徒然なるままに



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京都のお雑煮

中尾正義

1964年3月に高等学校を卒業したわたしは、十年あまり暮したふるさと長崎を離れて、家族と別れて独り暮らしを始めました。その年の大学入試に失敗していて、志望する大学のある京都で浪人生活をおくりたいと思ったからでした。

京都市電の烏丸車庫の西、御所田町にあった長屋の2階に4畳半の部屋を借りて、近くにあったKBGという予備校に通いました。下宿の大家さんはTGさんという独り暮らしの70代のおばあさんでした。食事の提供はなく部屋を借りるだけという、素人下宿と呼ばれていた、京都に多い下宿屋さんの形態でした。トイレは1階にあって、大家さんと共同のものでした。近くには銭湯が一軒あって、週に一回くらいの頻度で主に日曜日に利用しました。

朝食は、朝配達して貰う一本の牛乳で食パン1枚を流し込むという毎日でした。この朝食を見た大家さんは、「これじゃあ栄養不足でしょう!」といってキャベツの千切りと一切れのトマト(たまには薄くスライスしたキューリやハム)などを小皿に載せて毎朝提供してくださるようになりました。「お金なんかいりませんよ」とのことでしたので、有り難く頂戴しました。

予備校の近くには予備校生相手の食堂があって、昼食はもっぱらそこでキャベツ炒め定食を食べたものです。一皿のキャベツの炒めものと丼に盛った一杯のご飯、それに味噌汁と2切のタクアンがついて80円というこの定食を、日曜祭日以外には、判で押したようにほぼ毎日食べていました。夕食は、下宿の近くにあった大衆用の食堂で摂るのが普通でした。具がほとんど入っていない味噌汁と丼一杯のご飯に漬け物がついて50円ほどでした。これに、1〜2品のおかずを追加で頼むという食事でした。山盛りの刻みネギの入った大きな丼が窓口に置いてあって、いつでも好きなだけ刻みネギを味噌汁に入れることができました。

提供されていたおかずの中で、最も安かったのは納豆でした。納豆という食べ物は九州のわが家では一度も出たことがなく、初めて目にした食べ物でした。安さに惹かれて食べてみたのですが、結構気に入って夕食のおかずの定番になりました。おかずの一品として値段の安い納豆を選べば、別のおかずをもう一品食べられるというのが、納豆が気にいった理由だったのかもしれません。

納豆の次に安かったのがピーマンの油炒めでした。わたしは子供の頃からピーマンが苦手だったのですが、これまた安さに惹かれて時々食べているうちに、苦手ではなくなりました。実を言うと、わたしが最も嫌いな食べ物はネギだったのですが、この食堂で、タダで提供されていた刻みネギを味噌汁の具として入れて飲み込んでいるうちに、いつのまにか苦手ではなくなりました。飲み込むのではなく噛むこともできるようになったのです。

たまには夕食で肉や魚を食べることもありましたが、おおむね夕食は、納豆とピーマン炒めをおかずにすることが多かったです。食事で摂取するタンパク質は、納豆や味噌汁の大豆が中心になりました。そのせいか、京都に来てからは運動もしないのにどんどん痩せてきて、体重も60キロを切るようになりました。良く言えばスリムな体型になったのでした。

翌年の入試での大学合格という目標があったせいか、こんな生活もつらくはありませんでした。こうしてその年も終わり、年が改まりました。三が日は予備校も休みでしたが、浪人生としては、長崎に帰省はせずに正月も京都で過ごすことにしました。困ったことに、当時のほとんどの食堂は三が日は休みでした。外食に頼る人間が食事をする所がないのです。パンをたくさん買っておくのにも限度があります。

見かねた大家さんのTGさんが正月にお雑煮を作ってご馳走してくださいました。出されたお雑煮を見て驚きました。お椀には溢れんばかりに突き出た大きさの芋が一個真ん中に鎮座しています。その周りにあるわずかばかりの汁の中に、小指の先ほどの小さな餅が二切れほど浮いていました。

真ん中に入っている大きな芋でお椀はいっぱいになっていて、それ以外の具材が入る余地がほとんどありません。TGさんによれば、わたしに作ってくださったのは典型的な京都の商家のお雑煮だとのことでした。お椀のほとんどを占めていた巨大な芋は八つ頭という名前の里芋で、この大きな芋を雑煮の椀に入れて奉公人のおなかを満たすことによって、彼らに餅をたくさん食べさせる必要がなくなるという、けちを絵に描いたような典型的な京都の商人の知恵なのだそうです。

買い置きのパンだけで三が日の食を支えるつもりだったわたしにとっては、母の手料理を思い出す温かいお雑煮は実に有り難いご馳走でした。TGさんのおかげで正月を乗り切ることもできました。こうして一年間の浪人生活を無事に終えて、その年の受験で志望していた大学の理学部にめでたく受かることができたのでした。一年近くもの間、毎朝の朝食時に新鮮な生野菜をご馳走してくださったTGおばあさんのご親切には感謝の言葉しかありません。そしてあの京都のお雑煮の味も忘れることはできません。

(2022年2月)

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