彷徨える湖と水環境問題



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中尾正義

水の都、楼蘭

小林幸子さんが歌っている「楼蘭」という曲が2008年の夏に発表されました。中国の西部、タクラマカン沙漠の東の端に楼蘭と呼ばれる都がありました。そこはシルクロードの中継基地として栄華を極めていました。満々と水をたたえたロプ・ノールという湖の岸辺です。 そのロプ・ノールが1700年ほど昔に水を失くしたのです。楼蘭は滅び、今は砂の中に眠っているだけです。胡弓を交えた女子十二楽坊による哀愁を帯びた響きをバックにした「楼蘭」という歌は、「逢いたいのに逢えない」あの人と「逢いたいのに逢えない」楼蘭という都とを重ねあわせた素敵な楽曲です。

楼蘭の都を発見したのは、19世紀末から20世紀初めに活躍したスウェーデンの地理学者で探検家のスウェン・ヘディンです。その遺跡からは美しい女性のミイラも見つかりました。楼蘭の美女として知られています。 楼蘭が滅びたのは、命の水を支えてくれていたロプ・ノールが涸れたからです。ロプ・ノールを潤していたタリム河の水が湖に来なくなったのです。後に、その場所に再び水が戻ってきたのを見たヘディンは、ロプ・ノールを彷徨える湖と呼びました。しかし、ロプ・ノールは今も涸れ果てたままです。

もう一つの彷徨える湖 沙漠の河

タクラマカン沙漠の少し東にある祁連山脈という山なみの北麓に沿ってシルクロードが通っています。その北側に居延と呼ばれていた地があります。居延の地には900年余り昔にカラ・ホト(黒城)と呼ばれる都がありました。豊かな水に恵まれた居延沢(居延海ともいう)という湖の畔です。

時が流れ、居延沢の水も次第に涸れていきました。700年ほど以前の話です。居延沢に流れ込んでいた黒河という河(弱水とも呼ばれていた)の水が湖に来なくなったのです。居延沢はもう一つの彷徨える湖なのです。

地元の伝説によれば、カラ・ホトにはカラ・バートル(黒英雄)と呼ばれる将軍がいました。地域に比類ない勇将だったとのことです。ある時、カラ・ホトは東から来た軍隊に攻められます。でも、カラ・バートルの奮戦で敵は城を攻め落とすことができません。そこで攻撃軍は一計を案じます。堤防を築いて居延沢に、つまりカラ・ホトに流れていた河の流れを堰き止めたのです。水の手を切られたカラ・バートルは城内に井戸を掘りますが水は出てきません。水がなければどうしようもありません。彼は、水を求めて最後の決戦に挑みます。愛する二人の妻と、そして息子と娘とを水が湧かなかった空井戸に投げ込んで殺したうえで出撃したのです。そして、戦いに敗れて死んだと伝えられています。

こうして、カラ・ホトという都も、居延沢という湖が涸れるとともに砂に埋もれていきました。

繰り返される水環境問題

カラ・ホトを攻め滅ぼした東から来た軍隊とはいったい何だったのでしょうか。伝説が実際にあった戦いだと想定すると、カラ・ホトにいた西夏を攻めたモンゴル軍か、後にカラ・ホトを治めていたモンゴルを攻めた明の軍隊かということになります。

最近の研究によれば、居延沢に流れ込んでいた黒河の水量は歴史的に大きく変化してきました。その原因は、気候変動というよりは、人間活動にあったということも明らかになってきました。つまり、黒河からたくさんの水を灌漑農業に使った時代には居延沢がどんどん小さくなり、あまり使わなかった時代には居延沢が大きくなるという変化を幾度も繰り返してきたのです。 そうすると、伝説のカラ・バートルの戦いは現実に起きた戦いではなかったのかもしれません。もしそうだとすれば、カラ・ホトを滅ぼした東から来た軍隊とは、灌漑農業という人間の暮らしぶりのことだったのではないでしょうか。

今、ロプ・ノールに注ぎ込んでいたタリム河の末端に最近まであったタイテマ湖という湖は涸れ果てました。最下流部では河それ自体すらなくなってしまっています。下流域の地下水位は5メートル以上も低下したのです。両岸のハコヤナギ樹林も広い面積で枯れてしまいました。ここに住む人たちにとってはゆゆしい大問題です。そして、これらはすべてタリム河の水量が減少を続けた結果なのです。そしてその原因は、より上流域での灌漑農業のためにタリム河の水を過剰なまでに使っていることにあるのです。

居延沢を潤していた黒河でも、その末端にあったガション・ノールとソゴ・ノールという二つの湖が20世紀後半になって相次いで消滅しました。周囲にあった深さ1〜2メートルの浅い井戸は涸れ果ててしまいました。河辺に繁茂していた胡楊の林も衰退しています。ここに暮らしていた牧畜民は大変です。その住処を追われることになります。彼らは、第二のカラ・ホトになることをとても心配しています。これらの原因もまた、灌漑農業のために過剰なまでに黒河の水を使っていることにあるのです。

水は誰のものか

楼蘭もカラ・ホトも水を失って滅びました。世界各地で水環境問題が生じています。第二、第三の楼蘭やカラ・ホトが生まれようとしています。いったいどうすれば、逢いたいあの人と逢うように、水の都としての楼蘭やカラ・ホトと逢うことができるのでしょうか。

カラ・バートルは、愛する者たちを犠牲にしてまで、水を得ようとしました。そして、その戦いに敗れました。わたしたちが第二のカラ・バートルにならないために、いったいどうすればよいのでしょうか。

( 雲南懇話会(2009年6月)の配付資料より )

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