地球の明日のために



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オアシスと水資源の思わぬ悪循環

中尾正義

河川が支える豊かなオアシス  

ユーラシア大陸の中央部には広大な乾燥地帯が広がっています。海からの距離が遠いこともあって降水量は極端に少なく、年間100ミリメートル前後、50ミリに満たないような場所もあります。いわゆる沙漠です。雨が少ないということは、天気が良いと言い換えることもできます。強い太陽の光が肌を刺す日が連日のように続くのです。  

木々や草花の生育には、太陽の光と二酸化炭素、そして水とがどうしても必要です。草木は大気中にある二酸化炭素と水をもとにして、光合成することによって成長するからです。 二酸化炭素は、世界中の大気の中にたっぷりと含まれています。そこで、草木がとてもよく成長する場所とそうでない場所とを決めているのは、太陽の光や水が十分あるかどうかということです。 乾燥地帯には強い太陽の光がそそいでいます。したがって、水さえあれば草木の生育にはもってこいの場所なのです。でも降水が少ないのが乾燥地帯です。十分の光があるにもかかわらず、沙漠には木々や草花がほとんど生えていません。  

沙漠の周りにオアシスと呼ばれる街や都市が点在しています。オアシスは中国語では緑州と書きます。茶褐色の沙漠地帯を旅してオアシスに近づくと、まるで目の前に緑の島が現れたように感じるのです。そこには緑の木々が生い茂り、人々は小麦やとうもろこし、野菜や綿花などさまざまな農作物を育てています。スイカやメロン、ぶどうなど果物も豊富です。オアシスも乾燥地帯の中にあるので、そこだけ降水量が多いというわけではありません。年間100ミリ前後にしか過ぎません。それなのに、どうしてオアシスはこんなに豊かなのでしょうか。  

秘密は河にありました。オアシスは大きな河のほとりにあります。河から引き込んだ水を街のあちらこちらにまくことによって、街路樹や果物、穀物や野菜などいろいろな作物を育てているのです。ですから、オアシスの中には、河の水を導く水路が網の目のように張り巡らされています。このように、人工的な水路によって水を必要なところへ運ぶシステムを灌漑システム、水路を灌漑水路と呼びます。つまりオアシスとは、作物の生育のために乾燥地帯でたった一つ足りない水というものを、灌漑によってまかなうことによって、豊かな生産を続けてきたところなのです。  

草木がほとんど生えていない茶褐色の沙漠に囲まれているので、オアシスの緑はひときわ新鮮です。でもその緑は、自然にできたものではありません。人々のたゆまない努力によって、やっと維持されている緑なのです。灌漑水として畑などにまかれた水は、草や木を育てたあと、最終的には地面や?物の葉から水蒸気となって大気へと戻っていきます。もとの河の流量はオアシスで灌漑に使われた分だけ減少します。そしてさらに下流域へと流れていくのです。

乾燥地帯では特に、流れ下る間にも、河の水はその表面から蒸発したり地面にしみこんだりするので、下流にいくにつれて河の流量はだんだんに減っていきます。次第に細くなっていくということです。そしてついに、大気や地面に失われる水の量と上流から流れてくる水の量とが同じになるところで河はなくなってしまいます。河に末端ができるのです。わが国の河川はすべて海に流れ込みますが、乾燥地帯では海につながらずに途中で消えてしまう河が多く存在します。そのような河を内陸河川といいます。

河によっては、湖に流れ込んで消えるものもあります。湖の表面からの蒸発量よりも流れ込む川の流量が少なくなれば、湖は次第に小さくなってついには消えてしまうこともあります。  

氷河は水資源だ  

降水が少ない乾燥地帯なのに、オアシスに豊かに水を与える河はいったいどこから来るのでしょうか。

ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯のまわりには多くの山脈が横たわっています。パミール高原や崑崙山脈、天山山脈、アルタイ山脈、祁連山脈などです。これら山脈の標高は高く、7000メートルを超える高峰を多数抱えています。

