歴史的所産としての環境



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歴史的所産としての環境

Present environment as consequences of our history

NAKAWO, Masayoshi

ABSTRACT

We have a long history of utilizing our environment, seeking for our wellbeing. It has been realized lately that our past activities, utilization of various resources found in our environment, could have lead significant deterioration of our environment: global environmental problems. This is not what we have imagined until today. For restoring, protecting, or preserving “desirable” environment, varieties of efforts have been devoted with a number of manners, since desirable environment is one of the bases for our happy life.

We do not know, however, what would be the best way to interact with the environment, when thinking of the proper action to keep, preserve or restore it. Natural system would have reacted to people’s pro-actions, and people have reacted to changes of natural system. Seeking for good way to have our “nice” environment, we need to pile up our knowledge about past interactions between people and nature: what people’s action has lead to natural system, and how people have reacted with the natural changes, and again what is the consequence of the reaction. This loop of the interaction is to be clarified.

Our knowledge on the past changes of the interaction, however, is very limited, because so called historians have mainly examined people’s activities alone, although including the interrelations between various people’s actions, having showed little interest in the interaction between nature and people. We are in the stage, therefore, to promote studies for reconstructing historical changes of the interaction, in order to obtain clues for solving present environmental issues.

開発と保護

「資源開発」、「資源管理」、「資源保護・保全」という言葉がある。利用の可能性を秘めたさまざまな資源を、人が利用できるような状態にするときに開発という言葉が使われる。  最近は「資源」の中に「環境」が含まれるようになってきた。いわく、「環境開発」、「環境管理」、「環境保護・保全」などである。

そもそも「保護・保全」とはなにか。辞書によれば「保つ、護る、全うする」などという言葉が同義語として出てくる。保ち、護り、全うしたりする主体は、当然のことながら人である。つまり保護・保全とは、人の手が入ること、もしくは人が関わるということである。その対極にあるのは、人がまったく関与しない自然の状態であり、人の接触が皆無の状態ということになる。

しかし近ごろ地球環境問題を語るときには、「自然保護」という言葉が二つの意味あいで使われているように見受けられる。

ひとつには、「過保護」という言葉からもイメージできるように、自然を人が(関与して)保護するという場合であり、上に述べた「保護・保全」の使い方である。 しかしもうひとつ、人がまったく関与しない自然状態を(人が)保つ、あるいは(人が)保護するという、いわば自己撞着的な使われ方をする場合もあるのである。

自然環境を保護して(元の)自然状態を回復しよう、あるいは自然状態を保持しようという動きのひとつに、世界(自然)遺産の指定によるものがある。意識している、していないに関わらず、世界遺産に指定された地域では、新たな開発を禁止する場合が多い。さらにそれにとどまらず、人が関わらない自然状態を取り戻そうとする動きが出る場合が多い。そこでは、野生動物の駆除などはもっての他である。人が自然にまったく働きかけず、(元の)自然状態を取り戻そうとしているのだから。

人がこのような意図を持つとき、対象とする地域を囲い込み、人が入れなくする、あるいは立ち入りを禁止する場合が多い。これは一種の人の関与であり、保護といっても開発と同様、自然に対する人の能動的関与である。 つまり開発も保護も、ともに人の意図によって行われるものであり、ある意味ではほとんど差がない。問題は、意図がどうあるかということではなく、その結果がどうなるかということである。

人工池の環境

2001年4月に発足した総合地球環境学研究所(地球研)は、自らの建物が建つまでの間、あちらこちらに間借りをして過ごしていた。トータル5年弱の期間である。 発足から一年間は京都大学農学部横の小さな二階建ての建物の半分を借りて過ごしていた。京都大学から借り受けたものである。

職員が増えて手狭になった2年目以降は、廃校となった小学校の建物を借用していた。旧春日小学校の木造二階建ての校舎を京都市から4年間ちかく借用していたのだ。そして2006年1月、ついに自分たちの建物が京都市上賀茂に完成した。そして引き続く2月に新しい建物へと引っ越した。そこは、地球研発足当時に京都大学の演習林から譲り受けた土地であった。 地球研中庭の池

新しい建物には、その中庭に池が作ってあった(写真)。池に水が入るとまもなく、どこからやってきたのかアメンボウが見られるようになった。アメンボウは大気中を飛んでやってくる。素敵な水があると思ったのだろう。

しばらくすると青蛙がやってきた。青蛙は空を飛ぶことはできない。地面を歩いてやって来たに違いない。池は中庭にあるので、建物を大回りしないと池までたどり着くことはできないはずである。どうして池の存在をかぎつけたのか、いまでも疑問である。ともあれ彼らはやってきた。そして卵を産み、増え始めた。

「この池に魚はいるのですか?」と見学者の多くが聞くという。そのためではないが、魚を入れたいという人が現れた。日高所長は「錦鯉や金魚はやめてくれよ」とのこと。そこで近くの小川に多数生息するカワムツと京都大学演習林から貰い受けたメダカとが池に放たれた。天敵がいないためか、彼らはあっという間に増え、いまも増殖を続けている。

