2006/11/18 「日本列島における人間―自然相互関係の文化的・歴史的検討」北海道班研究会 近代中期頃までの北海道における人為が加わった森林に関わる資料(の一端) 北海道開拓記念館 三浦泰之 ■北海道、特に後志地方の林相  ※近世期の史料の一例  ※開拓使による調査  ※札幌県による調査  ※北海道庁による調査  ⇒漁業の展開、拓殖政策の進展と森林破壊の現況 ■北海道の森林と人為  ※北海道の深林と人為に関する一般的なイメージ【北海道庁林務課『大正五年三月 林業調査書』】  ※移住者及び小作人にとっては冬期の良い現金収入源   ・岩内郡老古美村の事例【1890年代末、表を参照】   ・雨竜郡深川村の事例【1890年代末、表を参照】  ※河野常吉「北海道森林経営策」(1896(明治29)年)   ・拓殖上の需用、産業上の需用を満たすことを強く念頭に置いた上で将来にわたる森林経営策を提案     産額の大きな鰊漁業への影響として粕焚用薪材の欠乏と「招魚林」の荒廃も危惧   ・「共有森林」について  ※保安林、魚付林をめぐる議論 ―1910年代頃までの事例―   ・森林無関係論 →これも経験則?【厚田郡厚田村の古老の談(1910年代頃)】  ※「上」からと「下」からの森林「保護」   ・室蘭・虻田・有珠・幌別郡長田村顕允(1880(明治13)年〜1887(明治20)年在任)による「魚附林」   ・島牧郡歌島村の「風防林」【1890年代末、表を参照】    石狩郡花畔村の「風防林」【1890年代末、表を参照】   「金子家文書のひとつ、明治26年(1893)の花畔村「村民契約証」の第一条では「海風荒きをもって、農作物に及ぼす害甚だし。ゆえに、禁伐林を設けあり」と書かれています。開拓農民にとって風雪飛砂は現在の我々の想像以上にきびしいものであったことがわかります。そのため農民の強い要望で、現在の花川北防風林などの耕地防風林が設置されました。/しかし盗伐が続出したため、風防林保護を目的として、明治29(1896)年4月に『風防林保護規約』が村会に提案されました。これは風防林を数区に分けてそこに風防林守を置き、村民による巡視や違反者は容赦なく告発することを住民の総意としてうたったものです。/一方、前文には「風防林は、単に風防の用をなすのみならず、村里の風致を高め、水源を養い、かつ渉海の目標ともなるべきものなれば」と書かれ、風防林は単に耕地を守るだけでなく、おもむきのある景観や水源涵養林として、さらには航海目標として多様な意義をもらせていました。現在、石狩市は都市化が進み耕地は宅地に変化しましたが、風防林は防風林と呼ばれるようになり、幾年かの年月と多くの人々に保護されながら、今も相変らず厳しい風雪から市民の生活の場を守ってくれています。/防風林にはヤチダモをはじめ、各種の樹木や野草、そこに集まる昆虫や野鳥などmかけがえのない自然環境を市民に提供してくれています。このような貴重な文化遺産を残してくれた先人の開拓魂と、将来を見据えた心意気が金子家文書から読み取れます。」 村山燿一「金子家文書を読む? 守り守られ防風林〜開拓農民が残してくれた文化遺産〜」 (『エスチュアリ 石狩市博物館開設準備室だより』No.16、2002年、2頁)  ・樺戸郡新十津川村の堤防地への桑樹栽培【1890年代末、表を参照】  ・野幌御料林問題(1890(明治23)年〜1899(明治32)年)    官林 → 御料林 → 官林 → 町村基本財産へ分割案(広島・野幌の反対運動) → 官林   「  野幌御料林之義ニ付意見書 今度野幌御料林、官林ニ御組換之義承リ及候ニ付意見上申仕候。右御料林ハ石狩大原野ノ丘陵ヲナシ白石、月寒、江別、対雁ニ跨リ広茫数方里ニシテ樹林鬱蒼、水理ヲ涵養シ暴風ヲ防禦シ、且ツ石狩全国ノ気便乾湿調和シ、其関係スル所最モ大、若之ヲ官林トナセバ禁伐林トナスモ種々ノ口実ヲ以テ分裂払下ト為ス事免ル可カラザルベシ、其時ニ際セバ如何様ノ命令ヲ下スモ童山赫地トナルハ掌ヲ見ルガ如シ。然レバ水田ニ名アル白石、広島開墾モ水源ヲ失ヒ、野幌、江別等ハ暴風乾燥之害ヲ受ケ、殖民ノ業ヲ失フニ到ルベシ、加フルニ石狩全国ノ気便調和モ其宜ヲ得ザル事憂患ニ不堪奉存候。何卒野幌御料林ハ帝室御財産ニ御編入、永世保存之方法立被遊、樹林ハ追々改良ニ相成候様被成下候ハバ、御財産上ニ利益ヲ生ジ、移住民生活ニ宜ヲ得候事奉存候ニ付此段意見書奉呈仕候也、       明治廿五年十月廿三日   北越殖民社委員 関矢孫左衛門      御料局長官岩村通俊殿」   「〔1899(明治32)年4月〕野幌官林分割反対運動ノ顛末(北征日乗)    …札幌白石総代等ハ其仁恵ヲ感謝ス。江別ハ無言ニテ退庁スト云フ。関矢曰、野幌官林御料林時代ヨリ水源涵養風防ノ為屡々上申シ、既ニ百二十町歩余ノ用水溜池敷拝借シ、二十五以上溜池ヲ築キ数百町歩ノ水田ニ灌漑シ、猶将ニ拡張スルノ今日、深林ヲ町村基本財産ニ下ゲ渡サルヽ時ハ、水源枯渇シテ提其用ヲ為サズ、水田荒蕪ニ附スベシ。樹林伐採セラルヽハ難捨置一大事也。…」 関谷マリ子『野幌部落史』(国書刊行会、1974年、176〜181頁)  ※移住者の出身地の違いと「森林」に対する考え方の違い   ・鰊漁場への雇われ漁夫は×【河野常吉「北海道森林経営策」(1896(明治29)年)】   ・樺戸郡新十津川村の事例【1890年代末、表を参照】  ※植樹・造林   ・忍路郡塩谷村の事例【1890年代末、表を参照】   ・空知郡栗沢村の事例【1890年代末、表を参照】   ・樺戸郡月形村の事例【1890年代末、表を参照】  ⇒以上のような知恵及び技術はどこに由来するのか?    (例えば、母村文化? 北海道での暮らしに根ざしたもの?、など) ■北海道立図書館所蔵河野常吉資料について  ※北海道庁拓殖部殖民課に勤務し、『北海道殖民地状況報文』の調査・執筆に携わる。  ※自身による膨大な編纂資料を残す。 ■後志地方の鰊建網漁家と薪炭及び木材  ※薪炭及び木材の流通【『殖民地状況報文』後志国・石狩国(1890年代後半頃)】   ・古宇郡以南の漁村 ←瀬棚郡・寿都郡・磯谷郡の原野   ・積丹郡以東から忍路郡までの漁村 ←余市(石狩)   ・忍路郡以東から小樽郡の漁村 ←石狩  ※改良鰊釜について  ※個別事例の紹介   ・高島郡高島/西川家の場合 ―1890(明治23)年の事例―   ・高島郡祝津/青山家の場合 ―1891(明治24)年〜1895(明治28)年と1916(大正5)年頃の事例―