乾燥地帯でも、標高が高くなれば降水量が増えてくるのはわが国と同じです。標高1000メートル前後の高さにあるオアシス付近の年間降水量は100ミリ程度ですが、付近の山に登っていくと次第に降水量が増えてきます。降水量が増えるにつれて地面には草が現れます。2000から3000メートル付近まで登れば、そこには大草原が広がっていますし、木々も現れてきます。豊かな草原では、牧民の人たちが羊やヤギ、ヤクなどの動物を飼って生計を立てています。年間降水量は200から300ミリくらいです。さらに登って標高4000メートル付近まで行けば、降水量は600ミリから800ミリにも達するようになります。ここまで来れば立派な森林を見ることもできます。オアシスに流れてくる河は、山に降る豊かな降水を集めて、オアシスへと流れ下ってくるのです。

高い山に登るにつれて気温は低くなっていきます。標高5000メートルを越すと、夏でも気温が氷点下になるほどです。そういうところでは降水はもはや雨ではなく雪として降ります。雪は毎年降り積もり、積もった雪は自らの重さで圧縮されて氷になります。こうしてできた氷の塊は、重力にしたがってゆっくり流れるようになります。氷河です。乾燥地帯の周囲にある山脈には、たくさんの氷河がその美しい姿を見せています。

谷に沿って流れ下った氷河は、標高が低くなって気温が上がるとともに次第に融けだします。とくに夏の期間は氷河の融解が進むために、オアシスで利用される河川水の水源として、氷河はとても重要です。言い換えると、氷河はオアシスの水資源として、天然のダムの役割を果たしているのです。でもこのダムは人工的なダムと違って、簡単にコントロールすることができません。

気候が温暖化してくると、氷河の上に積もる雪の量以上に氷河が融解するようになります。河川に流れ出る氷河の融解水量は増加して河川水量は温暖化する前よりも増えることになります。そのぶん氷河は次第に小さくなります。逆に気候が寒冷になってくれば、氷河は大きくなり、河川水量は減ることになります。つまり氷河というダムからの放水量は、気候の変化によって制御されているのです。その結果として、オアシスに流れ込む河川の水量は変化します。

乾燥地帯では最近水が足りない

中国西部の乾燥地帯のオアシスでは、水が足りないということが最近目立ってきました。祁連山脈(きれんさんみゃく)から甘粛省(かんしゅくしょう)に沿って伸びているいわゆるシルクロードを横切って北に流れ、内蒙古自治区で消える「黒河(こくが)」流域を例にして、最近の水環境について考えて見ましょう。

黒河の末端には二つの湖がありました。ガション・ノール、ソゴ・ノールという二つの湖です。西にあったガション・ノールは1961年に、ついで東のソゴ・ノール湖も1992年には干上がってしまいました。黒河の流量が減少したせいだと考えられます。湖に到達する前に、黒河の流れに末端ができて、消えてしまうようになってしまったのです。

黒河の下流域では、河畔に生えていたポプラの一種である胡楊という吊前の木の林も枯れてきました。林の周りに生えていた草もめだって衰えてきたそうです。現地のお年寄りが子供だったころには、らくだの姿が見えなくなるくらいの背丈でたくさん生えていた葦もなくなってしまいました。

河辺に生えている草を動物たちに食べさせて生活していた牧民たちは、草が減ってきて困ってきています。さらに、放牧生活で必要な水を得るために使っていた深さ数メートルの井戸では、水が出なくなってきました。涸れてきたのです。地下水の水位が下がってきたので、浅い井戸ではもはや水を採ることができなくなりました。水を得るには、機械を使って深さ20メートル以上の深い井戸を掘らなくてはいけなくなりました。深い井戸を掘るにはお金もかかります。

水資源回復の努力

お話してきたような黒河下流域の水枯渇を解決するためには、水資源を回復しなければいけません。そのためにつぎの二つの方法が考えられました。ひとつはオアシスで黒河から灌漑のために採っていた水の量(取水量)を制限して下流へ今までよりもたくさん水を流すようにすること、そしてもうひとつは森林を豊かにすることです。

