    栽培植物とその近縁野生種の多様性および人間撹乱地に生育する雑草の多様性を遺伝子レベルおよび形態的レベルで分析する。東アジア原産の雑穀(ヒエ、ソバ)、食用マメ(ダイズ、アズキ)、根栽(ユリ根)、香菜(ワサビ、メタデ)、雑草(オオバコ)とその野生種をモデル的素材として選び、フィールド調査によって利用と自然分布の実態や生態を明らかとした分析材料(導入出来ない植物のDNAをふくむ)を収集し、塩基配列分析によって再現性の高い分子情報を体系的に集め、形態的特徴の分析を含めて遺跡より発掘される植物遺体の鑑定同定方を開発しながら、進化生物学的解析を試みる。

    フィールド調査の対象地は、日本列島全土を含み、東亜の照葉樹林帯を比較対照とする。

    これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

    日本列島では古い遺跡からドングリ類のほか炭化したヒエ属植物とアズキ類の種子が発掘されている。イネ、ダイズ、オオムギ、コムギなどの穀物は、年代的にそれより遅れた遺跡より発掘されており、稲作が展開する前に自然資源の利用と原初的農業が営まれていた形跡がある。初期の炭化種子はこれまでインド原産の栽培ヒエやリョクトウと扱われていたが、育種遺伝学的研究によって、東アジアの栽培ヒエは野生(雑草)のイヌビエが祖先でインドのヒエ属とは類縁のないこと、アズキの野生祖先種はヤブツルアズキでリョクトウとは縁が遠いこと、ダイズの野生祖先種はツルマメであること、イネの野生祖先種・野生イネは中国または南アジアに分布すること、オオムギとコムギは地中海東部で成立したことなどが明らかにされており、ヒエ、アズキ、ダイズは東アジア原産である。

    炭化種子の微少な形態をみると、ヒエ属植物は明らかに6倍体のイヌビエか栽培種(ニホンビエ)であり、アズキ類は、栽培アズキかヤブツルアズキであり、リョクトウとは明らかに違う。現世のヒエやアズキを分子系統学的に解析すると、形態的によく似た近縁の栽培種や野生種とは明瞭な違いを示す。種に固有の挿入欠失変異や置換の特徴を使うと、発掘種子の種と現在の栽培種が同じことは判定できる。しかし、栽培種と野生祖先種とは今のところ識別できず、発掘される種子がいつ栽培種になったのかは不明である。

    このような事例を踏まえて、私たちは分類群を拡張するかたちで利用形態の違う種において人間−自然関係の歴史がどのような多様性結末をもたらすのかを明示するのに必要な基盤情報を蓄積することにした。

    本年度は、葉緑体遺伝子の進化と核遺伝子の進化を相互に比較するための基盤的研究を進めた。ヒエ、アズキ、ダイズでは、分析材料の収集ともに葉緑体DNA情報の蓄積をさらにすすめ、核遺伝子に関する情報の蓄積を開始し、ユリ根(オニユリ、コオニユリ)、ワサビ、ヤナギタデおよびオオバコについては問題点の所在を発掘するフィールド調査とともにDNA変異に関する初期的評価をすすめた。

    ヒエでは属の分子系統樹を完成させるために必要な材料をフィールド調査と併せて収集した。多年生種の調査において稔性系統と不稔性系統が一年生的ハビタットと多年生的ハビタットを住分けていること、攪乱環境への適応や栽培化に伴ってみられる早生化を解く鍵となる一年生と多年生との中間的系統を発見した。

    アズキでは、核遺伝子の代表としてアミラーゼなど4種の遺伝子の非コード領域を近縁野生種とともに分析した結果、多様性の歴史性が遺伝子ごとに違うことを確認した。

    ダイズ属ではSoja亜属とGlycine亜属について葉緑体DNAの4つの遺伝子間領域の塩基配列を比較した。Soja亜属とGlycine亜属はそれぞれ異なるクレードを形成し、前者は限られた塩基配列多型を示したが、後者は多様な種分化を示す多型を示した。アジア各地からのダイズとツルマメの9遺伝子間領域3849塩基を比較すると、葉緑体ゲノムはI+II型とIII型の2群に分けられ、両者には5個の塩基置換が観察され、ダイズとツルマメ124系統には両者の中間型は観察されなかった。I型、II型、III型には、地理的分布の違いがみられ、III型はツルマメの分布域全体に亘るが、I型とII型は日本の南部、韓国および中国南東部にしかなかった。これは異なった集団の拡張と縮小の過程を経た結果と考えられる。ダイズにはI型が優占するが、I型は、日本では四国、九州および山陰地方の極少数の系統にしかみられなかった。

    オニユリとコオニユリでは、西九州および朝鮮半島の自生集団での分布調査を行い、葉緑体DNA多型をしらべた。日本のオニユリはほとんど3倍体で墓地周辺に生育し、2倍体は対馬に局在したが、朝鮮半島では2倍体が広く分布し、3倍体は園芸的に使われているものの墓地には生育していなかった。コオニユリはすべて2倍体で日本では海岸に自生していた。栽培のユリ根はコオニユリのみであった。葉緑体には多型があり、その分布は古断層や海峡で分断されている傾向にあった。中国照葉樹林帯の系統には大きな挿入欠失変異がみられたが、塩基置換においては日本の系統と類似していた。

