文化を支える技術を



ご質問やご意見はメールをお寄せください。

文化を支える技術を―歴史からのまなざし―

For technology sustaining culture −historical perspective−

中尾正義 (NAKAWO, Masayoshi)理学博士

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構  理事・地域研究推進センター長

モンゴル草原

今回の東日本大震災や引き続く大型台風による被害を見るまでもなく、強大な自然に比べてヒトはとても弱い存在です。過酷な自然環境の中で生き抜くために、ヒトは長い歴史をかけて様々なシステムを生み出してきました。そのシステムは、種々の施設や設備などのハードを伴う場合もあれば、ハードを伴わない、社会制度や慣習などのソフト的な知恵である場合もあります。それらシステムに依拠した生活様式は、文化と言い換えることもできます。

「技術」はこのシステムを担う重要な要素のひとつです。システムを構成する種々のハードを作りだす技術やそれらを使いこなすソフト的な技術などです。

モンゴル草原

みなさんご存じの、モンゴル帝国の基礎を築いたチンギス・カンという英雄がいます。モンゴル族の人々の間には、チンギス・カンの遺訓というものが伝わっているとのことです。それは、「草原を荒らすな」「川や湖の水を汚すな」という「一見何の変哲もない言葉にすぎない」とのことです。しかしこの遺訓は、現在われわれが直面している環境問題への対応策とも通じるものです。 チンギス・カンの遺訓を引き継いだ、いわば遊牧生活の指南書ともいえる書きものが、「ト・ワンの教え」として残されています。ト・ワンとは、19世紀初めから中ごろにかけて現在のモンゴル国東部で活躍したモンゴル王族のひとりです。

「ト・ワンの教え」には、遊牧のノウハウが事細かに記されています。いわく、秋は、あかざが赤くなる頃に場所を広い谷に変えて放牧せよ。水飲みの水槽の縁を少し高くしておけば水がこぼれにくく、寒い季節に氷で家畜が滑ることがなくなる。小家畜は水槽に近づきにくいので水を飲ませることに努め、汗をかかせるな。家畜に子を生ませる時以外の時期には頻繁に移動せよ。よく太るようになる。突然雪が多くなった時には、弱い家畜を慮ってぐずぐずするな。みんな死んでしまう。素早く移動すれば、弱ったものは死ぬが元気なものは残る。火災に注意して、湖の周辺では吹雪に注意せよ。などなど。これらは、長い時間をかけて培われた遊牧民の知恵が結実した遊牧技術なのです。 モンゴル草原

しかし同時に「ト・ワンの教え」には、人は父母の教えによって人となったのだから、常に恩を忘れず孝行や礼儀を尽くせ、あるいは、年長者を立てよ、和を尊っとべ、などの教えもあります。お茶を飲む回数にまで言及して、倹約・節約を勧めます。これらは遊牧文化の根本的な指針として記されています。 上述した詳しい遊牧の技術は、これら遊牧文化の一翼を担うものとして意義を持つというのです。

つまり技術というものは、ヒトの生存戦略としてのシステムである文化を担って初めて価値があることになります。地域の文化と無縁な技術は意味がないのです。技術は文化を支えるものでなければなりません。

現在、日本を含むアジア諸国の核燃料廃棄物を保管・処理する、「核ゴミ捨て場」をモンゴル国に建設する計画が進行しているようです。現実になれば、技術の粋を凝らして建設されることでしょう。しかし果たしてそれは、現地の文化を力強く支えてくれるものになるのでしょうか。地域のヒトの暮らしに寄り添い、その文化を担う技術こそが求められているのです。

(技術士(2011)IPEJ Journal、23(11)より)

ホームに戻る