黒河からの取水制限として、山からオアシスに流れ込んでくる黒河の流量に応じて、ある量以上の水を灌漑に使ってはいけないと定められました。そのぶん下流へと流れる黒河の水量は増加しました。

しかし、黒河から引き込む水の量を減らされた農家の人たちは困りました。取水量を減らされると今まで作物を育てていた農地を維持するのに、水の量が足りないからです。そこで農家の人たちは井戸水を利用することを考えました。井戸を掘って足りない分を地下水のくみ上げによってまかなうようにしたのです。

さらに、灌漑水路の改修も行いました。というのは、今までの灌漑水路はただ地面に溝を掘っただけのものが多く、水が流れる間に水路の壁や底から地下に水が漏れて、目的地に着くまでに水量が減ってしまっていたからです。水路の壁や底をビニールシートやコンクリートで覆い、漏れる水の量を減らすことに成功したのです。これで効率よく水を目的とする農地まで運ぶことができるようになりました。

豊かな森林をつくるためには、まず、河の源である山の森林を対象にしました。木々の生育に足る降水がある山麓には、牧民の人たちが動物たちを放牧しています。動物たちは木々の若芽を食べて森林が育つのを妨げているから、動物たちを山から追い出せばよかろうという話になりました。つまり、牧民を山から追い出して別の場所へ移住させようというわけです。生態環境を守り保全するための移民ということで、生態移民と呼ばれる政策です。移住先としては、豊かなオアシス付近がいいだろうと考えられました。

オアシス周辺に移住した牧民たちはどうなったでしょうか。広い草原をあとにしたので、動物たちに食べさせる餌に困りました。餌を自分たちで栽培する必要が出てきたのです。そこで新たに農地を開発してアルファルファやとうもろこしなど動物の餌を育てるようになりました。でも乾燥地帯です。日の光は十分ありますが水はありません。新たな農地にも灌漑システムを建設して水を供給してやる必要があります。

黒河の水を利用するには昔からその水を使っている農家の人たちの承諾を得なければいけません。水利権と呼ばれる、水を利用する権利は、昔から水を利用していた農家の人たちが持っているからです。

黒河からの取水を制限された農家の人たちは、自分たちの農地にやる水にさえ困るようになってきているのです。あらたにオアシス付近にやってきた牧民たちに水を分けてはくれるはずもありません。そこでオアシスに移住してきた牧民の人たちは黒河の河の水を使うことをあきらめました。代わりに、あらたに井戸を掘って、自分たちに必要な水をその井戸水に頼ることにしました。

新たな農地開発や井戸水の灌漑システムの建設にはお金もかかります。農地と灌漑システムができるのなら、いっそのこと牧業をやめて農業をやろうという人たちも出てきました。でも牧民の人たちは、いままで農業の仕事をまったくしたことがなかったで、成功した人はあまりいないようです。

牧民として飼料を作る場合にしろ、農民として農作物を作る場合にしろ、農地のためにあらたに水需要が発生したことに変わりはありません。今まで以上にオアシスで水が必要になってきたのです。

森林育成の努力は黒河の下流域でも行われました。わが国のボランティアの人たちを含めて、黒河下流域にせっせと苗木のうえつけが行われました。でも黒河下流域は年間降水量が50ミリよりも少ない場所です。うえた木が育つためには水を与え続ける必要があります。ここでも新たに水需要が発生したのです。水を与え続けた木は育ちましたが、水が足りないという現状ではそれも続けることは難しく、苗木はほとんど枯れてしまいました。

下流域にも河沿いの草を利用していた牧民の人たちがいました。彼らが飼っている動物たちは河畔林の成育を阻害しているに違いない、ということで、ここでも生態移民政策がとられました。牧民たちは近くにある額済紊(えちな)とよばれるオアシスに移住しなさい、河畔で放牧をしてはいけない、というわけです。前に話した山麓の牧民の生態移民の場合と同じ状況がおきました。オアシスに移住した牧民たちは、飼料栽培のためのあらたな農地開発が必要となり、そのために、井戸水の灌漑による水利用が急増したのです。地下水を今まで以上に使えば地下水の水位が低下するのは当然です。浅い井戸はどんどん涸れていきました。それを補うために、まだ水が出る深い井戸がさらにどんどん掘られるようになってきたのです。