今後この池の様子はどう変わっていくのだろうか。誰もわからない。カワムツやメダカの数はたぶん頭打ちになるだろうが・・・・

池は完璧な人工池である。誰かが「自然状態を回復しよう!」と叫んだとしよう。そのままの状態で囲い込み、人が近づけないようにしたら、どんな自然が回復するのだろうか。もともとないのだが、(元の?)自然に戻るのか。

どうなるかはやってみなければわからない。しかしどうなるにせよ、カワムツを入れ、メダカを入れたことが、なかったことになる筈はない。魚は空を飛べないので、飛んでどこかへ行ってしまうこともなかろう。

このことは、「元の自然」とは何だろうかということを考えさせないだろうか。元の自然を取り戻すために、囲い込んで人が立ち入れなくすればそれで良いのか?

池の将来は、池が作られ、アメンボウや青蛙が住みつき、カワムツとアメンボウがやってきたという事実抜きには語れない。これらのことが、池の将来を決めるのである。言い換えると、ある時の環境は、そこに生じてきたさまざまの歴史的事象の所産である。過去をすべて背負っているのである。

現在の地球環境問題を語るとき、環境というものが、われわれが経験してきた歴史的事象の結果としてあるのだということを忘れてはなるまい。

地球環境問題と歴史研究

地球研で立案を計画しているプロジェクトに関わる以下の文章を見ていただきたい。 「気候が温暖化してきたために農耕が可能な地域が拡大してきた。そこで多数の中国系住民が流入し農地が増加。また、人口の増加は人の集中を生み出し都市が発達、交通路などの基盤整備が進んだ。人々は都市や交通路など基盤が整備された場所へと集中し、遊牧活動もまた都市周辺に集中するとともに一種の重農主義を生み出した。これらのことは地方の草地の荒廃にもつながった。・・・・」

現在のモンゴル国の状態を述べている、と思われるかもしれない。しかしそうではない。以下に掲げる文章の一部、赤字で書いた部分を意図的に省略したに過ぎないのである。

8世紀になると、気候が温暖化してきたために農耕が可能な地域が拡大してきた。そこで多数の中国系住民が流入し農地が増加。また、人口の増加は人の集中を生み出し都市が発達、交通路などの基盤整備が進んだ。人々は都市や交通路など基盤が整備された場所へと集中し、遊牧活動もまた都市周辺に集中するとともに一種の重農主義を生み出した。これらのことは地方の草地の荒廃にもつながった。このような状況における頂点として存在したのがモンゴル帝国である。」

明らかに、1000年以上昔のモンゴル帝国揺籃期以降の状況を述べているのである。ただ「8世紀になると」という言葉をはしょっただけで、現在の状況ではないかと思うのは私だけだろうか。 つまり、かつてのモンゴル帝国が抱えていたのとほぼ同様の問題が、現在のモンゴル国に生じているということである。現在と極めて類似した状況が、1000年もの昔にあったということである。つまり似たような歴史が繰り返されていることになる。

現在直面している地球環境問題に対処するには、いままでの歴史をまず知ることからはじめなければならない。現在われわれを取り囲んでいる今日の環境は、今までの歴史の所産だからである。

また、物事の解決に資する知恵を得るためには、われわれは、経験に学ぶ以外の方法を持ち合わせていない。最も先端的だと考えられている科学の世界でも、その根源はすべて経験則でしかない。

つまり、歴史的所産である今日の環境のよってくるところを理解するにも、また、問題が生じたときの根本的解決方法を探るにも、歴史に学ぶ以外にはないのである。つまり、自然にどういう働きかけをしたら、意図はどうあれ、どういう結果になるか、そしてそれがどのような形で跳ね返ってくるか、そしてそれに対して人はどう行動するか云々ということを、過去の事例から学ぶ以外のそのすべを持ち合わせていないのである。

現在われわれが歴史学と呼んでいるひとつの学問分野は、残念ながら、今日の地球環境問題の解決のためにはほとんど無力であるといわざるを得ない。それは、従来の歴史学が、人と自然とのかかわりの歴史にいわば目をつぶってきたからではなかろうか。 確かに歴史学は人の歴史を調べ、それなりの成果を挙げてはきている。しかしそのとき、環境の変化をどの程度考慮してきたのだろうか。環境は変わらなかったと、いわば仮定してきたのではなかろうか。また、人が環境に与えた影響を正当に評価してきたのだろうか。

現在の地球環境問題は人と自然とお互いに影響しあい、複雑に絡まりあう、いわば一種の相互作用環とでもいうべき作用連鎖の結果と考えられる。したがって、その相互作用の歴史を知ることがまず必要なのである。しかし、このことに関する歴史学の成果の蓄積は、あまりにも少ないのではないだろうか。つまり、われわれは、今日の地球環境問題の解決に向けるための知識の蓄積がほとんどないという現状だといわざるを得ない。

つまりわれわれは知らないのである。知らない以上、知る努力を始めようではないか。

(『作為歴史産物的環境』 知識産?出版社(2009)への中尾の寄稿文のAbstractと本文の日本語版)

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