徒然なるままに



ご質問やご意見はメールをお寄せください。

『SHOGUN将軍』

中尾正義

俳優の真田広之さんがプロデューサーでもありキャストとして将軍の役をも務める、『SHOGUN将軍』というハリウッドのドラマが、Disney+などから配信されて話題になっています。大変好評らしく、今後もシリーズ化することが決定されたそうです。

ジェームズ・クラベルの原作によるこのドラマは、日本に漂着したウィリアム・アダムスというイギリスの船乗りが、時の将軍であった徳川家康によって旗本に取り立てられ、三浦按針という日本名を拝命して外交顧問して活躍したという史実をもとにしたフィクションです。

今年配信されている真田広之さんによるこのドラマをわたしはまだ見ていませんが、このドラマは、1980年にも同名のタイトルで制作されて北米地域で放映されました。配信中の2024年版は、同じ小説をもとにして新たに作り直したいわゆるリメイク版です。

1980年版では、リチャード・チェンバレンさんが三浦按針をモデルとする主役の船乗り役を演じており、広く北米で放映されて当時とても話題になりました。ドラマの中で徳川家康をモデルとする将軍の役を三船敏郎さんが、通訳としてのヒロイン戸田まり子役(細川ガラシャを模しているともいわれる)を島田陽子さんが演じていました。「ヨーコ・シマダ」はあっという間に北米社会で有名になり、知らない人はいないといえるほどでした。このドラマによって彼女は一躍国際スターの仲間入りを果たしたと評されていました。

1977年に我が国の大学院を修了したわたしは、カナダのオタワにあった国立科学研究院(National Research Council of Canada)に採用されて、1980年当時、同研究院傘下の建築研究所(Division of Building Research)で研究員(Research Associate)として勤務していました。

そのころ、日本が舞台となる映画やドラマがカナダやアメリカで放映されることはまずないということもあって、妻と二人で毎回楽しみに観たものです。このドラマは、日本人であるわたしたちに限らず、カナダやアメリカの一般の視聴者の間ですごく評判となりました。

研究所内でも、わたしの同僚の研究員に限らず、われわれが執筆した論文を校閲してくれる編集員の方や秘書さん、調査や実験を手伝ってくれる技官の皆さん、さらに事務の方々も含めてほぼ研究所員全員がこのドラマを毎回観ていたといってもよいくらいの有様でした。

各放映日の翌日に研究所に出勤すると多くの所員の皆さんから前日に放映されたドラマの内容について聞かれました。昼休みの休憩時間ともなると、多くの所員に取り囲まれて昼食をとる時間がなくなるほどの質問攻めにあったのです。

当時は、国の研究所に勤めているような、いわば教育レベルが比較的高いカナダの人たちでも、日本などアジアの国々についてそれなりの知識がある人は多くありませんでした。「日本と中国はどちらの国のほうが大きいの?」などというような質問を何度も受けたほどです。

トヨタやホンダなど日本の車がすでに北米市場に進出を始めており、特に小型車では高い評価と人気を集めてはいましたが、一般の人たちにとっては、そのころ多くの難民を生み出していた一種の紛争国ともいえるベトナムやレバノンなど特定の国を除いては、アジアへの関心はさほど高くなかったと思います。

放映されたドラマの内容についてわたしが質問攻めにあったのには、日本というアジアの小国について、カナダの人たちがその実情をよく知らないということがその背景にあったと思います。ましてやドラマで描かれる戦国時代や江戸時代という古い時代の日本という国は、彼らにとっては謎に包まれた完全に未知の社会でしかなかったのでしょう。

ドラマの台詞は基本的には英語でしたが、日本人同士の会話の場合にはドラマの中で日本語だけが使われていて、そういう場面では、会話の日本語を翻訳した英語の字幕が流れました。ところが、日本語だけの会話なのに全く字幕が出ない場面もあったのです。それは茶室の場面でした。茶室の場面はドラマの中でかなり重要な役割を果たしていたような気がします。日本語が解る妻やわたしは、茶室での会話をも踏まえてその後の話の展開を理解することができたのですが、日本語を知らないカナダの人たちは放映時には全く会話の内容がわからないのです。翌日にわたしの説明を聞いて初めて「あー!だからあの後であんな風に話が進行したんだ!」と、多くの人がドラマの流れに納得したようでした。質問攻めの原因のひとつは、多くの人がわからない日本語だけが使われる茶室での会話の場面なのに、英語の字幕を全く流さないという制作・編集方針にあったのだと思います。