水が足りない原因を考える

ここで水枯渇の原因を考えて見ましょう。どうしてこのような水の枯渇が問題になってきたのでしょうか。

地球は最近温暖化してきているといわれています。たしかにユーラシア大陸中央部でも温暖化は顕著におきています。黒河流域のオアシスでもここ50年間で摂氏0.5度ほど気温が高くなっていることが観測されています。降水量は、オアシスがある山のふもとではいくらか増加してきていますが、山岳域では逆に減少傾向にあることがわかりました。水源となる山岳域の降水が減ってきたことが、水が足りなくなったことに効いているのでしょうか。

オアシスに流れ込む河川の水源として氷河が大切だという話をしました。氷河は温暖化が起きると次第に小さくなりそのぶん余分の水を河に供給するので、河川の流量は増えることになります。祁連山脈にある七月一日氷河では、最近28年間でその一割もの体積の氷が失われたことが観測されました。そのぶん河川には降水量以上の水が流れ込んでいたのです。

つまり山からオアシスに流れ込む河では、降水量の減少によって河川の流量が減る効果と氷河融解水の増加によって流量が増える効果とが互いに相殺していることになります。事実、祁連山脈から流れてくる黒河が、はじめて出会うオアシスである張掖(ちょうえき)オアシスに入ってくる場所での流量の変化を調べてみたところ、過去50年にわたってほとんど変化していないことがわかりました。

ところが張掖オアシスから下流側へと流れ出ている黒河の流量を調べて見ると、最近50年間に2/3に減少していました。灌漑用の黒河からの取水量はx2以上に増加していたのです。つまりオアシスで今まで以上に大量の水を使うようになって、そのことが下流域で水が足りないということの原因だということがわかりました。だからこそ、オアシスでの黒河の水の取水量を制限して、下流へ放出する水の量を増やそうとしていたのです。

オアシスで今までよりもたくさんの水を使うようになった原因は、急速な農地開発です。最近50年間で灌漑農地面積はx3にも増加していたのです。それにもかかわらず、取水量の増加がx2余りですんでいるのは、効率的に水を運ぶ近代的水路へと水路が改修されたためや、黒河の水の代わりに井戸水を使う農家が増えてきたせいだと考えることができます。

井戸水の利用は急増しています。1980年代から2000年代までのわずか20年間で井戸からの揚水量はx6にも増えました。取水制限による水の足りない分を井戸水で補う農民たち、河川水を使えないために井戸水に頼る生態移民でオアシスにやってきた牧民たち。このことに加えて、最近の現金経済の影響もあります。

オアシスで作る農作物は、小麦やとうもろこしなどのいわゆる糧食作物が昔は大部分でした。人々が生きていくために必要な食糧生産として大切だったわけです。でも最近は、綿花や野菜がたくさん作られるようになってきました。流通経路の発達などによって、これらの作物を売れば、糧食作物よりも手軽に現金を得ることができるようになってきたからです。換金作物と呼ばれるこれらの農作物を作るには、糧食作物よりもこまめに水をまく必要があります。

河川水を引き込む灌漑システムは、いつ、何処に、どのくらい水を供給するかということに関して、たくさんの約束事があって、個々の農民が自分勝手にその時期や量を変えることができません。しかし自分で掘った井戸ならば、いつでも好きなだけ自分の畑に水をまくことができるのです。このことも井戸水の利用が増えてきた原因のひとつとなっています。

黄砂と湖の復活

春先に空がいくらか黄色みを帯びてかすんで見えることがあります。この現象はわが国では主に西日本で生じます。黄砂です。黄砂は、ユーラシア大陸中央部の沙漠地帯から風で空に舞い上がった小さな鉱物粒子が大気の流れ乗って飛んでくる現象です。黄砂は時には太平洋を越えて遠くカナダやアラスカ、グリーンランドにも達することが報告されています。