    ワサビでは、日本独自の香辛野菜として食文化を形成した背景の解析を踏まえて、自生地と栽培の民俗調査を行った。西日本を中心に全国50地点以上を調査し、ワサビ20系統と日本固有の近縁野生種ユリワサビ14系統の葉または株を収集した。岡山県と島根県は純粋な自生ワサビと推定される3集団が確認できたが、そこでは自生ワサビは栽培ワサビと区別され、栽培種との交雑による選抜育種が民間で進められていた。

    ヤナギタデでは栽培利用の多様性と栽培の成立過程を解析するために愛知県三河湾の中央ある佐久島で民族植物学的調査をすすめた。生物学的にはヤナギタデにあたる'あかたで'と'あおたで'の2種類があり、ここでは'あかたで'をたで汁'とするために半栽培していた。半栽培の'あかたで'は自給用の畑でこぼれ種から芽生えによって維持されていたが、水田脇などに自生するヤナギタデである'あおたで'は、かつては採取して同様に食べていたが、現在は利用されていなかった。 オオバコでは、非意図的な人為撹乱が引き起こしている生育地侵略を石川県白山で調査した。白山の亜高山帯以上には本来無いフキやオオバコが近年増加している。白山の固有種ハクサンオオバコでのオオバコの侵入の意味を知るために両者雑種を調査し、遺伝子浸透の実態を調べるために、rDNAのITS領域を比較したところ、両種には明らかな違いがみられた。



    マルハナバチの自然史と植生・土地利用の歴史

    リーダー: 須賀 丈 (長野県環境保全研究所、昆虫生態学・保全生物学)
    キーワード: 送粉、系統地理、GIS、景観、土地利用

    メンバー

    研究目的と内容

    最終氷期以降の気候変動と人間の土地利用の変遷にともない、日本列島でも森林・草原などの土地被覆の分布が変化し、またそれよってそうした環境に生育・生息する植物・送粉昆虫の分布やこれらの生物が担う生態系機能のあり方が変化してきたと考えられる。たとえばマルハナバチのいくつかの種では中舌とよばれる口器の部位が長く伸張しており、他の昆虫が吸蜜できない蜜源の深い花を活発に訪れる習性をもち、そのことによってこれらの植物にとって欠かせない送粉者としての機能を果たしていると考えられている。しかし近年では、特定外来生物に指定されたセイヨウオオマルハナバチの野生化など、こうした関係に対する新たな脅威も登場している。

    本研究では、日本列島の幅広い環境に適応放散し、多くの植物の重要な送粉者として機能していると考えられるマルハナバチ各種について、(1)その地理的な分化の過程を分子系統学的な分析手法で解明し、(2)分布と植生・土地利用とのむすびつきを景観生態学的手法であきらかにするとともに、(3)訪花する植物との相互依存関係がどのような地域特性を生みだしているのかを生態および形態の比較から解明することを目的とする。

    これにより、(1)系統進化、(2)景観・土地利用、(3)種間相互作用の3つの時間的・空間的スケールを考慮した生物保全へのアプローチのあり方を具体例として示すとともに、次のステップとして気候変動や土地利用の変化、外来生物(植物・セイヨウオオマルハナバチ)の侵入などが在来のマルハナバチ-植物共生系にどのような変化をもたらすかを予測し、対策の指針に役立てるための方法をモデル的に示す段階に到達することが期待される。

    研究の方法

    マルハナバチはユーラシア大陸の草原地帯に分布の中心をもち、第四紀の寒冷な時代などに日本列島に移入したと考えられ、本州中部の山岳域と北海道に多くの種が生息するほか、分布域の狭い種のうちのいくつかは東北地方でも記録されている。また北海道と本州のあいだでいくつかの種に亜種レベルの分化がみられる。中部山岳域はフォッサマグナ地域の火山地帯を含み、また古来の馬の放牧などにより、各地に半自然草原が維持されてきた。このような地域特性が、分布域の狭いマルハナバチの種にレフュジアを提供してきた可能性がある(このような環境は、絶滅のおそれのあるチョウ類の多くの生息地ともなっている)。

    そこでこのプロジェクトでは、長野県(特に長野市周辺)を重点対象地域とし、マルハナバチの生息地(地形図レベルの点情報)や利用する植物に関する既存の情報を整理するとともに、現地調査でこれをおぎない、マルハナバチ各種の分布と生息環境に関するデータベースを作成する。そしてこれらの情報を、国土数値情報や植生図などとGIS上で重ね合わせ、多変量ロジスティック回帰分析などにより、マルハナバチ各種の生息地の条件を解明する。またそのような分布域をもたらしてきた歴史的条件を既存の資料や本プロジェクトの他の班の成果などにもとづいて考察する。さらにこれらの情報から、土地利用変化、気候変動、外来種の侵入などと関連づけたマルハナバチの生息可能地域の変動の予測手法について検討する。

