日本雪氷学会会長 中尾正義
先日、イスラーム地域研究の国際シンポジウムに出席するために、パキスタンのラホールを訪れる機会がありました。ムガール帝国の帝都であった都市です。シンポジウム最終日の午後に、インド・パキスタン国境での衛兵交代式の見学会に案内されました。パキスタンの人々もたくさん見物に訪れていました。
外国人が珍しいのか、若い、もしくは幼いたくさんの少女達から一緒に写真を撮ってくれと頼まれ、入れ替わり立ち替わり都合100枚くらいも写真を撮られたでしょうか。その何枚かはその日のうちにフェイスブックにアップされるのではないかと危惧したほどです。
そのとき、10歳くらいの少女から「ティムロ・ナム・ケホ(あんたのなまえは何?)」とネパール語で聞かれたように聞こえました。そこで「ミエロ・ナム・ナカヲ・ホ(わたしのなまえは中尾です)」とネパール語で答えてみると、彼女は「ナカヲ!」「ナカヲ!」と周りの人たちに連呼しましたので、あれ、通じたのかな?と思ったのです。
ホテルに戻ってから、現地で使われているムガール語ができる先生に、「あんたのなまえは何?」をムガール語で何というのか尋ねたところ、ネパール語での表現とほとんど同じ発音だということがわかりました。
そこで翌日バザールで買い物をしてみました。「これいくら?」から始まって、「この額にまけてよ!」などすべてネパール語で話してみましたが、なんと通じるのです。数の数え方もあまり変わらないようです。ちゃんと値切りながら買い物ができたのでした。
バザールにて ネパール語で買い物
このことは新鮮な驚きでした。カラコルムという憧れの山塊を控えているものの、イスラームの国であり、わたしが全く判別することができないアラビア文字を用いているパキスタンは、わたしにとって、これまでなじみのある国ではありませんでした。それが、特に大陸では、国境というものがまさに流動的であり、人々の移動も含めて、民族や言語、宗教、文化などがアフガニスタンやインド、ネパールなどと複雑に交錯する歴史を経て、そして今があるということを体感したのです。たまたま最近になって設定されたにすぎない国民国家というものの現状にとらわれすぎると、物事が見えなくなるような気がしました。
シンポジウムでは、イスラエル・アラブ問題やインド・パキスタン紛争などいわばホットな話題に関わる議論もおこなわれました。学問の世界では、このような現代の問題についても、問題のよってきたる歴史的経緯の解明やそれぞれの文化的背景の分析を通じて、よりよく理解し吟味する段階にきているように感じました。時間が経過したことによって、現代の問題を、主義主張や利害のぶつかり合いではなく、より客観的に、学問的に検討することが可能になってきているようだと言い換えられるかもしれません。
とはいえ、バングラデッシュ並びにインドから参加を予定していた研究者達には結局パキスタン入国のビザが下りず、彼らは参加することができませんでした。過去の事実を検証しつつ学問的に検討しようという研究者の会議にも、国家間の利害の対立などの現状を背景とする政治が介入した結果なのでしょう。この集会の意義が、今の政治状況という現在の価値観で評価された結果といえるのかもしれません。
わたしがカタコトのネパール語を話せるようになったのは、40年ほど前にネパールで氷河調査をしていた頃のことです。当時は、氷河の研究などは学問の主流ではありませんでした。「そんなことして何になるの?」とよく聞かれました。それが、地球温暖化の進行にともなって世界の関心事となり、役に立つ研究らしいと認識されるように、評価が変化したのです。その時になって、何の役にも立たないと思われていた当時の研究の成果が生きてきたようです。研究の世界で、当初は重要だと考えられていない研究でも、時間の経過につれてその評価が変化する例なのかもしれません。
学術研究は、「学問の自由」を基本理念として、研究者個人の自由な発想によって真理の探究を目指すものと考えられます。探究心に支えられた、自由な発想・視点による研究を担保することによって、研究活動は多様化し活性化します。また、そのことによって様々な社会的ニーズに対応可能な多様な成果を生み出すことができるようになる筈です。結果として、大きく社会に貢献すると考えられます。ある時点における必要性や重要性だけで、その価値を評価すれば、結果としての学問的成果の多様性を保つのが難しくなるでしょう。
国立大学の法人化にともない、法人評価が導入されました。一種の独立した組織になったわけですが、国費が投入されている以上、評価は必要なことだと思われます。しかし危惧するのは、その評価があまりにも短期的な視点にとらわれがちだということです。年度評価や中期評価などでは、歴史の重みに耐える評価をすることは難しいように感じます。
研究者の側も、短期的に成果が得られそうなテーマを選定しがちです。主として若い研究者を対象に、数年間という短期雇用のポストが増えたということもこの現象を助長しているようです。しかしそういう時代だからこそ、目先の成果に左右されず、自らの情熱に忠実に、やりたいと思い、信じる仕事を、じっくりと腰を落ち着けて行う人を大切にしたいと思うのはわたしだけでしょうか。
過日、すごく人気のあった老舗のホテルやレストランにおける食品の偽表示疑惑が新聞紙上を賑わせました。長い時間をかけて築きあげてきた彼らの信用が一挙に崩れました。このことも、本来は長期間かかる信頼・信用の醸成こそがまさに利益を生み出すにもかかわらず、決算期ごとの短期的な利益を優先させるという風潮がその背景にあるような気がしてなりません。
国際紛争への対処にしろ、研究活動にしろ、法人評価にしろ、経済活動にしろ、なにかしら気ぜわしく、みなさん急ぎすぎているのではないでしょうか。
こういう時代だからこそ、長期的な視点を持って物事に対処することがきわめて大切な事だと思います。そして、歴史の法廷での評価を受けようではありませんか。
(「雪氷」 76巻1号(2014年)より)