西暦2000年代に入ると北京や韓国に飛来する黄砂の量が異常に多い年が続きました。わが国では、黄砂がやってきても、せいぜい山がはっきり見えなくなる程度のことですが、中国や韓国では砂嵐(ダストストーム)と呼ばれるほど激しいことがあり、甚大な被害をもたらします。視界上良による交通事故や交通渋滞が多発しました。また汚れた空気は人体への健康被害をもたらすと危惧されたのです。

黒河末端にあった湖、ソゴ・ノール湖が消滅したのが1992年でしたから、2000年代初めに頻発したダストストームは、黒河下流域の干上がった湖の底の鉱物粒子が舞い上がって飛んできたのではないかと考えられました。湖があったころに湖底に堆積する粒子は非常に細かく、それが大気に露出することによって、簡単に舞い上がることができると考えられたからです。ダストストームを減らすには、湖を復活させる必要があると考えられました。そこで、黒河から水路を引いて、消えてしまった湖があった場所へ水を導くという努力がなされました。湖復活のための水路としても、漏水の少ない近代的水路が使われました。その甲斐あって、2003年には以前に比べればまだ小さいですが、見事にソゴ・ノール湖が復活しました。美しい景観がよみがえったのです。

でも考えてみてください。黒河下流域は水が足りなくて困っているところです。この水はいったいどこから来たのでしょうか。

オアシスの農民たちは言います。 「われわれは、下流域の水が足りないからということで、下流にもっとたくさん水を流すために取水量を制限されて困っている。それなのに、下流ではその水を湖に引き込んでいる。湖に水をためて、いたずらに大気中に蒸発させているだけではないか」

彼らの言う通りです。乾燥地帯の中でも際立って乾燥している黒河下流域は、雨は1年間に50ミリ以下なのに対して、地表面に水があれば、1年間に3000ミリ以上もの水が蒸発してしまうほどのところなのです。湖を作るということは、蒸発して大気へと消えていく水の量を増やしているということにもなるのです。

このことは苗木をうえることにも当てはまります。うえられた木は地面に根を張り、地中の水を吸い上げて自分の葉っぱから大気へ水蒸気として放出します。つまり、木は地下水をくみ上げて大気へばら撒くポンプのような役割を持っているのです。森林が育つということはそれだけたくさんの地下水が森林によって消費されているということに他なりません。

降水量が多く、地下水が豊富なたとえばわが国のような地域の場合には、森林による地下水の減少は通常あまり大きな問題になりません。減った分だけ天からの降水によってすぐに補充されることが多いからです。しかし、乾燥地帯では降水もほとんどなく、失われた地下水を補充するには近くを流れている河の底や側壁から漏れてくる水をあてにするほかはありません。ですから、いったんなくなった地下水資源が回復するには、とても長い時間がかかります。そんな場所で木をうえるには、木々が根から吸い込んだ後に大気へと放出する量に相当する地下水を何処から補充するかということを、しっかり考えておく必要があります。

問題はどこにあるのか

黒河流域の水枯渇問題は深刻です。下流域での木々や草原の衰退ならびに井戸水の枯渇に加えて、張掖オアシスの例でお話したように、オアシスでも水が足りなくなって来たのです。生態移民でオアシスへと移住してきた牧民はもちろん、もとから農業を営んでいた農民も充分に水が無いことを嘆いています。

水が足りないということを解消するために行った生態移民政策の結果、オアシスで必要な水の量がかえって増加してしまいました。いままでは灌漑水を必要としていなかった牧民の人たちが、飼料栽培のために新たに灌漑水がいるようになってきたからなのです。もとからの農民の人たちも、黒河からの取水制限のために、水が足りなくなりました。牧民も農民も競って井戸を掘り、井戸水をくみ上げることによって足りない分をまかなっています。その結果、オアシスの地下水の水位が急激に低下してきました。浅い井戸ではもはや水が出なくなってきています。そこで、大金をかけてまだ水の出る深い井戸を掘ってその井戸水を使うようになってきています。

