日本列島は,他の「先進国」に比べ高い森林率や高い生物多様性を保持している。稠密な人口を擁するにもかかわらず,なぜ日本列島の生物多様性は失われなかったのか?縄文時代や江戸時代に「自然と人間の共生」の理想を求める言説は多い。この企画では、1)日本列島の生物多様性が高かった要因を主に地理的,気候的,地史的側面からの仮説を示し,2)列島各地の歴史から見出した生物資源利用とその管理の成功/失敗事例を紹介し,3)列島の生物多様性が維持された要因を整理した上で, 4)今後の「自然と人間の関係」をどうしていくのかを展望したい。世界の流れは、生物多様性のみを保全するのではなく,人間との関係性も含めて保全していくという方向に動きつつある。生態学と同じ「関係性」の学問である歴史学の視点に触れ,生物多様性と分かちがたく結びついている文化多様性について考えたい。
講演:日本列島は,他の「先進国」に比べ高い森林率や高い生物多様性を保持している。稠密な人口を擁するにもかかわらず,なぜ日本列島の生物多様性は失われなかったのか?最近の「里山」イメージをはじめとして、縄文時代や江戸時代に「自然と人間の共生」の理想を求める言説は多い。この企画では、1)日本列島の生物多様性が高かった要因を主に地理的,気候的,地史的側面からの仮説を示し,2)列島各地の歴史から見出した生物資源利用とその管理の成功/失敗事例を紹介し,3)列島の生物多様性が維持された要因を整理した上で, 4)今後の「自然と人間の関係」をどうしていくのかを展望したい。
2010年の生物多様性条約締結国会議COP10の名古屋議定書の内容にも、先住民が生物資源を認識し、持続的な利用を行っていたことから生じる権利が改めて強調されている。このように世界の流れは、生物多様性のみを保全するのではなく,人間との関係性も含めて保全していくという方向に動きつつある。生態学と同じ「関係性」の学問である歴史学の視点に触れ,生物多様性と分かちがたく結びついている文化多様性について考えたい。
第四紀には,それ以前の新第三紀の温暖な時代とは異なり,大陸氷床が拡大する寒冷な氷期とそれが縮小する温暖な間氷期を約10万年の周期で繰り返すようになった。この氷期・間氷期変動において,特に,氷期には厳しい寒冷気候が支配し,海水準低下による大陸との陸橋形成が起こった。このような寒冷化に伴い,新第三紀の温暖な気候下に生育していた植物が,第四紀にかけての4つの時期に段階的に絶滅し,170万年前頃には,ヒメバラモミ,チョウセンゴヨウなどの冷温帯,亜寒帯性植物の種類が増加,50万年前には,現在の日本列島の森林の主要構成種がすべて出そろった(百原,2010)。氷床の拡大が起こったヨーロッパと異なり,東アジアでは,植物の移動が可能であり,特に大陸と陸続きとなった日本列島では,北方系植物群の南下が起こり,さらに,沿岸域は海洋性気候により,氷期でも湿潤さが保たれ比較的穏和であったため,暖温帯性植物の逃避地として機能していたと考えられる。現在に最も近い約2万年前の最終氷期最盛期(LGM)の植生配置は,日本列島の現植生の成立過程を議論する上で欠かせない情報である。これまで那須(1980)やTsukada(1984,1985)等によりLGM植生図が発表されてきたが,総合地球環境学研究所「列島プロジェクト」古生態・生物地理の研究グループは,近年集積されてきた植物分布についての直接的な花粉化石や植物遺体データ,さらに,主要な樹種の遺伝的多様性に関してのDNAの分子情報に基づいて, LGMの植生について検討してきた。その結果,LGMにおいても,現在分布している植物は,大きく南北に移動したのではなく,各地域で小規模な集団として分布していたと考えられた。後氷期については,火事が植生形成に大きく関連していた。このような LGMの植生と後氷期における植生形成過程について報告する。
日本列島の哺乳類相は、南北3000キロにわたる亜寒帯から亜熱帯の多様な気候帯や高山帯を有すること、大陸との接続や分離などの繰り返しなどを背景に多様性が高い。ブナ科堅果は高い生産性をもち、多くの野生動物を支えてきた。弥生時代になって本格的な水田稲作農業が始まると野生動物は食糧資源であるとともに農業被害をもたらす二面性を持つことになった。新田開発が盛んに行われた江戸時代には、シカ・イノシシの獣害が激化し、全国の農村のいたるところに「しし垣」が作られたほか、火縄銃は農具として獣害防止に用いられた、組織的で大規模な駆除も実施された。江戸時代に広域にみられたが現在絶滅したものにオオカミ、カワウソなどがあげられる。また、ニホンザル、クマ、キツネ、イノシシ、カモシカなどが地域的に絶滅した。18世紀後半から19世紀にかけて、オオカミは牧場で馬を殺し、あるいは狂犬病に罹り危険な動物となり、その対抗措置としてオオカミ狩りが行なわれた。江戸時代、里地は農民が農業生産物を獣害から守るために野生動物との攻防をくり返す最前線であった。明治期から大正期にかけては、村田銃の一般への普及や軍需用毛皮の需要が世界的に高まったことから、野生鳥獣の減少に拍車がかかった。戦後は、一転して枯渇した野生動物の回復が目標となり、メスジカの禁猟や保護区の設定などさまざまな保護措置がとられた。昭和30年代以降の拡大造林政策、昭和30年代後半からの草地造成事業などによる人為的な土地利用の改変と保護政策は今日の野生動物の被害発生や生息数と分布回復の原因となった。増加を続ける耕作放棄地や里山放棄地は、野生動物の隠れ場や生息の場となり、分布拡大と生息数増加を招いている。今日我々は、人間の生活空間の縮小と野生動物の生息地の拡大という、これまで直面したことのない時代を迎え、土地利用の再編成や野生動物管理制度の設計が切実な課題となっている。