このことは放映当時から話題となっていました。放映会社には一種の抗議も寄せられたようでしたが、そのことに対して、「日本という未知の国に上陸したばかりで日本語が全く解らない主人公がおかれた状況を視聴者にも体感してもらいたいという制作・編集者の意図である」という説明がなされていました。このことも、このドラマが評判をとった一つの理由だったのかもしれません。

とはいえ、物語をしっかり理解するためには茶室内での会話もきちんと理解したくなるのが人情でしょう。放映翌日のわたしへの質問攻めということになったのだと思います。

様々な質問に答えるうちに、ドラマの中での会話の内容を所員の皆さんに理解してもらうには、単に茶室内での会話の中身を伝えるだけでは不十分で、そもそも茶の湯とは何かという日本人はそれなりに知っている、背景となる茶の湯の説明がどうしても必要になりました。

茶道もしくは茶の湯というものを、わたしはきちんと教わったことはありません。助けになったのは、小学生時代に茶道を学んでいた母のお尻にくっついて、茶道教室に毎回陪席した経験があるということくらいでした。子供とはいえ薄茶を飲む作法は見よう見まねで覚え、高学年になるころには濃茶の飲み方も覚えて、亭主役として袱紗をさばいてのお点前としてお茶をたてられる程度までにはなっていました。とはいえ小学生の子供です。茶の湯の心や役割を理解することなどは思いも及ばないことでした。

それでも、ドラマSHOGUNの茶席での会話を当時の茶の湯の社会的役割を踏まえつつ所員の皆さんに説明するには、子供のころの経験やその後に耳学問で得た知識がある程度は役立ったような気がします。

わたしなりの理解をもとにして研究所の所員の皆さんに行った「茶の湯」の説明は概ね以下のようなものでした。

***************************************

武家が支配する戦国時代や江戸時代の日本社会は、厳しい上下関係を基本とする階層社会であった。下層階級の者が上層階級の者に対してものをいうことなど全く許されず、上からのお達しをひたすら聞き入れざるを得ないという状況、慣習、そして規則だったのである。

この基本構造に対する唯一の例外がお茶を飲む場である茶の湯の席(茶席)であった。茶の湯の席は、お茶をもてなす側ともてなされる側、それぞれ亭主と客という対等な関係のみの空間と考えられていた。どんな上下関係にある者であっても、ひとたび茶の湯に同席すれば、亭主と客という立場で対等に会話を交わすことができたのである。

その結果として、茶の湯は当時の社会の発展に重要な役割を果たしたと考えられている。例えば、武士、商人、町人、僧侶など、異なる階層の人々が茶席に集まり、茶を楽しみながら互いの文化や価値観を共有することができたのだ。つまり当時の社会における閉鎖的な身分制度を一時的に打破し、多様な、異なる階層の人々の相互理解をそれぞれの壁を乗り越えて促進することができたことになったと考えられる。

下の者にとっては、日ごろの不満や不都合な事案を上の者に伝えることができる。上の者にとっては、下々の者の実情を知る機会ともなり、後々の施策や施政に生かすこともできたわけである。

旧態依然たる権威主義的な社会にあって、多様な価値観を持ち寄り、最適解を探すという、いわば一種の民主主義的な対応が可能となる抜け道となっていたということもできるのかもしれない。

さらに茶の湯の席は、単なる社交の場ではなく、精神的な修養の場としても重要であったと考えられる。茶道を通して、人々は日常生活の喧騒から離れ、心の平静を取り戻すことができた。さらに、茶道の作法を通して、礼儀作法や規律を身につけることもできたという。

***************************************

考えてみれば、江戸時代における江戸という都市が当時世界の諸都市の中でも最も栄えていた都市のひとつであったということも、権威主義的な社会にあっても、多様な価値観をベースにする茶の湯という一種の民主主義的なしくみを、諸外国に先駆けて我が国が持っていたということもその原因の一つかもしれません。

(2024年5月)

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

ホームに戻る