深井戸から採水して調べた結果、その水は少なくとも数百年まえに祁連山脈に降った降水ではないかと推定されました。つまり、深いところの地下水は、数百年も地下水として眠っていたということになります。言い換えると、もしもこの地下水がなくなれば、回復するのには数百年かかるということなのです。けれど、水が足りないという現状の問題に対処するために、その地下水に手をつけ始めたという状況なのです。

地下水の枯渇には、漏水の少ない近代的水路の導入も一役買っています。水路改修によって、目的とする畑まで、効率よく水を運ぶことができるようになった、と話しました。ここでいう「効率よく」というのは次のような意味です。ビニールやコンクリートを水路の底や壁に貼り付けた新しい水路を使えば、水を運ぶ途中で水漏れが少ないので、「減ることなく」水を運べるという意味です。昔の水路を使えば水漏れが激しかったからです。

でも、減った水はいったい何処へ行っていたのでしょうか。地中にしみこんで、地下水になっていたのです。水が水路から漏れてこないということは、地下水を増やす効果が失われたということもできるのです。用水路の水が漏れてくることによって、地下水の貯水量が減った場合でも、その回復に役立っていたわけです。つまり、表面の目に見える水だけを見ていれば、「効率はよくなった」かも知れませんが、地下水も含めて考えれば、「効率がよくなった」とはいえないのではないでしょうか。

はじめに話しましたように、ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯は太陽の光がとても強いので、水さえあれば、農作物を豊かに生産することができるところです。たぶんはじめの頃は、河のほとりや湧き水を利用して、人々は作物を作り、生活を支えていたことでしょう。

そのうち、水さえあれば、もっとたくさんの作物を作ることができるようになると考えるようになりました。技術の進歩もあって、水路を作り広い面積に水を配る灌漑システムを作り上げました。もっと水があればもっとたくさんの作物を作ることができると考えて、さらに遠くから水を引いてきて、さらに広い面積を農地に変えました。このようなことを繰り返すうちに、下流には河の水が行かなくなるほどたくさんの水を使うようになってしまったのです。

河の水が足りないなら、井戸を掘って地下水を使えばいいじゃないかということで、井戸がたくさん掘られました。井戸水は便利だということで、どんどん使うようになりました。地下水はだんだん減少して、浅い井戸ではもはや水が出なくなってきました。もっと地面を掘れば深いところには、別の地下水がある。今度はそれを使おうというわけです。

深い地下水は、なくなってしまえば回復するのに気の遠くなるほど時間がかかります。そういう意味では、持続的に使い続けることができる資源とはいえないのではないでしょうか。石油などと同様に、なくなってしまえばそれでおしまいという資源と考えたほうがいいかもしれません。その深い地下水に手をつけてしまったという現状のようです。

最近の温暖化によって氷河はどんどん小さくなっています。そのぶん今は降水量以上の水が山から河へ流れ出しています。しかしこの状態が続けば、氷河は百年もしないうちに消えてなくなってしまうと考えられています。氷河がなくなってしまえば、山から流れてくる河の流量が急に少なくなってしまいます。そうなったときにどうすればいいのか、今から考えておかなくてはいけないのではないでしょうか。

逆に温暖化が終わって気候が寒くなっていくようになっても、河の流量は減少します。寒冷化によって氷河が大きくなり、そのぶんだけ河の水が減るからです。寒冷化によって河の水が減少することは13世紀から14世紀にかける時代にも生じたことがわかっています。

温暖化が続く場合、寒冷化へと変化する場合、どちらにしても、現在は、山から流れてくる河の水が将来は少なくなると考えられる時代です。水がなければどこかから持ってくる、それで足りなければ、別の場所から水を持ってくる、それもなくなれば次は何処に水があるか探す、というような生き方をしていても大丈夫なのでしょうか。

(『子どもたちに語るこれからの地球』 講談社(2006)を微修正)

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