ジャレド・ダイアモンドは、世界の諸文明が歴史上破滅に至ったり、あるいはそれを回避して持続した要因について刺激的な説明をなし、国際的に注目を浴びた。氏は日本の事例についても言及し、森林に覆われた自然環境の破綻が人口稠密な江戸時代(近世)の日本において回避された理由を、上意下達の貫徹する社会の中で、有能な支配者による森林保護政策が有効に機能したためと説明している。
しかし歴史学的に検討すると、氏の説には荒唐無稽ともいえる記述が多く、当時の社会の実像に即した見解といえるかどうか大きな疑問がある。果たして近世日本において自然環境の保全がなされた要因はどこにあったのか、支配者による森林保護政策が主因とする理解は正しいのか。本発表では、これらの問題について、歴史学の立場から再検討を加えていくことにする。
まずはダイアモンドの所説が大きな批判もなく日本で容易に受け容れられた背景について、従来の歴史学の描いてきた日本史像の偏りとその結果醸成された国民的理解の問題に触れ、その上で信越国境(長野・新潟県境)に位置した山間地の争論を手がかりに、近世という社会システムの中で在地住民が地域環境保全にどのように対していたかを考えていきたいと思う。
日本列島地域は、生物多様性が高いにもかかわらず破壊の危機に瀕していて緊急かつ戦略的に保全すべき地域として世界34ヶ所の「生物多様性ホットスポット」のうちのひとつとされている.
日本列島に多様な生物が生息している要因として,3つの仮説が挙げられる.第1に日本列島は水平的・垂直的な環境の広がりや,数千の島嶼からなり自然環境が多様で豊かであることである.第2に生物相が形成されるにあたって過去の気候変動と地形形成などの地史が豊かな生物多様性を涵養したことである.第3に日本列島では人と自然の関係が調和的で,人々が「賢明」に生物多様性を利用してきたことである.
特に第3の仮説について検討した.日本列島におけるさまざまな生物資源の利用の歴史や人と自然のかかわりの歴史を概観したところ,生物多様性を脅かす森林の大規模攪乱を古代と中世,近世初期に経験しながらも,近世においては独自の森林管理を発展させ,近代以前の日本における人と自然のかかわりには生物資源を枯渇させないような「賢明な利用」が行われたことは確かにあった.一方で,古代においては針葉樹のコウヤマキが木棺の材料などとして枯渇的に利用されたり,近代になると東北地方でさまざまな哺乳類に過剰な狩猟圧がかけられたこともあった.
果たして生物多様性は維持されてきたのだろうか.過去の森林伐採によって生物多様性が喪失していたのかもしれない.それでも現在の日本列島で生物多様性が高い要因として考えられることは,1)もともと生物多様性が非常に高かったから,2)原生自然が破壊されても,人為的な逃避地(里山,神聖な森,半自然草原)が存在したから,3)高山や奥山,地形険阻な森林なども逃避地として機能したからではないだろうか.
生物多様性といえば、これまで原生的な自然に住む生物のことを中心に論じられる場合がほとんどであった。熱帯雨林の減少で絶滅しそうな類人猿や希少な鳥類などが、報道でも大きくクローズアップされている。日本でも屋久島や知床のような原生的な自然が、特権的な価値をもつものとして語られてきた。では人間のインパクトが与えられた、いわゆる二次的な自然は、生物多様性について論ずるに価しない二流の自然なのか。いや、わたしたちの回りの自然こそが、わたしたちにさまざまな生態系サービスを与えてくれる「本当の自然」ではないのか。遠くのwildernessよりも近くの里山。そこには人間が育ててきた作物や家畜、半栽培植物を含めた生物多様性と文化が、そして「自然の恵み」が満ち満ちているではないか。どこの国や地域でも、文化はそれぞれの地域の生物多様性に依存して育まれてきた。文化多様性の源泉は、そこに生息する動植物を含めた地域の風土である。ところが、この「本当の自然」の大切さを語ることばを、わたしたちはじゅうぶんに醸成してこなかったのではないか。生物多様性条約では、1)保全、2)持続的利用、3)生物資源からの利益の公平・衡平な分配が、3本柱になっている。この3つは、異なる価値観をもつさまざまなステークホルダー間では、持続的な利用と経済的・文化的な利益なしでは保全は担保されず、利益の公平・衡平な分配の確保こそが特定のセクターによる過剰利用を防止して持続的な利用・管理を導きだし、持続的な利用の前提には適切な保全があるという、相互に依存しあう関係となっている。人間が生物資源を利用してこそ、保全が成立するという考え方にたつと、二次的な自然の役割と意義がよく理解できる。身近な「自然の恵み」を十分に活用すること、そして祖先から受け継いだ「自然の恵み」の利用法を学ぶことが、環境負荷が低く、しかも豊かな生活の第1歩ではないだろうか。