失せ物
中尾正義
わたしが半年余りリハビリに通っているKMクリニックには、従業員のみなさんのために保育所が併設されています。いつもリハビリを手助けしていただく介護助手のSMさんも2歳のお嬢さんをその保育所に預けては、クリニックでのお仕事をされています。毎日、お子さんと一緒にバスに乗っての通勤だとのことです。
バスの中で、定期券や運転免許証、めいしなどが入ったケースを手に持たせてやるとお嬢さんの気が紛れて騒がなくなるらしく、乗車時に使った定期ケースをそのままお子さんに持たせていることが多いとのことでした。もっとも、これら大切なものはバスを降りる前に返してもらおうとするのですが、「返しなさい!」「いやだ!」という娘さんとのせめぎあいの毎日だとのことです。
暖かくなってきた5月のある日のことです。「もう返しなさい」「まだ返さない」というやり取りの後、その日はお嬢さんにケースを持たせたままバスを降りたとのこと。しかし気がつくといつのまにかまだ2歳のお子さんの手からはその定期入れが消えていたそうです。バスを降りた時には手に持っていたことを確認していたので、バス停から職場までの10分ほどの道のどこかで落としたに違いありません。慌てて道を戻って探したけれども、どこにも落ちておらず、すっかり落ち込んでしまったとのことです。
バス停とクリニックの中程に、IK中学校という学校があります。この日も登校する多くの生徒さん達と行き会ったので、ひょっとしたら中学校の生徒さんの誰かが拾ってくれていたらきっと届けてくれるに違いないという淡い希望が湧いたそうです。次第に希望は期待へと成長します。
とはいえ、免許証の再発行や定期券の再購入などの手続のことを考えると、すっかりめいってしまいます。出勤時刻には何とか間に合ったものの、やることなすことすべてに身が入らず、同僚からは何か変だよと言われる始末。
そこへクリニック宛に一本の電話がかかってきました。定期ケースの中に入っていためいしを見た中学校の先生からのものでした。「登校中の生徒の一人が定期ケースを拾いましたが落としたのではありませんか」という問い合わせでした。ということで、SMさんの失せ物騒動はめでたしめでたし、という結末で終わったわけです。期待通り、わが国の中学生くらいの生徒さんは本当に信頼がおけるようです。
この話を聞いて、わたしは30年近く前におきたもうひとつの失せ物事件を思い出しました。
1987年から1993年までの5年半の間、わたしは新潟県の長岡市にある雪や氷の研究所に勤めていました。ちょうどその時に、展示会や見本市、大規模なイベントなどを開くことができる施設を長岡市が造りました。ハイブ長岡です。当時の地方都市の施設としては珍しく、4カ国語もの同時通訳ができる設備も備えていました。そのせいもあってか、長岡市としてはハイブ長岡のこけら落しに国際的なシンポジウムを誘致したいと考えたようです。
長岡市はわが国でも有数の豪雪地です。雪に関する国際研究集会を開くことができないだろうかと、市の担当者の方がわたしの勤めていた研究所に相談に見えたのです。
当時、雪関連の国際研究集会を世界のあちこちで頻繁に開催していたのは、ユネスコ傘下の国際雪氷委員会という国際組織と、世界中の雪氷研究者の集まりである国際雪氷学会という組織でした。両者と様々な連絡をとりつつ検討した結果、最終的には後者に主催をお願いしました。そして「雪と雪に関する諸問題」を主題とする国際シンポジウムを1992年9月14日から18日にかけて開催することができたのでした。
シンポジウムでは、日本海側の豪雪地帯特有の、水を含んだ積雪の化学的、物理的な時間変化の研究などとならんで、雪による代表的な災害である雪崩に関する多くの研究成果も発表されました。雪崩研究の老舗ともいえるスイスのダボスにある雪崩研究所からも複数の研究者が来ていました。
その中に、何度か来日の経験があるBS博士も来ておられました。世界的な雪崩研究の第一人者のひとりである彼は、親日家でもありました。同時に、とても明るくユーモアあふれるBSさんには多くの日本人研究者のファンもいました。
300人近い参加者による実り豊かな成果を残してシンポジウムは盛会の内に終りました。海外から参加した皆さんともいよいよお別れです。9月19日の朝、長岡在住のわれわれは、新幹線で東京へと向かう皆さんを見送りに長岡駅まで同行しました。しかし、ほぼ1週間を一緒に過ごした皆さんと何となく別れがたく、喫茶店でも話はつきず、昼食を一緒にとって、彼らは予定を変えて午后の新幹線で東京に行こうなどということになる始末でした。
結果的に、長岡駅近くの喫茶店やレストランを数店舗「はしご」したのです。いよいよ東京行きの新幹線に乗ろうという時になって、BSさんが大声を上げました。荷物のひとつをどこかのレストランか喫茶店に置き忘れてきたというのです。店を何軒も回ったため、どの店で置き忘れたのだか全く覚えていないと言います。悪いことに、置き忘れたその荷物にパスポートが入っているというのです。長岡にいる我々があとで探して送る、というわけにもいきません。
急いで「はしご」をした筈の店を回って探したのですが、何処にもありません。パスポートがなければ帰国予定のフライトに搭乗もできません。快活なBSさんも真っ青になってしまいました。
急ぎスイス行きのフライトを変更することも必要ですが、それよりも前に東京にあるスイス大使館でパスポートの再発行をして貰わなければいけません。急いでも数日かかることもあります。BSさんは、あらかじめ事情を説明して、再発行を迅速に行ってくれるように頼もうと、スイス大使館に電話をかけに行きました。ところがしばらくして彼は腑に落ちないような顔で、満足していない様子で帰ってきました。聞けば、大使館がパスポートの再発行をしてくれないというのです。
大使館で電話に出たスイス人の担当官は、BSさんから事情を聞くとこう言ったそうです。「BS博士!ここは日本ですよ。忘れ物は必ず出てきます。パスポートを再発行しても無駄になるに決まっています。もう少しその荷物を探してみる方が早道ですよ。こういう場合、日本では必ず出てきますから!」
ということで、われわれも荷物の捜索を継続しました。そして、警察署の遺失物係に届けられていたことが程なく分かったのです。BSさんが置き忘れた荷物を警察署に届けてくれた人はなまえをなのることもなく帰られたとのことでした。
日本滞在の経験もあり親日家でもあるBSさんも、荷物は必ず出てくるという大使館の人の確信をにわかには信じられなかったそうです。しかし結果的にはその人が言ったとおりだったのです。われわれもほっとすると同時に、スイス大使館の担当官の言葉を、嬉しく、そして幾分誇らしく感じたものでした。
先日の、KMクリニックのSMさんによる失せ物騒動はIK中学校の生徒さんの行為に救われました。しかし、嘘や隠蔽、ごまかし、開き直り、証拠の廃棄など疑惑だらけの昨今のわが国のニュースを聞く度に、他国の人々にかくも信頼されていた素晴らしい日本の国はいったい何処へ行ってしまったのかと情けなくなるのはわたしだけでしょうか。わたしたちは大切なものを失くしてしまったのかもしれません。その失せ物を取り戻すことはできるのでしょうか。
(2019年5月)