    この重点対象地域での調査データと分析結果を基礎として、比較のための調査地域を設定し、標本のサンプリングと分子系統分析をおこなう。またそれぞれの地域の現地調査と標本の測定などにもとづいて、マルハナバチと植物の生態的・形態的な相互適応やその地域分化、およびそれにかかわる人為の影響の実態を解明する。

    これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

    1996年以来これまでに、田中によるマルハナバチの系統地理学的研究や須賀らによる長野県版レッドデータブックの作成などのため、長野県内で10種約3千個体のマルハナバチの分布情報(主に地形図レベルの点情報)と訪花した植物の種類についての情報が得られている。このうち半数以上は、2004年以降に本プロジェクトの現地調査で取得したもので、分子系統分析用のサンプルの確保もこれと同時におこなっている。特に長野市近郊の里山については重点的に現地調査・サンプリングをおこなっている(この地域の里山の歴史的変化に関しては、長野県環境保全研究所による学際的調査の知見がある)。長野県版レッドデータブックでは、ホンシュウハイイロマルハナバチを絶滅危惧II類、他のマルハナバチ3種を(増減について推測する手がかりが不足しているため)情報不足種としている。

    今年度は、2005年までにマルハナバチを確認した274の3次メッシュ区画のデータにもとづき、その土地被覆分類からマルハナバチ各種の存否を予測するための予備的な分析を試みた。そして土地被覆を変数とする簡単な多重ロジスティック回帰から、ホンシュウハイイロマルハナバチで草原(ただしp < 0.1水準)、ナガマルハナバチやヒメマルハナバチで高山植生や亜高山植生などが生息地として好適な傾向を示す結果が得られた。ここでいう草原とは、ススキ草原や伐採跡地、牧草地など人為の影響で維持される半自然草原や人工草原であり、こうした人間活動が絶滅危惧種であるホンシュウハイイロマルハナバチの生息環境を維持していることが示唆された。このような環境は、他のハナバチ類をふくめた種多様度の面でも他のタイプの植生よりも多様性が高いことが示唆されている(須賀 2005)。

    マルハナバチの系統地理学的分析については、東アジア産マルハナバチの亜属・種・種内の地域レベルでの分析がおこなわれている(田中 2001)。それによると、日本列島に生息するマルハナバチは、第三紀終期から第四紀にかけてのさまざまな時期に大陸から移入し、種分化をとげた可能性が高い。

    マルハナバチとその訪花植物の形態的な相互適応については、Ushimaru & Nakata(2001)がトキソウとツヤハナバチの送粉系を対象に花冠サイズの進化について分析をおこなった成果があり、この手法を本プロジェクトにおいても利用することが可能と考えている。またこれまでの文献データからマルハナバチ各種が利用する植物に差があるかどうか検討する予定である。

    なお、在来のマルハナバチと植物の共生関係に脅威をもたらしている外来種セイヨウオオマルハナバチは、北海道で急速に分布域を広げている。長野県でも野外での発見例があるが、野生化は確認されていない。一方、在来のマルハナバチの多くがコンフリーやムラサキツメクサなどの外来植物をおとずれる状況になっていることが、本プロジェクトのこれまでの調査データから示されている。



    方言班〜植物の地域名称と利用法

    リーダー: 中井 精一 (富山大学人文学部、社会言語学)
    キーワード: 植物方言 環境利用システム 食の可視化 植物方言地図

    メンバー

    研究目的と内容

    (目的)
    情報流通のトレーサーとして「植物の地方ごとの呼び名と利用法」
    植物方言は、植物環境の認識を明らかにする手がかりを与えるとともに、地域社会における生業あり方や資源体系とその認識を示している。
    本研究では、日本各地における植物の名称をもとに、日本における植物観、世界観といかに深くむすびついているかを示し、植物語彙をもとにした日本人の環境認識の歴史ならびに環境利用の歴史を提示したいと考えている。

    (プロジェクト終了までに期待できる成果)
    1、日本海沿岸地域における栽培植物ならびに採集植物を中心にした、食糧資源の体系とその利用に関する可視化。
    2、日本全国を視野にいれた「植物方言地図集」の刊行

    研究の方法

    日本全国の郷土食から料理名や食材をもとに地域ごとの環境利用システムを提示。
    「日本の食生活」(農文協)をもとに作成したデータベースから料理名・食材名・季節・ハレとケに注目してデータベースを作成し、共出現する任意の2語のパターンの頻度と重みづけを利用し、視覚化する。
    視覚化には共出現パターンの重要度を計算し、重要な共出現パターンから順にネットワークで表現する。

    これまでの背景と今年度までに明らかになったこと

    山形県の内陸部・飛島、富山県砺波平野、兵庫県但馬海岸などの日本海沿岸地域で、ハレの食に関する可視化をし、食の地域特性が確認できた。